エチオピアエチオピア

代田橋からこんにちは

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ハウズィエンの子供たち(E-410)

2011-10-24 22:57:51 | Weblog
せっかくなので前回のちょっとした続き。
とはいってもこの写真を撮ったのは今から二年弱前(もうそんなに経つのか!!!)、この地域に二度目に訪れた際の写真。
この時は兄貴と一緒で、首都アジスアベバから基本陸路で北部を一周した一部に同じ行程を組んだ。
特に指定はしていなかったのだがハウズィエンについてからのガイドは同じくゲブレさん。
ちなみに下の写真の右側がゲブレさん。

左側は若い奥さんで、というのは嘘で通りがかりの女性。恐らく20歳くらい。とはいっても顔なじみのようでった。
ゲブレさんの写真を撮るよ、と言ったら近くを通りがかった彼女を呼び止めて、一緒に収まった。
たいていのエチオピア人は写真を撮るとすぐにモニターで確認したがり、次来た時にはプリントして持ってきてくれ!と言ってくるのだがゲブレさんは全くそのようなそぶりを見せない人だった。
ゲブレさんはまだエリトリアがエチオピアだったころにエリトリアの大学を出たという。
彼の英語は実際かなり支離滅裂なのだが、その彼曰く、彼のイタリア語はほぼ完璧だという。
ちなみにエリトリアははイタリアと縁が深く、大学の公用語はイタリア語だったそうだ。
タイトルの写真の子供たちは僕ら兄弟がただ散歩しているとどこからともなく寄ってきて、楽しそうについてくる。
こんな感じで。ちなみにこの日本人は兄貴。(無断掲載)

エチオピアの公用語であるアムハラ語を僕は少ししゃべれたのだが、彼らはティグレ語という別の言語をしゃべる為、通じない。
でもフレンドリーで、小さい子を大きな子がしっかりと面倒見て居たりと見ていて楽しかった。
子供や大人まで、エチオピアの人たちは本当に表情が豊かで深い。無邪気で嬉しくなる。
我が父上と母上もエチオピアに来てくれたことがあるのだが、その際に言っていたのは「戦後の日本を見ているようだ」ということ。
これは別に悲観してでも良くいっているわけでもなさそうで、ただそう感じたらしい。
僕が帰国してから土門拳の昭和の写真をそれと知らずに見たことがあり、「どこだろ、エチオピアかな?」と思ったことがあるくらい、戦後の日本とエチオピアの風景は似ている、のかもしれない。
ちなみにこの場所の全景はこんな感じ。

これを見て「日本の戦後を見ているみたい」と言ったわけでは無いので悪しからず。

子供たちはただ着いてきていただけなのだが、それならばといざこちらが向かっていくとマンガのように転びながら後ずさりする。顔はもちろん大ピンチの顔をして。
転んだ女の子に近寄っていくと泣き出す。そしてなんだかすごい罪悪感をこちらは感じる。でもまた近寄ってしまう。
エチオピアではよくあることなのだが、子供から「ペンを頂戴!」と言われる。
ここの子供たちはあまりそういうことを言ってこなかったのだが、一人の少年が僕らに向かってそう言い、それをゲブレさんが見ていた。
そしたらとてもとても悲しそうな顔をして、怒るでもなく子供を諭していたのがとても印象的であった。
彼は外国人のためのガイドという、おそらく地域では一番稼ぎの良い方の人なのではないかと思うのだが、まったく奢ることもなく、そして最後にチップを渡そうとしても最初は断られた。
ゲブレさんは地域の子供にいろいろと教えたりして、模範を見せている、と言っていた。
実際にどこまで立派な人なのかは分からないが、二日間も一緒に居て、控えめで信頼のおける人であろう、ということは良くわかった。

エチオピアに行き、曲がりなりにも「世界」の一部を感じ、二年間を終えて帰ってくると何か人の役に立つ、それも何か大きな流れに対して何かできれば、と考えてしまう。
建築の場合であればよりたくさんの人に使ってもらえる建築にかかわる、ということになるのかもしれない。
しかし今帰ってきて一年ちょっとが経ち、まったく逆の視点を持っている。
人間一人が死ぬまでにできることなんて意外に限られているのかもしれない、と。
限られているかもしれないからこそ、大きく何かをしようと思わずに、できることから小さくても、小さく終わってしまうかもしれないとしても関わってみる、取り組んでみる。
そんなことが大事なのかもしれない。
そしてその小さなことや、自分の人生だけを本当にしっかりと進めようとすることは、とても難しいことなのだと最近痛感している。
人間一人が出来ることの小ささを前向きな意味で捉えることで、何か可能性が見えるのではないかと最近は考えている。
そして気が付いたらもしかすると、大きなことへの糸口が気が付かずに見えている時もある、のかもしれない。でも今はその大きなことをとりあえずは考えないでおこう、と思っている。

次回はこのハウズィエンの岩窟教会について書いてみたいと思う。
今回書こうと思ったけど出し惜しみします。
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ティグライ

2011-10-22 09:17:39 | Weblog
エチオピアの北、かつてエチオピアの一部であったエリトリアとの国境から100kmも無い辺りにハウズィエンという町がある。
そこにはイタリア人が経営する地域の伝統家屋を模したロッジがあり、1940年に再発見された4世紀頃に掘られたという岩の中の教会を目指す観光客の拠点となっている。
タイトルの写真の岩山の向こうにちょうど地面から手の指先が突き出たような岩山があり、その中腹にその教会はある。
ガイドのゲブレさんが「午後は雨になるから」と言って早朝その教会へと向かった途中に撮影した。

雨季も終わりに近づき一面緑のカーペットが広がる中に、現地の砂岩を使った地面から生えているように建つ家。

舗装された道などなく、この道路が車で4時間ほど行った先にあるメケレというティグライ州最大の街へと向かうメイン動線である。
ハウズィエンの街から南へと向かう我々に対し、全ての人がこちらに向かって歩いてくる。何事か、とゲブレさんに尋ねると、「朝市だ」とのこと。
エチオピアを旅行していると、方々で朝市に出会う。人々は朝になると街へと一斉に向かい、夕方になると朝ほどではないが、ぱらぱらと家路につく。
時には周りに家など見当たらないような辺りを人々が歩いていたりもする。

雨季のエチオピア、それもこのティグライ州以上にきれいな風景を今まで見たことがない、とその時感じた。
グランドキャニオンのような岩山、その足元に広がる草原、綺麗に整えられた畑、昔ながらの木綿の服を来た人、鼻水を垂らしたままの子供、またそれを背負う子供たち。

実際には電線もあるし、屋根がトタンの家だって結構あるし、遠く離れた中国製の靴を履いている人々もたくさんいる。
ただ何か大きな部分で、人間を含めたすべてのものが作り出す風景が、完成されたものというのか、無理なく自然な流れ、営みの中で形成されていった物であるように感じた。
そしてこれからも続くその大きな流れのただの一時点を自分は見ているに過ぎない、という印象を受けた気がする。
とはいえ道は舗装されつつあり、人々は首都まで出稼ぎに行ったり、トタンの家でもテレビがついていたり、コーラやペプシが売られていたり、ここも数十年の間には変わってしまう可能性も大きいのかもしれない。
そして往々にしてそういった町の人々は、自然と先進国的な暮らしにあこがれている。僕らみたいのが観光で訪れてしまうのも良くないことなのであろう。
先進国から来た者のエゴであるのは分かってはいるが、ハウズィエン、またエチオピアの今だ大部分を占めるこのような風景が変わらず、経済発展せずに居てくれれば、と考えてしまう。
それは全く違う変貌を遂げてしまった地球の一部分で生きてしまっている人間の心のよりどころを求めているのかもしれない。
今ここを訪れてもおそらく同じような風景が広がっているであろう。ただ30年、40年経って、もし訪れる機会があるとすれば、訪れることへの期待感と同時に変わってしまっているのではないか、という気持ちにどきどきしながら空港からの車に揺られることであろう。

建築を設計する仕事というのは風景に必ず手を加えてしまう仕事であると認識している。
その加え方のあるべき姿をここで見させてもらった、というか感じさせてもらったと思う。
エチオピアでの二年間の経験、見てきた風景は未だに自分の中で消化しきれずに、日本で過ごす時間に比例してもやもやと雲を生み出している。
その雲を晴らす為に毎日考え、行動することで結果として少しでも消化できることを願っている。

Photo: People walking to the morning fair in Hawzien, Tigray Ethiopia.
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一年ちょっとぶり(E-410)

2011-07-18 22:27:55 | Weblog
帰ってきてから気が付いたら一年以上が経過してしまった。
その間に仕事を見つけ、そして辞め、そしてまた働き始め、そして結婚をし、その二つ目の職場で半年が経過しようとしている。
エチオピアでの二年間も色々あったけれども、この一年間もよく考えたら色々あった。
そしてもうすっかりと日本に馴染んできたところだけれども、なんだか色々なものに違和感を感じている。
それが違和感というのか疑問というのか、それとも人生そんなものなのか、今のところよくわかっていない。それを感じさせるものを「あるもの」としておこう。
でもこの一年間を通してその「あるもの」は次第にきちっとした形を持ってきて、しかし更に自分に負荷を与え続けている。
どうすればそれが晴れるのか、分かるような分からないような。
そしてそれを感じることになった原因はエチオピアでの二年間にある気がしている。
やはり同じ時期にアフリカに行っていたある友達が、僕が日本の見方が変わった気がする、という話をしたところ、彼は「二年間で余計なものがなくなり、正確に物事に反応できるようになったのだと思う」と言っていた。
妙にすっと受け入れられる解釈だった。
その正確に反応できるようになった自分が何をどう捉えているのか、そして恐らくは納得していないそれらに対して自分はどう向き合っていくのか、それを考えて、行動して生きていくことが出来れば、と考えている。

日本に帰ってきて色々なことを感じているが、前述のとおり実は全くうまくまとまっていない。
出来ることならばもう一度エチオピアにちょっとの間だけ行って確かめてみたい・・・何を?分からないけれども。
でもそれは今は難しいことだし、更にもう十分すぎるほど体験してきたはずだ。
じゃあそれを掘り返してみればよいじゃないかと考えた。
これからのブログはエチオピアで撮ってきた写真を一枚ずつ不定期(かなり不定期、多分・・・)に投稿し、その写真の前後、また連想した話をできる限り具体的に、かつ簡潔に書くことによって自分の体験をもう一度追体験してみようと思う。
それによって何かを思い出すか、もしくは気が付けることがあるかもしれない。
一種の望みを託して行う作業に近いものがあるかもしれないけれども、一度もまともにまとめたことのない自分の体験を、すこしでもまとめられればと思う。

Photo: Rice field in Ike, Ito.
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代田橋(GR)

2010-10-11 19:38:16 | Weblog
カメラの1GBのSDメモリーに入っている写真の一番最初はどこまでも続くトタン屋根で、最後の一枚はさっき撮ったこの写真。

エチオピアからの帰国後、まだ若い僕にはまだ早すぎるくらいにのんびりした静岡の実家で毎日海鮮を食べながらほんとに就職できるのか?と思っていたらなんとか仕事を見つけることが出来、今月から目黒で働いています。
北海道の仕事をしているので、来年四月から約二年間は北海道を行ったり来たりを繰り返すことでしょう。北海道の方、要チェックです。

エチオピアのことなんてもうとっくに頭から無くなり、と言いそうになるけれども実際は風景は頭に残っている。
デスクトップを30分に一回変わりながら占領するエチオピアの写真たちに写る砂利道、縁石、子供たちの服、チリチリ髪の毛、どの写真のどの部分も、触ったことのあるものから無いものまで、質感を手に取るように想像できるくらいに思い出せる。
住んでいた家の前の道の写真なんかを見ると、今家を出て少し行ったらまたあの道を渡って野菜や肉を買いに行けるんじゃないか、と想像できるくらいに。
なんだかこうして書いてみるとかっこつけて言っている様にいやらしく読めたりするが、でも事実である。
そしてそんな間近に感じる風景や質感は実際にはとてつもなく遠くにあるもので、でもしかし今夜23:35に関空から出る飛行機に乗ったら明日の夜七時にはアジスアベバの空港に着けたりするのである。
なんだかアベコベで良く分からないけれども。
そして本当にあの世界は存在したのだろうか?という疑問が同時に付きまとう。
そのくらいに今周りを流れている世界は全く違う。

日本に帰ってきてから東京を通るたびに毎回思うこと、それはみんなは誰のために生きてるんだろう?ということ。
お互いにストレスを溜めあって、誰の幸せのためにみんな生きているんだろう、と、目的不在の人生を皆が気がつかずに送ってしまっているんじゃないか、と思ってしまう。
そのくらいエチオピアでの生活はしくみが簡単であった気がする。
日本は利用者としてすべてのしくみを利用するとそれはそれは快適であるが、自分が供給側に回るとそのしくみはとても複雑で、自分を疲れさせる。
そして人々の人生の多くの時間は供給側としてのものであるのではないか。

正直なところその感覚はこの三ヶ月間全く抜けずに残っていて、自分がその真っ只中に急に入り、どこまでやっていけるのか、いややっては行けるのだがやるべきと思い続けて続けられるか、というところには大きな疑問が残っている。
まあまだ一週間、仕事を始めて全てが一気に加速を始め、一番エキサイティングでありながら一番先が見えないタイミングである。
とにかくしっかりとこの先を見極めながら生きて行きたいと思う。

ということで報告していた人、していなかった人も含めて改めて就職&引越し報告でした。
来月には違う報告も出来る予定です。

Photo: Ginza with Tokyo sky tree, the new tallest landmark of Tokyo.
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ただいま(E-410)

2010-07-16 00:20:39 | Weblog
帰国一発目、果たして俺は何を書くのか!?
とか勝手に気負ってるうちに何も書けなくなっていて、でも何か書きたいなぁ~、とは思っていたのでそれをそのまま書いてみました。まあ適当に。
6月22日に帰国し、今は実家のある静岡は伊東市におります。
退職して協力隊へ参加したので、今は就活中。二年間エチオピアへ行ってきた事は自分としては大満足だったので、あとは就職さえ希望するところに出来さえすれば、万事順風満帆である。

日本の印象はいろいろあるけれども、一番記憶に残ってる4点
・女性が白い。足出しすぎ。気持ち悪いくらい。(最近は慣れてきて目のやり場に困る)
・男も白い。肌綺麗過ぎ。
・みんな携帯見てる(でも携帯を買ってからは自分も結構似たようなもの)
・通行人のキャラクターが薄く感じる

良くも悪くも濃い毎日を過ごしていたエチオピアから帰ってくると、仕事をしていない生活リズムのせいもあるとは思うが、毎日の「アク」が足りない気がする。
知らない人とのおしゃべりもないし、あってもちょっと距離感に困ったり。
日本の良いところというのは最初感動するけれども意外に気がつかなくなってきて、悪いところばかりが目に付いてきていろいろと言ってしまう。
言ってしまう相手は毎日親としか接していないのでほとんど親に限られる。
実家といっても住んだことのない地域なので誰も友達が居ないのである。
(今ここに書きながら初めて毎日親としか会話していない事実に気がついた!!!)

でもそんなことばかり感じていたり考えてばかりいて親としゃべっていたら、そういうことばかり言ってると人に嫌がられるから気をつけなさい、と言われた。
気をつけようと思う。
本当に何を書いたら良いのか、帰国一発目にふさわしいことは何も書けないけれど、とりあえずただいま。

Photo: People waiting for the traffic light.
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エチオピア美女、その1(かも)(E-410)

2010-05-31 06:02:44 | Weblog
前々からエチオピア美女の特集をこのブログで公開したいと思ってはいるのだが、美女は路上に沢山居ても、四六時中カメラを持ち歩いているわけじゃないし、ただでさえ目立つ外人が美女めがけてカメラを向けるなんて中々難しい。
来週に隊員と共に一日中カメラを持って町を歩き倒す計画をしているので、そのときの我々の勢いに期待をしてもらいたい。

なので今日はその前哨戦、ってことで家のまん前のスックの店番してる姉妹。
お姉ちゃんのほうは実は英語がペラペラで、たまに込み入ったことをお母さんと話したいときに通訳をしてくれる。
妹のほうは写真で見て分かるとおりめちゃくちゃやんちゃで、いつも自分で勢いあまってどこかにぶつかったりしては大声で泣いている。
お姉ちゃんが泣くときは、武士が泣いているように寡黙で押し殺して泣いている。

子供は良く泣くけれども、大人は泣かない。
自分が子供と同じように泣く状況がもしこれからあるのであれば、恐らくは相当な出来事であろう。
絶対値で考えてみると、子供というのはそれだけの悲しみや苦しみを背負って生きているのか!?
そして次第に慣れて大人になった我々は同じショックではもはや泣かなくなっているだけなのか!?
もしそうだとすれば、子供が泣いているのはものすごくかわいそうな状況ということになる。

さておき、話半分で来週を期待しておいてくださいな。

Photo: Sisters of the suq just in front of my house.
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中国

2010-05-29 04:10:56 | Weblog
今日は一日エチオピア人と一緒に仕事をし、その後よく行くレストランへ行って一人で食べているとエチオピア人友達の一人が一人で来たので、ご飯を食べながら一緒に会話をした。
その中で自分とエチオピア人の友達とで一緒に歩いていて、たまに鏡やガラスに自分たち全員が映し出されると、写された自分にびっくりすることがある、という話をした。
つまりは自分の色や人種を忘れていて、周りに居るエチオピア人を見慣れているせいで自分が彼らと全く違う外観を持っているということをすっかりと忘れてしまっている瞬間がある、ということだ。
そして、日本に帰ったら溢れる外国人=日本人にびっくりするかもね、と笑いながら話をしていた。

帰り道、家の近くのT字路で一人の女性がほぼ同じタイミングで反対の方から来て同じ角を曲がり、歩くことになった。
暗い夜道、僕が彼女のちょっと後ろ、日本でもよくある状態。
つまりは警戒されてしまうパターンである。
やだなぁ~、と思っていたら、後ろからエチオピア人の男がなにやらその女性に叫んでいる。「ネイネイ(来い来い)」と。
なんだろうと思っていたが、女性は無視している。
尚も男性は着いて来て(僕ではなく彼女に)、彼女はかたくなに無視している。
これはなにやらやばい感じだなと思い、しかし自分の家は角を曲がって直ぐなので鍵を開けて入ろうとした。
そしたら僕が居なくなったとたんに男が女性との距離を詰めたのでこれはやばいな、と思って少し距離を置いて、人通りの多くなるところまで密かに着いて行った。
「大丈夫か?」と大声で彼女に向かって叫んだが、恐らく僕の声さえ無視したい心境であっただろう。
この辺では見ない男だった気がする。
まあ何も無かったので一安心。

これを読んだ何人かは恐らく僕の心配をしてくれるだろうが、僕は彼に立ち向かうほど勇気は無いのでご安心を。

せっかく歩いてきたのでと思い、近くのスックでジュースを買おうと思いさらに歩くと、最近挨拶を交わしている近所に住んでる中国人とすれ違った。
「ハワユ~?」と言っても「ア、オ、グッドグッド!」としか言えないくらいの彼だが、なんだか好きなのである。
そしてすれ違った後スックでジュースを飲んでいると、彼が戻ってきて何やら言っていた。
どうやら家に遊びに来ないか、ということみたいで、行ってみた。
ちなみに彼の家は一体では一番大きい家で、新車も二台あり、何人かの中国人が住んでいる。
案内されて入ると、彼の部屋は建物の隅の四畳半も無いくらいのスペースで、そこに沢山の中国の水墨画が掛けられていた。
見事な水墨画で、何枚か掛かっているのをめくっていくと、見事な漢字も沢山出てきた。
全て彼が書いた物だという。何者だ!?趣味にしてはうますぎる!!!
そういえば彼はいつも筆を持って毎朝門の外で座って道行くエチオピア人と何やらやりとりをしていて、それはどうやら道行くエチオピア人たちの名前を感じで書いてあげよう、と遊んでいるということが最近分かった。
水墨画の片隅には当て字にしたエチオピア人たちの名前が沢山書いたA4の紙切れが置いてあった。
エチオピア人たちは自分の名前を当て字で漢字にしてあげると無茶苦茶喜ぶのである。
でも彼は英語がほんとに今まで会った誰よりもできないので、必殺の筆談で、名前を交換したりとちょっとだけ話(筆談)をしていた。
すると窓から別の中国人が顔を出し、今度は割とできる感じの英語で色々と話をした。
「彼はここのコックだからたまに食べに来たらいいよ^^」
と。そうか、コックだったのか!だからみんなが仕事に行ってしまった後一人で門の外に出ていたんだな!ということが分かった。
エチオピアでほんとのほんとに本格的な中華はまだ出会っていない。
ちなみにこちらは幼少期を香港で過ごしたので中華の味見には自信がある!
まあ広東料理と他の四川とか北京とか違うけどね、でも分かる!
なので満足できる中華はエチオピアには無かったのである。
そこで中国人お抱えの中国人料理人、これはチェックしなければ!!!
ということで、今度誘ってくれるそうなので、近所の隊員友達を誘ってお邪魔しにいこうと思っている。

アフリカ隊員は共通だと思うが、中国に対してはどうしても偏った見方をしてしまい、あまりいい印象を持てなくなって来る。
中国人と間違われることによる数々の路上での罵倒、日本人と分かった瞬間に中国人の悪口を日本人への賛辞と共に言いまくる人々、そして確かにエチオピアにある中国の製品の質は悪いし、中国製の車だって世界のメーカーの車のパクりと言われている。
事実だと思う。でも中国人と実際接してみると、そんな印象がなくなってしまうことがとても多い。
まあ知り合った中国人の数も多くないし、話すくらいまで関わった人たちは現場で働く中国人というよりかはそれを監督したりマネージングする人たちが多いので教養のある人たちかもしれない。

しかし彼の家を後にして歩いていて、妙な心地よさを心に抱いていることに気が付いた。
何だろうと探ってみると、日本に帰ったような心地よさである。
人種が同じ、というだけでこれだけ互いを許しあえるというか受け入れられるものなのか、と。
もちろん文化も近いであろうし外国人同士ということもある。でも他の外国人と接したときとは全く違う感覚であった。
日本に帰るまで感じることは無いだろう、というか全く忘れていた安心して居られる雰囲気、というものを思いがけず感じてしまった。

もう二年間居て慣れた、と思っていたが、気が付いてみると薄いストレスの膜が常に自分の周りを覆っていたことにも気が付いた。
やはり日本かなぁ~、と思ってしまうのである。

日本に帰るのがもっと楽しみになってきた!
日本に帰って「日本終わってるよ・・・」って言う人が居るが、そういう人たちの口からは「エチオピア終わってるよ」と聞いてきた気がする。
楽しいはずだ。楽しくないのは自分のせい、だから僕は存分に楽しむ!予定です。
皆さん応援よろしくお願いいたします。

こんなにも実は自分は周りと違っていたのか、ということを痛感してしまった一日なのでした。

Photo: Me and my students.
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中国

2010-05-29 04:10:56 | Weblog
今日は一日エチオピア人と一緒に仕事をし、その後よく行くレストランへ行って一人で食べているとエチオピア人友達の一人が一人で来て、ご飯を食べながら一緒に会話をした。
その中で自分とエチオピア人の友達とで一緒に歩いていて、たまに鏡やガラスに自分たち全員が映し出されると、写された自分にびっくりすることがある、という話をした。
つまりは自分の色や人種を忘れていて、周りに居るエチオピア人を見慣れているせいで自分が彼らと全く違う外観を持っているということをすっかりと忘れてしまっている瞬間がある、ということだ。
そして、日本に帰ったら溢れる外国人=日本人にびっくりするかもね、と笑いながら話をしていた。

帰り道、家の近くのT字路で一人の女性がほぼ同じタイミングで反対の方から来て同じ角を曲がり、歩くことになった。
暗い夜道、僕が彼女のちょっと後ろ、日本でもよくある状態。
つまりは警戒されてしまうパターンである。
やだなぁ~、と思っていたら、後ろからエチオピア人の男がなにやらその女性に叫んでいる。「ネイネイ(来い来い)」と。
なんだろうと思っていたが、女性は無視している。
尚も男性は着いて来て(僕ではなく彼女に)、彼女はかたくなに無視している。
これはなにやらやばい感じだなと思い、しかし自分の家は角を曲がって直ぐなので鍵を開けて入ろうとした。
そしたら僕が居なくなったとたんに男が女性との距離を詰めたのでこれはやばいな、と思って少し距離を置いて、人通りの多くなるところまで密かに着いて行った。
「大丈夫か?」と大声で彼女に向かって叫んだが、恐らく僕の声さえ無視したい心境であっただろう。
この辺では見ない男だった気がする。
まあ何も無かったので一安心。

これを読んだ何人かは恐らく僕の心配をしてくれるだろうが、僕は彼に立ち向かうほど勇気は無いのでご安心を。

せっかく歩いてきたのでと思い、近くのスックでジュースを買おうと思いさらに歩くと、最近挨拶を交わしている近所に住んでる中国人とすれ違った。
「ハワユ~?」と言っても「ア、オ、グッドグッド!」としか言えないくらいの彼だが、なんだか好きなのである。
そしてすれ違った後スックでジュースを飲んでいると、彼が戻ってきて何やら言っていた。
どうやら家に遊びに来ないか、ということみたいで、行ってみた。
ちなみに彼の家は一体では一番大きい家で、新車も二台あり、何人かの中国人が住んでいる。
案内されて入ると、彼の部屋は建物の隅の四畳半も無いくらいのスペースで、そこに沢山の中国の水墨画が掛けられていた。
見事な水墨画で、何枚か掛かっているのをめくっていくと、見事な感じが沢山出てきた。
すると窓から別の中国人が顔を出し、今度は割とできる感じの英語で色々と話をした。
「彼はここのコックだからたまに食べに来たらいいよ^^」
と。
エチオピアでほんとのほんとに本格的な中華はまだ出会っていない。
ちなみにこちらは幼少期を香港で過ごしたので中華の味見には自信がある!
まあ広東料理と他の四川とか北京とか違うけどね、でも分かる!
なので満足できる中華はエチオピアには無かったのである。
そこで中国人お抱えの中国人料理人、これはチェックしなければ!!!
ということで、今度誘ってくれるそうなので、近所の隊員友達を誘ってお邪魔しにいこうと思っている。

アフリカ隊員は共通だと思うが、中国に対してはどうしてもうがった見方をしてしまい、あまりいい印象を持てなくなって来る。
中国人と間違われることによる数々の路上での罵倒、日本人と分かった瞬間に中国人の悪口を日本人への賛辞と共に言いまくる人々、そして確かにエチオピアにある中国の製品の質は悪いし、中国製の車だって世界のメーカーの車のパクりと言われている。
事実だと思う。でも中国人と実際接してみると、そんな印象がなくなってしまうことがとても多い。
まあ知り合った中国人の数も多くないし、話すくらいまで関わった人たちは現場で働く中国人というよりかはそれを監督したりマネージングする人たちが多いので教養のある人たちかもしれない。

彼の家を後にして歩いていて、妙な心地よさを心に抱いていることに気が付いた。
何だろうと探ってみると、日本に帰ったような心地よさである。
人種が同じ、というだけでこれだけ互いを許しあえるというか受け入れられるものなのか、と。
もちろん文化も近いであろうし外国人同士ということもある。でも他の外国人と接したときとは全く違う感覚であった。
日本に帰るまで感じることは無いだろう、というか全く忘れていた安心して居られる雰囲気、というものを思いがけず感じてしまった。

もう二年間居て慣れた、と思っていたが、気が付いてみると薄いストレスの膜が常に自分の周りを覆っていたことにも気が付いた。
やはり日本かなぁ~、と思ってしまうのである。

日本に帰るのがもっと楽しみになってきた!
日本に帰って「日本終わってるよ・・・」って言う人が居るが、そういう人たちの口からは「エチオピア終わってるよ」と聞いてきた気がする。
楽しいはずだ。楽しくないのは自分のせい、だから僕は存分に楽しむ!予定です。
皆さん応援よろしくお願いいたします。

こんなにも実は自分は周りと違っていたのか、ということを痛感してしまった一日なのでした。

Photo: Me and my students.
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恐れていたこと(E-410)

2010-05-23 03:04:14 | Weblog
エチオピアに来た当初、知り合うエチオピア人の名前を覚えるのにすごく苦労した。
トーマスとかダニエルだったら英語でも一般的な名前なのですぐに覚えられたけど、アレマイヨとか、テクレアブとか、イェドゥネカチョウとか、エンダルカチョウとか、触れたことのない種類の名前を覚えるのが大変であった。
授業を通じて様々なエチオピア名に触れたこと、毎日接するエチオピア人から名前を聞くたびに傾向がわかってきたこと、そしてキリスト教にまつわる名前が多いのでキリスト教とアムハラ語がわかってきて覚えやすくなってきたことによる。
でもたまに前の日にあった人の名前を思い出せなくて、思い出せずにそのコミュニケーションを終えることもしばしばであった。
向こうからしたら一年に一度会うか会わないかの日本人、名前は不慣れでも割と覚えてくれる。
でもこちらからするとその日に会って名前を交換したエチオピア人は日々沢山出会うエチオピア人の中の一人であって、向こうが覚えてくれるのとは対照的に忘れやすくなってしまう。
それでもなんとか騙し騙し、時には「ごめん、忘れちゃった!」と言って切り抜けてきた。

今日家に帰ってきたら大家の親戚が集まっていた。
親戚の一人が明日から一ヵ月半デンマークへ出張へ行くので送別会、ということで。
三ヶ月出張に行く日本人だって居るけれども送別会はさすがに開かないであろう。
そんなエチオピア人が好きである。

さておき、その中の一人、デンマークに正しく行ってしまう大家の妹の旦那さんと外で話していた。
彼はかなり飲んでいて、いつも彼は飲むとかなりアグレッシブになる。
今日もそんな感じで、勢い良くしゃべりかけてきた。
しゃべっていたら彼の息子のクドゥストという子が来たので、「クドゥスト元気か!」って挨拶をした。
それが終わったらその妹のだんなが急に自分の前にかなりの距離で立ちはだかって、グーで腕の辺りをかなりの力で叩いて来た。
何事かと思っていると、
「俺が誰か分かるか!」「俺は誰だ!」
そこで恐らく彼が自分が彼の名前を忘れてしまっていることに気が付かれたのでは、と察した。
そして
「名前のことか?」
と聞いたら無言であった。
「ごめん・・・名前は忘れてしまった。」
と正直に言った。ちなみに彼の家族の名前は彼以外全員知っている。
それはよくうちのコンパウンドに遊びに来るからだ。
しかし彼はたまにしか来ないし、最初に自己紹介をしてからは名前を聞くことなんてなかったし、加えて彼の名前は今まで聞いた事のない種類の名前であった。
デクソなんとか。
彼は鼻息を荒くし、かなり気分を害したようで、くだを巻いてきた。
彼は酔っ払うとちょっとたちが悪い。やたら下ネタを振って来たり。
くだを巻かれている間にそれを察した奥さんが止め、ちょうど帰るところだったらしく彼は泥酔状態のまま車を運転して帰って行った。
泥酔の運転を止めたかったがそんな状況じゃなかった。
なので彼らが帰った後に大家に、飲酒運転は危険だからやめさせるほうが良い、と言っておいた。
「家族が乗ってるのに危ないもんね」
と大家は言ったが、僕が心配するのは歩行者や巻き添えを食らう人たちである。
彼が彼の飲酒運転で死ぬのであれば言語道断だと思うが、巻き添えを食らったほうはたまらない。そしてその家族も。

さておき、正直なところ彼の名前を覚えるほど僕が彼に興味を抱いていないという事実がひとつ。
名前を忘れられたくらいで憤慨するというキャパの小ささを哀れに思うことがひとつ。
ほんとに自分に自信を持っている人であれば名前を忘れてしまったくらいなんてことないだろう。もちろん覚えてもらっているほうが嬉しいだろうが。

でもいつかはこうして誰かに名前を忘れたことを本気で指摘される日が来るのではないかと恐れていた。
そして二年間の最後の一ヶ月にそれが起きてしまった。
そんなことで怒るな、と正直思っているが、ちょっと申し訳なくも思う。
そして依然として彼の名前を僕は覚えられないで居る。
彼は明日から一ヵ月半海外。僕はその間に日本に帰国してしまう。
ちょっと残念な終わり方であった。
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寂しさ(E-410)

2010-05-21 05:02:05 | Weblog
エチオピアに今住んでいる自分。
周りにはボランティアの友達が住んでいて、ちょっと飲みたくなったら声をかけたら直ぐに飲める関係。
授業の無いときに最近顔を出している設計事務所の友達と帰りがけに飲んだり。
そういうことが今の自分を寂しくさせずに居させてくれているんだと思う。

日本ではどうだったか。
比較的仲の良い同僚に囲まれ遅くまで仕事をして、自転車で五分の家まで帰る。
梅田で友達と飲んで、電車で家のある西宮まで帰ってくる。
いつも感じていたのは、帰って一人になると何か寂しさがある、ということ。
他人の人間関係や、それから他人が常に感じている感覚はわからない。
でも自分の場合は結構常にどこか寂しさを感じていた気がする。
日本に寂しさが蔓延しているかのように。

エチオピアではその同じ質の寂しさを全く感じない。
友達の分量で言ったら日本の方が多かった。蓄積があるから。
でもエチオピアには寂しさは蔓延していないと感じている。
人の賑わいや表情あふれる空気が溢れている。
寂しさの蔓延という言葉は恐らく違っていて、蔓延というよりかはエチオピアに溢れているものがただ無い、と言えるのだろう。

友達が近くに住んでいるからか?それはあるだろうけれども、京都で学生生活をしていた頃を考えてみると今と同じくらいに近くに友達は沢山居たけれども、やはりどこか寂しさを抱えていた気がする。

エチオピアでこの寂しさを感じずに居られるのはその溢れている空気が心を毎日暖めてくれているからだと思う。
家で一人で居ても暖められた心は直ぐには冷めずに次の日を迎える。そしてまた暖められて、冷めることは無い。

エチオピアでは他人が他人の存在をきちんと「見ている」感じがして、日本では他人の存在を「見ていない」気がする。
エチオピアでは一人一人のベクトルが誰かに向いていることが多いけれども、日本ではそのベクトルは常に平行線で交わっていない気がする。

エチオピアに居る日本人同士もお互いをきちんと「見ている」気がする。
これは恐らく人数の少なさ、コミュニティの小ささに起因すると言うことでもあると思う。
そしてそれがとても今は心地よく感じる。

日本でも誰かと会っている最中はお互いを見ているのだが、いざ離れてしまうともうお互いが全く別のベクトルを持って、次に交わるのは次に会うときか用事があって連絡する時。
それでもその瞬間だけベクトルが交わる。
エチオピアではその間の時間もベクトルが常に交わっている気がするのである。

なぜ日本では人が人を見ようとしないのか、そしてあえて見ないようにしているという気すらしてくる。

日本から離れてもうほぼ二年になるから記憶があいまいな部分もあるかもしれないけれど、その分研ぎ澄まされて残ってくる感覚というものもあるということを発見した。

ちょっと大げさに書いているところもあるけれども、そんな風に感じている。

これは書きながらなんだかまとまっていない気がするので的を得ていないかもな、ともちょっと感じている。
また考えてみて変わってくるかもしれない。
でも日本に寂しさが横たわっていて、エチオピアの今の自分の生活にそれが無い、ということは事実である。

Photo: A man reading a newspaper in a cafe.
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建築(ArchiCAD)

2010-05-17 01:01:13 | Weblog
これは今現在僕が顔を出している先日の設計事務所でやってみた、とあるホテルの案。
ちなみにまだまだデザインの完成には程遠い。
アジスアベバのとある場所に建つことになるホテルで、施主からの要望は、とにかくユニークなものを、とのこと。
この設計事務所の所長は僕の一番仲のよいエチオピア人で、ユニークなものを、と頼まれた瞬間に、エチオピアに居る日本人建築関係者、ということだけでもユニークな存在なので是非、と言ってもらい僕案、そして彼らがもうひとつの案を考える、ということで今まで進めてきている。
念のため言っておくともちろんお金はもらっていない。
配属先が終わったあとに事務所へ行ったり、空いた時間に家でやってみたりしている。
彼らがメインで進めていて、僕は勝手に案を考えて色んな方向性を見られたら楽しいね、という程度に。

そしてこちらが彼らの案。



違いが一目でわかるだろう。
入っている機能は基本的に同じものである。

建築、ということを通して人と接すると、建築を作るということは人の生活や生きるスペースを考えることになるので自ずと文化の違いや考え方の違いが如実になる。
僕が無条件にいいだろう、と思って出した案を彼らが否定し、彼らが無条件にいいだろう、と出してきた案を僕が否定したり。
今までは説明の要らなかったことまで理由を求められ、無意識に決めていた全てのことに理由が求められたりする。
それを自分の中に戻って掘り出すということはとても難しいのだが、色々と発見があってとても楽しい。

僕の案は、アジスの中で一番激しい交通にさらされることになるこのホテルで、宿泊者が建築に暖かく迎え入れられ、守られるような感覚を起こさせるようなもの、ということ。
彼らの案は、訪れた人をびっくりさせること。
僕は彼らの案に実はかなり納得が行っていない。
これについてもっともっと時間があったら話してみようと思っているので、とても難しいであろうがとても楽しみにしている。
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がきんちょ(E-410)

2010-05-08 04:44:42 | Weblog
近所のがきんちょ。
いつもは余り俺が相手しないせいで寄ってこないのだけれども、今日はカメラを持っていたので後ろから追いかけてきての撮れ撮れコール。
このまま大人になって、大人になっても撮れ撮れいう人になるのでしょう。そのまま突っ走れ!

とにかく子供はかわいい。
色々言われてもまあ子供だし、と割り切ることもできるし、きちっと話したらちゃんと理解してくれて仲良くなれる。
そしてエチオピアだけか分からないが、シャイな子供が多い。
アフリカ=とにかく人懐っこいというイメージが昔はあったけれども。
声かけてきて来るくせに、こっちがアムハラ語が出来ることが分かると一気に恥ずかしそうになって小声になる。
俺が何言ってるか分からないほうが成立するコミュニケーションというものがあるのだろう。
ちなみに大人もシャイ。日本人には付き合いやすかったりする。

Photo: Kids around my house.
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無題(E-410)

2010-05-07 04:06:12 | Weblog
この後僕は彼女たちを見向きもせず彼女たちの前を通り過ぎた。
毎朝職場へ行く途中、ミニバスに乗るまで、人通りが多いところには必ずこうした人達が居る。
お母さんと子供。お母さんは憔悴しきった顔をしていて、2歳くらいの子供だけがそれでもきらきらと輝いている。
ミニバスに乗っても、他の客が乗り切るまでの間、彼女たちは歩いてミニバスまで来て恵みを乞う。ミニバスが信号待ちをしても。

彼らにお金を上げた事は無い。
正直どうして良いか分からないからとりあえず何も決断を下さないでおこう、と思っているからだ。
あげない、ということだって決断じゃあないか、と思いつつ。

エチオピア人たちは割りと彼女たちに対してお金をあげている。
それは正しいと思う。
この国のバランスをこの国の人達が取っていると思うからだ。

自分が彼女たちだったら、と想像してみる。
恐らく彼らの感じている無力感の数十分の一しか想像できていないだろうが。
彼女たちを確保し、社会復帰が出来るようにする、ということがもし出来るのであれば素晴らしいと思う。
でも僕はそれを自分の人生を捧げてまでしたいとは思わない。自分のしたいことがあるから。

この国に居ると自分ってラッキーだな、と不謹慎ながら思ってしまう。
そして人生というのは不公平だな、と。

Photo: A lady and her baby on the street.
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表情(E-410)

2010-05-06 05:49:11 | Weblog
家の近くのミニバス乗り場。
いつもエチオピアを歩いていて、なぜ道にこんなに人が溢れているんだろう、って思う。
でも実際考えてみたら新宿や銀座の方がよっぽど人は多い。
「にぎわい」ということについての違いだと思う。
そして考えて見てみたら、なんて色んな表情の人が道に居るんだろう、と思った。
そしてほとんどの人が結構目的もなく道にたむろしている気もする。
東京を考えてみると、目的もなく道に出ている人は少ない気がする。
外に出る=移動手段であって、動線の一部、つまりはほぼ全ての人に目的がある。
しかしエチオピアは目的のない人達が多い気がする。
ただ時間をつぶすために外に出て道に座ってみたり、そしてそこに通りすがりの友達が加わり、さらに話が盛り上がる。

都市計画において第三の場所、という考え方がある。
家でもなく、会社や学校でもなく、第三の場所。
カフェであったり、バーであったり飲み屋であったり。
目的なく、というと違うが、カフェやバーにとりあえず行く、という行為は時間のあるときに何かしらの刺激を外に求めているからではないかと思う。
エチオピアの場合に戻ってみると、彼らはどうせやることないから刺激を得に外に出てみようじゃあないか、という具合かもしれない。
そしてアジスアベバの都市にはそれを受け入れられる度量がある。
そしてそれは同時に失われつつもあると感じている、とても悲しいが。

目的を持たずに居られる空間、というのものが日本では必要とされている気がする。
日本は依然としてカフェブームなのだろうか?
カフェブーム、と人は言うけれどもブームで終わらないと思う。いや、ブームで終わらないと良いな、と思っている。
人が目的の無い時間に意義を見出してる、という現われであると思うから。

エチオピアに来て一番収穫だったことというのはこういった何気ないことから得ている気がする。
それが何か?と問われると明言できないが、感覚として備わっている。
感覚として得ている以上、それを体現することだって可能なはずだ。

ここで得た知識や感覚が日本での自分の行動にどういった影響を与えるのか、どういった行動を自分は果たして取るのか、ということが最近の最大の関心事である。
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八百屋(E-410)

2010-05-05 02:43:27 | Weblog
ちょっとだけ時間があったので帰り道、カメラをぶらさげて1時間ほど歩いて帰ってみた。
ただカメラを持っているだけで「撮ってくれ撮ってくれ!」と結構言われ、これもその一枚。
これは八百屋の二人で、その後ろに見えるのはチマキベットと呼ばれる生フルーツジュース屋さん。
店においてある果物から搾られたジュースを好みに応じて混ぜ、出してくれる。
イチゴ、バナナ、オレンジ、グアバ、マンゴ、アボカドというのが主なラインアップだ。
ちなみに僕はいつもそのお店の持てる限りのフルーツを混ぜてもらっている。そしてアボカドは必須である。
アボカドが入ることによって脂肪分による(?)濃厚さが増し、とてもおいしくなる。
アボカドだけ、というジュースもあるが、これが思いのほか甘くておいしい。
ただ凄いカロリーだけど。
ちなみに値段はビールジョッキ一杯で約50円くらい。
バナナは1kg35円、トマトは1kg50円、玉ねぎは1kg35円、ほかのも似たり寄ったり。

日本に帰ったら街の八百屋さんと仲良くなれるんだろうか?とか考えている。
こちらでは野菜を買いに行ったら大体少し話をして帰る。
日本に帰ったら出来る限りかかわりの出来たお店の人と喋ってみたいと思う。
人間誰だって中の良い友達がいるわけだから、お店の人とだってきっかけが違うだけで仲良くなれないものか、と考えている。
そしてかなり誰とでもきさくに話する自分に、そして段々とずけずけと喋る自分を良しとしていたが、ふと気がついたらそれって田舎のおっちゃんだ、と気がついた。
もしかしたら僕は既に誰彼構わず喋り捲るおっちゃんになっているのかもしれない。
こんな僕に危機を感じたら是非ご注意ください。
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