「今日までそして明日から」

アフリカのザンビアへ行きます。こうした機会を与えられたこと、応援して下さる方々への感謝の思いを忘れずに、書きます!

ロータリークラブでの卓話

2010年11月30日 09時26分16秒 | Weblog

昨日はロータリークラブの卓話にて、JICAボランティア事業の概要とザンビア体験をお話させてもらいました。
相手は、地元の社長さんやお偉いさんばかり15名ぐらいの方が出席。

格式高いホテルでコースメニューをご馳走になったあと、
僕を招いてくださったことへのお礼のことばをたくさんいただき、
かなりハードルをあげられてから僕の出番となりました。

安請け合いで引き受けた今日の卓話でしたが、
想定外の厳格な会合だったので、僕はもうどうして良いか緊張し続けていました。

でも、「はったり」と「勘違い」は僕の得意技。
そう思って、無理やり自信を持たせて、発表させてもらいました。

社長さんたちの期待する内容でなかったのではないかと不安でしたが、
終わったあとには時間を過ぎてもたくさん質問をいただき、
また名刺交換のために僕の前に何人かの社長さんがお並びになり、とても恐縮でした。
そして、「最近ではなかったほど良い卓話だった」とお世辞かもしれないですが、お褒めの言葉をいただきひと安心。

会合のあとは、有志の茶長さん方々と2次会ということで、行きつけのお店で懇親会。
終電近くまでいろいろとお話をさせてもらい、私自身、とても勉強になった時間でした。

世の中にはこのようなハイソサエティの世界もあることをあらためて知り、
僕ももっともっと成長して、人間として立派な方々に近づいていきたいと思いました。

最近ではほとんどなかった、とても貴重な経験でした。


***写真***
ザンビアで結婚を祝うマテベトパーティの様子。
ザンビア中の郷土料理が集まるこのパーティ。僕はいつも招待されると楽しみにしていました。
でも、この写真を撮った夜、僕は帰り道で暴行にあうことに・・・。そして入院することに・・・。




3ヶ月間の学校が終了しました。

2010年11月29日 23時32分58秒 | Weblog

そういえば、このブログでは一度も報告したことがありませんでしたが、
9月頭にザンビアから戻ってきてからすぐに、3ヶ月間学校に通っていました。

国の支援で行われている委託訓練で大原簿記専門学校にて、国際ビジネスについて学んでいました。
中国語、英語、国際ビジネス法務など、月~金まで毎日朝から夕方までのコース。
ほかの活動との兼ね合いで毎日通うのはそれなりに大変でしたが、
でも国から日当やら通学費、そして生活費も補償されての学校通いだったので、とても有難い3ヶ月間でした。
世の中で働いている方々に申し訳ないと思いながら、
でもこういう機会なので有効に活用しようと思いながらの毎日でした。

おかげさまで、そのコースも今日をもって無事に終了。
修了式のあと修了証書授与、そして記念撮影が行われました。

一緒に勉強したクラスの仲間も年配者から若い人までいろんな人がいました。
僕は自分のことで精一杯で普段のような交流もできなかったことは残念ですが、
でも一部の人とはとても仲良くさせてもらい、人生勉強もさせてもらったと思っています。

明日からは本当の意味でフリーの身ですが、
幸いにして内定もいただいており、1月中旬より働き始める予定です。
またそのことについては、後ほど詳しくお伝えしたいと思っています。


いまは、(短かったですが)ひとつの区切りと、そして新しい始まりの気分です。


***写真***
ウガンダにて関わった35キロハイクで、助け合う遺児のリーダーたち。
どこに行っても、遺児たちはやさしい。だから僕は自分が遺児であることが恥ずかしくない。





アフリカとアメリカ

2010年11月28日 23時32分04秒 | Weblog

2008年、彼は企業の駐在としてアメリカに、僕は海外ボランティアでアフリカに飛び立った。

その彼と2年半ぶりに日本で再会した。
彼は僕の大学時代の親友である。

いつもよく情報交換をしたりしては、お互いを刺激を受けて高めあってきた。
よき友であり、よきライバルだ。

久しぶりの再会がうれしかった。
お互い何も変わっていないことにひと安心しながら、
でも彼のアメリカで頑張っている様子を聞いて、
あらためて「頑張らなきゃ」と刺激をもらった次第だ。


***写真***
子どもたちにクリスマスプレゼントを渡している。
子どもたちの喜びようは半端ではなかった。


***

第××回アフリカサミット

2010年11月27日 23時56分32秒 | Weblog

今日は調布で、第××回アフリカサミットが開催された。
このサミット、2009年にザンビアに遊びに来てくれたメンバーが渡航前のミーティングも兼ねて結成したもの。

僕は今回、日本に戻ってきているので初参加となった。

場所に選ばれたのは、調布で有名な牛タンの店「い志井」。
http://www.ishii-world.jp/

とても料理がおいしい店なので、ぜひ一度行ってみて欲しい。
実は調布には同じ系列の焼き鳥店「い志井」もあって、店を間違えてひと苦労だった。


さて、久しぶりの再会をしたら、やはりアフリカ話で盛り上がった。
メンバーのうちふたりは10月にモロッコ行ったらしくて、その話を聞いてうらやましいと思う。
僕もいつか、北アフリカに行きたいなぁ。

ザンビアに遊びにきてくれた当時のことも思い出した。
あのローワザンベジやリビングストンの旅は、いまでも僕の大切な思い出のひとつで、きっと一生忘れられないと思う。

そして、同じメンバーとまたこうして日本で会えるのがうれしい。

次回は新年会か?

楽しい時間だった!


***写真***
アフリカンダンスの様子。

アフリカでの出会いがいま日本で再会

2010年11月26日 23時08分01秒 | Weblog

ザンビアで知り合った友人と飲みに行く。
ひとりは、音信不通になっていたが、先日、偶然にも道端で会った人。
もうひとりは、ザンビアでともにエイズ対策を頑張った人。

3人で秋葉原集合。
そして、おススメの居酒屋へ。

もちろん話はザンビアネタで盛り上がる。
そして、いまの日本の生活について。
僕の大好きな男女関係や結婚の話が多かったかな。
もう僕らもそういう年頃であることを再確認した。

あのアフリカでの偶然の出会いが、いまこうして日本で再会できて、お酒を酌み交わせる。
そんな関係に幸せを感じた宴会だった。


***写真***
エイズ患者。ザンビアでは14%ぐらいの感染率と言われている。

瑞光小学校で講演

2010年11月25日 23時21分44秒 | Weblog

今日は荒川区にある瑞光小学校で講演した。
小学校で講演するのは、これで2回目。
前回も同じく荒川区の日暮里第三小学校だった。

ザンビアでも日本でもそうだが、やはり子どもと接するとこちらが元気になる。
そして、何よりも子どもってかわいい。
子どもたちと接すると、もともと教員志望だった僕の血がさわぐ。

今日も子どもたちから、たくさんのエネルギーをもらった!

次回の講演はロータリークラブ。
これはなかなか準備が大変そうだ。


***写真***
ザンビアの子どもたちの様子。
彼らもほんとうにかわいかった。
やっぱり子どもはどこに行っても宝だ。



軽井沢で出会った本「日本人という生き方」

2010年11月23日 23時50分14秒 | Weblog

今日はまた軽井沢だった。
大学受験で担当した子から以下の本を薦められた。

「日本人という生き方」小田島祐一著

この本はおもしろい。
ついつい勉強教えるのを忘れて熱中してしまったぐらいだ。

協力隊員として、ウガンダの高校生に礼儀や野球に対する姿勢を愚直に教えてきたことなど、
読めば読むほど感動の一冊である。

この本、なかなか手に入らないらしい。
三省堂にはあの神保町店でさえなかった。
でも著書の活動ベースである北海道には売っているらしい。

ぜひとも読んでみたら良い本である。


***写真***
青空教室の様子。それにしてもこの壁はひどかった。




体重増加とランニング

2010年11月22日 23時16分59秒 | Weblog

昨日、体重計に乗ると、また1キロ太っていました。
実は僕の体重はザンビアから帰ってきて増えるばかり。
ザンビア帰国時より、いま5キロほど太っています。
そして、ベスト体重より8キロ増の状態です。

確かに日本の食事はおいしいので、仕方ないといえば仕方ないのだけど、
このままではずっと太り続けるのではないかと心配になり、
今日は久しぶりに走ることにしました。

日本に帰ってきてから今までも何度か走ろうと思っていたけどできず…。
暑かったり寒ったり、寒さに負けたり、雨を言い訳にしたりといった具合でした。
ザンビアではあれだけ4時半起きで走っていたのに。

でも今日は近所に川沿いをずっと走るよいランニングコースを発見したのもあって、
また時間のゆとりもあったので、
ゆっくりとそして気持ち良く走ることができました。

当初、30分の予定がいつの間にか1時間以上。
気持ちがのれば走れる自分を再確認して、少し自信が戻ってきました。
今日は距離にして10キロちょっと走ったことになるけど、
走り終えたあとの気持ちよさがたまらなく良かったです。
そして、帰ってから体重はかったら1.5キロも減っていました。

きっと明日は筋肉痛だろうけど、また定期的に走ることをはじめたいと思います。
今日は疲れたので早めに寝てよう。


***写真***
ザンビアの大地とザンビア人。
ザンビアには広大な土地(日本の2倍)があるけど、住んでいる人は少ない(人口が10分の1)。
そんなザンビアを象徴している写真かもしれない。

急きょ軽井沢より・・・「小さな積み重ねや達成感が彼のモチベーションになる」

2010年11月21日 23時00分26秒 | Weblog

今日は、急きょ軽井沢へ。
いつも関わっている養護施設で、子どものお手伝いをするために呼ばれた。

軽井沢の駅に降り立つと、寒かったけど空気が気持ちいい。
秋晴れの空の下、遠くに見える浅間山がとても美しい。
そのふもとでは既に駅前スキー場が開催している。
この連休でバーゲンが行われてらしく、たくさんの観光客で賑わう。

そんな軽井沢で、僕はいつも担当している彼のレポートを手伝うために、缶詰状態。
でも、ここ最近、定期的にその子どもに接していて、あきらかに変化が見え始めている。
僕が来たら、自分から勉強をしようという姿勢になりつつある。

通信制の高校に通う彼だが、小さい頃に親にしいたげられてきて施設にきて、
でもその施設でも精神的に安定しなくて他の子どもたちと一緒に生活できなかったり、
とにかく大変な子なんだけど、でもそういう彼だから「ほっとけない」思いが個人的にはある。

勉強も運動も他の同世代の子どもに比べてひと回りもふた回りも遅れていて、
それが劣等感になっていて負のスパイラルに陥っている。
対人恐怖症がある。眠れなくて睡眠薬を飲む。

そういった状況だけど、でもギターという楽しみをひとつ見つけて、
そして勉強でも少しずつレポートを提出しはじめるようになってきた。

僕はその勉強の部分で彼に関わっているのだが、
いつも願っているのが「小さな成功体験」を積み重ねて自信をつけて欲しいということ。
勉強だったら、1枚でもレポートを仕上げられるようになったり、追試に1教科でも合格できるようになったりすれば、
それが小さな自信になると信じている。
そして、できる喜びを知れば、少しずつやるようになる。
そう思っている。
もちろん、勉強以外にだって、ギターでも何でも良い。

彼は高校を卒業したら嫌でも施設を出ないといけない。
いま高校2年生である彼に残された時間はおよそ1年半。

周りの大人ができることは限られているが、
でもできるかぎりの「愛のシャワー」を彼に浴びさせてあげて、
頑張って生きていける人間になって欲しいと願う。


今日もレポート課題を一緒に4枚仕上げた。
いままで30分しか集中力がなかった彼が、2時間も頑張れた。
まだレポートは4枚残っているが、でも今日の目標である4枚を達成できたことは大きい。
先日の追試も、一緒に勉強した2教科だけは試験でも本人が手ごたえを感じる出来だったようだ。
こちらも、まだ残り7教科の追試が残っているが…。

小さな積み重ねや達成感が、彼のモチベーションになる。
勉強内容の精度まだまだ杜撰なものだが、でもいまは目に見える結果が大切だと思う。
そう思って、これからも彼とつきあっていきたい。



***写真***
ザンビアの伝統的な踊り。









僕の「原点」~高校の恩師との再会~

2010年11月19日 00時58分59秒 | Weblog

名古屋で高校時代の恩師に会ったときのこと。

久しぶりの再会で、当時のことなどをお互いにいろいろと思い出したりした。

その先生は、僕が2年生のときに赴任されて、すぐホッケー部の顧問に就かれた。
当時のホッケー部のメンバーは、時間を守れないなど生活習慣に問題のある部員が多かったが、
やはりその先生は体育の先生らしく、毅然とした態度で厳しく指導をされた。
有能だけど練習態度に問題ある部員をクビにしたり、遠征先で夜中の2時に全員正座させられたり…。

いろいろあったけど、当時キャプテンをしていた僕のことはよく覚えていて下さっていた。
僕も「勝ちたい」一身で、毎日のように体育教官室に通っては先生の指示をあおっていた。
よく泣いたりもした。よく喧嘩もした。
先生がいなくても自分たちで練習ができるようになるまでかなり時間を要したが、
でもいかにチームを引っ張っていくか、どのように練習を組み立てると人はついてくるかなど、
その先生から学んだことは多かった。


そして、何よりも忘れられないのが、僕に私立の夜間大学に行くことを薦めて下さったこと。
浪人時代に、受験勉強をしたけど良い結果がでなくて、家にお金がなかったので国公立大学しか考えていなかった僕に、
「大学はどこでもいいから、いますぐ行ったほうが良い」とアドバイスをくれた。
僕の高校は県内でもそこそこ有名な進学校だったから、周りの級友のほとんどは有名大学に行く。
そういった雰囲気のなかで、僕自身のプライドが少し邪魔したのかのしれない。
最初はなかなか受け入れられなかったけど、でも先生のアドバイスに従って、夜間大学に行ったことが本当に良かったと思う。

夜間大学で働きながら学ぶ人たちと一緒に勉強できたことは、
東京で経済的にも精神的にも自立せざるを得なかった自分にとってはとても貴重だった。
いろいろな立場の人たちに会うことができて、そしてたくさん応援して下さる人たちと出会えて、
結果的に3年生から昼間部に転籍もすることができた。

あの住み込みで新聞配達をしながら夜間部に通ったことは、間違いなく僕の「原点」である。
だから、あのときの先生のアドバイスがなければ、いまの僕はないと思う。


そのほかに、その先生から学んだ挨拶や愛嬌の大切さは、東京生活でもとても役に立った。
僕は高校時代にとても素晴らしい恩師に出会えたと、いまでもつくづく思う。


先生と面談したとき、そんなお礼の気持ちもあらためて伝えさせてもらった。
そして、先生は当時から15年も年月が過ぎたけれど、変わらずお元気で真っ直ぐ生きていらっしゃる姿に、
またあらためて刺激を受けた。

帰り道、もう一度、「原点」に戻って頑張ろうと思ったことは言うまでもない。



***写真***
ザンビアの伝統的な踊りの様子。
女性も裸で踊っていることをその先生に話したら喜ばれそうだ(笑)。