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【根本】1941年 日本はなぜ 対米宣戦布告をワシントンでしたのか?

2007年03月02日 03時15分44秒 | 思考実験
日ソ独伊連合構想という本を読んでいたら、独ソ開戦に際して1941年6月22日朝の4時に、ドイツ外務大臣リッベントロップは、駐独ソ連大使デカゾノフを呼びつけて、宣戦布告をしている。

ところで、日本の対米宣戦布告はワシントンで行われており、翻訳作業が時間がかかったなどで、不意打ちの汚名を着させられました。これに関して、駐米大使館の人員を国賊ものと指摘する向きもあります。

だが、リッベントロップの手法、つまり東京で駐日アメリカ大使グルーを12月8日未明に呼びつけて宣戦布告すればすむ話ではなかったのか?
その手法をとらなかった、日本政府の判断ミスこそ、駐米大使館員への国賊呼ばわりより、もっと重大な問題では無かろうか?

ちなみに、時の駐日アメリカ大使グルーは、翌42年の6月に交換船でアメリカに帰国しており、開戦後に日本に来たのでない限り、開戦時には日本にいたはずです。(ここの部分は、ネットで調べきれなかった)

なぜ、日本政府は、ワシントンで宣戦布告をするという愚策を採用してしまったのであろうか?

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