おやじの遊び道具。

  シケたおやじも、愛されたいのだ!

ウリ。

2008-04-22 | Vow Wow!!
昨晩は賞味期限の切れたチーズで、ゴルゴンゾーラパスタを作ってみたものの、
生クリームを使うべきところをミルクくんに無理強いさせたり、
60gが適量なのに全部使っちまえとワンホール丸ごとぶちこんだり、と。
ブルーチーズの類はおいらの好物の一つですが、
こんなにこれでもかと食っちまうと、いささか食傷気味。
おかげで今朝は胃モタレがひどい。
でそのお味の方はといいますと、
横浜青葉の「La Piazza」に行っとくのが無難だな。

胃の不快感などは気にすれば気にするほど、深みにはまっていくものだから、
すかっとすっきりなるようなモーニングショーをなどとは期待せず、
未だ「チャンネル廻して」など
時代遅れの会話の飛び交うわが家のTVを眺めていたら、
「おせん」などという番宣をしているのが
宮崎あおいではなく蒼井優だと知って驚いた。
おまけに榮倉奈々という娘もいて、
おっさんには関ジャニやhey sayなんたらというのと同じくらい区別がつかん。

購買意欲のかけらすら刺激しない、面白くもなんともねえ洗剤のCMを挟み、
次なるテーマは「出会いカフェで行われる援助交際(ウリ)」
つまりは平然と行われているU18少女たちの売春行為だ。
レポーターはおもむろ店内にて少女Aにアタック。

「どうしてこんなことやってるの?」
「お金が稼げるから」
うーん、奥の深い言葉。
おいらの社会性を疑われることを覚悟でいうと
(もともとモラルなど持ち合わせていないから)。
「性を売り物にして」
確かに法律にはそむくことにはなるけれど、
それも一つの生き方であり目的でアイデンテティであると思う。
具体的な目的があるから、非合法でありながらも果敢に取り組める。
身勝手・自己本位を押しなべても彼女たちにとってこれは立派な大義名分なのだ。
軽々しく幼稚で低レベルな発想というなかれ。
「いい大学に行くために」
「社会への貢献のために」
「未来の子供たちのために」などと現状を克服し
目標達成を享受するための大儀名分。
なんらこれらと変わらん。
否それらより、もっと現実的で具体的なのかも知れない。
「お金が稼げるから」
これは単なる後付けや
口八丁その場凌ぎの理由ではないのだ。
借金のかたに遊郭に放り込まれていた時代とは明らかに違う。
深い穴を埋めるため(借金返済)の無理強いから
山を登るため(購買意欲の充足)のための前向きな行動だ。
「お金を稼ぐ」このことは資本主義の世では美徳とされ、賞賛に値する。
つまりはお金という存在がネガからポジに意識変遷されている(させようとする)、
時代の風潮も後押ししているのだ。

けれど経済とウリを一緒にするのは短絡すぎるだろう。
確かにそうだ。
しかし現実にはそのジャンルがそれぞれ誘引し合い、
その境界線すら移行されていく。
そして完全融合の結末が訪れる。
ヒト各人の判断基準は見事なまでに違うもんだ。
けれどもみんなそれぞれ自分の都合のよいように、
ジャンルや境界線をも引き寄せてくる。
世の大半オツムの弱い人間は、マスコミや世間にまんまと乗せられてしまうのだ。

とどのつまり。
民間企業あるいは国家挙げて推奨すべくこの情報化社会の、当然ながらの顛末だ。
なんとも仕方がない。
マスコミやネットによる、知らなくていい情報の露出と放出、
RPGによるバーチャル体験。
どうしよう止めとこうの壁を、いとも簡単に越えられる推進力が働いてるんだ。
どこでどうやれば始められるのかなどの詳細、特別な存在でない普通の同級生がやっている敷居の低さ、親から勘当されても寝るとこに困らぬ法、はたまた仲間同士の連携プレイ、警察&やくざ対策、相場や客との駆け引き、そんなものの全てが情報発信されている。
こりゃ、私でもやれると思い込んでしまっても仕方がない。
もしかすると、
近ごろ目に見えて増えているのガキたちの殺戮も
この同一線上にあるのかもしれない。

こんなワイドショーをみた少女たちやおやじたちは、
モラルの再認識や衿を正すわけでもない。
やってみよう、行ってみようと思う者を少なからず増やすだけだ。
近ごろではメイドカフェなど言語道断などと吐き捨てていた堅物なども、
社会見学などと置き換えて行ってみたいと思い始めた。
これから、摘発されないなら出会い系カフェはきっと活況を呈するだろう。
人間の意志など段階と時を経ればいとも簡単に溶解する。
意識は序々に浸透制圧されるのだ。
つまりは「ちょっとくらい」の積み重ね理論だ。
まあそのほとんどが、
もともと自分自身の意志など持ち合わせていなかった連中なのだけど。
良識やモラルを崇拝する殊勝な方々にとって、この世は増々堕落する一方だ。
こんな背景を認識していたら、容易に推測のできることだ。
モラルなど、鼻から屁の突っ張りにもならんこと。

もとい。
ソープもピンサロもキャバクラも大好きなおいらが
少しだけ世間に迎合すべく敢えて真っ当っぽい意見を述べるならば。
最終兵器を16歳などと早いうちから出してきた日にゃ、
残りの人生の楽しみがないでしょう。
ほんと最終兵器なんだから。
例えば例えば、数あるあまたの家電店がその最終兵器である安売りに走って、
業界みんながあっぷあっぷしてるのが現状。
楽しみはできるだけ長く引っ張らなきゃ、先急ぐと道半ばでパンクしちまうぞ。

隠れて吸ってたタバコを20歳になって、
交番の前でおおっぴらに吸えたときは旨かったもんな。
やっぱりさ、人間抑圧させれてそれが解放されたときの感激ってたまらんもんだ。
おしっこも車内で我慢して我慢して、
トイレでファスナーが開く前に出そうになるのも堪えて、
そんでもって放尿した快感って、もうブラボーでしょう。
トイレがいつも目の前にあって…、そんなの面白くもなんともねえ。

糞味噌いあぶらギッシュなおっさんに身体を嫌々売って、
そのお金で服を買って(おっ、循環型経済の着火点だな)、
きっと慢性化したら飽きてくると思うんだな。
その稼いだお金で衣類を買うことも。
身体を売るのは最終兵器として取っておいて、
我慢して貧乏して手に入れるほうがそりゃもう感激倍増だと思う。
→なんかおいら自身に言い聞かせてるようだ。
身体もお金も無駄使いしたことを後悔しなきゃいいんだけど。
何度も言うけれど、最終兵器を使うともうあとがないでしょ。
60歳まで生きるとして、あと44年。
きっと残りの人生つまんねえぞ。
そんなに早々、面白いことを使い切ってしまっては。

「SEXは創造力だ」村西とおる監督のいうように、
そのスキルを持ち合わせていないものが、
軽々しく商売(金稼ぎ)に結び付けようなどとは、
SEXの女神に対しても甚だ無礼慇懃なことだ。

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