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ドイツ語練習帖

マルと亀のドイツ語学習メモ帳

松永美穂氏の本を読み終えた

2025-04-15 14:47:13 | 松永美穂氏の本

ドイツに関するエッセイなんて初めてではなかっただろうか。
シュトラーレンの「翻訳者の家」に一緒に行ってきたような錯覚を覚える。
ましてやレンツの『アルネの遺品』の翻訳者である松永美穂氏の
「翻訳者の家」での体験談ならば
本が好きでドイツ語にも翻訳にも興味のある者にとっては
読まずに済ますことはできない。
この本を紹介してくれた新聞の読書欄に感謝する。

もう遠い昔の出来事になってしまってほとんど忘れていたが
ダブリンハウスのことやそのとき泊った近くのペンジオンのこと
そして訳してみたS先生の作品のことを懐かしく思い出した。

松永美穂氏が翻訳というものについてとても真剣に考えておられる
そういう姿勢を本の中にたびたび見て感激した。
最近ちょっとおざなりの翻訳本に接してしまったばかりで
その人(故人)の翻訳というものへの責任感を疑っていた矢先だったから
よけいにうれしく思ったのかもしれないが。

それはさて置き、このgooブログがまもなく終了になるとの知らせを
昨日、受け取った。
私自身、もうブログをつづけるのは無理かなと思っていた所だったが
自分が19年以上も書き溜めたものを反故にしてしまうつもりはなかった。
これはずっと取っておきたいと思っていた。
愛用したテンプレートもそのままにしたかった。
この図柄が上にくるといつも嬉しく感じるのだった。

この世のすべてのことは、ある日突然終わることが多い。
そして終わりはすべてのものに必ず来る。
分かり切ったことなのだが……




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小説を携えながら

2025-04-14 12:53:25 | 松永美穂氏の本


松永美穂著『世界中の翻訳者に愛される場所』の最終章である第三章は
『小説を携えながら』というタイトルで
シュトラーレンでのことに加えて「翻訳という芸術の行く末」に関しての想いが
綴られている。
翻訳は言葉を置き換えるという作業である以上に、両方の言葉を文学として
教養として充分に身に着けていなければ出来ないことだ。
たとえばドイツに住んで、日常生活に困らないくらい慣れたとしよう。
しかしあるパーティーに参加して何かをテーマに議論になったとき
その人が母国語ではっきりした思想や意見を持っていなければ
ドイツ語で話し合うことは不可能だ。基がないのだから。
しかもドイツではちょっとしたお茶のときでも議論のようなことをする。
小学校でもいろんな時間によく話し合いをさせる。
自分の考えや広い知識がなければ井戸端会議もできない。
日本と違う点の一つとして、どいつでは井戸端会議は議論の場だ
というのが私の想いだ。人のうわさ話とかもするのだろうが。

英語からドイツ語に翻訳する場合、またはその逆の場合
ゲルマン系の言葉同士としてかなり翻訳しやすいかもしれない。
フランス語からイタリア語などもそうかも。
同じヨーロッパで生まれたことばは生活形態なども似ているから
翻訳はそれほど難しくはないだろう。だから翻訳者としての立場は
そんなに重要ではなく本にも小さくしか表記されないのだろうか。
けれど、生活の文化形態が全くと言っていいほど違う国の言葉を
翻訳するのはどんなに難しいか。
気が遠くなるほどの膨大な知識と経験がいる。
翻訳者は自国語の文学を創作する文学者の数倍の努力が必要だ。

その昔、40年ほど前と30年近く前に翻訳の通信教育を受けたことがある。どちらもきちんと終了したが、それで翻訳がうまくなったかといえばほとんどそうではないだろう。翻訳というのは面白い、と感じたことだけが残った。
その後月日が経ち、S先生と出会って先生著の小説を翻訳したことがある。場面が日本であることが多く、あとで思えば比較的訳しやすい部分があった。180ページほどの作品を訳すのに2年以上かかった。著者であるS先生に訊きなおしながらやっと出来上がったものを、当時ドイツに滞在していたS夫妻のもとに送った。日本人である奥さんはすぐに読んだそうだ。まだドイツ語をスラスラ読める時期ではなかったせいか、やっと夫の作品を読めた、すばらしい話だった、とメールしてきてくれた。S先生も、そのころはまだ日本語を十分読めるほどではなかったからか、いい出来だ、とほめてくれた。その後、同じくらいの長さの話で、これは純粋にドイツが場面で日本とは関係のない小説を、講読してもらいながら訳した。これの方がうまくいったのではないかと思いながら、翻訳を印刷して渡した。そのころはS先生は日本にいてリモート講義や、たまには対面講義をしていた。ところが自信満々で渡したその翻訳は先生のお気に召さず、きちんと訳されてはいるけれども…ということだった。すぐに訳し直すからと返してもらったが、自分では納得がいかず、その翻訳のゲラは引っ越す時に失った。先生の奥さんはだから読まないままだ。やはりそのドイツの特殊な場所のことは実際に知らないままだと、いくら著者に解説してもらってもどこか不自然さがあるのだろうと思う。
それからまた月日が経った。一昨年のことだが『Nero Corleone kehrt zurück』という本が出ているんだけれども翻訳はまだらしい、というRからの情報が入った。以前読んだElke Heidenreichの『Nero Corleone』1995年発行(翻訳は1996年『黒猫ネロの帰還』畔上司訳文芸春秋社)の続編らしいから読みたいのに翻訳は出てないねー、と言いながら、では自分で訳すか、まあRに手伝ってもらうことは前提にしたが、そのネロの続編というものの翻訳にこのブログ「ドイツ語練習帖」で取り掛かった。これがなかなかむつかしく、何か所かではとんでもない訳をしてRがぷっと噴き出したこともあるそうな。70ページほどの短いものだが何とか終わらせたときには自分のドイツ語力がどのくらいかを思い知らされた。

たとえば翻訳という芸術がなかったとすると
今、自分の周りに置いている本の大部分は存在しない。
本を読むことが最大の喜びである人間にとって絶望的だ。
機械翻訳というものもだいぶ発達してきているらしい。
この『世界中の翻訳者に愛される場所』にもその例を挙げてある。
機械翻訳したものと松永美穂氏が訳したものを比べてみるとまったく違う。
単語の誤訳ということを差し引いても違う。
心のこもったものかどうか、そこが大事だと思う。
つまり翻訳は知識と技術とそして心なのではないだろうか。



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翻訳者たち

2025-04-12 10:57:17 | 松永美穂氏の本

松永美穂著『世界中の翻訳者に愛される場所』は三つの章に分かれている。
第一章が「シュトラーレン」で、この街のこと、「翻訳者の家」のことなどを
随筆風に十の項目にして述べてある。

読んでいてふと須賀敦子の『ミラノ霧の風景』を思い出した。
あの本を最初読んだのは1991年ごろだった。
ついこの間のことのように思えるがもう30年以上前だったのか。
のめり込んだ本の一つだったが、それがイタリアの話だったことで
とても残念に思った。ドイツだとどれほどよかっただろう。
フランスのことを書く人はたくさんいる。
辻邦生も大江健三郎も池沢夏樹も。
だが、なぜかドイツのことを書く人はあまりいない。
この本に接して、あぁやっと出会ったのか、と嬉しくなる。

第二章「翻訳者たち」では、ここに滞在する人たちのことがテーマになっている。
もちろんドイツ以外の国の人が多く滞在する所だからドイツ人の登場は少ない。
だがこのドイツの「翻訳者の家」で皆がどのように暮し
松永美穂氏がどのようのその人たちと友情を温めたのかを読んでいると楽しい。

この章で知って驚いたのは、翻訳者という立場でこの「翻訳者の家」に滞在するのは
必ずしもドイツ語に関係していなくてもいい、ということだった。
第二章の最初の「ジャンヌと自転車」に出てくるジャンヌはオランダ人であり
フランス語を自国語、つまりオランダ語に翻訳している人でドイツ語は関係ない。
だがこのシュトラーレンの「翻訳者の家」は翻訳者であればどの言語でもいいという。
なんとおおらかな思想なのだろう。
もっともこのジャンヌという人はドイツ語も英語もフランス語もできるらしいから
ドイツに滞在するのには何にも不自由なことはないのだろうけれど。

オランダにはドイツ語と英語がまあ話せるという人はたくさんいる。
オランダ語というのは英語とドイツ語の間みたいな言葉が多いそうで
学習しやすいのだろうか。
しかしわたしにとってはまさに理解できない外国語だ。

以前ドイツ人の知り合いが家族でオランダに住むことになったというので訪ねて行ったことがある。夕食の買い物に一緒に行って、マスの酢漬けの店の前で主婦である彼女が店主といろいろ話している。何を言ってるのかわからないのでぼんやりしていると、突然彼女が振り向いて私に何か言った。それがまるでわからない。すぐに「あ、ごめん、オランダ語で聞いてしまった。マスの酢漬け食べられる?と言ったのよ」とドイツ語に直してくれたからようやくわかった。オランダ語がドイツ語と似ているなんて嘘ではないかとその時思ったものだ。
オランダの住居もドイツとは全然違うものだった。部屋も広くなく、3階建てが多く階段が狭くて急で、それが社宅というものだったのかどうか聞かなかったが(そういうものがあるとして)、フィリップスの社員にしては何とねぇとびっくりした。
ドイツとオランダの国境はバス道でも簡単な遮断機があるだけで誰でも自由に行き来できるようだった。遮断機のそばに国境警備員が一人いたけれども。もっとも、昔、家族4人でバスでオランダからドイツに入るときにバスが止まって警備員が乗ってきた。何事だろうと思ったら外国人が大勢乗ってると通報があったらしい。我々のことだったのだが。パスポートを提示したらニコニコして、失礼しました、みたいな感じでバスは発車した。かわいい(?)子供連れで麻薬を運ぶ人とかいるんだろうか。乗客の人たちもニコニコして、ねえ、そんな調べるなんて、みたいなことを言っていた。

「翻訳者の家」の知人として松永美穂氏が第二章で書いているのは
最初がオランダの人だがそのほかはジョージア人だったりイギリス人だったり
ギリシャ人だったりする。
実に国際色豊かでそのあとにはハンガリー、イラン、ルーマニアと続く。
翻訳者の集まる家なのだから当然のことかもしれないが
あらためて思うことは、翻訳というのは世界に目を開くことなのだ。

この本の97ページに
「作家は国民文学を創作するが、翻訳者は世界文学を生みだす」
という文章が出てくる。ジョゼ・サラマーゴという人の言葉だそうだ。
まさにその通り。翻訳がなければ外国の文学は殆どの人が読めない。
翻訳者とはどれほどありがたいものか
ほんのちょっぴりドイツ語を読むこの私にはよーくわかる。

数年前、同い年の友達が言った。
「孫がね、東京外語大学のロシア語学科に入ったんよ。
それで私も、と思って今『アンナ・カレーニナ』を読んでるの」
わたしは思わず叫んだ。
「えー‼ロシア語で!?」
「まさか、日本語訳に決まってるやん」
「まあ、そうやろうねー」
こんなことを言ってしまったのは、たとえかなりロシア語を勉強しても
アンナ・カレーニナを原語で読むことは難しいとわかっているからだ。
そのくらい外国文学を原語で読むことは難しい。
もっとも中には例外もいて、ドイツで生物学を専攻しDiplomを取得して
その数年の間にはドイツ文学を苦もなく読めるようになった人もいる。
そんな人でもどんな言語も全部読めることはないだろうから
やっぱり翻訳者は、読むことの好きなものにとってありがたいものだ。





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ダブリンハウスのこと

2025-04-11 11:05:20 | 松永美穂氏の本


ライター・イン・レジデンスという言葉を
松永美穂著『世界中の翻訳者に愛される場所』で初めて知った。
ライターは作家という意味だろうか。
松永ふうにいえば「作家の家」ということになる。
翻訳者である松永氏はトランスレータ・イン・レジデンスに滞在していた。
ほかにもアーティスト・イン・レジデンスなど、特定の職業(創作関係)の人の家は
ドイツのあちこちにあるらしい。

S先生も北ドイツのKielよりもっとデンマークに近い町に滞在したことがあった。
その時にはリモート講義をしたが接続が悪く
「こんな北の果てのお天気も最悪の場所はうまくいかないね」と笑ったものだった。
たまたまそこにかなり高名の女性詩人が滞在していて
S先生はその詩人に「あなたの詩を日本人女性と一緒に読んでいる」といったらしい。
ドイツ語では「教えている」という表現をあまりしない。
「一緒に勉強している」とか「一緒にやる」という表現をする。
あろうことかその詩人の名前を忘れてしまったのだが
その人は、それはすばらしい、とか言ったということだった。
なぜそのような、もうすでに高名である詩人がライター・ハウスにいたのか
それが不思議で聞いてみた。
この辺りのことがちょっと記憶不全なのだが、確か
若い文学者たちからの刺激が欲しかったから、といったとか。
もちろんそのために若い文学者のその家の滞在チャンスが一人分
失われたわけではないと、確かS先生は言っていたと思う。

シュトラーレンにある松永氏の「翻訳者の家」は
とても規模の大きいもので、30人分の部屋があるそうだ。
街中の家を3軒繋いで一つにし、それが迷路のように繋がっているとか。
各部屋には蔵書が備えられていており、一人部屋としての設備が整っている。
大きい図書室もあり、各部屋の本と合わせるといったい何冊の蔵書になるのか。
ギュンター・グラスの各国の翻訳書がそろっている。
松永美穂翻訳のレンツの翻訳本も置いてあるのだろうか。

シュトラーレンは16000人ほどの人口だそうだから
ダブリンハウスのあるヴェヴェルスフレヒ村の10倍だ。
シュトラーレンには映画館はないが大型スーパーは4つあり
生活するのには丁度くらいの町らしい。
ギュンター・グラスが提供したダブリンハウスは人口1500しかなく
それでも小さいスーパーがひとつある。
S先生が行ったときは最初、道でじろっと見られたそうだ。
先生はハイデルベルグの近くの出身でそのくらい南北の距離があると
見ただけでわかるのだろうか。
Moin!Moin!とあいさつすると途端に親しげな態度になるのだと言っていた。
わたしが行ったときは、なぜか最初から誰もが道でニコニコと挨拶してくれる。
おかしいなぁ、このくらい徹底的に外国人だとかえって違和感がないのか?
と思っていたら、そうではなかった。

泊めてもらったペンジオンの持ち主がその村の主で有名人。スーパーも他の数件の家も所有している。わたしが行く前から、こんな日本人が今度うちに泊まるよ、とニュースが浸透していたのだった。ある日、ほかのペンジオンを見せてあげるというので、宿主と二人で出かけた。歩いてほんの20分で村の端に着く。途中何人もの村人がMoin!と声をかけてくる。ある人などは「なかなか似合いじゃないか?!」と冗談も言う。このペンジオンの主はドイツ人にしてはひどく小柄で、日本人としても小柄な私と歩いても違和感がない。歳も二人とも70代初めで、うん、なかなかいいかも。
1週間ほどの滞在中、午前中はドイツ語の勉強をしにダブリンハウスへ行き、午後は自由だから、この家の夫婦が交代で世話を焼いてくれた。妻の方もやっぱり70代くらいだが車が好きで、「見せてあげる」とガレージに連れて行ってくれた。そこには真っ赤なオープンカーが鎮座していて、そこで本当はあっと声を上げてびっくりしなくてはいけない高級車だったらしい。ところが私と来てはカー音痴で何の興味も知識もない人間だから「へーぇ」といっただけだった。あとでその妻は「あんたは車が好きじゃないのか」と言ってたが、どれだけがっかりさせたか。それでも「この車で動物園に行こう、イルカが有名なんだよ」という。動物園は大好きなので喜んで乗せてもらったりもした。
その妻の方は本好きらしく数百か千冊くらいもありそうな居間の一角を見せてくれて「わたしは本当はギュンター・グラスは好きではないのよね、でもこの村は彼で持っているようなものだからそうは言えないけどね、それに父親がグラスと知り合いだったし」という。車の話は苦手だが本の話だと大いに気乗りがする。宿主の妻が「あんたはドイツのどんな本を読むの」というから「翻訳してあれば何でも読みますよ。ゲーテ、トーマス・マン、リルケ、カフカ、ヘッセ。それとレンツのArnes Nachlaßをこの前読んですばらしかったけど読みました?」「そう?知らないねー」など盛り上がる。「あんただとこの本くらいは読めそうだからこれを上げる」と1冊プレゼントしてくれた。「ここにきてどんな勉強してる?」「今はね、あのS先生が出版した中編小説を読んでいます。著者に解説してもらいながら読むとすごくわかりやすいしね」と言ったが、彼女はその本の話には興味を示さなかった。

ダブリンハウスではもう一人の滞在者である小説家と一度台所で話したが
そっと自分の著書を見せてくれて照れていた。分厚いタッシェンブーフで
S先生が「わたしの本の数倍あるよね」といったがそれでも黙って笑っていた。
だが「名前が変わっているけど筆名?本名?」と聞いたら「本名だ」と言って
筆名のことについてちょっと教えてくれた。
ひっそりとしたほのかな交流が楽しかった。
いまから16年ほども前のダブリンハウスだった。




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「翻訳者の家」

2025-04-10 08:54:11 | 松永美穂氏の本

松永美穂氏の著書『世界中の翻訳者に愛される場所』というタイトルの<場所>とは
ドイツの北西にある、オランダとの国境に近いシュトラーレンという町のことを
指して言っている。
その街にある「ヨーロッパ翻訳者コレギウム」というのが
翻訳者のための施設の正式の名だが、これを松永氏は「翻訳者の家」と呼ぶことにした。

この本のまえがきで松永氏はレジデンス制度について書いている。
ライター・イン・レジデンスやアーティスト・イン・レジデンス
などという言葉で表すのだそうだが
創作者に滞在場所を無料提供する制度で、創作を職業とする人が
一定期間そこに滞在して作品を創ったり、地域の人と交流したり講演会や授業を行ったりする。
この本にはその「翻訳者の家」に著者が出かけて行って体験したことを
中心にして書かれている。
欧米の文化の中ではこういう制度は当たり前のことなのだろうか。

10数年ほど前、ドイツ人作家であるS先生と知り合い
ドイツ語の講読を数年間してもらったことがあるが
その時S先生はそういう制度を利用してドイツのいろいろな場所で滞在し、創作していた。
2009年7月に一度その「家」に滞在するS先生を尋ねたことがある。
ハンブルグから電車で1時間、タクシーで10分のところに
Wewelsflechという町がある。人口1500人だが、そこにある
Alfred-Däblin-Hausは、規模は小さいがまさにライター・イン・レジデンスで
Günter Grassが住んでいた家を、のちにグラスが若い作家に提供したものらしい。
なぜダブリンハウスなのかと言えば、もともとそういう名前の作家の家だったらしく
自分の名前を名付けるのは厚かましいので前の住人の名前にしたということだ。
行ってみると100年経っていそうな古いものだった。
個人2人と1夫婦が滞在できる小さい家で、しかし台所兼食堂には
10人くらいで使えそうなテーブルといす、食器がそろっていた。
S先生はご夫婦で滞在していたので2階全部を使っていて広々していた。

50年ほど前に2年間ドイツのMünsterに住んだことがあったが
作家のための、または芸術家のためのそういう制度のことなどは知らなかった。
ずっとあとになってこういう制度のことを知って
ヨーロッパと日本の文化の差を感じたものだった。

松永氏がこの本で紹介してくれるのは
翻訳者の中ではよく知られた、規模も大きい、翻訳者の聖地ともいえる
シュトラーレンにあるトランスレータ・イン・レジデンスのことだ。







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松永美穂氏の本

2025-04-08 15:52:48 | 松永美穂氏の本


Rから「ドイツ語を読まなくても
ドイツ語の翻訳やドイツに関係ある本を読んだ記録なんかでもいいのでは」
と言われて思い付いたのがこの本。
2,3か月前に講読している新聞の日曜読書欄で見つけた。

『世界中の翻訳者に愛される場所』 松永美穂著 青土社 2024年8月刊

ぜひ読みたいとX(Twitter)につぶやいたのだが『ゾマーさんのこと』を読むのに忙しく
読む時間がなかった。

松永美穂氏といえばわたしにとってはSiegfried Lenzの『Arnes Nachlaß』の翻訳本
ジークフリート・レンツ『アルネの遺品』で初めて出会った翻訳者だった。
このことはずっと前にここにも書いたことがあるような気がするが
十数年前に毎年ドイツに旅行していた時期があった。
特別な愛猫のために家を空けることをしたくなくて
夫か私がどちらか必ず家にいるという状態が続いていた。
そのネコが亡くなり、ほかにもネコは2匹いたが、これは獣医さんに預けることができた。
夫も退官し自由な時間があるので実に30年ぶりに夫婦でドイツに行くことが可能になった。
そのときに、当時ドイツの大学から他国の大学に移っていたRから
<買ってきてほしい本>のリストがメールで送られてきた。
それで、そのメールのリストをコピーして持って行った。

フランクフルトに近いFuldaという町のThalla Bücherという本屋さんにブラっと入って眺めていたら、店員さんが「なにか探していますか?お手伝いします」と声をかけてきた。
そこでそのコピーしたリストを見せて「実はこの本を探しています」というと、
5,6冊のうち1,2冊は見つけてくれたが、ほかの本はなかった。
その店員のお姉さんは「2週間したら入荷するので」と言ってくれたが、
短い旅行中なのでいいです、と言ってその本だけ買って帰ろうとした。
するとその店員さんが「あのー、この本を知っていますか。とてもいい本なのですが」と
書棚のほうに誘導していき、何やら早口で説明してくれた。
20代のいい感じの女性で、ドイツにはこういう本屋の店員さんが必ずいる。
本屋の店員になるための資格が必要らしいが、知識を披露するよりも
まるで知人でもあるかのような親しげな口調でしゃべる。
それにその店員さんはRの書いたメモのコピーを見て、それを私が書いたメモだと思ったらしい。
本の題名と字を見るとドイツ語をよく勉強していることがわかるから誤解されたようだ。

そのとき勧めてくれたのが『Arnes Nachlaß』で2002年12月に発刊されている。
私たちがその本屋に行ったのは2003年3月だった。
どれほど素晴らしい本かと、目をキラキラさせて説明してくれるその店員さんの感じの良さにうっとりして、では読んでみます、と購入した。
持ち帰ったけれどもレンツの本を読むには辞書があっても難しい。
しかしあの時の本屋での一幕は、心に焼き付いて、この本と共に思い出を大事にしたいと、
本棚に片付けようとしてふと目が行ったのが新潮社のクレストブックスだった。
そのころ、クレストブックスが好きでかなりいろいろ買い込んで積んでいた。
その中にあった。松永美穂氏翻訳の『アルネの遺品』が。
すっかり忘れていた自分の迂闊さをなだめながらさっそく読み始め、
それ以来、数年はアルネに嵌まっていた気がする。
なぜなら2007年にS先生に出会ったとき、最初はこの本の購読をしてもらったほどだったから。

その時以来松永美穂氏のファンになって彼女の翻訳本をいろいろ読んだ。
だからこの人のエッセイが出たのを知ってさっそく読みたいと思ったのは当然のことと言える。
2か月に1度くらいはこのブログに何か書いて、テンプレートがなくならないようにしよう、
と思っていたが、なんの、辞書を引くのでなければ、パソコンの前に座る気はまだあるようだ。
この本でしばらく楽しもう。






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