まさおレポート

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東慶寺に行ってきた

2021-11-16 | 紀行 日本

石碑に刻まれた夏目漱石の「初秋の一日」の一節。漱石は東慶寺に参禅したときの記録を認めた。

初秋の一日 夏目漱石 青空文庫より転載

やがて車夫が梶棒かじぼうを下おろした。暗い幌の中を出ると、高い石段の上に萱葺かやぶきの山門が見えた。Oは石段を上のぼる前に、門前の稲田いなだの縁ふちに立って小便をした。自分も用心のため、すぐ彼の傍へ行って顰ひんに倣ならった。それから三人前後して濡れた石を踏ふみながら典座寮てんぞりょうと書いた懸札かけふだの眼につく庫裡くりから案内を乞こうて座敷へ上った。
 老師に会うのは約二十年ぶりである。東京からわざわざ会いに来た自分には、老師の顔を見るや否や、席に着かぬ前から、すぐそれと解ったが先方では自分を全く忘れていた。私はと云って挨拶あいさつをした時老師はいやまるで御見逸おみそれ申しましたと、改めて久濶きゅうかつを叙したあとで、久しい事になりますな、もうかれこれ二十年になりますからなどと云った。けれどもその二十年後の今、自分の眼の前に現れた小作こづくりな老師は、二十年前と大して変ってはいなかった。ただ心持色が白くなったのと、年のせいか顔にどこか愛嬌あいきょうがついたのが自分の予期と少し異ことなるだけで、他は昔のままのS禅師であった。
「私ももう直じき五十二になります」
 自分は老師のこの言葉を聞いた時、なるほど若く見えるはずだと合点がてんが行った。実をいうと今まで腹の中では老師の年歯としを六十ぐらいに勘定かんじょうしていた。しかし今ようやく五十一二とすると、昔自分が相見しょうけんの礼を執とった頃はまだ三十を超こえたばかりの壮年だったのである。それでも老師は知識であった。知識であったから、自分の眼には比較的老ふけて見えたのだろう。

苔が美しい。

アケビが門前にさりげなく。


東慶寺の石段を降りていくと和服姿の女性がすそを軽くあげて階段を上ってくる。思いがけなくスマホでの撮影を頼まれる。3枚撮ってさし上げると頭を下げて優雅に階段を昇って行った。

この寺は縁切寺として聞こえていると頭をかすめる。


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