まさおレポート

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新米の味に感動

2008-10-18 | 日常の風景・ニュース

娘が送ってくれた新米が今日届いた。早速炊いて食べてみると感動的な旨さだ。毎年送ってもらい格別に旨いのだが、今日のは新米中の新米なのだろう。刈り取りして精米して一番に送ってくれたのだろう。特別に旨い。どれくらい旨いか。とにかく飯だけで他になにも口に入れたくないほど旨い。食べた後にも上品な甘みの余韻が口中に残っている。

ずいぶん若いときの話だが丹波の山奥から来ている友人がいて、彼の飯の食べ方は変わっていた。先におかずだけを食べてしまう。そのあとゆっくりと飯だけを楽しみにおいておいてゆっくりと味わって食べる。寮の飯だからそれほど旨い米ではない。しかしおかずと一緒では米の純粋な味わいが飛んでしまうらしい。その頃は「そんなものか」と感じただけであるが、今になっても覚えているところをみるとかなり印象に残った話ではあったのだろう。

繰り返すが、この新米はいつもご飯は塩昆布や海苔の佃煮などと一緒に食べるのだが、それすら味が乱されるようで、米だけを純粋に味わった。あの友人の生まれたところは米どころできっとかれは農家の出身なのだろう。旨い米の食べ方を自然と知っていたのだ。後年それほどでない米を食べるときもその習慣が残っていたに違いないと勝手な判断を今しがたしたところだ。

娘が送ってくれた米は新潟の魚沼郡産で、友人の旦那さんのご実家で作っている。娘はその魚沼郡の御実家に遊びに行ったことがあり、それはそれは草深い田舎で、美しい棚田の風景が見られたという。雪解けの水と澄んだ空気の里で自分達の食する米を作っている。農薬もかなり抑えていると聞いた。

穀物単品でこれほどの旨さを味わえるとは驚きで、江戸時代の人々は銀シャリといえばこんな旨い米のことを指していったのだろうか。よく「白い米を腹いっぱい食ってから死にたい」とか、菜は不要で沢庵のみで一升飯を食う男の話とか、今ではちょっとイメージしにくい話をものの本などで読んだものだが、この味でならわかる。沢庵のみで毎食一升飯を食う男はたしか小説「悪源太」だったかな。


この新米コシヒカリは米どころ新潟・魚沼産なのだが、意外なことを知った。実は新潟が米どころとなったのは昭和6年以降のことだそうだ。元来亜熱帯地方から来た米であるから日本でも米どころは日本列島の西で、新潟や東北はあまりよい米が取れなかった。それが昭和6年に開発された水稲農林1号で寒冷に強い品種ができ、この水稲農林1号を交配親にしてコシヒカリができたという。まさに画期的な種の開発だったのだ。以来、東北といえば飢饉という不幸を克服したことになり、今ならこの開発者はノーベル賞並みの偉大な農業科学の先駆者の栄誉を得たことであろう。しかし並河成資・鉢蝋清香の両者の名を知る人はほとんどいない。野口英世などよりはるかに偉大な業績を残したというべきだろう。







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