まさおレポート

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中村真一郎「死を考える」それが私を不愉快にしている

2018-05-01 | バリ島 不思議な話・死後の世界・輪廻・自己とは

中村真一郎は「死を考える」の中で、中村は次のようなことを言っている。「それが私を不愉快にしている。」というのがいかにも作りごとではなさそうな気配を漂わせる。

『ところで、私は四十歳の大患中に、心と肉との分離の経験が幾回かあったり、入院中に私の副身(ドッペルゲンガー)らしい存在の出現が、病院外で、目撃せられるというような事件があったりで、死は単純に私の願っているように、肉と魂との同時消滅を意味しないかも知れない、死は肉体にのみ発生する現象かも知れないと疑うようになり、入手しうるかぎりの、古代から現代に至る死後の世界の記述(チベットの『死者の書』など)、あるいは死の世界の訪問記(スエーデンボルグなど)、又、一旦、死んで甦った現代の人たちの告白の医師による膨大な報告、又、甦る際に、同時に甦った別人と魂の入れ替った記録、自己の前生や、更にそのまた前生への記憶の回復の記述などを、次から次へと各国語の文献によって検討して行った。
そして、極めて興味ある事実に気付くに至った。それは、ほとんどの古代から現代に至る記録が共通して、肉体の死後に、私の希望に反して魂だけ生き残るらしいという事実を示しており、その魂のこの世からあの世への移転の状況が、無数の実例によって、酷似しているという、これまた奇妙な事実である。
これは、 歴史上の時代や文明圏の相違を考える時、 まことに不思議な一致だということになり、このような、相互に全く影響のない経験のあいだに、このような一致が見られるとすれば、それは客観的な事実であると結論するのが常識だと、私は考え、それが私を不愉快にしている。』

ヴァージニア大学医学部精神医学講座教授であったイアン・スティーヴンソン博士の著書『前世を記憶する子どもたち』日本教文社 があり、この中には数多くの事例が報告されている。

コーリス・チョトキン・ジュニアの事例
 チョトキン夫人は、アラスカで漁師をしていた伯父のヴィクターから「自分が死んだら、おまえの息子として生まれ変わるつもりだ」と告げられ、伯父の体にある2つの手術痕を見せられた。そして、ヴィクターは「生まれ変わったら、これと同じ場所にあざがあるはずだ」と言った。
 その伯父が1946年に亡くなると、その一年半後、チョトキン夫人は男の子を出産する。その子はコーリスと名付けられたが、彼の体には生まれつき母斑が2つあり、その部位はいずれも生前の伯父が見せてくれた手術痕と同じ場所だった。
 また、1歳になって間もないコーリスは、コーリスという名前を復唱させようとした夫人に、「ぼくはカーコディだ」と言った。カーコディとは、伯父ヴィクターの部族名である。これ以外にも、コーリス少年は、その行動や興味に伯父ヴィクターと瓜二つといった特徴を示したり、知るはずのないヴィクターの知人たちを見分けたりしている。しかし9歳になる頃には、前世に関することは話さなくなったという。

【スレイマン・アンダリの事例】
1954年にレバノンに生まれたスレイマンは、幼少期に前世での子どもの数や名前、出身地がガリフェであること、搾油機を所有していたことを口にしたが、それ以上のことは思い出さなかった。
 だが、11歳になった時に、ある出来事をきっかけにガリフェの首長だった前世を思い出す。前世での名や、その生涯についても思い出した。

 スレイマンの親族が、彼の語る記憶の真偽を確かめにガリフェに行くと、思い出した前世の名と同じ名前の首長が12年前に亡くなっていたこと、搾油機の所有やその生涯がスレイマンの記憶と一致することなどがわかった。その後、ガリフェを訪れたスレイマンは、首長の家族こそ見分けられなかったものの、いくつもの関連する場所や人を見分けたり、その首長の特徴を示したりしている。

【ボンクチ・プロムシンの事例】
 1962年、タイに生まれたボンクチは、話せるようになるとまもなく、前世について話し始めた。前世での出身地やチャムラットという名前、その両親の名、そして自分が祭りの日に刺殺されたということまで語った。彼がこの自分の死の模様を口にしたのは、2歳の頃だという。のちに、この殺人事件が事実であったこと、ボンクチの語った犯人の名前などが一致していることが確かめられた。
 また、ボンクチには、タイ人らしくない変わった行動や食べ物の嗜好があったが、これはラオス人特有のものであった。また、ボンクチは家族には理解できない言葉を口にすることがあったが、これもラオス語であることが判明する。チャムラットの一家はラオス人だったのである。だが、成長するにつれて前世の記憶を語ることはなくなり、その変わった振る舞いもしだいに消えていった。

(以上、いずれも『前世を記憶する子どもたち』<イアン・スティーヴンソン著 笠原敏雄訳 日本教文社>より)

 しかし、以上のような文献等に報告された事例だけでなく、私の知人にも、過去生体験を持つ人が複数います。その中の一例をご紹介しますと、某病院の理事長であり、皮膚科・ホリスティック医療を行っている40代の女性医師は、エジプトを訪れた時に、ある神殿で、かつて自分がここで働いていたことを思い出したと言います。それだけでなく彼女は、初めて訪れたその神殿内の細部まで思い出したというのです。

・生は死の始まりであり、生きることは死ぬためなのである。死は終結であると同時に開始であり、別離であると同時に近しい結びつきである。 ノヴァーリス

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輪廻転生については、キリスト教の源、ユダヤ教にある。ピタゴラス派は「魂は、ここよりかしこに到りて、かしこに存在し、さらに再び、ここに到りて、死せる者から生まれいづる。」

AD4世紀にコンスタンチヌス帝は、キリスト教がローマ帝国の国教となった時に新約聖書の輪廻転生の記述を削除し、AD6世紀に正式に輪廻転生を異端とした。この後14世紀まで、フランスとイタリアのカタリ派に信仰されたが、十字軍に依り排斥された。


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