又四郎夢日記

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死の哲学

2014-09-14 22:20:30 | 雑記
今までNHKでやっていた臨死体験の番組を観ていたのですが、良くできていましたね。
脳が作り出す幻覚や偽記憶は予想通りでした。これまで脳機能が停止していると思われていたのは、脳波が微弱で分からなかっただけで、本当は活動していたというのも、まあそうなんだろうと考えていました。意識は脳の特定の領域ではなく、脳全体の神経のつながりで生み出されるというのも予想通り。予想外だったのはその後です。

何が予想外だったのかと言えば、意識を数式で表現した科学者がいるという事です。この数式は、脳細胞の数が多いほど、神経のつながりが複雑であればあるほど、意識も複雑化していくという事らしいです。植物状態の患者の中には、この数式で意識がある事が分かった人もいるんだとか。この数式が本当に正しいとすれば、我々の意識は死ぬと消える可能性が非常に高そうです。

臨死体験で人生観が変わるほどの神秘体験をするというのは、脳の辺縁系の働きによると説明されていましたが、科学が説明できるのはここまでです。何故そんな機能があるのか?それが私たちにとってどういう意味があるのか?という最も重要な部分には何も答えてくれません。この番組に出てきた科学者も、科学は仕組みを説明するもので、意味を答えるようには出来ていないと言っていました。

人間の脳は偽記憶を作り出すし、幻覚も観ます。しかし、私たちは脳をつかって世界を認識しています。目から入ってきた情報を脳が処理して、脳が作った映像を観ています。ほかの感覚も同じです。客観的か主観的かという違いはあっても、全て脳が作ったものならば、偽記憶や幻覚も現実と同じであるとも言えます。無論、まともな社会生活を営んで行く為には客観的な事実と主観的な真理の区別は必要です。しかし、社会生活と両立できる部分に関しては、主観的な真理を優先させるのもアリでしょう。芸術、宗教(まともな宗教)、哲学、その人の信念と言った文化的なものが、主観的な真理という事になるのでしょうね。

しかし、やはり死を恐れない悟りの境地というのは謎ですね。昔の武芸者について調べてみると、この謎の境地に到達してるんですよね。江戸時代の武術書によると、長年古流武術の修行を積んできた人が最後に禅僧に出会って、真理を聞く事ですぐに悟ったという事らしいのですが、どういう修行をしたら聞くだけで悟れるのか、今の段階の私には分かりません。