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ドイツ語練習帖

マルと亀のドイツ語学習メモ帳

ドイツの思い出‐6

2024-03-28 09:20:35 | ドイツ語いろいろ


家族でドイツに行ったのだが、初めの2か月は研究生活の便宜上
連れ合いが先に行き、ドイツ北部の語学学校「ゲーテ研究所」で
ドイツ語に磨き(?)をかけた。
あとから子ども等と3人でドイツに行ったのはいいが
日本の「ゲーテ研究所」Aのクラスをやっただけでは
わたしのドイツ語はさっぱりで連れ合いにおんぶにだっこ。

その頃、共同研究者の両親がリューベックに住んでいて
数時間で行けるからとわたし達親子4人で訪問したことがある。
70歳くらいだったのだろうか、素晴らしいご夫婦で
特に妻の方のドイツ語に惚れ惚れした。
わたしも早くドイツ語をしゃべれるようになりたい、と言ったら
その人が、大丈夫、Mutterspracheというでしょう、だから
お母さんは誰でも言葉を早く覚えるのですから、と言った。
まあ確かに日本語でも「母国語」というのだけれど…。

始めてスーパーの買い物におそるおそる行ったときのこと
チョコレートの箱入りを買ったのに忘れてきた。
家に帰って思いだし、取りに戻ろうと、言い方を連れ合いに教えてもらって
道すがら繰り返しながらスーパーのレジの前に立った。
言おうとして口を開く間もなく、レジのお姉さんが
「ああ、さっきの方でしょう、ここに忘れ物、置いてますよ」
とニコニコして渡してくれた。
せっかく覚えた口上を使うことなく「ありがとう!」と言って帰った。
考えれば東洋人がおっかなびっくり買い物してるのって目立ってしまって
注目されてたんだろうな、ひとりでに笑いが込み上げてきた。
これじゃぁ、ドイツ語上達はおぼつかないな。




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ドイツの思い出‐5

2024-03-25 14:41:38 | ドイツ語いろいろ


国際学術会議というものはどこの国でするときにも英語が使われる。
ドイツから帰って来て間もない頃、日本で国際会議があった。
国際会議というが、これは以前、国際学会と呼ばれていた。
だが、どこかの宗教団体が政党を作り、○○学会という言葉が有名になり
学会と言えばその宗教または政党のことのようで紛らわしい。
その頃からじゃないだろうか国際会議と言われるようになったのは。
会議といっても数人で円卓を囲んで議論することではなく
会場の壇の上で自分の研究を発表し、百人かそれ以上が聞く、そういうものだ。
その国際会議で連れ合いが発表したあとに恒例の質問の時間があった。
何人かの質疑応答のあと、遠慮がちに手をあげた人がいて
あとでドイツ人だと分かったのだが、その人がこう質問した。
「ひょっとしてあなたはドイツ語もお出来になるのでしょうか」
連れ合いはびっくりして答えた。
「はい、しばらくドイツで研究していたので」
「ああやっぱり、ところどころ英語ではなくドイツ語が聞こえましたから」
という応答があった。
家に帰ってから連れ合いが言う。
「あれにはびっくりした。そういえばbutというところをaberと
言ったような気もするが他はあんまり覚えてない」
まあしかし、その応答で会場は暖かい笑いに包まれたのだそうだ。











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ドイツの思い出‐4

2024-03-24 08:59:35 | ドイツ語いろいろ


昨日のブログにリサ・ママさんからコメントが来て
それをヒントに思い出した事柄があるのでここに書いておこう。

中国人と間違えられたのはほかにもある。
これは連れ合いがわたしとちょっと離れて歩いていたときのこと。
振り向くと誰か東洋人と話しているので知り合いかな?と思って
連れ合いがその人と別れたこっちに来たとき、聞いた。
「誰やったん?」
「中国人みたいやった、たぶん中国語で<中国人ですか?>と突然聞かれたわ。
だからドイツ語で<日本人ですけど>と言ったら、びっくりした顔して
慌てて何にも言わずに行ってしもうた」と言う。
このときも私は一人で腹を立てた。
「失礼な人やねー、聞くならドイツ語か英語で言うべきと違う?」
「そうやな、けどあの人、ぼくが絶対中国人と思ったようやった。
返事を聞いて一瞬呆然としてたもんな」
そしてその上まだこう付け加えた。
「よっぽど同国人が恋しかったんやろ」

中国人ではないが私はベトナム人と間違えられた。
ひとりで道を歩いていると50歳くらいのドイツ夫人から急に
「ベトナムから来たの?」と声を掛けられた。
その「ビエトナーム?」がベトナムだと分かったので
「いいえ、日本です」と答えたら、その人が
「あら~、そうなの?ヒロシマ・ナガサキ、すばらしい」
と言って、ニッコリ笑って行ってしまった。
なぜか私はそのときは気分を害さず、じゃあ、とかいって別れた。
だがおかしい、なぜ中国だと腹が立つのにベトナムだと立たないのか?
それに後で気が付いたけど、もし私が、はい、ベトナム人ですと言ったら
ヒロシマ・ナガサキの代わりに何というつもりだったのか。
もう一つ、なぜヒロシマ・ナガサキがschön(すばらしい)なのだろう?
その時とっさに、原爆の被害を受けても立ち直ったのがすばらしい、と
言いたかったのではないかと思ったのだった。
1973年、戦後30年のころの話。

さらにもう一人からもコメントが来た。
それで思い出したこと。

人種差別のことは本当に深刻な事柄だ。
いま起こっている戦争も結局は人種の問題が大きい。
今から100年前か80年前くらいの間、日本が中国に持っていた差別感は
どういう風に始まっていたのか訳の分からないまま
自分も身につけていることに、ドイツに行くまで気が付かなかった。
行って数か月の頃のこと、誰とだったか忘れたが話していて聞かれた。
「日本人はみーんな、中國を自分の先祖として敬っているんでしょう?」
その意味はすぐ分かったが、答えに窮してしまった。
「え?なぜ敬うと?」
「それは中国の文化を取り入れて日本の国はできたから。
文字だって中国から来たんでしょう?」
そのとき私は唖然として答えられなかった。一瞬置いて
「漢字はそうですね、でも他の文字は日本人が作りました」としどろもどろ答えた。
心のなかは嵐のようだった。外国人は日本と中国のことを
そういうふうに理解しているのか。考えてみれば無理もない。
確かにそういうことだし。
ではなぜそう思わない日本人が、少なくとも我々やその親の世代では
大勢いるようになったのか?
わたしのへんてこなドイツ語も、引きつったような表情も
日本人特有のものだと感じているらしいそのドイツ夫人は
何のこだわりもなく、ニコニコと頷いていた。





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ドイツの思い出‐3

2024-03-23 09:13:00 | ドイツ語いろいろ


ドイツに住み始めて間もないころ、いろんな人から中国人と間違えられた。
親子4人で散歩をしているときは特に多かったような気がする。
日本ではドイツと言えばナチ、だからドイツの国土は
荒れ果てているだろうと思っている人がいる。
帰国して10年余り経った頃、福祉関係の集まりがありそこで質問された。
ドイツってどんな国?私は答えた、緑がいっぱいで自然に囲まれた国、と。
尋ねた人の不審感のあふれた、絶句した表情を覚えている。
だが、ドイツでは人は誰でも自然のあふれた道や森や公園を散歩する。
いたる所に散歩道があり、人はまるで仕事のように散歩する。

ある日、家族で池のほとりを散歩していたら7,8歳くらいの少年がいた。
4人ほどの子ども等は、我々を見て、自分の目を吊り上げる動作をしながら
「ヒーナ!ヒーナ!」とはやし立てた。
ドイツ語で「中国」はChinaで、ヒーナと発音する。
中国人はChineseヒネーゼだが、まあ子どもだからそう言ったのだろう。
わたしは腹が立ってその子らをにらみつけた。
何で腹が立ったのだろう?我々の年頃の人間の心の中には
たぶんそういう思想が潜んでいるのだろう、情けないことに。
腹を立てた私に相反して、連れ合いがとても朗らかに、そして歌うように
「Nein, nein, Japaner, Japaner♪」(違う、違う、日本人、日本人!)
ときっぱりと言ったのだ。
ドイツの少年たちはびっくりしたような顔をしながら
こそこそと方向を変えて走り去った。
おお!やるじゃないか、連れ合いさんよ。そうこなくっちゃ。
7歳と3歳だったうちの子ども等はそういう事には何の興味も示さず
池の中の小魚を眺め、草花と遊んでいた。



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ドイツの思い出‐2

2024-03-21 14:37:44 | ドイツ語いろいろ

50年ほど前ドイツに住んでいた頃のこと。
連れ合いの共同研究者ドイツ人教授が連れ合いを上回る「無口・不愛想・研究バカ」で、
この二人はその点で大いに気が合い、顔を合わせると当たり前のように研究の話をする。
家族同士でお茶をしているときもそうだった。
あるクリスマスの夜、向こうとうちの夫婦4人でしんみりクリスマスを祝っていた。
ろうそくが大きなクリスマスツリーの上で輝いて電気は消してある。
なぜかふた夫婦の子ども合わせて6人はそこにいず、
子ども部屋でゲームでもしていたのだろうか。
そのとき、その家の教授が当たり前のように「昨日の実験は…」みたいなことを言いだす。
うちの連れ合いも「あれはこうこうで」と普通に話す。
だんだんドイツ人妻の表情が険しくなり、とうとう3,4回の会話のあと
「あなた方、今日はどういう日だとわかっているの?そんな話をするなんて、
やめてください!」と言った。
一瞬、気まずい沈黙があり、やおら連れ合いが言った。
「あなた方ご夫婦のなれそめを教えてくれませんか」
途端に彼女は上機嫌を取り戻し、長々と語ってくれた。
教授は2mの背丈で、妻は1m85なのでお相手を探すのにちょっと困ったが
紹介してくれる人があって結婚したそうだ。
2mの男は傍で小さくなって微笑んでいた。
「あらぁ、それで15センチしか違わない夫婦が出来たのですね」とわたし。
「うちは25センチ差あるので羨ましい」と返した。
わたしも上機嫌、なぜかと言えば日本語では口下手な連れ合いが
ドイツ語ではこんな気の利いたことを言うなんて。
ドイツに住んでいると連れ合いがなぜかドイツ語だと
かなり社交的な話が出来るのだとだんだんわかってきて嬉しかった。
もちろん日本に帰ってからは、昭和ひと桁に近い世代の男性にふさわしい
行動と言葉に戻ったけれども。



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ドイツの思い出‐1

2024-03-20 09:30:06 | ドイツ語いろいろ
ドイツ語に関していちばん古い記憶は、父親の旧制高等学校のノートだ。
小学生だったわたしはそのノートに目を見張った。
昔のひげ文字というのか、読めない文字でぎっしり書いてあった。
戦争が終わって書斎の奥深くしまったあった古い本やノートを
処分するためだったかどうかわからないが、出して来て置いてあった。
こういうものを読んだり書いたりできるようになりたい
そして父の職業を継ぎたいと心のなかで秘かに思ったものだ。
その望みはかなえられることも無く、反動でドイツ語嫌いになった。
時を経て、結婚し子どもを得たがその子が10か月のころ父が死んだ。
肺がんで入院してからあっという間の2か月だった。
父が倒れたとき私は勝手に考えた。
きっと私が父の後を継がなかったことを残念に思っているだろう。
それ以上に私の行く末を心配しているだろう。
ただのお母さんになるなんてお前には向いていないよと思っているに違いない。
もうしゃべれなくなっていた父の耳元で私はいろいろ話した。
おとうちゃん大丈夫、わたしはこれからもきっと勉強する。
子どもがもう少し大きくなったら勉強を再開するよ、と。
約束通り子どもが3歳になったころ、もう一度、以前の思いを果たすべく
家で一人勉強を始めた。
それも結局駄目になった。予期せず次の子どもが出来たからだった。
それで、その時代では当たり前だった子育てをする母親というものになり
父の魂が(そういうものがあるとすれば)わたしに
それでいいんだと思わせてくれたのかどうかわからないが
幸せな母親になってしまった。
数年後、家族でドイツに行くことになったのは
これも父親の仕業じゃなかったのかと思っているが
ともかくそれで私のドイツ語熱が起こってしまった。
帰国して片手間にドイツ語をするという作業は大した成果もなかったが
今から16年ほど前にひょんなことから出会ったS先生との
数年間続いたドイツ語の購読で、語学としてではなく
ドイツ文学、特にドイツ詩のすばらしさを会得できたのは大きな喜びだった。
その数年前から、ブログという機能を借りていろいろ書き散らすようになっていた。
つまりこの、今書いている場所なのだが、始めてから20年近く経った。
つい数日前にはアルフィ―というネコの話を読み終わった。
ネコ大好き人間なので楽しく読めたし、原書が英語なので
そのドイツ語訳を読んだのだが平易で読みやすかった。
たまには辞書で確認したい言葉が出て来たがここ1,2か月はそれも面倒になった。
だんだん意欲や興味が減ってきている。
これも父親の魂の仕業か?もういいんじゃないかという信号なのか?
父の勧めに従って、いや、それを口実にしてしばらく
ドイツ語の一人勉強を休んでしまおうと決めた。
長かったドイツ語への思いもこっちの片思いで終わることになる。





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通い猫アルフィーの奇跡 エピローグ-2

2024-03-15 11:11:49 | ドイツ語いろいろ

アルフィはいろんなことを考え、反省し、それを
生きて行くための次へのステップとする。いわば哲学猫だ。
最後の1ページ半にはアルフィのそういう思いがいっぱいだ。

Claire und Jonathan nannten mich ihren Wunderkater,
weil ich offenbar so viel Tolles geleistet hatte.
Mein Ego wuchs; so, wie sie redeten, hätte man denken können,
ich hätte die Welt gerettet und nicht nur vier Familien geholfen.
Doch das hatte ich anscheinend getan,
und mein Leben war umso schöner und reicher dadurch.

クレアとジョナサンは、さまざまなことをやってのけたぼくを
”奇跡を起こした猫”という。ぼくはすっかり得意な気分だ。
ふたりの話を聞いていると、四つの家族を助けただけではなく
全世界を救ったみたいな気になる。
でも恐らくそうなんだろう。
何しろぼくの暮らしはいっそう充実して豊かになったんだから。


Während wir uns einen täglichen Ablauf angewöhnten,
der für alle funktionierte, hatte ich so vieles, wofür ich dankbar sein konnte:
meine Freunde, meine Familie und die Liebe, die mich umgab.
Die Tage, in denen in voller Angst durch die Straßen gelaufen,
Autos, Hunden, und wilden Katzen ausgewichen war
und mühsam nach Futter und Schutz hatte suchen müssen,
das alles manchmal das Gefühl hatte,
das alles wäre einem anderen Kater zugestoßen.
Doch ich wusste, dass ich derjenige war, der all das erlebt hatte,
denn meine Vergangenheit begleitete mich auf Schritt und Tritt.
Die Tränen, die Angst und die Tatsache,
dass meine Familien mich gebraucht hatten,
das alles war ein Teil von mir vergessen.
Joe und das, was er mir angetan hatte, würde ich nie vergessen.
Die Sache mit ihm hatte mich zwar viel gekostet,
mir aber noch viel mehr gegeben.


家族全員に都合のいい日課に慣れるにつれて、
自分がどれだけ恵まれている紙にして実感した。
今は友だちと家族と愛情に囲まれている。
怯えながら通りをさまよい、車や犬や凶暴な猫から逃れ、
食べ物と寝る場所を必死で探した日々はもう遥か昔の話になり、
別の猫に起こった出来事のように感じることもある。
でもあれは自分に起きたことなのだ。
過去は決して消えない。涙と恐怖、家族に必要とされたこと。
それはぼくの一部になっている。
ジョーや彼にされたことは決して忘れないだろう。
なぜなら代償は大きくても、それを上まわるものを得たからだ。


Als Schoßkater war ich nämlich immer noch am glücklichsten,
und nun hatte ich die perfekte Anzahl von Schößen gefunden.
Nachts ging ich manchmal nach draußen und betrachtete die Sterne.
Dann blickte ich in den Himmel und hoffte,
dass Agnes und Margaret irgend wo da oben waren und mir zuzwinkerten,
denn anscheinend hatte ich zwar eine Menge Gutes getan,
seit sie von mir gegangen hatten.
Durch sie und all die Dinge, die ich durchgemacht hatte,
war ich zu einem besseren Kater geworden.
Und so -das hatte ich nun gelernt -funktionierte das Leben.


何しろ今でも膝乗り猫でいるのが一番幸せで、乗る膝はいくらでもあるのだ。
夜になるとたまに出かけて星を見上げる。
夜空を見あげながら、アグネスとマーガレットを亡くしてから
いいことをたくさんしたようだけれど、
すべては二人に教わった愛情と教訓があってこそだったんだから。
そしてぼくは乗り越えてきたことすべてとみんなのおかげで、
前よりいい猫になった。
そう、生きていくとはそういうことなのだ。


アルフィの続きはまだあと7冊ほど出ているらしい。
レイチェル・ウェルズさんと中西和美さんに感謝しつつ
ひとまずここでアルフィの話をひと休みすることにする。



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通い猫アルフィーの奇跡 エピローグ‐1

2024-03-14 10:37:56 | ドイツ語いろいろ


エピローグではその後のみんなのことを書いている。
事件から数か月が経ち、いいことずくめの話ばかり。
アルフィーの体力も戻ってきたし、友達ネコのタイガーにもよく会う。
4軒の家を訪ね歩く以前の暮らしに戻っている。
けれども状況は少しづつ変わってきた。
ポーランドから来たフランチェスカ一家は
近所の広めのアパートに引っ越した。
夫のトーマスは死後も順調、アレクセイは英語が両親よりうまくなり
弟のトーマスジュニアもよくしゃべるようになった。
フランチェスカはもうホームシックにかからない。
ポリーはイギリスの別の街に住んでいたがロンドンという都会に
なかなか馴染めなかった。産後の鬱もあった。
今はもう一人の子どもをお腹に授かって
夫のポリーも嬉しそうだし、ヘンリーは歩き始めた。
そのポリー一家は嬉しいことにジョナサンの家の向かいに引っ越した。
いちばん大きな出来事はクレアがジョナサンと一緒に住み始めたことだ。

Claire und ich lebten nun in Nummer 46 bei Jonathan.
Mein Vorhaben, die beiden zusammenzubringen,
hatte funktioniert (auch wenn es eine Weile gedauert hatte).
Das war mein bisher bester Plan gewesen,
wobei sie anscheinend nur ein bisschen Hilfe von mir gebraucht
und es ansonsten ganz allein hingekriegt hatten.

Jonathan behandelt Claire -und mich -wie Könige.
Tasha häufig zu Besuch, und auch andere Freunde,
genau wie Franceska mit ihrer Familie und Polly und Matt.
Im Haus war ständig etwas los, genauso,
wie es meiner Meinung nach schon immer hätte sein sollen.


クレアとぼくはエドガー・ロード四十六番地でジョナサンと暮らしている。
二人をくっつけるもくろみが――時間はかかったけれど――うまく行ったのだ。
過去最高のもくろみだったのに、二人はちょっとばかりぼくの力を借りただけで、
あとは自分たちで全部やったつもりでいるらしい。

ジョナサンはクレアを――ぼくのことも――まるで王族みたいに大切に扱う。
フランチェスカの一家やポリーとマットだけでなく、
ターシャもしょっちゅうやってきて、他の友達もやって来る。
ここは人が集まるにぎやかな家になった。
まさにぼくがそうあるべきだと思っていた家に。


アルフィでなくても誰でもがまるで絵に描いたような、おとぎ話のような
すばらしい話だと思うだろう。





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通い猫アルフィーの奇跡 第35章-2

2024-03-13 09:44:43 | ドイツ語いろいろ

アルフィが退院してきて4軒の家の人間が
ジョナサンの家に集まり退院祝いをした。
いろんなプレゼントをみんながアルフィに贈った。

»Ein Geschenk gibt es noch«, verkündete Jonathan.
»Ein lange überfälliges«, fügte Claire hinzu.
Sie streckte die Hand nach mir aus
und machte mir vorsichtig das Halsband ab.
Dann entfernte sie die Plakette, die mich mit Margaret verbunden hatte.
Als sie eine neue hochhielt, klatschen alle.
»Alfie, auf der hier sind dein Name und unsere Telefonnummern eingraviert,
von allen deinen vier Familien, damit du nie mehr verloren gehst.«
Man sagt, Katzen können nicht weinen, aber ich schwöre,
ich hatte Tränen in den Augen.

「もうひとつプレゼントがあるんだ」ジョナサンが言った。
「あげるのが遅すぎたプレゼントよ」
クレアがそっとぼくの首輪を外し、マーガレットが付けた名札をはずした。
新しい名札を掲げたクレアにみんなが拍手している。
「アルフィ―、ここにあなたの名前とわたし達の電話番号が彫ってあるわ。
四軒すべてのね。これでもう二度と迷い後にならずに済むわ」
人間は、猫は泣かないと思っている。
でもぼくの目は涙でうるうるしていた。


アルフィの世話の当番について話し合われ、当分はクレアが仕事を休み
その次にはジョナサンが休みを取る。
アレクセイは学校の帰りに寄るといい
ポリーはクレアが買い物に行く間ヘンリーと一緒に
アルフィに付き添っていることになった。
クレアの家までジョナサンが送って行った。
アルフィのベッドは1階に置かれ、そのそばでクレアとジョナサンが
語り合っている。二人で何か買ってきて食べることになった。

Mir wurde ganz leicht ums Herz,
als in ihren Stimmen ein Gefühl mitschwang,
das ich nur allzu gut kannte: Liebe.
Sie mochten sich dessen noch nicht bewusst sein,
aber ich konnte es spüren.
Ich war eben ein sehr schlauer Kater.

ジョナサンとクレアの声には
ぼくがしょっちゅう自分の声の中に感じるもの――
愛が感じ取れ、嬉しくなった。
二人はまだ気づいてないかもしれないけど、
ぼくにはわかる。ぼくはとても賢い猫なのだ。


これでこのアルフィの物語も、あとはエピローグを残すのみとなった。






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通い猫アルフィーの奇跡 第35章-1

2024-03-10 10:25:27 | ドイツ語いろいろ

アルフィはめでたく退院した。
この章はその場面から始まっている。

Es war der Tag, an dem ich nach Hause durfte,
und ich war schrecklich aufgeregt. Kein Käfig mehr –
nicht dass der so schlimm gewesen wäre,
aber er war auch nichtgerade das Ritz.
Und obwohl man mich dazu ermutigt hatte, mich zu bewegen,
war ich doch eingesperrt gewesen.
Nun würde ich in mein altes Leben zurückkehren
und wieder die gesamte Edgar Road auf und ab laufen.
Ich mochte nicht mehr so über die Zäune springen können wie bisher,
aber ich würde es zumindest versuchen.
Ich freue mich unheimlich darauf,
alle meine Familien und auch Tiger wiederzusehen –
allerdings war ich nicht sicher, ob si jetzt, wo sie alle voneinander wussten,
nicht vielleicht böse auf mich waren. Hoffentlich nicht.


退院の日は嬉しくてわくわくした。もうケージともお別れだ。
ひどい場所だったわけではないけれど、リッツホテルには程遠い。
運動はさせてもらったとはいえ、ずっと閉じ込められていた。
ようやくエドガー・ロードをうろつく元の暮らしに戻れる。
以前のように軽やかにフェンスを飛び越えるのは無理かもしれないが、
試してみよう。
みんなやタイガーに会うのが楽しみでたまらないけど、
お互いの存在を知って気を悪くしているかもしれない。
そうでないように祈りたかった。


キャリーに入れられて受付に行くと、ジョナサンが待っていた。
支払金額がすごかったが、クレアは保険に入っているそうだ。
ジョナサンはそんなこと考えたこともなかったので恥じ入った。
アルフィとクレアはジョナサンの車でジョナサンの家に帰った。
そこでは驚くべきことが待っていた。

Jonathan setze mich in der Eingangshalle ab und machte die Tür des Korbs auf.
Dann hob er mich heraus und trug mich in die Küche.

»Alfie«, rief Aleksy und nannte auf mich zu. Direkt vor Jonathans hielt er an.
An der Wand hing ein buntes Banner,
und um Jonathans Küchentisch herum saßen Franseska,
der große und kleine Thomasz, Matt Polly und Henry.
Ich konnte es nicht glauben. Diese Menschen kannten einander nicht,
und trotzdem waren sie alle hier, zusammen.
»Du bist aufgeflogen, Alfie«, sagte Matt lachend.
»Was ist “aufgeflogen“?«, fragte Aleksy.
»Wir haben herausgefunden, er hat vier Zuhause,
na ja, bei und er wohnt nicht, aber er und besucht«,
erklärte Franceska und lachte.


ジョナサンが廊下にキャリーを置いてドアを開け、
キッチンに僕を運び込んだ。

「アルフィ―!」アレクセイが歓声を上げて駆けよってきて、
ジョナサンの前で急停止した。
色とりどりの旗が壁を飾り、キッチンテーブルをみんなが囲んでいる——
フランチェスカ、二人のトーマス、マット、ポリー、ヘンリー、
信じられなかった。知らない者同士が一堂に会している。
「もうバレてるぞ、アルフィー」マットが笑った。
「”バレてる”って何?」アレクセイが訊いた。
「この子には家が4軒あったのよ。
うちに住んでたんじゃなくて通っていたの」
フランチェスカも笑っている。


こうしてアルフィは4軒の家の人たちをお互いに
知り合いにならせることになった。
アルフィの幸せいっぱいで得意そうな表情が見えるようだ。



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