「今日までそして明日から」

アフリカのザンビアへ行きます。こうした機会を与えられたこと、応援して下さる方々への感謝の思いを忘れずに、書きます!

いいわけの多いザンビア人

2008年10月31日 22時36分48秒 | Weblog

職場で2つのワークショップ(WS)がありました。

どちらのWSも準備をはじめたのは1日前。
なんとか人を集めて形にはしましたが、
発表する資料を探すのも当日。
食事の手配も当日。
あげくの果てには、
僕にも急に「明日このテーマで発表しろ」だの
本当にドタバタな日々でした。


そんな準備不足をあとでマネージャーに指摘すると、
「そんなことはない、私のなかでは完璧だった」
と一蹴されてしまいました。
確かに何とか形にしてやりこなしたけどさぁ。
どうだったの、WSの中身は???


日本だったらこんな準備の仕方は絶対にありえない!
と伝えてみたものの聞く耳をもたず、
逆に
「準備ができていなかったのはお前だ」
と言われてしまいます。


うーん、
確かに日本人は用意周到なところがあるから、
その感覚で物申してもいけないんだけど・・・
でも、ザンビア人のそれはいい加減すぎる!!!
でも、何を言ってもまたいいわけされそうなので、
話はこれで終わってしまいました。


いいわけといえば、フットサルのときのことを思い出します。
そのザンビア人はマークする人が僕より近いくせに、
疲れているから「お前がいけよ」って突然言い出します。
もちろん僕は「何だよ、それ!」と思ってしまう。


たまに感じる、このザンビア人のけっこういいわけが多くて、自分勝手。
これも国民性なのでしょうか???


きれいなザンビア人

2008年10月31日 22時34分35秒 | Weblog


「きれいなザンビア人女性はいないのだろうか?」

こっちに来てから、
よくそんなことを考えていました。

そして、4ヶ月目にしてついに出会いました。
きれいなザンビア人という人に。

マンダヒルというショッピングモールにいた彼女は、
イベントの司会をしていました。
実はその週はザンビアのファッション週間だったらしくて、
各地でいろいろなイベントが行なわれていたそうです。

まあファッションショーに出るくらいの人だから、
モデルなみの人だし、それはきれいで当たり前かもです。

おしゃれな服に身を包んで登場するザンビア人男女は、
どの人もかっこよくかわいく、
時間が過ぎるのも忘れてしばらく見とれていました。

そうしているうちに、
フットサルの練習に遅れてしまったのですが・・・。

いやぁ、でもあれは良かったです!





大統領補選

2008年10月30日 21時37分43秒 | Weblog


ムナワナサ大統領がご逝去されて2ヶ月が過ぎました。
そして、今日がその大統領選挙日です。

国のトップが変わるときには何かが起こる。
特にアフリカ圏のように権力を牛耳っている社会では、
ここぞとばかりに暴動が起こりやすいのでは。
と、思っていましたが、
小さな暴動は続いたものの大きな変動もなく、
この選挙日を迎えることができたと個人的には思っています。
僕の印象では、選挙運動で本当に盛り上がったのは
ここ数日ではないかなというところです。

僕はもちろん投票権がないので何もできないのですが、
同僚は自分の投票権利がある中央州セレンジェまで
車で5時間かけて帰って行きました。
(今回の選挙では2005年選挙時の住所でしか投票できないらしい!)

ザンビアでは即日開票ではないため、
今日新しい大統領が登場するわけではありませんが、
ひょっとしたら政権交代するかもしれない選挙でもあり、注目されています。
ムナワナサ大統領の後釜に適任者がいない、
与党がずっと長く政権を保持してきたから
最大野党の党首にも期待がかかっているという声もあります。

どこかの国の政情と似ているかもしれませんね(笑)。

とにもかくにも
政権交代が起これば、
それは僕にとってブラジルに続き2回目の経験となります。
個人的には社会が不安定になるかもなのでそれを願っていませんが・・・。
僕は、蚊帳の外からザンビア社会の動きを傍観できればと思っています。



またまた余談ですが、
今回の選挙の影響でザンビアの通貨価値が下落しています。
ここぞとばかりに僕も両替させてもらって、
300ドルほど得をさせてもらいました(笑)。


リーグ戦開幕!

2008年10月30日 21時35分49秒 | Weblog
先週末、ザンビアのフットサルリーグが開幕しました。

そして・・・、
僕もJICA・大使館関係者のチームに所属して
そのリーグ戦に参加させてもらっています。

僕は、はっきり言ってサッカーは下手くそです。
サッカー経験は小学校で部活動のみ。
そのときもリフティングが3回しかできずに、
そんな僕に与えられたポジションはセンターバックで
ひたすら相手のエースをマークして、
ボールをとったらすぐ前に蹴るという本当に単純な役割でした(笑)。

その僕がなぜフットサルに参加しているのかというと、
得意のはったりと安請け合いでいつの間にかメンバーの一員になっていました。
まあ、やるからにはみんなの足を引っ張らないようにしようと思っています。
下手くそな分はとにかく走るのみです。
(まるでオシムのサッカーみたいですね、笑)

さて、
先週行なわれた開幕戦ですが、
5-4で我がチームは辛勝することができました。
そしてなんと・・・
僕も1得点挙げることができたのです。
(ほとんどおいしいところをもらったゴールですが、笑)

はい、ありがとうございます。
こんなことを書けるのもきっとこれが最初で最後だろうと思って、
ブログでアップしてみました(笑)。
ちなみに、
このリーグ戦は得点王争いもあるのですが、
僕には夢のまた夢でしょう。


そんなこんなで、
来年3月ぐらいまでの長いリーグ戦が始まったわけです。




余談ですが、
この前日にコンパウンド(貧困者地域)で、
フルコートサッカーの大会を見ました。
やはりザンビア人というか黒人の身体能力は高いと思いました。

女性の時代

2008年10月27日 20時01分13秒 | Weblog

先週月曜日から水曜日まで、
女性向けのワークショップが僕の職場で行なわれました。
参加者は各方面から来た女性約30名。
女性の自立を支援する団体や学校関係者、あと女性保護団体の関係者など。

HIV/エイズのことを中心に生活スキル向上を目指したこのワークショップ。
子供連れで来ている女性もいて、
休み時間には突然、みんなで歌を歌いだしたりと、
女性だけならではのワークショップという感じでした。
特に、性の話や男女の生殖器の話になるとその盛り上がり方はすごく、
女性だけだからこそ話せる雰囲気がそこにはありました。

オーガナイザーのひとりとして唯一、男としての参加者だった僕は、
たまに困ってしまうことすらありました。
居場所を失ってしまうこともありました(笑)。

こういう場所に参加するといつも思うことが、
どこの社会でも女性は元気だなぁということです。
僕が住んでいたブラジルでもそうでした。
女性の力がファベーラ(スラム)の復活に大きく貢献していました。
世界女性の日にイベントを起こしたのも、
そのパワーに影響されてのことでした。


「これからは女性の時代」
ブラジル時代の恩師が言っていた言葉ですが、
これはどうやら本当のようです。
日本もその傾向が強いですよね。
また、コミュニティ開発をするときにも女性が持っているパワーは
必ずといっていいほど注目されます。


と、ここまで書いていると、
「男よ、もっとしっかりしろ」
「男の役割って何だろう?」
と言いたくなるかもしれませんが、
そんなに簡単なことでもないと思います。
「男」と「女」って何だろう?
昔からずっと考えてきたテーマですが、
引き続きザンビアでもその答えを探していきたいと思います。


とにもかくにも今日伝えたかったのは、

「女性はすごいぞ!」

ということです。
僕の思考には男尊女卑の傾向があるので、
もっともっと女性に敬意を払っていきたいと思っています。



「僕はここにいる」~A君へ~

2008年10月24日 02時06分43秒 | Weblog

2歳のとき、父親が電気工事会社の経営に失敗して
家族で夜逃げしたところから僕の人生がはじまります。
10歳のとき、その父親が事故で足に障害を抱えるようになりました。
そして15歳のとき、母親が癌で亡くなります。
高校でホッケー部の恩師との出会いが僕に上京を決意させました。

上京してからは、新聞配達で学費を稼ぎながら大学へ通います。
上京したおかげで、遺児の支援をするあしなが育英会に出会いました。
僕の家が貧乏だったことをはじめて知りました。

このあしながとの出会いがブラジルに行くきっかけになります。
ブラジルに行って世界が広いことを知ります。
そして、日本を知らなかった自分に気づきます。

ブラジル後は、大学の恩師によって前職(生分解性プラの営業)を選びました。
環境分野での新しいビジネスを通して、
日本社会がどのように動いているのかを勉強します。

家族の問題はずっといろいろありました(ます)が、
だからこそいま僕はここザンビアにいます。
いましかないからここにいるのです。
家族のことを思っているからここにいるのです。

「僕をザンビアに向かわせたものは何か?」
家族のこと、前職のこと、ブラジルのこと・・・
どれもなかったらきっと僕はここにいなかったと思います。
そして、そのどれもが偶然と出会いの連続で生まれたものです。


A君と初めて出会ったのは、僕らがまだ中学生の頃でした。
あのとき僕がマレーシアに行かせてもらったことも、
いまここにいる自分につながっています。
あのときの仲間が僕のザンビア生活を応援してくれています。


15年ぶりにミクシィで再会したA君。
「僕をザンビアに向かわせたものは何か?」の質問に、
僕はこう答えます。

全てがいまの僕につながっていますと。
そして、いま僕はここにいますと。

雨季突入。

2008年10月24日 02時05分17秒 | Weblog
今日でザンビアに来て4ヶ月が過ぎようとしています。
そして、いよいよ雨季が始まりました。
いままでは乾季でずっと雨が降らない毎日が続いていました。

そして、いまは毎日、不定期に雨が降ります。
普段、歩いて移動することが多い僕にとって、
突然、雨に降られると予定がくるってしまうことがあります。
また季節の変わり目で体調も崩しがちです。

ザンビア人によるとこの雨季は来年1月~3月頃まで続くとか・・・。
嘆いても仕方ないので、うまくつきあう方法を考えていこうと思っています。

ちなみに、
雨季に入ったとたん、我家の熱湯が出にくくなったのはなぜなんでしょうね?


正夢

2008年10月22日 20時28分18秒 | Weblog

先日、友達の家に泊まったときのこと。
その友達が朝ごはんをつくってくれる夢を見ました。

そして、起きたら・・・
ザンビアではめずらしいご飯と味噌汁が用意されていました。
はじめて、正夢というものを体験しました。

夢というと、
卒論で研究した夢幻能のなかで調べた夢の定義について思い出します。
フロイトは「夢」の意味を、
心の深層を表すもの、個人の過去の抑圧された願望内容として定義しています。
さらに、ユングは「夢」の中に神話的内容を認め、
「普遍的無意識」から現れるもので現実とは無縁でないと考えています。

あのときの夢は僕にとって何の願望だったのかはよく分かりませんが、
あの久しぶりのご飯と味噌汁の朝ごはんが
おいしかったのは言うまでもありません。
僕はやっぱり日本人です。

その日は正夢というのを体験して、なんか気分のいい一日でした。
これからもたくさん夢を見て、いいことがたくさん起きますように。


余談ですが・・・
朝ごはんの大切さをあらためて感じました。
ちょっと、僕の食生活も改善してみよう。

ガードマンとシマ

2008年10月20日 21時27分16秒 | Weblog

最近、ガードマンと夕食を何度か共にしました。

彼はいつも夕食にシマを食べます。
ガードマンのスペースで小さな電気コンロを使ってつくります。
おかずは僕の大好きなカペンタ(小魚)です。

決して豪華なシマではありません。
彼とてそれほどお金に余裕があるわけでもありません。
でも、僕を夕食に誘ってくれます。

お金はないけど、心あふれるホスピタリティ。
僕はザンビア人のそういうところが大好きです。

そして、
夕食をご馳走になっているのは僕なのですが、
なぜか「一緒に食べてくれてありがとう」と言ってくれます。

今度は月曜日以降に、
彼の奥さん(まだ20歳と若い!)の写真を持ってくるので、
それを話題にまた食事をする予定です。

そんな何気ないことに幸せを感じる
ザンビア生活117日目。



口論

2008年10月18日 20時00分39秒 | Weblog


ザンビア人は朝が早い。

その日も朝6時にハウスクリーナーと名乗る人が来た。
僕の住む家は集合住宅になっていて、
各家庭が毎月ごみ収集代と敷地掃除代として
45000クワッチャ(約1350円)払っている。

そのハウスクリーナーも45000クワッチャの話をして、
しかも前に住んでいた住人のためにもやっていたという話を聞き、
朝の準備で急いでいた僕は
その共益費のことだろうと思って「YES」と言ってしまった。


でもこれが間違えだった。

10分ぐらいでベランダ掃除を終えたかと思うと、
45000クワッチャの請求書を持ってきた。
最初はその共益費と思って払うかと思ったが、ごみ収集代が含まれていない。
これはおかしいと思ってよくよく確認してみると、
この集合住宅とは関係のない業者だと判明。


これはだまされた。
ちゃんと聞かなかった僕も悪いが(英語力の問題もあったが)、
とても紛らわしい話を持ってきたことにもいかがなものかと思ってしまう。
うーん、僕としても納得できない。何とかできないか?

そして、ここからはお互いの言い分と「言った、言わない」の水掛論の開始。
相手も別の会社から来ている以上、引くに引けない。

結局、他の住人(→本当に助かりました、ありがとう)に真ん中に入ってもらい、
僕が原材料費の12000クワッチャのみを払うことに。
一方的にザンビア人を攻めてあとで恨みを買われるのも嫌だったので、
痛みわけにてこれで良しと思った。

この日の教訓は、もちろん・・・

「人の話はしっかり聞こう、もっと英語の勉強をしよう」

だろう。