DUNIA

ケニア~青年海外協力隊~青少年活動~男子更生院~2年間限定

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DUNIA

2010-06-19 | In Othaya
今回の更新を以って、「DUNIA」を最終回にしようと思う。
約2年間、私の傲慢かつ稚拙な主観の物言いにお付き合いいだいた皆さまに厚く御礼を申し上げます。
ありがとうございました。

このblogのtitleである「DUNIA」とは、「ドゥニア」と発音し、スワヒリ語で「world」、「globe」と言う意味。
「こんな世界もある」ということを発信できればと、筆を取り、早2年。
特別なeventなどに限らず、成る丈Kenyaの人々との日常を、そしてその日常で私が感じたことを、
それら可能な限りの多くをUPすべく心がけてきたつもりではあるものの、
それでもやはりその全てを発信することは困難で、
私がこの2年間でUPしてきた114本の内容は、
私のKenyansとの日常生活を各トピックで切り取り、それを読者の皆さんに伝わり易く要約したに過ぎない。
そして今この「DUNIA」をcleseするにあたり思うことは、
この私のKenyaでの2年間は、上記したような切り取り、要約によって消えた取るに足らない日々の積み重ねであって、
この2年間において私にとって大きな意味を為したのはそれらの「取るに足らない日々」だったようにも思う。

人生とはtry&errorの繰り返しで、試行錯誤こそ人生なのかもしれない。
確信とまではいかないものの、それに近い想いが私の中で根を下ろし、私にenagyを供給し始めている。


謙虚に果敢に、そして大らかな夢に生きていきたいと思う。


最後に、公衆の電波上ということで、お伝えしたくともお伝えできなかった内容が山ほどあることも確かだ。
それらについては、帰国後に「鰤の舟盛り」を肴にキュンキュンに冷えたビールでも呷りながら皆さんとshareできれば幸いである。

それでは、帰国いたします。







SPECIAL THANKS


All readers


【My people in ORS】
My sweet×billion Boys
Brian ocheing otieno
Mrs. Loise and her family
My mother Mucheru
REX and 7 pupies
All Staffs

【My people in OTHAYA】
Mr.karanja
Mr.&Mrs.Ladha
Mrs.ferista
Miss.Winnie Wambui Ngata
Miss.Milkah
Mr.Ndungu
Mr.Wachira
Mr.&Mrs.Njeru
Mr.Tempa Tella

【My people of JOCV】
かぶと Kouji N
きゃく Haruka K
きょうこ Kyouko Y
しまかな Kanako S
しんや Shinya Y
にっしぃ Ryousuke N
姉さん Kayoko F
まゆまゆ Mayumi M
もっちゃん Ai S
じゅんや Junya H
ミラ Mira A
ゆー Yu K
やまちゃん Kazuyuki Y
れん Ren F
ずっきー Yukari S
KESTES SUPER STARS
All JOCV in Kenya

はんでぃ Torusia
よーこ Youko M
ちゃえ Saeko F
がじゃ Masaru G
けい Kei I
けんたろ Kentaro
And all JOCV in the world 

【My people in日本】
はるぱ
Madameアニャンゴさん
NEWPALS

【My family】
しろね
まつわ
あっち&なっち
従兄妹
ミル吉
My one and only Rco


Once agein I realy appreciate your solid support and I hope you all the best.
Thanks million.


With warmest personal regards.
Mco
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for the sake of loyalty to myself

2010-06-14 | In Othaya
有体に申し上げ、私は、仕事はそれなりに順調で、お金にも困っていない、そんな生活を送っていた。
社会に出て数年、軌道に乗り、安定し始めた「そんな生活」について、
「Are U Satisfid with そんな生活 or dissatisfied ?」 と問われていたならば、
おそらく私は、「Im satisfied」と答えていただろう。
しかしながら、「そんな生活」の積み重ねにより形成される「人生」についてを考え始めた時、
私の答えはcontraryなものとなるのだった。

「そんな生活」のバランスを崩さないために毎日同じ事を繰り返しているだけのような気がして、
多忙な毎日を過ごし、充実しているようだけど、長い目で見るとすごく惰性でダラダラしているような気がして、
漠然とこの道を何年進もうとカッコいい大人には辿り着かないような気がしてならなかった。

これは単に、「青い鳥症候群」なのかもしれない。
が、それとも少し違う気がしている。
例えれば、
グランドに徒競走用の直線を引くとする。
スタート地点からラインを引き始め、その途中で僅かなズレが生じてしまったとする。
気にはなったが、ほんの僅かなズレなので問題ないと判断し、そのままラインを引き続けたとする。
が、ラインを引き続けるにつれ、最初はほんの僅かなズレだったはずのそれが、途方もないズレとなってしまい、
ラインを引き終わった時には、本来のゴール地点とすべき地点から大幅にずれてしまった位置にラインの終点が位置してしまう。
言うなれば、そんな感覚なのだ。

人生における自己のsatisfactionsの選択、fulfillmentの基準について、多少のズレを自覚していながらも、
それは大勢には影響のないものと信じ込み、進み続けてきた。
近距離からの視点でのそれは「良い感じ」に見えていたし、
実際に「上手く引けてるよ。」みたいな声をかけてもらっていたのも事実だ。
しかしながら、ラインは上手く引けていたにしても、肝心な自分がゴールとしたい地点からはラインを引き続けるににつれ離れていくような気がして、
更に悪いことに、そのことを誤魔化すかのように、当初、自分が想定していたゴール地点からズレた地点がゴールになりそうだというにもかかわらず、
そこを当初からのゴール地点として想定していたと思い込もうとしている節があった。
引き直すのか、このまま進むのか、に迷い始めた私はやがて足踏みを始めた。


そして、
「足踏みしてたって靴底は減る」
そう思い立った私は、何を隠そう現在ケニアにいる。
この2年間で、私が引いてきたラインは、おそらく町内運動会で使用してもらえるかどうかも怪しいような代物だろう。
ゴール地点を確認しながら引いて来たそれは、引き直しの跡が夥しいし、きっと「キレイ」じゃない。
それでも、だ。
それでも、
現在引いているラインのゴール地点には、
「カッコいい大人」と書かれたゴールテープが張られる、そんな気はしている。



Renard曰く、
「幸福とは幸福を探すことである。」
彼の云わんとしていることが、探求こそが「幸福」で、その結果として「得る物」ではないのだとしたら、
残念ながら、当の本人はそれを実感として得ることはなかなか難しいのかもしれない。
だからこそ、「幸福」が「幸福」たるの所以なのかもしれないと妙に納得してしまったりする。
そして、彼の言っていることが本当ならば、
私のこの2年間は、私が実感している以上に「幸福」の中にあったわけで、
そんな風に考えると、とってもswell with pride な気分になってくる。

Kierkegaard曰く、
「自らにとって真理であるような真理を求め、自分の全存在をかけて、ありったけの情熱を傾け自らの進路を選び取り、主体的に自らの人生を生きよ。」
彼の云わんとしていることを私が完全に理解できているとは思わない。
それでも、たとえその解釈に誤りがあったとしても、私が彼の言葉にinspireされ、私が思うように前に進むことも十分に主体的であると今は思いたい。

Nietzsche曰く、
「“常に今の自分を肯定しつつそれを乗り越え、成長しようとする力の意志を体言した者“こそ超人である。」
「超人」なんて言われると、筋肉マンとか超人ハルクとか、ちょっと尋常じゃない方々を思い浮かべてしまっていたが、
Nietzscheが云うところの「超人」であれば、筋肉マンや超人ハルクよりはハードルが低いような気がするのは私だけだろうか。


「主体的に全力で幸福を探求中の超人」
そんな感じでいきたいわけだが、
私には、額に「肉」ってかかれた全身緑色の巨人が汗だくでコンタクトレンズを落とした時のようなカッコで何かを必死に探している様子しかimagineできないわけで…。
あんまりカッコ良くないような気もするが、それは私の想像力の問題であるわけで。


先日お話ししたBrianが全国大会で4位入賞を果たした。
私も負けてられない。
「鳥人コンテスト」ならぬ「超人コンテスト」での上位入賞を狙っていこうと思う。



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金縛り

2010-05-31 | In Othaya
私は今までの人生で、たった一度だけ金縛りにあったことがある。
金縛りは科学的にその原因を証明できるという話しを聞いたことがあるが、
それにしても私の場合、誰かが私の周りを歩いている感覚がリアルにあり、
科学的にその原因を証明できようと、できまいと、お化け系は全く以ってダメな私にとって、それはもう恐ろしい経験だった。
経験者談の例外に洩れず、私も身体の自由がきかず、声を出したいのだが、声が出ない、誰かが私の周りを歩いている感覚あり、というtypeの金縛りだった。
そして、渾身の力を込めてやっとのことで発した一声が、

「お母さん!!!」

二十代半ばだったと思うが、それにしても「お母さん!!」って…。
何とも言えぬ、残念な気持ちを自身に催したことを記憶している。
年齢的には成人を迎え、自分で稼ぐようになり、その日常生活において親の出演回数というか、露出というかはめっきり減り、
十代とはまた違った意味で自立したつもりでいた年頃だったわけだが、
それでもやはり「お母さん!!」だったわけで、
人はいくつになっても誰かの子どもなのだから、と自分に言い聞かせた。
できることならもう金輪際、金縛りは御免いただきたいが、もしまた金縛りに襲われても、
私はおそらく「お母さん!!」なんじゃないかとも思っている。


Brian Ochieng Otieno。
今までに何度かこのblogに登場してきた私のsoul mateである。(※「endeavor」、「友たち」、「外野席から」 参照)
彼は幼い頃に両親と死別し、「kibera」という東アフリカ最大級と言われるスラムに、
彼の言葉を借りれば「I was left alone」、言わば、「置き去りにされた」彼は、随分と前に両親の顔を思い出せなくなってしまったと、
おそらく残念に感じていることを隠すために笑いながら私に話すわけだが、
残念だと彼自身強く感じていることが、残念なくらい強く伝わってくることが辛い。
筋金入りのstreetboyとして1年半をstreetで生活していた彼は、警察に保護され、裁判所を経由し、ORSに収容されることとなる。
更生院の収容年限は3年にもかかわらず、全く身寄りがなく、また幼かった彼はその後の8年間をORSにて過ごした。
何度も言うように身寄りのない彼にとっては、更生院の仲間や教職員、そしてOthayaの町が彼の世界の全てだった。
私と出会うまで、市場に並んでいるリンゴを見たことはあるが、そのtasteについては想像すらできなかった。
チョコレートを初めて食べた時にも私は立ち会ったわけだが、まるでネタのようだが、鼻から大量出血をした。
進学権を得た彼の学費支援者獲得のために幾度となく首都Nairobiへ出ては成果の出ない日々に、
Hilton hotel屋上からの景観で気分転換しようと初めて乗ったエレベータでpanicを起こし、17階から非常階段を二人で歩いて降りた。
Brian「アダムとイヴ」 VS 私「the theory of evolution」の真っ向対決に終止符を打つべく訪れたNNMでは、
displayされている動物の剥製達がいつ目を覚ますのかということに怯え、進化論どころの話ではなかった。


有刺鉄線に囲まれた更生院内で最も多感な時期を過ごし、
更生院の仲間達が、いつか出所して家族と暮らす日に想いを馳せるその有刺鉄線の外は、
彼にとっては「希望」や「期待」というよりも、「不安」という方が適切な表現だったのではないかと思う。
もちろん、彼のような境遇にある者が社会にて自立をしていくことはそう簡単なことではないだろうし、
「お母さん!!」な私にはその片鱗すら想像できないだろう。
しかしながら、才能に溢れ人格も素晴らしい彼に、
有刺鉄線の外にある彼が望むなら選択可能であるその選択肢についてを知ってほしかったがために、機会ある毎に、
私は電気代の支払いから、Kenyaで活動中の友たちとの集まりなど、どこへでも彼を連れて歩いた。

そして現在、彼は私の自慢の友たちの協力を賜り組織された奨学金制度から学費を支援され、seconday schoolにて学業を継続することが出来ている。
現在彼が修学中のsecondary schoolは、8年を過ごした更生院とは違い、
彼と同じ境遇にある生徒は皆無に等しく、
全国規模で子どもが送られてくる多民族構成だった更生院とも違い地元出身者(キクユ族)が多い。
言わば、「新境地」では、彼のidentityとtribeは時に差別の対象となり、様々なdisadvantageがあることも事実だ。
また以前、問題行動があったと教頭に学校に呼び出された時には納得がいくような、いかないような理由で彼は停学の一歩手前の状況にあり、
今考えれば、とても恩着せがましく外国人の私に免じてその処分を取り下げるような言い方をされたように、
彼のguardianである外国人の私の存在が、彼にとって負の要素としてあることもまた事実だ。
実際に彼からイジメ、嫌がらせ、が原因で転校したいという申し出を受けたのは、一度や二度ではない。
その新境地で彼の置かれた状況からも仕方のないことかもしれないが、
その頃の彼には、周りの人間を全てライバル視し、排斥の対象として成り上がっていこうとするような雰囲気があった。

負けん気は大切だと思う。
彼のような境遇にある者はなおのことだとも思う。
しかしながら、近寄り難いまでの鋭利な雰囲気というか、人を遠ざけてしまう「遠心力」のようなものを発するようなそんな人間には彼になってほしくない。
彼の魅力に自ずと人が集まってくるような、言わば、「求心力」を発するような、そんな人間になってほしい。
彼のような境遇にあるからこそ、そんな人間にならなければならないとも思う。
彼ほどの魅力があればそれは難しいことじゃないとも思う。

「人」って言う字はなぁ、お互いが支えあって、触れ合って…。
さすがにそこまでは言わなかったが、
このことについてはBrianのidealを尊重しながら、かなりの時間を費やして私達は話し合ってきた。
心理学用語で、大学に進学できなかった親が子どもの進学に熱心になるようなことを、適応機制の「代償」という。
私の場合のこれもおそらく「代償」であり、きっと、私も「求心力」のある人間になりたいのだろう。
いや、「なりたいのだろう」ではなく、「なりたい」。



今日、彼から私の元に連絡があった。
「マコト!僕、優勝したよ!次ぎは全国大会だよ!マコトに一番に伝えたくて!」

久々に目頭が熱くなった。
先月のterm holidayに二人でcyber caféに入り浸り、YOU tubeで男子円盤投げを見まくって、グランドで円盤を投げまくっただけの甲斐があった。
ちなみに、我々がその画像の再生回数のうち、少なくとも100回に貢献していることは間違いないし、
更生院に一つしかないdiscusを壊してしまったのも我々に間違いない。
ドンマイ。

「遠心力」を使い、周りの人間ではなく、discusを遠くに飛ばすことを体得した彼は、
「求心力」についても同様に体得しつつあり、今後も新たなchanceを手に入れていくことになるだろう。
円盤投げKenya代表だって、今は十分に射程距離にある。



金縛りという現象は疲れている時に起こりやすいと言うことを聞いたことがある。
金縛りが万国共通で、Kenyanもそれに襲われることがあるのかどうかは分かりかねるが、
試合を終えクタクタである彼が、もし、今日金縛りにあったら、
目下、円盤投げ精進中の彼だから、やはり円盤投げの時のような雄叫びを上げるのだろうか?
顔は思い出せなくても、やはり「お母さん!!!」、「お父さん!!!」だろうか?


いずれにしても、彼のこの快挙が、彼の毎日の頑張りが天国の彼のご両親に届いてほしいと思う。

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give birth

2010-05-28 | In Othaya

私のこのkenyaでの生活をdelightfulなものとしてくれたことに、彼女の存在は大きい。


   
こーんなちっちゃい時から更生院で飼い始め、
いつの間にかdomestication managerの肩書きを仰せつかってしまった私と彼女は更生院にいる時はいつも一緒で、
授業中はもちろん、おかげ様で私のトイレにまで彼女がついて来る始末。


もちろん、番犬としての荷物番なんかもgood jobな彼女。



きっと彼女は私を親とか兄弟とか、とにかく同類だと信じ込んでいるに違いない。
彼女の愛らしさに癒されているのは私だけではないはずで、boysもそれは同様だろうし、
Boysの情緒教育と言う意味では、彼女は大変な功績を残してくれているように感じている。




そんな彼女が、1ヶ月前ほどからだろうか、元気がないというか、動くことを億劫がるようになった。
おっぱいも膨らんできたし、仔犬から成犬への成長の表れだろうかと思っていたが、
人間じゃあるまいし、犬は成長したところでおそらくおっぱいは膨らまない。
思ったとおり、get pregnant。
もちろん相手は知る術もない。
「REXは嫁にはやらんどー。」
俄にそんな父親魂が心中に芽生え、更生院に出入りする野良犬のオス犬全てが子憎たらしく見えてきた。

「REXのお腹にいる子のお父さんって誰なの?」
日に日に大きくなってくるお腹と、そのお腹周りの重たそうな所作に当然boysの興味は集中。
その辺の野良犬であることに間違いはないのだが、
普段から性行為についてboysにはtake the available alternativeを声高に訴えているわけで、
また、上述したような父親魂から他のオスを認めたくない心境にある私は、
「俺だよ。」
っと答えていた。
そして、どうもそのような回答をしたころから子どもの私への反応が微妙になりつつある…。
任地離任を間近の、ウルルン的な別れを目前に控え、ちょっとやってもうた感は否めない。
ドンマイ。

そして今朝、いつもより更に重そうな体を揺らしながら朝の挨拶に歩み寄ってくるREXを迎えるため、
私も腰を落として立ち止まっていたわけだが、のっそのっそと歩み寄ってきた彼女は私が待つ遥か手前でお座り…。
そして、「お前が来い。」的目線。
前言撤回。私は父親とは思われていない。

今日は水曜日でPEが無い為、私は自宅にて間近にせまった引越しの準備していた。
するとboysが駆けて来て、
「マコ、生まれるよ!生まれるよ!」
っと大騒ぎ。

「陣痛始まったっぽい?」
「陣痛?」

「破水した?」
「破水?」

こんな感じで、出産についての知識など無いに等しい彼らではあるが、
雰囲気とか、そういった類の変化にはとても敏感で、
実際に、REXは彼らが私を呼びに来てから約1時間後に陣痛が始まり、破水し、第一子ならぬ、第一犬を出産した。
彼らの観察力というか、洞察力の鋭さ、また雰囲気等を受信するアンテナの精度の高さには、いつものことながら本当に感心する。
きっとどんなに平静を装っていたって、私の機嫌が悪い時なんてすぐに見透かされてしまうのだろう。

私はてっきり、他のKenyaの犬がそうしているように、REXも物陰に穴を掘って人目を憚り出産するのかと思っていたが、
どうやらREXは私のoffice内で出産したいらしい。
陣痛が始まると、私のoffice内を徘徊し始め、壁とにらめっこしてみたり、生あくびを連発したりで、一向に私のofficeから出て行く気配は無い。
でるからして、妊婦というか妊犬にとって出産の際にはどういう状況が好ましいのか、それは私の想像の域を超えないわけだが、

暗い方が良さそう。
見られる状態にない方が良さそう。
マットとか敷いてあった方が良さそう。
水があった方が良さそう。

等々、思いつく限りの環境の整備をした私のofficeは、
boys立ち入り禁止、
ドア開放厳禁、
大声上げたヤツ蹴り一発、
と言った具合に厳重なoff limitsをしいた。


出産の痛みの例えとして、「鼻の穴からスイカを出す感じ」と言うことを聞いた事がある。
REXもまさしくそのような痛みと闘っているかのごとく、とても辛そうだった。
私にできることと言えば、
「頑張れ!」、「もうちょいリキんでみ!」と声を掛けるか、
「ひーひーフー、ひーひーフー」と呼吸の先導をする程度。
こんな時、男は全くもって役立たずだ。
もともと私は、立会い出産は遠慮させてもらいたい性質だったわけだが、
今回のREXの出産に立ち会ってそれは確固たるものとなった。
辛そうにしているのに、指をくわえて見てることぐらいしかできない自分の役立たずさが歯痒くて仕方ない。

第一犬の破水から4時間。
7匹の天使ならぬ天犬?が、ORSの仲間として加わった。
そしてREXはぐったり、Boysは大喜び。
私は、出産という生命の誕生に立ち会えた喜びもさることながら、
boysが自主的にREXと仔犬たちのための犬小屋のrepairを始め、
自分の毛布を仔犬達のために差出してくれたり、
牛係の目を盗んで牛乳を搾ってきてREXに飲ませたり、
私が赴任した時分には考えられなかった、そんなboysの変化の方にむしろ感動してしまった。


残念なことに、私はこの仔犬達がboysと共にグランドを駆け回るようになるまでここにはいれないだろう。
それでも、この7匹が元気に大きくなって、boysと一緒にサッカーする姿を今はとってもclearに想像できる。
生まれた仔犬が一匹も生き残らないなんてことがそう珍しくもないKenyaで、私にはそれが確信としてある。
Boysであれば大丈夫という絶対の安心感がそうさせるのだろう。


どうやら7匹の内の一匹は「マコト」と命名されることが決まったようだ。
「マコト」達も、REX然り、boysの心身の成長を助長してくれる存在になってくれることを切に望む。



明日からまた賑やかになりそうだ。
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去り様

2010-05-18 | In Othaya
「PEおつかれさま。今日も暑いわね。
疲れたでしょ?
喉が乾いたでしょ?
ご褒美にChaiをご馳走するわ。Townまで今すぐ出てきなさい。」
どこかからPEが終わったことを見ていたかのように絶妙なタイミングでいつもかかってくるMucheruからの電話。
そしてご褒美のはずなのに、命令形…。

Mucheruは今まで何度かこのblogに登場している人物で、
私がこのKenyaで母と慕う同僚の女性で、
彼女もまたこの2年間、私を息子として愛でてくれた。
「Jesus」と「お買い物」をこよなく愛す御歳52歳のおばちゃんだ。
私が風邪をひくと必ず、蜂蜜やら生姜やらニンニクやら、とにかく凄まじい味のするDawa(薬)を大量に作ってくれ、
「これだけ飲んで寝てなさい!」と鬼の形相で言い、
翌日、私が復調していれば、「私のDawaはOthayaでNO1よ。」だし、
容態が悪化していようもんなら、「栄養のある物を食べなきゃダメじゃない!」と、
前日、鬼の形相でdawaだけ飲んで寝てろ、と自身が言ったことについての矛盾には気付かずさらに鬼の形相だし、
買い物をし過ぎては、一人で荷物を持ち帰れなくなり、
「あなたの助けが必要なの。今すぐtownまで来なさい。」と涙声の命令形で電話してくるような、
性質の悪い天然素材と100万馬力に相当する強引さを併せ持つ。

最近はその涙声がバレバレで私にからかわれるので、PE終了後の絶妙なタイミングで電話をかけて寄越し、
私の喉が乾いていると決め付けたうえでchaiをご馳走するからという、これもまた典型的悪徳キャッチみたいな方法で私を誘う。
しかしながら、この2年間、彼女の買い物に連れ回されたおかげで品々の適正価格、
はたして食べ物なのかどうかの判断もつかなかったような品々の調理方法等の、
生活に関する知識を教授されたことは事実であるし、
何よりも彼女と彼女の友人らと徒然なるsmall talkを交わすpolepole(ゆったりとした)な時間がが私には心地良かったりする。

と言うわけだから、私は彼女からの誘いの返答に「YES」、「NO」ではなく、
「今日は何を買ったのよ?」と返答をして、グランドからtownへと足を向けた。

待ち合わせ場所に到着すると、いやに着飾ったMucheruが、手ぶらで待っていた。
「どしたの?おしゃれして?」
Mucheru曰く、写真屋さんへ行って、二人で記念写真を撮るのだという。
Kenyaでは、日本と違いcamera所有人口の割合が極端に少なく、
写真を撮りたい時には写真屋さんへ行って撮影してもらうことが一般的であり、
そしてnecessities of lifeではないその行為は一般市民にとっては大層な行事でもある。
もうすぐここを離れなければならないということは頭では分かっていても、イマイチ実感が湧かずにいた私だったが、
Mucheruと写真屋さんへと並んで歩く道すがら、私はそれを猛烈な寂しさとして実感した。
写真屋さんで撮影に使われるCameraはデジカメではなく、黒い布がかかっている木箱に手だけを入れてゴソゴソやるマニアなら泣いて喜ぶような骨董品で、
ビーチパラソルみたいなフラッシュが天井から釣るされ、
どこを想定しているのかは判断しかねる不自然な風景画が被写体の立ち位置の背景に広がっている。
自称photographerという男性の指示に従い立ち位置を決めた私達は、Mucheruのmake a complaintにより、本来一度のところ二度撮影してもらった。
なんでも一度目の撮影時のフラッシュのせいで、カツラがずれたらしい。
Mucheru、いくらなんでもフラッシュでズラはズレんでしょうよ…。
二回目の撮影では、私は笑いを堪えるのが精一杯だった。

「これは私からのpresentよ。」
と張り切って現像する写真の大きさと、それを入れる額を選んでいたMucheruが会計の段で悲鳴を上げた。
「Gai! Gai! Gai! Ai~?(えー!マジ~?)」
どうやら、こういった感動的なpresentを想定していたにも関わらず、あらかじめその値段を下調べしておかなかったようで、
彼女が発注したい写真と額の総額は彼女が想像していた金額の6倍近い値段なのだそうだ。
その尋常ならぬMucheruの驚きように既に笑いが止まらない私を尻目に、
Mucheruは果敢にも自分の予算であった1/6までの値下げ交渉に入っている。
が、さすがのMucheruも撃沈、そして分かり易いほどの落胆ぶり。

「Mucheru、これは俺からのgiftにさせてよ。」
仕上がりは3日後とのことで、私が受取に来る旨を伝え、私達は店を後にし、市場で待機していたらしいおばちゃん達と合流し、chaiを飲み、
写真屋さんでのネタにみんなで腹を抱えて大笑いした。

デジカメを持つようになって久しく、その様々なhandyかつusefulなfunctionに慣れて過ぎてしまっている私にとって、
撮影直後にその写真の様子を確認できず、出来上がりまで数日待つということは妙に新鮮で、その仕上がり日まで指折り数えて過ごした。

そして、今日、その写真が仕上がった。
満面の笑みでMucheruの肩に手をかける超relaxingな私と、
まるで明治初期の魂が抜かれると思い込んでいた時代の人のように仏頂面で直立不動なMucheru。
傍から見たら随分とout of balanceな二人のようにも感じる写真だが、
Mucheruは大層気に入った様子だし、もちろん私もすこぶる気に入っている。
Mucheruと私、それぞれが同じ写真を同じ額に入れて今後はKenyaとJapanに飾られることとなるのだろう。

彼女は明日から1ヶ月半の研修が急に決まり、明朝Othayaを離れる。
つまりは、今日が彼女との別れとなる。
急に決まったとMucheruは言っていたが、写真を撮りに行ったタイミング等を考えると、彼女は少し前からそのことを知っていたような気がしないでもない。
私は自らが送り出される者として「別れ」を迎えることに何の疑いも持たずに今までいた。
しかしながら、私は最も別れを惜しむべき一人を送り出すようなかたちで「別れ」を迎えることとなり、
大袈裟に聞こえるかもしれないが、それは置き去りにされるような心境ですらあった。
しかしながら、値段の下調べはうっかり忘れてしまうような彼女だが、おそらく意図的に今日まで明日の出発を告げなかった彼女なりの配慮のおかげで、
この数日間は「別れ」という湿ったtopicは一切話題に挙がる事はなく、今日という最終日の今の今まで冗談ばかり言って過ごせてきたことも事実だ。

「Mungu(God) aki(he would) kubali(agree)tutaonana(we shall meet) tena(again).
「usijali(don’t worry) Tunakuwapamoja(we belong together) kama picha hii(like this photo) mpaka mwisho ya dunia(untill the end of the world).」

彼女の言葉だ。
恋人みたいな言い回しが恥ずかしいけど、すげぇ嬉しかった。


あと数週間で私もこの地を去る日が来る。
有難いことに、「usiende JAPAN(don’t go back to JAPAN) 」が、最近の私の周辺の人々との挨拶には盛り込まれる。
「惜しまれる」
去る者にとっては、これ以上光栄なことはない。
正直、最近の私はそのことに気分上々というか有頂天だった。
しかしながら、その「惜しまれる」の陰には「置き去り感」が共存し、
その「置き去り感」を最小限に留める努力をすることが、有り難くも惜しまれ去る者の義務なのかもしれない。

どんなに言い訳を並べたって、私は私との別れを惜しんでくれるBoysやRexやお世話になった友人らを置いて去ることにはかわりはない。


私の手帳には「帰国までにしなければならないこと」が、優先順位を振られびっしりと書き殴られている。
しかしながら、Mucheruとの別れを終えた今、そのpriorityは少々違ったものに書き換える必要を感じている。

有難くも「惜しまれ送られる者」である以上、
「去る者」として誠意のある毎日を過ごしたいと思う。

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今、思ふこと

2010-05-06 | In Othaya
私は学生時代を通じて、かなりstoicに野球に魂を捧げてきた。
例えば、高校時代には練習のために修学旅行にも参加していないし、正直、学校行事の思い出は無いに等しい。
今思えば、それなりの結果は残したし、この苦行のおかげで修学旅行へ行けなかったとか、ずっと一休さん(坊主)だったとかそんなことは、今はどうでもいいことにしか感じない。
むしろ、今となってはその苦行に感謝する局面の方が多い。
そして、いわゆるその一球入魂時代の仲間や当時の思い出は、私にとって宝であり、何物にも代え難い。
決してそうではない筈なのだが、全ての思い出が輝かしいものとして蘇り、
当時の仲間と会えば、戦争など経験していないくせに「戦友」を気取り、
軍隊ってこういう感じなんだろうなぁなんて勝手に想像したりする。
しかしながら、そのように大変輝かしい思い出であるその時期に、再度舞い戻るchanceを与えようと言われても、
それはまっぴら御免であり、そのようなことを考えはじめると、眩いばかりの輝かしさに包まれていたはずの思い出達が、
俄に超長距離走後に催す吐き気と共に蘇る。
実際のところ、もう一度同じだけ頑張れる自信が無いし、同等もしくはそれ以上の結果を残せる自信もない。


実は、kenyaでの二年の活動を終えようとしている今日、私が感じている感覚がこれに酷似している。
この二年での仲間や思い出は私にとってかけがえのない宝であり、今後の私の人生に大きく影響を及ぼすものとなるのだろう。
しかし、「もう一度chanceをやるよ」と言われても、丁重にお断りしたい。
上述然り、正直なところ、また同じだけ頑張れるだけの自信が無い。

一球入魂時代より、些かの社会経験も積み、年齢も重ねてからの参加になったこのkenyaでの二年間。
もうちょっと頑張ってたら実業団選手くらいにはなれたかな?なんて思いが過ぎり、
ドラフトの時期になると妙な胸騒ぎがするような「やり残し感」はこの二年間で残さないよう、
また、私を様々な面でsurportしてくれる家族への感謝の気持ちを忘れずにこの二年間を過ごしてきたつもりだ。


何年か経ったら、私のこの所懐は違ったものになるのかもしれない。
しかしながら、この二年間が「kenya入魂 ≧ 一球入魂」となったことはいつまでも自負できると思う。
将来、ウガリやゲゼリを思い出した時に吐き気を催すかどうかは別として、
この二年間の活動が自分自身の人生において意義を持つか否かは、
「この二年間をどう過ごしたか?」はもとより、
「その後をどう過ごしたか?」と言うことであることも、これもまた一球入魂時代の教訓から心得ているつもりだ。



『青年海外協力隊 五箇条』なるものに、
「そのときも、そのあとも、おおらかな夢に生き」 とある。


そうありたいと思う。 

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2010-04-19 | In Othaya
「Kadede」
小さなバッタと言う意味だ。
ORSには「kadede」と呼ばれるboyがいる。
家族からabuseを受け、家出をし、streetで生活していたところを約1年前に保護され、ORSに収容された彼は、
今日現在、自称11歳とのことなので、収容時は10歳だったことになる。
当然、彼のfileには、彼は今日現在、11歳としてあるべく生年月日が記載されているだろう。
が、収容されて1年経過した今日現在においても彼は10歳に満たないのではないかと私は感じている。
身体が小さいことはもとより、その所作を見ていると私の私見は確信に近いものとして感じてしまう。

Kenyaにおける男子更生院の収容者基準は、「10歳~18歳の男子」と明文化されている。
Birth certificateの汎用性、またその信頼性が低いkenyaにおいて、
各々の年齢については自己決定的な面があることは否めず、
またストリートチルドレンなど幼い頃から家庭とは縁遠い環境で育ってきた者に関しては、
保護時の成育具合によっておおよその年齢を宛がわれ、
その保護施設に収容基準等がある場合は、その基準にaccommodateした年齢が宛がわれる。
おそらくkadedeも保護された時に「10歳」という年齢を宛がわれたのだろう。

収容当初、彼は毎晩、家族が自分を殺しに来る夢を見ては、夜泣きとオネショを繰り返していた。
その夜泣きの様子が尋常でなく、さすがに連日ともなると他のboysも参ってしまい、boysは彼の夜泣きが始まると我家まで私を呼びに来た。
自慢じゃないが、私は仔犬がせいぜいで、子育ての経験はなく、
ましてや夜泣きの最中、彼は彼の部族語であるルオ語を話し、私には何を言っているのか皆目検討もつかず、
抱っこして背中をポンポンしてやったら泣き止むならそうしたいが、
そこまで幼いわけでもない彼の身体のあちらこちらに残る虐待の傷痕を撫でてやり、
彼が泣き止むまで、彼の寝息が聞こえてくるまで、彼のbedで添い寝をする毎日だった。

私が彼を10歳未満だと感じているように、他のboysも彼が特別に若い、というより特別に幼少であることは薄々気付いており、
「kadede」というnicknameで彼を呼び、彼を愛でてきた。
そしてkadedeも周りの年長者に負けじと、授業はもとより、PE、クラブ活動、その他掃除などのtaskを他のboysと同等にこなし、
対等に喧嘩に挑んでは毎回泣かされ、
いつかサッカーでも喧嘩でも年長者達を負かす日を夢見て、18歳のboysと同量の食事を、毎度、カエルみたいな腹になりながら平らげてきた。

良く食って、良く動いて、良く寝る。
これは成長の三原則であり、それに従順にORSでの生活を過ごしてきた彼は、この1年間で身長が7cmも伸びた。
そろそろ「kadede」のnicknameを卒業する日は近いのかもしれない。



私の場合、このkenyaでの1年10ヶ月で、
体重に増減はあっても、
身長は1mmたりとも伸びていないだろう。
三十路を超えた私にしたら、縮んでいないだけでも「御の字」とすべきなのかもしれない。
「身長」等の身体的成長については、随分と前にそれが終了してしまったことは自覚している。
しかしながら、「心長」等の精神的成長は、まだまだ成長過程にあると信じたい。

Kenyaでの生活も残り2ヶ月となったが、まだまだkenyaでの私の心長の伸長の可能性はあるはずだ。
明日からまた
良く食って、良く動いて、良く寝ようと思う。
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ロハス

2010-04-09 | In Othaya
Tapからflowingする、いやむしろoverflow気味に溢れ注ぐ大量の水で食器を洗う夢を見た。

目下長期断水中。
そんな折に、プールで泳ぐとか、せめてシャワーを浴びるとかじゃなくて、
食器を洗う夢を見るような家庭的な自分はもちろん嫌いじゃない。
伊達に卒業文集の将来の夢の欄に「チャーミーグリーン夫妻」と書いちゃいない。

断水していなくても、一度空になってしまうとタンクが再度満タンになるまでは2,3日かかる我家の水事情。
であるからして、お洗濯と行水は「ご利用は計画的に♡」が必須であり、風呂は2,3日に一度、洗濯はその合間をぬってrotaitionを組まなければならない。
もちろん、川まで行けば水は手に入るのだが、飲み水に困らない限り、私は川には行かない。
つうか、それで一日を潰してしまうくらいなら、風呂も洗濯もno thankな領域に達して久しい。
正直なところ今の私にとって、数日間風呂に入れないことよりも、毎日風呂に入ることの方が苦痛だったりするかもしれない。
帰国後、私は日本社会に順応できるだろうか?


飲料>調理>洗い物>風呂≧洗濯
御覧のように、洗濯のpriorityが一番低い。
気休めに過ぎませんが、一応、「天日干」はしてます。
「天日干」なんてロハスでしょ?

ちなみに「ロハス」の使い方はこれで合ってます?
「ロハス」って何語なんスか?
どういう意味なんでしょう?
まぁいいや。

で、そんなロハスな生活のせいか、ダニだか、ノミだかにやられまくっている。
南京虫ではない。南京虫ならアジアで嫌と言うほどやられたから、これは違うと言い切れる。
とにかく痒ぃぃぃぃぃ。
手首とか、足首とか、首筋とか、ふくらはぎとか、二の腕とか、柔らかいところを狙って、
hungryなやつは掌まで、噛むんだか、刺すんだかしてくる。

でもなぁ、さすがに1ヶ月越えの断水は初だけど、洗濯や風呂がこんなrotationなのは今回が初めてじゃないんだけどなぁ。

なんて腑に落ちなかったのだが、今日、REXが猛烈に腹を掻いているところを見たら合点がいった。
数日前、床に落ちた私のフリースの上で彼女が爆睡していたのだ。
その時はさして気にも留めず、パンパンっと土埃を払った程度だった。
そして私はそれをロハスに天日干して着続けてきた。
犯人判明。
「てめぇっ!」
REXに八つ当たり。

ちくしょーーーー。
痒ぇぇぇぇぇぇぇ。

速攻で川まで水汲みに行って、
溜まっていた洗濯物全部をいつもの倍の洗剤をブッこんだバケツにブッこんで、
虫ども覚悟しとけよ!って行水しようと思ったら、水が全然足りなくて、
また水汲みに行くんだけど、
今、履いてるパンツ以外の衣類はさっき全部バケツにブッこんだわけで、
パンツ一丁で川まで水汲み…。

ちくしょーーーー。

ものの見事に風呂と洗濯でその一日は終わり、それでもなんとか身体と衣類を清め久々に聖なる夜を迎え就寝。
小鳥のさえずりかなんかで、清清しく目を覚ます私、のはずだった。
が、今朝、腹部のあまりの激痒に服を脱いでみると、見事に腹を食い散らかされている。
ヒデブ…。

こうなったら、もうアイツの力を借りるしかない。
ダニやノミ達にatomic bombだ、アウシュビッツだ、と罵られたってかまうもんか。
もう我慢ならない。

「バ○サン お徳用」

処置後の部屋に掌大の蜘蛛が数匹ひっくり返っていたのは結構ショックだったけど、
それでもその薬品臭が何とも清潔に感じられたわけで。

Kenyaでは常日頃から「パリッ」っとアイロンのかかった服装をしている人々が多い。
これは身嗜みに気を使うおしゃれさんが多いことに間違いないのだが、
実はそれは洗濯していても、していなくてもアイロンはかけられており、
実はそれはダニやらノミやらを駆除するという目的もあるのだ。
故にOthayaでは汚れた洋服に不自然なくらいパリッパリにアイロンがかかった服装が罷り通り、
スラックス調ジーンズ(縦折りアイロンがけ)というnovel modeも罷り通る。
ちなみにアイロンは電気じゃないですよ。炭です。

時期的にもここまで来て家財道具を増やすなんてnonsenseな気がしてならないが、
あの痒みを思うと、I’m dying for iron machine。
ジーンズを縦折りにアイロンがけし、スラックス調に履いてみるのも悪くないかなとも。
そして新たな試みとしてジャージもパリッパリに仕上げ、Othayaで流行らせてみようかとも。

何はともあれ、REXを川に連れてって丸洗いすることが先決。
先日Nairobiで入手した「パンテーン エクストラスーパーマイルド」でサラサラにしてやろう。




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卯月馬鹿

2010-04-01 | In Othaya


「えっー!? マジでー?」











うッそポーん。
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羊飼い

2010-03-29 | In Othaya
他の更生院やprimary、secondary schoolとは違い、ORSのグランドは学校の敷地外に立地する。
そのため、悲しいことに使用許可のない者の無断使用、占拠が絶えない。
drug dealer、druguser、sexworkerが屯し、その商談や行為に至っているcasesも散見され、
このような違法行為は子どもたちの生活環境から排除すべき行為であり、もちろんcommunityからも排除されるべきだろう。
余談だが、先般の押入り強盗の犯人も(※ unprecedented crysis 参照)、このグランドに屯していた連中だという説が有力で、
あの事件後から見なくなった面々があることは確かだ。
また、四輪・二輪でのグランドへの乗り上げ、暴走行為も時折見られる。
過去に子どもがグランドを暴走する二輪車にはねられるという事故も発生している。
グランドへのゴミのポイ捨ても酷い状況で、特にガラスのfragmentなどは裸足でグランドを駆ける子どもたちにとっては脅威であるし、
煙草、ganjaなんかの吸殻、酒瓶などは、それらとの決別を目的とした施設敷地内に平然と捨てられていること事態許し難い。
つまりは、その管理権と管理義務は更生院にあるにもかかわらず、治安上の問題から無断使用者を厳しく取り締まることが出来ずにおり、
またmanagement idea 、method、budget等の不足から未整備のまま、その辺の空き地的感覚で放置されきたのだ。


誤解の無いように申し添えると、何もORSのグランドを部外者に使用させたくないわけではないわけで、
Playing field managerの肩書きを頂戴している私としては、
ルールに則った使用であれば熱烈歓迎、積極開放なわけで、
地元youthのfootball teamの練習、church memberによるrecreation、coffee farmers の集会、近隣学校合同での陸上大会やball game等々、
ORSのグランドは近隣communityの活性化の一端を担っているとも感じている。
そして赴任後1年半以上という期間を費やし心血を注いで取り組んできた結果、
ようやくグランドの使用ルールがcommunityに浸透してきたようにも感じている。


しかしながら、当然この状態に辿り着くまでは一筋縄ではいかなかった。
時間の許す限りグランドに滞在し、無断使用者に対する説明を行い、boysと手づくりの看板、フェンスを設置し、
時に金属バットを片手に暴走バイクを追いかけ、ほぼ毎日ゴミを拾った。
無断占拠をした軍隊に立ち向った経験もある(※ recruitment参照)

「マコに会いたければ、グランドに行けば会える。」

そんな風にtownで言われていた程、私はグランドに居たし、
現在も雨でも降っていない限りは椅子を持参してグランドで書類整理をするくらいだ。
おかげ様で、徐々に、とても徐々に、亀の歩みの如く徐々に、近隣住民の理解が得られ、
と言うよりも、私に根負けしたと言う方が正しいのかもしれないが、
昼間のグランドの無断使用は撲滅した。

問題は夕刻から夜間にかけてであり、これはいわゆるilligalな連中がORSグランドで暗躍しており、
我々更生院にとってもseriousな問題であると同時に、
地域住民にとっても、治安上好ましくない状況であり、たびたび相談を持ち掛けられてはいた。
治安上と言われても、ピンと来ない方が多いかもしれないが、
Othayaで日没後に外を歩くという行為は、
例えば、新型インフルエンザの患者だけを集めた部屋にマスク無しで入っていくようなもので、
常識を逸脱している行為であり、その時間帯に強盗、レイプ等に遭っても、
「その時間帯に歩いているお前が悪い。」
この一言で済まされてしまう。
Othaya townからORSまで、昼間のバイクタクシー料金は50KSHだが、日没後は400KSHになる。
時間帯によっては、いくらお金を積んでもtaxiが走ってくれないareaだってある。
治安上の問題とはそんなところだ。

いつものことながら、随分と前置きが長くなってしまったが、
この状況を打破するため、私はJICAを通じて予算を申請し、グランドのfencing projectのundertakeに漕ぎ着けた。
そして先日、ようやくそのconstractionが終了した。
グランド4辺をfennceで囲み、gateを設置。
グランド使用に関するapplication formを作成し、防犯の面からIDの提示を義務付けることとした。
完成したばかりだというのに、既に何組かからのapplyがあり、fennceを設置したことでこちらの本気具合が伝わったのか、
難航することを覚悟していたIDの提示も今のところは渋られていない。

そして、ORSのグランドは平和になりましたとさ。めでたし、めでたし。


そんなうまい話があるわけがない…。

ルールを設けた以上は、そのルールに則って、全ての人に公平でなければならない。
特例は特例を呼び、いつしかルールの崩壊に繋がる。
特にkenyanは特例、特権、不正などについては感嘆が洩れるほどにその所為は完璧で、
これらは我々の「文化」だと胸を張ってのたまう御仁がいるほどに、時に無遠慮で無配慮で無思慮だ。
であるからして、同僚たちにはrenewalされたグランドの使用ルール遵守については、工事開始前から声高に訴え続けてきた私だったが、
ここに来て、私自らが特例を作らなければならない事態となってしまうとは…。

穴があったら隠れたい、というかPls excavate a hole for me to hide 的心境…。
言い訳がましいが、Pls accept my clumsy apolpgy感は否めないわけで、
皆さんからの「仕方無いよそれは」の一言がほしいわけであり、pls tell me「you could’t help it !」
Thanks all.
虚しい…。
ドンマイ。

どうしてもapplication formを作成できず、IDの提示ができない人達がいたのだ。
Who?
識字教育を受けておらず、IDが発行されていない人達(発行手続きをせずにこれまで生きてきた人達)。



職業:羊飼い
年齢:70歳くらい(自称)
Local seniorにしてはめずらしくスワヒリ語が話せる彼とは、私がOthayaに赴任して来た時からの付き合いで、
私が帰国する暁には羊を3頭いただけるそうだ。今からどうやって日本へ持ち帰ろうか悩ましい。
彼の羊の放牧コースにはORSのグランドが組み込まれており、毎日羊とともにやってきては夕刻まで木陰で羊を見守りながら煙草をふかしている。
PEが終わる時間までは決してグランドには入らないし、煙草の吸殻も私がお願いをした日からは全て持ち帰ってくれている。
そんな彼だったが、工事が始まると、明らかに私を避けはじめ、とっても不安そうな顔をして、遠くから私を見ている?睨んでいる?ような日が何日か続いた。
ほぼ毎日顔を合わせ言葉を交わしているにもかかわらず、正直、彼らのことについては全く以って配慮していなかった私。
と言うのも、私見としては、彼らまでapplyしてもらうつもりなど毛頭ないつもりだったわけだが、
ルールを制定した以上、またこのグランドは言うまでもなく、私の所有物ではなく更生院に帰属するものなわけで、私の一存でどうこうできるものではない。
実際にはいくらでも私の一存でどうこうなるのだが、
「特例承認反対!」
を声高に訴え続けてきただけに、現状についてmanagerを含めた教職員に報&連&相し、いわゆる「特例」を作ることを承認してもらった。
教職員立会いのもと、私が代筆し、IDの提示の変わりに、一枚写真を撮らせてもらうこととなった。

そして、ORSのグランドは平和になりましたとさ。めでたし、めでたし。


もちろんそんなに世の中物事がうまくいくはずがない…。


「じいちゃん、更生院を案内するから今度オレのofficeに遊びに来てよ。」
「断わる。あそこには絶対行かない(更生院敷地内には入りたくない)。」

じいちゃん曰く、
ORSは、白人たちがやってきた時(植民地時代)は刑務所として使用されていたらしい。
反抗した者はもちろん、反抗をしていない者すらも、牛、羊、山羊、女性も全て取り上げられORSに収容されたという。
刑務所に向かって指をさした者は、その指を切り落とされたなどと言う物騒なepisodeもあるらしく、
彼曰く、「おっかないところ」だったそうだ。
「だったそうだ」と過去形ではなく、彼は今でもおっかないらしい。
私はrafiki(友達)だけど、私の友達のmuzungu[白人(黄色人種含)]がいるようなところ、彼らの財産を奪った奴らがいるところには行きたくないと断固拒否された。
イギリスから独立して50年以上経っているにもかかわらず、
彼は未だに植民地時代のようにORSが刑務所として、communityの人間が強制収容されるところとして信じて止まず、
ORSには、と言うより、Othayaに外国人は私一人しか居ないにもかかわらず、
ORSにはたくさんの白人(英国人)が住んでいると何やら勘違いしているらしいのだ。
正直、ちょっとビックリした。

「じいちゃんさー、ここは(ORS)はさ、ほら、あそこの看板見てよ。
【Rehabilitation school】って書いてあるでしょ。
【School】って学校って意味で、刑務所じゃないよ。
それに、俺以外のmuzungu[白人(黄色人種含)]は随分と長~い間見てないでしょ^^?
muzungu[白人(黄色人種含)]はオレしかいないよ。他は全員kenyanだよ。」

「ほんとかいな?」
半信半疑の彼と手を繋いで、boysと更生院を案内し、ようやくapplication formの作成することができた。



今日もまた、じいちゃんが羊と共にグランドにやってきた。
じいちゃんはいつもの木陰で煙草をふかし、
羊たちはサッカーをする子どもたちに紛れながら草を食み、
REXが少し距離をおいてその羊たちを狙っている。

最近、子どもたちがグランドを「uwanja:グランド」ではなく、「studiam」と呼び始めた。
このグランドを「studiam」と呼ぶには、些か、他の「studiam」に申し訳ない気がするが、
多くの方々からの御協力を得て、いかにもkenyaらしい牧歌的グランド、
いや、もとい、kenyaらしい牧歌的なstudiamとなった。
この場をお借りして感謝を申し上げたい。
ありがとうございました。


あとどれくらいの時間をこのstudiamで過ごせるのだろう。
そんなSentimental なんてまっぴらゴメンだから数えないけど、やっぱ寂しい、かな。
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NIPPON

2010-03-14 | In Othaya
アフリカの人口増加率は22‰といわれ、人口世界一位の中国、今世紀中に1位になると言われているインドを含むアジアの13‰をはるかに凌ぐ数字である。
ちなみにヨーロッパは-0.1‰で日本と同様に人口減少が始まっている。(※ 1‰=0.1%)
ここ数年でkenyaの首都Nairobiの地価は約5倍になったと言われている。
Nairobiの地価が上昇した理由は「これ!」という明確な一つに絞られるわけではないだろうが、
人口増加もその原因の一つとして考えられ、需要が供給を大きく上回り、このような事態になっているのだろう。
人口が増加するということは、移転や移入の数値も大いに関係あるわけだが、
単純には生まれてくる人の数が、死んでゆく人の数を上回るということで、喜ぶべきことだと個人的には感じている。
しかしながら、「人口爆発」みたいなことになると、食料問題や住宅問題等、憂慮せざるを得ない問題も伴う。

新聞にあるNairobi のvacant flat adによれば、Nairobiのflatの賃料は、少なくとも私の同僚が毎月の給料を全額当てたところで払える金額ではないことは確かだ。
Nairobiにある東アフリカ最大級といわれるキベラスラムの人口は80万人とも100万人とも言われており(※表面張力 参照)、人口は今も増え続けているらしい。
住居費が廉価であることが人口流入の最大の理由とのことだが、そこの生活環境は劣悪で、治安も悪い。
具体的には、あなたが今、想像した程度を20倍したくらいで丁度いいと思う。
そのくらい劣悪だ。
Primate city への人口移入には大別して、
都市部の発展に伴い都市部の企業等が労働力を求めるPULL型と
人口増加などの理由から求職のために農村部等から人間があつまるPUSH型とあるわけだが、
発展著しいケニアにおいて、Nairobiというprimate cityへの人口集中はPULL型なのか、PUSH型なのか、
私には正直わからない。
とは言え、友人と話しをしていても、「職を求めて」というものが向都離村の理由としては一番多いように感じている。
しかしながら、現実には余程のコネか、余程の奇跡が起こらなければ農村部で描いた夢物語は叶わない。
実際には、informal sectorでさえ労働力は飽和状態で、「その日暮らし」だって儘ならないのが現状だ。
当然、joblessは増加してしまうわけで、街は悲観、諦観、焦燥感が充満しはじめ、治安をはじめとした街のatmosphereは悪化の一途を辿る。
そんなことを気にしはじめたからだろうか、ここ最近、Nairobiでの暴動騒ぎがやたらに多く感じる。


皆さん、「スモッグ」って憶えてます?
社会科で習ったあれです。
Smog(スモッグ)=smoke(煙) + fog(霧) という合成語だって知ってました?


ケニアには車検制度がない。
極端なことを言えば、どんな整備不良車であってもお咎めはない。
故に、
「あー、いいなぁ。俺もあんなん乗りてぇなぁ。」
なんて言う私の先輩にあたる「peugot」、「volvo」、「citroen」がゴロゴロ走っており、
また明らかに数台からpartsをかき集めて一台にしたような「走るscrap」もゴロゴロ走っている。
当然ながら、それらからは冗談みたいな黒煙が吐き出され、燃費も著しく悪いにちがいない。
世の中recycleが当たり前になってきている今日、もっと単純な車のrecycle systemの確立って無理なのだろうか?
例えば、一定の基準を設け、その基準を満たさない何台かの旧車と新車一台を交換とかっていうのは現実的ではないのだろうか?
とは言ってみたものの、京都議定書(国別の温室効果ガスの削減目標値を定めたもの)の採択の際の、
国別、特にdevelopとdevelopingの間にみられた意見の対立からもworld standardのfixはそんなに単純な話ではないことは既に証明されている。
余談だが、削減数値目標を達成するために市場原理を利用した経済手法が導入されており、その排出量の取引を認め、国家間、企業間でも排出量取引がなされ、
為替相場のような市場が形成されつつある。

Carbon Creditって聞いた事あります?
そう、あれです、あれ。

あくまでも私見だが、京都議定書での数値目標の設定は本来、温室効果ガスの総量を減らし、地球温暖化を食い止めようとするものだったはずであろうに、
目標数値が定まると、そこまでは排出をしても良い、排出する権利がある、その権利は売買できるという流れになってしまったことは、
それはそれで、キレイ事を言ってられない現状にある今日、その流れで目的が達成されるならそれでも良いような気もするが、個人的にはちょっと気分が悪い。
私が以前、大変お世話になった某大学の先生に、有害ガスを利用した医薬品合成を研究されている先生がいた。
車の排気ガスがその対象となるのかどうか、私では皆目検討もつかないが、
そういった視点での問題とのconfrontingこそカッコいいと思う。


「Hi MR, Please give me money.」
Nairobiを歩いていると必ずストチルから声を掛けられる。
ORSで生活をしている私にとって、彼らはORSのboysとさした違いもないわけで、
なんだか妙な愛着を感じてしまう。
「じゃ、まず顔を洗ってこいよ。そしたら考えてやるよ。」
じゃ、待ってて、なんて言って駆けて行く子、
コイツは話にならないとも言いたげに遠ざかって行く子、
様々だ。

世界中には1億あるいは1億5千ものstreet children(ストチル)がいると言われており、その大半は途上国が占めるとも言われる。
人類60億のうちの1億~1.5億であり、ちなみに日本の人口は1.27億人である。
これを多いと感じるか、少ないと感じるか、それは皆さん次第である。

彼らがストチルとしてある理由は、彼らのその人数分だけあるのだろうが、
私のORSでの経験から大別すると、貧困、abuse、neglect、家族の薬物及びアルコール中毒(依存)による家庭崩壊、HIV/AIDによる家族との死別、
などが一般的な理由として挙げられる。
これも私の私見だが、彼らの多くは被害者であり、そして何よりも子どもだ。
私であったら一人で留守番をできたかどうかもわからなかった頃のような年齢の子どもが、こうして一人で生きており、今後も生き抜いて行かなければならない。
しかしながら、こうした私の主観的見地から彼らの現状を慮ったような言い草で、lovelessだ、hopelessだ、などと決めつけること自体、失礼なのかもしれない。
それでもやはり、insanitary 、illiteracyなその現況を何とかできないものかとは思ってしまう。

「その辺でちょっとだけ悪さしてこい。そんで更生院に収容されろ。飯も毛布も授業もあるぞ。」
これを言ってしまったら終わりだ。




今回、光栄なことにkenyaを訪問中の皇太子殿下との御接見の機会を賜り、Nairobiに上京してきた。
日本出国前の全隊員によるceremony的なものとは違い、私を含め7名という少人数での今回の御接見では個々人への労いのお言葉まで頂戴した。

「日本国の象徴」
吐息の届く距離で皇太子殿下より御接見を賜りながら、なぜか憲法第一条が思い浮かんだ。
kenyaで1年半以上を暮らし、私があらためて感じている日本の素晴らしいところ、世界に誇るべきところ、
まさにそれらが温かなauraとして発せられているようなお方だった。


今回、御接見での緊張と興奮の様子を書くつもりで筆を取ったわけだが、
その帰り道に久々にNairobiの町を歩いて感じたことなどを取りとめもなく書いているうちに、
何が何だかわからない内容になってしまった。
皇太子殿下から御接見を賜り、久々にNairobiの町を歩き、バニラアイスを食べ、今日一日で私が強く感じたことは、

「日本ってやっぱいい国だな。」

何故そういった結論に行きついたのかは上手く説明できないが、そう感じた一日だった。



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ヒマラヤ

2010-03-09 | In Othaya
「マコ。日本までの飛行機料金って高い?」

「超高ぇ。テロには気を付けろよ。」



「船は?」

「飛行機よりは安いだろうけど、日数が超長ぇ。海賊には気を付けろよ。」



「車は?」

「今、ガソリンが高ぇ。TOYOTAのrecallには気を付けろよ。」




「じゃ、日本行くのやめた!」

「おいおい、そんなに簡単にあきらめないでくれる?頑張って仕事してさ、お金貯めてさ、俺に会いに来てくれよー。
んで、日本で一緒に呑もうぜ。BURIもおごってやるからさ。な?」

「生の魚なんていらないよ。NAKATA(元サッカー日本代表)に会いたい。」

「俺じゃなくて?」

「うん。マコじゃなくて、NAKATAに会いたい。」

「お前が来ても、ぜってーBURIはおごってやんねー。」



「じゃあ、チャリにしようかな。これから毎日トレーニングしたら、1週間くらいあれば着くかな。」

「おう、立ちこぎの練習しとけよ。ヒマラヤは険しいぞ。」



やろうと思ったなら、もう半分できたも同じだ。
日本で待ってみようと思う。
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a story

2010-03-02 | In Othaya

彼の名前は「M」。   
ORSのエースストライカー。
先日のcompetitionで大活躍し、地域選抜選手に選ばれた一人。
好物は「サッカー」で、文字通り、三度の飯よりサッカーが好き。
カメラを向けてもニコッともしないcoolな面と、
カッとなると誰彼構わず牙を剥くようなtemperの持ち主。
時に心配になるほどの一匹狼気質でもあり、多くのboysが私のofficeで馬鹿話をしている時に彼が参加してくることはまずなく、
私が一人で書類整理などの仕事をしている時を見計らってofficeに来ては、サッカー雑誌を黙々と読んでいるような男だ。
彼と現在のような関係を築くまでには相当な時間を要したが、彼とは信頼関係にあると思っている。
少なくとも私は彼を信頼しており、次期キャプテンには彼を考えている。


彼が物心ついたときには、父親はおらず、母親、弟、そして彼との三人で暮らしていた。
親戚の家を転々としながら、貧しさを凌いできたのだという。
やがて、母親は病床に臥し、彼が11歳の時に亡くなった。
5歳の弟は別の親戚筋へと引き取られ、彼はその後もその親戚の家で暮らすこととなる。
それ以来、6年間、彼は弟と会うことはもちろん、その消息すら知り得ない。
血を吐くほどに叫んでは泣いて嫌がる弟を、無理やり連れて行かれた日の夢を今でも見るそうだ。
サッカーで活躍し、新聞に載って、弟に自分の存在を示すことが目標なのだと彼は言う。
「三度の飯より、サッカーが好きな男」に間違いはないのだが、
「三度の飯より、サッカーを好きでいることを決めた男」と言った方が良いのかもしれない。


30ksh/日の稼ぎを家に収めるまで学校に行くことは許さない。
30ksh/日の稼ぎを家に収めるまで学校に行くことは許されず、食事を与えられない。
30ksh/日の稼ぎを家に収めるまで学校に行くことは許されず、食事を与えられず、disciplineという名目で暴力が振るわれる。
母親の死後、それまでの親戚の寛待は虐待へと変貌を遂げた。
親戚がdisciplineに鉈を持ち出した夜、彼はstreetへescapeした。

Streetでやっていないことと言えば、殺人とレイプだけだけで、盗み、薬、強盗等、空腹を満たすためなら何でもやった。
警察から身を隠すためにゴミを被って眠り、雨が降れば牛舎で牛と共に寝た。
それでも親戚の家に帰ろうと思ったことは一度もない、と身体のあちこちに残るdisciplineの痕跡を私に見せながら彼は言い、
「マコのパンチやキックなんて、屁でもねぇよ。」と笑う。


そしてある日、彼はMombasaに引取られて行った弟に会いに行くことを決心する。
500km以上の道のりを歩いたそうだ。
弟がMombasaのどこに居るのかなんて知る由もなかったが、Mombasaのstreetで今までのように暮らしていればいつか会えるものと信じていた。
そして弟と出会えた暁には、一緒に父親探しの旅に出るのだと決めていた。

でも弟には会えなかった。
おそらくmalariaだろう。
高熱に魘され、意識朦朧としているところを警察に保護された。

「明日は会える。明日には会える。って、毎日食べ物を盗んだり、glueやりながらずっと信じてた。
でも、神様がそろそろ終わりにしなさいって言ったんだよね。
悪いことやり過ぎたから。」
視線はサッカー雑誌に据えたままだが、舌を出し、苦笑いする彼の表情にはまだ十分過ぎるほどのあどけなさが残る。



「マコさ、もっともっとサッカー教えてよ。
俺たちすげぇ強くなってるし、今回だってORSから地域選抜8名でしょ。
このまま勝ち進んだら、mombasaのチームとだってやれるんでしょ。
そしたら弟がそのチームにいるかもしれないし、だれか弟のことを知ってる奴がいるかもしれない。
俺、ここを出たら真面目に暮らすんだ。もうstreetには二度と戻らないよ。約束する。
そんで、立派な家を建てて弟とお父さんと三人で一緒に暮らすんだ。」


彼のreleaseはAug/2010の予定であるが、
現時点で彼をunsafeな親戚の元へ帰すことを承認するのは難しいと考えられ、
彼にとってsafeかつreliableなrelease先が見つかるまで、彼のreleaseは見送られるだろう。
そして、あくまでも憶測だが、彼が弟と三人で暮らすことを切望しているbaba(お父さん)は、
彼が親戚のおじさんだと思い込んでいる、disciplineと称して鉈を振り回したあの男性であると私は感じており、
もし私の憶測が事実だった場合、「弟とお父さんと三人で一緒に暮らす」という、彼の夢が叶うことはないように思う。


残念ながら、これはbased on true story であり、決してrare storyではない。




世界を救えるなら、世界を救いたい。
カッコ良すぎて、カッコ悪い気もするが、そんな風に思う。
でも、どう救えばいいのか、目標が大きすぎて、対象が漠然としすぎていて途方に暮れる。
気合や根性といった類で乗り切れる程、世界は寛容ではなく、
持て余すほどの正義感など、世界を眼前にしては主観に過ぎず、
ましてや、教員免許、TOEIC、TOEFLのscoreなんてものは、insignificantな代物でしかない。
それでも私にはこれらしかないし、
たったこれだけの札で、「世界」に立ち向うこと自体、馬鹿げた話のように思えてならない。
それでもなお、世界を救えるかどうかはわからないが、
目の前で泣いている子を救えない男が、世界を救えるわけがないとも思う。


負けるつもりなんてサラサラないけど、次の試合も絶対に負けられない。
新聞にでっかく載るまでは負けられない。
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アフリカ大陸

2010-02-22 | In Othaya
てててててッてーてッて てててててッてーてッて てててててッてーてッて ててて ててて てッ
てててーてッてー ててててててて … 。

勘の良い方はもうお気付きだろうが、これはただの「て」の羅列ではない。
お分かりになられない方のために、少々ヒントを。

♪てててててッてーてッて てててててッてーてッて てててててッてーてッて ててて ててて てッ 
てててーてッてー ててててててて … ♪ 


そう、これはかの有名な曲「情熱大陸」を「て」で表した場合の例である。
言わずもがな、この曲には「挑戦」という二文字が良く似合う。
私こと、ORSに配属なり、「ワンパクでもいい大きくなれよ。」的なboysとの毎日は、
ある意味「挑戦」と言うべきなのかもしれない。
しかしながら、それは私が青年海外協力隊として派遣される当初から承知していた職責のようなもので、
自らそれを「挑戦」と呼ぶことは、些か傲慢な気がしている。

男である以上、やはり常に戦いに挑んでいたい。
つまりは「挑戦」。
これから毎月、「情熱大陸」をBGMに戦いに挑んでいこうと思う。

もう既に下旬を迎えてしまっていることはドンマイとして、「如月の挑戦」について考えてみようと思う。

禁煙すれば? 
そんな声が聞こえた気がするが、気のせいだろう。
シナモン食べてみたら? 
それは「挑戦」ではなく「虐待」である。

もっとなんというか、やってて楽しいやつがいいじゃないですか?
ね?
前人未到的かつ伝説的かつ感動的かつ健康的かつ非営利的なもの。

と言うことで、2月の「挑戦」決定。


♪てててててッてーてッて てててててッてーてッて てててててッてーてッて ててて ててて てッ
てててーてッてー ててててててて … ♪ 



おそらくkenya初になるであろう「フリスビー犬」を目指し、


目下、training中。


しかしながら、「挑戦」に相応しくその道のりは遠い…。




♪てててててッてーてッて てててててッてーてッて てててててッてーてッて ててて ててて てッ
てててーてッてー ててててててて … ♪ 

次回、乞うご期待。
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サブイボ

2010-02-15 | In Othaya
鳥肌(1):皮膚が鳥の毛をむしり取った後の肌のように、ぶつぶつになる現象。
強い冷刺激、または恐怖などによって、立毛筋が反射的に収縮することによる。 
【広辞苑より】

鳥肌(2):皮膚が鳥の毛をむしり取った後の肌のように、ぶつぶつになり、チクビおよびチ○コがキュッとなる現象。
強い心刺激、主に感動などによって、立毛筋の反射的な収縮、涙腺の弛緩が見られる。
強い中毒性を持つが、その再往は自己制御の範疇になく、故に純度の高い心刺激を得うる日常の積み重ねのみが、その現象の再往を為し得る。                 
【Mcoの場合】


「マコト、今日の午後、○○校とサッカーの練習試合やらない?」
「いいッスねぇ。」

どうやら教頭先生のお友達の先生から練習試合の申し入れがあったらしい。
近々、近隣学校対抗のcompetitionが開催される予定で、最終調整には丁度良い。
先方もおそらくそのつもりなのだろう。
ということは、先方も結構力を入れて取り組んでいる学校のはずで、
我々がcompetitionを勝ち進んで行く上でいずれ戦う可能性は高く、一戦交えておけることは有り難い。

試合開始は15時で、私は別件で仕事があり、試合開始直前までofficeで書類の作成。
グランドから聞こえてくる掛け声は、我らが「オザチェスターU」がwarmupを開始したことを意味し、
私の特別な指示を無くしても、自主的にupができるチームになったことに「ザワッ」と軽い一発が全身を駆ける。
半ばやっつけで書類を整理し、グランドへ向かうと、何やら相手チームの監督らしい男性がboysと話しをしている。
おそらく彼が教頭先生のお友達なのだろう。


「あの先生、なんて?」
「練習を見せてやるから、わきで見てろって。あのデブ!」
「おいおい、先生に向かってデブはねぇだろう。」
「だって偉そうなんだもん。」

確かに体格の良い男性で、とても堂々としていらっしゃる。
我らはhomeだし、彼らはaway。
彼らの気が済むまで練習をしてもらうことにした。
一応、boysも私との約束を守り、feildの外で列を作って座っているが、
試合開始時間を完全に無視した悠々とした練習振りに、しきりに相手チーム向かって中指を立てて
「早くしろ!」とか「殺すぞ!」
と威嚇している。


「おい、今日はプロレスじゃねぇぞ。Gentle man以外は試合に使わねぇからな。」

サッカーにおいては絶対王政を敷いている私こと「KING MCO」の一声で、
ピンと立っていた中指は親指に変わり、
「ようこそORSへ~。」、「僕たち友達よね~。」
に変わる。
今のところ私の君主としての地位は確立されているようだ。


もうそろそろ十分だろう、と立ち上がったところで、

「hey! Mzungu!! Let’s begin the game! 」( おい! 外国人! 始めようや。)

と、相手チームの監督。
この「Muzungu」というのは、時に蔑称ともなる「外国人」の意味で、
わたしの経験上、初対面の相手に使う場合は大抵蔑称として使用される場合が多く、
私と彼は紛れもなく、本日が「はじめまして」な間柄なわけで、
私はそういった礼儀を欠く言動を大目に見るほど寛大な心の持ち主ではないわけで、
しかしながら、彼は普段からお世話になっている教頭先生のお友達なわけで、
もし、そうでないなら礼儀について厳しく指導してやるところだが、

「It is a honor to meet U. Please call me makoto.」

今日のところはこちらから握手を求めて、「おいデブ、シバくぞ。」は我慢した。



「しかし、君たちのチーム小さいねぇ。うちは大きいけど、大丈夫?ケガとかしても責任取れないよ。」
「問題ありません。そちらのベストメンバーでお願いします。」

ORSにはSTD7,8のboysは居なく、当然相手チームにはSTD7,8の生徒は居るわけで、
日本で言うところの、中学3年生 VS 高校3年生 みたいな感じだ。
体格は一回り以上違うし、相手チームの数名は立派な髭まで蓄えている。


「じゃ、よろしくお願いします。」
「まいったなぁ、練習になるかぁ(相手が小さすぎて)。」

彼が教頭先生のお友達じゃなかったらね…。




「いいか、いつもどおりやれよ。ボール回して、クロス上げて、ゴンだ。軽くやっつけるぞ!」

一列になって駆け足で入場し、開始前の握手をするためにセンターサークル内で列を作る。
我ながらいいチームだなぁと感嘆の声が洩れてしまう。
しかしながら、自分のチームに惚れ惚れしてばかりもいられない。
実際に選手達がfieldに立つと、その体格差には愕然とさせられた。
試合が始まるとさらに愕然としてしまった。
やっぱデケェし、球際強ぇし、球足が速ぇ。
普段とは勝手が違い、boysもイライラしているのが伝わってくる。
イライラした各々がボールに集まり始め、狭いspaceでチョコチョコし始め、まるでミニゲーム。

「開け!開け!チョコチョコやってんじゃねぇ。」

全く聞こえてない。
なんとかscoreless で前半を終えたものの、オザUのいいところはまるで出ていない。
このままではきっと体格差に押し切られ、いずれゴールを決められる。

「お前らよー。勝ちたいの?負けたいの?」
「勝ちたい。」
「じゃ ビビッて狭いトコでチョコチョコやってんじゃねぇよ。ヒゲにビビってるヤツはすぐ代えるからな。」

後半が終わるまで私はKINGだ。


「わはははははは!!!」
明らかにこちらを馬鹿にしたような嘲笑があちらから聞こえてくる。
あのデブチンときたら、こちらに向かって指までさしてやがる。
あのデブチンが教頭先生のお友達じゃなかったらね…。


「マコ、右サイドから攻めてみようと思うんだけど?」
「おう、やってみ、やってみ。」

円陣を組んで、戦略を立てはじめるboys。
負ける気がしないんだけどなぁ。



そして後半。
「オザU」怒涛のgoal rushとなった。

後半3分 
右サイドからのクロスをボレー。
後半8分 
見事なワンツーで、ディフェンダーを置き去り。
後半16分 
三人抜き。「おぉ エラシコじゃん!(※ 拝啓 MR.スタローン参照)」
後半20分 4点目
右サイドからのクロスにダイビングヘッド。

この4点目が「トドメ」となったようで、先方からの申し出により試合は終了。
いわゆる降参だ。
結果4-0。

「マコト監督、今度うちのチームもtrainingしてもらえませんか?」
と、デブチン。なんだか俄に腰が低いじゃないですか?

「私は本校の更生programの一環としてfootballを取り入れているだけで、trainingなんてとんでもありません。私の場合、footballは手段にすぎませんので。」
ちょいとキザだっただろうか?

「一日でいいから、我々の学校まで…。」
無視。
彼の相手をするくらいなら、一刻も早くboysの元に行きたい。



「お疲れ。お前ら強ぇじゃんよ。ちょっとhugさせてくれよ^^。」
RegularもSUBもみんなで一緒になって一頻り喜んだ。



相手チームを見送り、グランドの隅で煙草に火をつける私。
そして私は突如として「あれ」に襲われる。
ザワザワと肌は粟立ち、チクビとチ○コはキュッとなり、鼻の奥がジーンとする。
試合を終えたBoysがグランドのゴミ拾いをしている姿にやられた。





私はnicotinismであり、
そしてこの鳥肌junkieyだ。
これのためなら、なんだってやってやろうって気になる。
今さっきoneshot味わったばかりだってのに、もう次が欲しい。

明日もマンモス頑張ろうと思う。



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