以下は松岡正剛千夜千冊0992夜からのメモだが、読み返してみると小林秀雄という人は無私を無明と空の解明のキーワードにしているのではないかと思えてきた。
無明を脱した先に空があるが空にはだれも長くはいられない。無明の世界に帰っていきるしかないと書いたのは立川武蔵氏だが、この無明から空(つまり解脱)に至って帰ってきた人が無私の人なのではなかろうか。すると下記のメモの内容が理解できた感がする。下記の引用は一見脈絡がないが今後の深まりに大事なのでメモしておきます。
「小林さん、本居さんはね、やはり源氏ですよ、では、さようなら」は源氏物語を貴族の身勝手な色恋沙汰とも読んでいたことに反省を促された。光源氏が色恋の無明の中で煩悶することこそが「もののあはれ」「はかなく児女子のやうなるもの」であり本来のもの「しごくまつすぐに、はかなく、つたなく、しどけなきもの」で人間の本来の本質だとはまことに納得。
「うれしくば忘るることも有なまし つらきぞ長かたみなりける」は無明に生きる凡夫のありようを見事に表現している。
「しかし、万葉に学んだ直き心が安波礼に達するには、どうしても対決すべき邪魔があった。それは「からごころ」というものである」は無明と空の折り合いは生きていく上に必要だが「からごころ」が先にあるのではないとの指摘だろう。
小林は無私をもつ者こそを真の自己とみなしたかったのだ。
宣長においてはたとえそのような「無私としての自己」があるとしても、それは日本そのものの本来であって、宣長その人の自己となどというものではなく、その無私はつぶさに「神」や「惟神(かんながら)」に直結するものだったのである。
宣長は自己には毫もこだわらない。自己が一気に日本大ないしは日本小になっていて、そこにしか「まごころ」がないと言っている。
「道といふことの諭(あげつら)ひなり」物語には「儒仏にいう善悪にあづからぬもの」があるというような洞察は、当時も今も、びっくりするほどにすごい洞察である。
山本七平(796夜)の『小林秀雄の流儀』(新潮文庫)や細谷博の『小林秀雄論』
『石上私淑言』(いそのかみのささめごと)が引いた新古今の一首と『アンナ・カレーニナ』(580夜)の冒頭とを比べてみせた箇所
「うれしくば忘るることも有なまし つらきぞ長かたみなりける」『アンナ・カレーニナ』のほうは、「幸福な家庭というものは、どれもこれも互いに似たようなものだが、不幸な家庭の不幸は、それぞれ趣きを異にしている」
これが小林の「もののあはれ」についての提出の仕方なのである。
契沖は「俗中の真」を求めた秋霜烈日の人、まさに「無我」「無私」の人でもあったのである。
「安波礼」(あはれ)の詠嘆である。
しかし、万葉に学んだ「直き心」が安波礼に達するには、どうしても対決すべき邪魔があった。それは「からごころ」というものである(387夜)
「折口氏は、黙つて答へられなかつた。私は恥かしかつた。帰途、氏は駅まで私を送つて来られた。道々、取止めもない雑談を交して来たのだが、お別れしようとした時、不意に」と書いて、小林はそのときの折口の言葉を書きとめている。「小林さん、本居さんはね、やはり源氏ですよ、では、さようなら」。
「もののあはれ」宣長、情、「はかなく児女子のやうなるもの」が本来のもの「しごくまつすぐに、はかなく、つたなく、しどけなきもの」こそが人間の本来の本質だ。
松岡正剛千夜千冊0992夜より