「今日までそして明日から」

アフリカのザンビアへ行きます。こうした機会を与えられたこと、応援して下さる方々への感謝の思いを忘れずに、書きます!

1年が経ち2年目を迎えました。

2009年06月25日 16時52分26秒 | Weblog

2008年6月24日昼頃、ザンビアの地に降り立ってから1年が過ぎました。

いろんなことがあって飽きることのない1年でしたが、
でも振り返ってみると自分のなかでは及第点からほど遠いです。

語学力の問題で活動をスムーズに進められなかったり、
ザンビア人の時間感覚や平気で約束を破るところに悩まされたり、
配属先の協力体制に疑問を感じたり。

そんななかで、以下のようなことをこの1年間でしてきました。

【AIDS ACTION PROGRUMME】
●ルサカ市内の学校訪問(aids action clubの調査、活動チェック)
●WS開催(ルサカ高校、リバラ・アラカン高校)
●スポーツ活動の支援(チャワマ、チャイサ)→「世界の笑顔のために」申請中
●ラジオ番組「Japanese world」制作を通してのドラマグループ支援 
●リラトコミュニティスクールでの活動(週1)
●AAR(難民を助ける会)とのディベート大会検討。

【HOME BASED CARE】
●ケアギバーグループの手伝い(カレンダー作り、石鹸作りなどのIGA模索)
●WS参加のアテンド(AAR)
●コミュニティセンター建設のためのプロポーザル申請手伝い(ザンビア日本大使館)

【その他】
●PICDにてソーシャルワーカー学位コースでの活動(週1)
●チャワマでのESD促進活動の支援
 (岡山大を通したユネスコへのプロポーザル申請の手伝い)
●AARとWS開催(エイズ対策分化会との協同)
●Tシャツ作成による業者支援(100枚以上)
●ソーラン隊による日本文化紹介イベント参加(8回)


活動が次のステップに結びついていかないことに対して
その有効性に疑問を感じたり、人との人間関係に悩んだり、
楽しいことより怒ったり凹んだり落ち込んだりすることの多い1年でしたが、
でもそんななかでも僕のことを応援してくれる人がいて、
そういった人たちに支えられた1年でもあります。
(だから、一度も帰りたいと思ったことはありませんでした!)

助けられていることに本当に感謝しています。


さて、来る前から考えていたように、
残りの1年は次のステップのための年です。
ザンビアに来る前日にお世話になった方からいただいた言葉、
「次につながる行動を!」
常に頭に置きながら「考動」していきたいと思います。

1年目の僕に欠けていた「誠実さ」「着実さ」を大切にして、
コツコツ真摯に前に進んでいきたいと思います。

これからもよろしくお願いします!



【写真】
キャベツやオクラの苗を育てているファームの風景。
最近、その苗をもらって家庭菜園をスタートしました。
経験もないし土も良くないのでどうなることやら。



路上生活者が抱える心の闇、エイズ治療薬は“救世主”となるか?

2009年06月25日 00時52分21秒 | Weblog

「携帯電話を渡せ!」。
夜の7時ごろ、ルサカ中心部にある大橋近くを歩いていた時にすれ違った若い男がいきなり僕に迫ってきた。

 「いやだ、助けて!」と大声を張り上げ、抵抗すると、顔面をガツーンと殴られた。かけていた眼鏡が吹っ飛び、僕は倒れ込んでしまった。そのすきに、彼は携帯電話と現金を僕のポケットから奪い取り、暗闇へと消えていった。

 殴られたボクサーのような腫れあがった目を見せながら、その事件を同僚のカサンガさん(男35歳)に報告すると、「あの橋下にはストリートチルドレンが住んでいる。夜の寒さをしのぐために接着剤に含まれるシンナーを吸っている。きっと彼らだろう。」と言う。聞けば、同僚のケネディさん(男36歳)やエリザベスさん(女30歳)もあの場所で同じような犯罪にあっている。

 ザンビアでは、HIV/エイズで親を亡くしたり盲人の親を持った子どもたちが、家にいても食べ物がなくて、街でモノを請うたり盗んだほうがカネになると思って路上に出ていく。僕が前に住んでいたブラジルのファベーラ(スラム)でも、その子どもたちはストリートチルドレンの予備軍と言われていた。きっと、あの橋下に住む彼らもHIV/エイズ感染者が集中するコンパウンド(貧困者地域)から生まれてきたのだろう。

 なぜエイズ孤児が犯罪に走るのか。「子どもたちを更正する少年院がないから」と主張するのは友人のピリーさん(男35歳)。確かにザンビアにはリビングストンにしか少年院がない。政府も路上の子どもたちを農場に連れていき更正をはかるが、彼らはすぐ脱走して路上の生活に戻ってしまうそうだ。

 思うに、彼らは人生に希望が持てないため、刹那的な生き方しかできないのではないか。「短絡的なカネ稼ぎが窃盗や売春だ。死に追いやるエイズは長期的な人生プランを失わせる」とカサンガさんは言っていた。僕が日本で関わっていた遺児支援活動でも、親を失った悲しみで夢を描けないたくさんの子どもたちに会った。僕自身、子どものときに母親を亡くしたひとりの遺児として、そのことを体験的に知っている。

ひとつの明るい兆しは、高額なエイズ治療薬がこの国でも4年前から無料化されたことだ。薬をちゃんと飲み続ければ普通に生活ができる。そして、人生設計を考えようとする。実際に、治療薬が出回りはじめてから犯罪は減っているそうだ。

でも、60万人の孤児がいて、4人にひとりが栄養不良児と言われるここザンビアでは、多くの子どもたちの心と体の栄養はまだ満たされていない。

僕の目の傷はいつか治る。でも僕を襲ったあの若者の心の傷は簡単には治らない。


(環境ビジネスに掲載された記事です)


※写真はニンバの学校の寮での食事づくりの様子で、
 試しに掻き混ぜているところ。
 記事とは関係ありません。


カネを貸すことはいいことなのか?止まらないカネ貸し状況からザンビア人の生活を垣間見る。

2009年06月15日 15時05分59秒 | Weblog
僕のオフィスの電話が鳴る。「話があるからそっちに言ってもいいか?」
電話の主は同僚のマケワナさん(男30歳)だった。いつもとは違う雰囲気で来て彼は言った、「200,000クワッチャ(約4000円)貸して欲しい」と。

 それまでも、給料までの生活費が足りないとか結婚相手とのトラブルとかでカネを借りに来た彼。予想はついたが「またか…」と思ってしまう。「いつもちゃんと返しているから大丈夫だろ」と言うけれど、僕が心配するのは職場でもそこそこの給料をもらいながらも借りに来る彼の生活そのものだ。最近はその頻度も高い。

 最近、よく職場の同僚が僕にカネを借りに来る。(前に紹介した)ピリーさん(男36歳)は、新しい家を借りるための頭金が足りないので、個人ビジネスでやっているタクシー業で返すからとお願いする。車修理のムイラさん(男40歳)は子どもの食材と学校に通わす費用が理由だ。お手伝いのモーゼスさん(男22歳)やケネディさん(男36歳)は給料の支払いが遅れて生活費が足りないとのこと。秘書のナルチャさん(女33歳)は家賃の支払いが滞納している。

 今のところ借用書を書いてもらって(外部者の場合は保証人をつけてもらって)、貸したカネは全て戻ってきているが、なぜ最近こんなに借りる人が多いのかと会計のカサンガさん(男35歳)に聞くと、「いままで賄賂で仕事を得ていたが、世界経済危機の影響でいまはそれがない」と言う。そんな彼も、上司のチバレさん(男55歳)から内緒で1,000,000クワッチャ(約2万円)のお願いをされて20%の利息付で貸している。

 僕はカネのトラブルで自己破産に追い込まれた父親の姿を見てきたので、できればカネの貸し借りをしたくない。ここの多くの日本人関係者もザンビア人にカネを貸さないほうがいいと言う。でも、彼らの多くがいつもカネに困っているのも知っているし、カネを貸す代わりに一緒に考えて知恵を出そうとしても、やはりカネがないと解決できなことのほうが多い。ザンビア人の考え方を知るほど、カネが必要だということも理解できる。

 今日もマケワナさんが50,000クワッチャ(約1000円)を借りに来た。カネが絡むことで彼らに対する信頼感や人間性を知るチャンスでもあると思ったりしながら、彼のために貸そうか貸さまいか悩む日々が続く。



【写真】
東部州ニンバで見たダム。文章とは関係ありません。



「いのちの食べかた」

2009年06月12日 15時04分51秒 | Weblog

写真にあるように、
カテテに行ったとき鳥の解体作業を体験した。

日本に住んでいると、こういった機会に出くわすことはほとんどない。
ただスーパーに並べられた加工された鶏肉を買うだけで、
鳥という生き物を食べているのだということをなかなか実感しにくい。

現代人はスーパーで売られているものが
どのようにつくられているのかを知るチャンスは少ない。
パソコンで言うならば、
多くのユーザーがブラックボックスについて無知であるのと一緒だ。


ザンビアに来て、
食べ物に限らずいろんなものがどのようにつくられているのか、
日本にいた頃よりも感じやすくなった。
それはおそらく技術が発展していないから(日本に比べて)原始的な方法で
全てのことが営まれているからだろう。


1年半ほど前に見た「命の食べかた」という映画を思い出す。
だれもが効率を追求した生産現場の恩恵を受けている。
なのに、その現場を知っている人は少ない。

僕らはそういったことを知らないで生きている。
でも、鳥の解体などを体験すると、
どのように加工されて僕らの食事として出されているのかを考えることができる。
そして、「命」を食べているのだと感じることができる。

新しい土地で新しい生活をしていると、
普段気づかないことに気づかされて、
今まで考えなかったことを考えるようになる。

ザンビアに来てもうすぐ1年になる。
もう一度、いまここにいる自分を確認して
「日に日に新たなり」の精神で生活していきたいと思う。




こんなに大きなカボチャがある。

2009年06月11日 17時33分31秒 | Weblog

写真のようなカボチャがザンビア中央州セレンジェに行けばあると言う。

あるケアギバーグループのはからいで、
本当は今週、初の出張でそこに行くはずだったのに
準備ができていなくてキャンセル。

そのかわり他のスポーツコミュニティグループから、
6月末に5日間出張の話を持ちかけられる。

ここはザンビア。
どこまで本当になるかわからないから期待のしすぎは禁物だが、
まだ活動の関係でルサカの外に出たことない僕としては、
行かせてもらえるならどこでも行きたいとと思うところである。

応援したいザンビア人もいる。

2009年06月10日 17時55分41秒 | Weblog

時間があるときには相変わらず学校に営業をかけている僕。
昨日はチパタコンパウンドの奥のカバナナに位置するハイランド高校に行った。

ザンビアはいま乾季で寒い。しかも風が強い。
舗装されていない道からでる砂埃にやられながらも学校へと向かう。

担当のマカサ先生からシニアティーチャーを通して、
ヘッドティーチャー(校長先生)との面談。

それまでの話では、
ワークショップ(WS)開催の費用はなんとかなりそうな雰囲気だったが、
帰ってきた答えは「予算がない」だった。
HIV/AIDS活動に使える費用は年間で決まっていて、
期間内のものは前に使ってしまったそうだ。

営業で断られることに慣れている僕は「やっぱりか…」と思ったが、
この校長先生は、
「他の予算で使えるものがないかを探してみる」
「考えられる費用で削れるものは削ろう」
「1日のみWS開催でもいいか」
とできる方法をいろいろ提案をしてくれた。

担当のマカサ先生も、
「もし学校が予算おりなかったら、個人的に生徒からドネーションを集めよう」
と提案してきてくれた。

相手任せのザンビア人が多いなかで、
この学校の先生たちの熱意を僕は感じることができた。


僕はこういう人たちを応援したい。
なんとかしようとしてるけどなかなかうまくいかない。
そんな人たちの何か役に立ちたい。

そんなことをあらためて思った。


【写真】
マカサ先生が生徒たちに指導しているアクティビティのひとつ。
何をしているのかよくわからなかったが…。

何かないと人は集まらない!

2009年06月09日 15時18分21秒 | Weblog
いまチャワマにある団体のプロポーザル申請を手伝っている。
2つのドナーへそれぞれ別のプロジェクトを申請しようとしているが
その窓口に僕がなっているため、
執行委員が集まるミーティングにオブザーバーとして参加させてもらっている。

それにともなって関係者(ステークホルダー)を集めたミーティングを
開催することになった。
ある土曜日の朝8時からのミーティング。
僕はバスを乗り継いで1時間かけてチャワマまで行く。

でも・・・誰も来ていない。
責任者は9時頃来たが、20人ぐらいいると思われる関係者の誰一人も来ていない。

責任者のソミさん(男性45歳)は言う。
「何かないとやっぱり人の集まりが悪い」と。

この日のミーティングは手当てもないし食事も出ない。
日本ではそんなこと当たり前だが、ここザンビアではそれが当たり前ではない。

「もし人を時間通りにちゃんと集めたければ、交通費か食事を用意するのが早い」
とソミさんは続ける。

10時、11時となるうちにポツポツ人があらわれて、
最終的には10人ぐらいでミーティングは開催されて
活発な意見が交わされたので、
僕も参加したかいがあったのだが・・・。


人を集めるためにはカネかモノがいる。
物質的にも精神的にも貧しい国ここザンビアでは
それも仕方ないのかもしれない。

「アフリカは援助慣れしている」という声は聞かれて久しい。
でも、物質的に豊かにならなければ、精神的にも豊かになれない。
それは、僕自身、(日本では)決して裕福でない家庭で育ってきたことから
体験的に知っている。
「衣・食・住足りて、礼節を知る」という言葉もある。

僕は思う。モノがきっかけでもいい。
そこから何かを得て、
それをきっかけに自助努力で前に一歩でも進んでくれればと。


次回のミーティングは2週間後に行われる。
そのとき、何かの提供があるかはまだわからないが、
人が集まるために必要だったらそれでもいいと思う。
でも集まった人たちが「何か」を持ってもらえるように
意味のあるミーティングにしたいと思う。





【写真】
牛を追い払っている僕(カテテにて)。
文章の内容とは関係ありません。








カネがなくてもできることはある!

2009年06月08日 15時32分18秒 | Weblog
僕が配属されているファミリーヘルストラスト(以下FHT)は、
90年代にはHIV/エイズの予防啓発において
ザンビアでもパイロット的な役割を果たしてきた。
だが、近年ドナーが陽性者のケア・サポートを支援する傾向のなかで、
カネがなくて活動も先細りしているのが現状だ。
というか、
予防啓発についてはほとんど活動が行われていないと言ったほうが正しいだろう。

本来ならば、「ピアエデュケーター」と呼ばれるボランティアにお願いして、
各学校や団体で予防啓発活動を促進してもらい
それを統括・モニタリングしてドナーに報告するのが
FHTの役割でもあり僕を要請した理由だが、
そのボランティアに払う手当て(交通費や活動費の援助など)も
1年以上滞っている。
だから、彼らにお願いをすることもできない。

ならば、僕らスタッフが直接、現場に出向いて活動を行うしかないと思って
とまりかけている予防啓発のプログラムを進めようとするが、
そのプログラムに与えられた予算はゼロのため何もできない。
配属先の車を使おうと思っても、おカネがないからガソリン代も払えない。
そのプログラムを担当するスタッフは言う、
「これでは何もできない」と。

でもそれでは問題解決にならないから考えたことは、
各高校が持っているHIV/エイズの活動費を使わせてもらうということだった。
依頼書を書いて郵送する費用もないから(ザンビアの郵便事情は良くない)、
学校まで歩いて行って突撃訪問。
担当者と出会うまで何度か足を運ぶこともある。
職場から近い学校ばかりではないので楽なことではない。
交通費をポケットマネーから出すこともしばしばだ。


そんななか、ルサカ高校のエイズクラブの先生が理解を示してくださり、
学校側が昼食を支援してくれるという約束で
ワークショップ(WS)を開催することになった。
(ザンビアでは昼食か交通費の援助がないとWSをしても人が集まらない)
ただし、学校の授業があるので土日を利用してやって欲しいということだった。

ここで問題となったのが、
だれがそのワークショップをファシリテートするかだった。
本来ならばFHTのソーシャルワーカーの資格を持つ担当スタッフがするのが当たり前だが、
「週末は教会などで忙しくて働けない」と断られてしまった。

僕がファシリテートできればいいのだが語学力の問題を考えたら現実的ではない。
どうしようか迷っていたところ、
交通費の援助がなくてもやってくれるというピアエデュケーターがあらわれた。
早速、履歴書を書いてもらって面接.。
(何もできない僕が面接をするのも変な話だが・・・)
FHTからも許可をもらい、
彼(テンボさん27歳男)のファシリテートのもとWSを開催することに。

当日はルサカ高校の先生の車を使って備品の運び出しを手伝ってもらい、
30名ぐらいの生徒が休日にも関わらず学校に来てくれた。

テンボさんをフォローしながらオーガナイザーとして全体の運営に努めた僕。
経験の浅い彼のために途中でヘルプを入れたり、アイスブレーキングなどもした。

何もないところからはじめた今回のWSだが
長い1日を終えて生徒に書いてもらった感想を読んでみると、
概ねとても良い反応で
「他の場所で行われるWSにも参加したい」という声ももらった。

このWS、2日間のコースのため来週末の日曜日にも開催される。
今度は他の日本人ボランティアにも来てもらい
少し何かやってもらおうと考えているので、
また生徒たちがちゃんと来てくれればと思う。


「何か援助をして欲しい」と僕のオフィスに来る人はあとをたたない。
そんな彼らに僕は言う、
「カネがなくてもできることをやろう、一緒に考えるから」と。


僕もカネがなくてもできることを探さなければいけない。



【写真】ワークショップの様子。テンボさんがファシリテートしている。

「がぶ飲み」 せっかくだからザンビア以外も・・・

2009年06月05日 20時22分36秒 | Weblog

最近、週末に出かけることが多い。
先週は中央州のカブエ、ルコンバに。
その前の週は東部州のニンバ、カテテに。

僕は普段の生活が忙しくなると遠出するのが億劫になるところが昔からある。
でも、最近の遠出であらためて旅のおもしろさを感じている。

自分なりにルートを決めていく旅が僕は好きだ。
ただ真直ぐ目的地に行くのではなく、その道中もおもしろい。
ルコンバに行くときも、あえて途中のカブエで1泊した。
カテテに行くときも、途中にあるペタウケという町に寄った。
(これは用事があったからだが…)
面倒くさいことも多いけど、なんとなくそういうのが好きらしい。

そして、ザンビアの田舎町なんてどこも一緒だと前は思っていたけど、
その土地土地でやっぱりおもしろさがあることにも気づいた。

せっかくの2年間なので、
時間の許す限りたくさんのところに行っていろんなものを見て触れて、
そして、たくさんのことを感じたい。


もうすぐこちらに来て1年が経とうとしている。

せっかくなのでザンビア以外の国にも行ってみたいと思っている。
JICAの規定により20日間という枠の中で、
モザンビーク、マラウイ、ケニア、タンザニア、ボツワナ
に行くことが認められている。

前に1日だけボツワナに行ったので残るは19日。
いまのところ行ける国には全部行きたいと思っている。
そんなことを考えながら旅行の計画を練っていると楽しい。

うーん、体がむずむずしてきた。早く次の旅に行きたい。
松尾芭蕉の「おくの細道」の気分とても言うのだろうか。
今週末は久しぶりにルサカにいてワークショップをしているが、
次の旅行のことも考えよう。


とにもかくにも、いまという時間を大切にして、
ザンビアをそしてアフリカを「がぶ飲み」したいと思っている。




【写真】
カテテの中心部から50キロ離れたモザンビークの国境境に行きました。
一応、モザンビーク側に入っているので祝モザンビーク入国なのですが…(笑)。
この道を真直ぐモザンビーク側へ行くと友人がいるテテという町につながる。
そんなことを考えるといろんな国に行く妄想は膨らむばかりです。


ライブといえば・・・

2009年06月04日 14時43分38秒 | Weblog
先日、ルサカのShowgrondでエイズ関連のイベントが行われました。
ザンビア人アーティストたちによる公演で、
何人もザンビアミュージシャンのライブを見るチャンスでした。

ちゃんとした特設ステージが設置されて、
ちょっと言い過ぎかもしれませんが
その雰囲気は日本で言うとap bank fesの妻恋を思い出させるものでした。
(あれほど規模は大きくないのですが)

昼から夜にかけて行われたこのイベント。
僕は途中から参加でしたが来賓からの挨拶では
アメリカ大使の
「An ounce ofprevention is worth a pound of cure」
という言葉が印象的でした。

何兆クワッチャ(ザンビア通貨)ものエイズ対策費を今まで費やして、
6年前では3000人のARV治療を受けているザンビア人が
いまでは200000人に達している。
ARV治療はお金がかかるが、ほんの少しの予防啓発の努力でそれを変えられる。「Privention is not ptional」という言葉で表現されていましたが、
予防啓発よりも治療ケアが優先されている感のあるここザンビアだけに、
とても大切なことだと思いました。


ライブはアフリカの伝説とも言われるジンバブエ出身のオリバーのライブもあり、
とても盛り上がっていました。
17時頃から参加してしばらくしたら帰ろうかと思っていましたが、
知ってる曲のミュージシャンを待っているうちに最後までいることになりました。
(結局、その曲を聴くことができませんでしたが…)
公演の終了はあっけなく、showgroundをあとにしたのが夜中の1時。


はじめてのザンビアンライブはとても思い出に残るものでした。
そして、思いました。
エイズ対策に成功したブラジルでもそうであったように、
有名人による啓発活動が大きな影響を及ぼすのだろうと。
(ブラジルでは有名人がカミングアウトしたのが大きかったそうですが…)
日本でも90年代後半は
ミュージシャンによるエイズキャンペーンライブが行われており、
そのおかげでエイズの認知度が高まったと思います。
ザンビアでは既に国民の誰もが既に知っている問題なので、
あとはそれが行動に結びつけばと願っています。




【写真】
ダニーが歌っているところ。
彼もこのイベントに出演していました。