誰にでも到達できなければならないという
必要がないから
対象者にだけ届けばいい
その対象者も特定の対象者ではない
人間をドウテイして内容ではなく
内容でドウテイされた人間
必要がないから
対象者にだけ届けばいい
その対象者も特定の対象者ではない
人間をドウテイして内容ではなく
内容でドウテイされた人間
先日同世代の大学の先生からお話を伺う機会があった。
「最近の学生は、目立つことを嫌う。僕らの世代では、授業中に手を挙げることはしないが、指されると、しょーがねーなと思いながら答えていた。最近の学生は、分かっていても、周りの人間が分からないと思うと答えない。それくらい、目立つことを嫌う。」
最近の若い衆を生では余り知らないが、教えてGOOを見ていて気になるのが微なのである。
A大学とB大学とでは、就職の際にどちらが有利ですかとか、□□の職業に就くには、どの大学が有利ですかとか、○○の勉強をするのにはどの大学がいいですかという質問が多い。
A大学とB大学の偏差値の違いが1だとしたら、大学に入ってからの学生の変化は100であり、1000である。□□の職業(得てして、日本中に少ないような職業、まぁ医者になるにはどの学部に入ればいいですか?などという疑問は出ないのだから、普通は、日本中に少ない職業に関しての質問になるのは分かるが)の、それは、大学に依存するより、その人間に依存する。例えていえば、大臣になるにはどこの大学が優位ですか?というような話であり、そりゃ東大法学部がベターですとしか言いようがない。数が多いのだから。
目立つことを嫌うことと、この高校生の細かい大学選考は、同根ではないか。つまり微小なものに目がいって、おおざっぱな事を見ることができない。
日ソ独伊連合構想という本を読んでいたら、独ソ開戦に際して1941年6月22日朝の4時に、ドイツ外務大臣リッベントロップは、駐独ソ連大使デカゾノフを呼びつけて、宣戦布告をしている。 ところで、日本の対米宣戦布告はワシントンで行われており、翻訳作業が時間がかかったなどで、不意打ちの汚名を着させられました。これに関して、駐米大使館の人員を国賊ものと指摘する向きもあります。 だが、リッベントロップの手法、つまり東京で駐日アメリカ大使グルーを12月8日未明に呼びつけて宣戦布告すればすむ話ではなかったのか? その手法をとらなかった、日本政府の判断ミスこそ、駐米大使館員への国賊呼ばわりより、もっと重大な問題では無かろうか? ちなみに、時の駐日アメリカ大使グルーは、翌42年の6月に交換船でアメリカに帰国しており、開戦後に日本に来たのでない限り、開戦時には日本にいたはずです。(ここの部分は、ネットで調べきれなかった) なぜ、日本政府は、ワシントンで宣戦布告をするという愚策を採用してしまったのであろうか? |