僕は高校2年生のころから、かなりの数の本を読んだと思う。
といっても記憶に残っているものはほとんどないけど、数で言えば100冊以上は読んだはずだ。
その時は自分なりに概念が出来ていたのだけど、それが何だったのか今は思い出せない。
とにかくIくんに「ユリイカ」に誘われた時、反射的な恐怖心を和らげるために「僕は確認しに行くんだ」と思ったのを覚えている。
何しろIくんの話はぶっ飛んでいて「彼は出会った人全員のことを背景も含めてすべて覚えている」とか「クソみたいなおもしろくない世の中がとても輝かしくなる」と言ったような感じだった。
そんなすごいぶっとんだ人に会って、自分の考えの正しさを確認してやる!
最近までそうだったが、この時も『悲観的』な思いが作り出した概念をいじって得意になっていた。
ユリイカは大阪センイシティホテルで2日間開催された。
1997年2月頭の土日だった。
内容は書けないが、体験として僕は「自分を出してだいじょうぶ」という安心感を得た。
最後にセミナーを通して仲良くなったMさんが「どうしたんだよ」と笑った時に、僕の逃げたい感情が溶けて「ああ、これは安心して良いんだ」と思って泣きそうになったことが印象に残っている。
僕たちの心の中にはダイアモンドがある。
そのダイアモンドは糞に包まれて光を放てない。
糞とは観念のことだ。
この観念を取り払うことで私たち本来の輝かしい生を取り戻すことができる。
これが阿部さんが主張したことだった。
しかし僕は何を勘違いしたのか、超我が儘な感情的エネルギー発散野郎になりさがった(笑)
「ユリイカ」は理論的な側面が強かったが、もっと実地に体験する場として希望者は「リーラ」というセミナーに参加できる。
僕は「リーラ」に参加したかったが、お金がなく2月ではなく3月の回に参加した。
参加する前に聞いたことでは「リーラ」に参加すると音楽がとてつもなく心地よくリアルに聞こえてくるとか、星空の光が太陽のように輝いて見えるとか、いろんな噂があった(笑)
1997年3月の最後の週の金・土・日の3日間、僕はこの「リーラ」に参加した。
開催されたのは浜松の方広寺というお寺であった。
こちらも詳しい内容は書かないが、観念というか鬱積したエネルギーの解放を通して、とても繊細な感受性を取り戻すということができた。
すべての内容が終わってみんなで座禅を組んでから目を開いた時、外の日本庭園風に手入れされている庭の石がとてつもなく光って見えて仰天したのを強烈に覚えている。
なんか光って見えるどころじゃなく、本当に輝いている。
めちゃめちゃ綺麗に掃除した感じ。
僕は「普段人前で抑制されている嘘のない気持ちを全力で、本気で、エネルギッシュに発散しまくる」ということが「静けさと繊細な感受性」を取り戻すことになるという体験をしたのだと思っている。
僕は浮かれていたが、この帰りの電車の中でこれまでずっと疑問に思っていて、これから解決していかなければいけない問題とぶつかっていることに気が付いていなかった。
とてつもなく綺麗な世界に住んでいる僕は、そのセミナーで仲良くなった広島の老人の方と新幹線の中で話した。
その人は確か、世間的にかなり成功している人だった。
彼が、セミナーが終わって少ししか時間がたっていないのにもう抑圧的な傾向を見せ始めていたのだ。
『さっきまでのあなたが本当なのか、それとも今のあなたが本当なのか』
社会という巨大な敵が目の前に現れてくるわけだが、僕は気楽に、たいしたことないさぁと浮かれ続ける!
といっても記憶に残っているものはほとんどないけど、数で言えば100冊以上は読んだはずだ。
その時は自分なりに概念が出来ていたのだけど、それが何だったのか今は思い出せない。
とにかくIくんに「ユリイカ」に誘われた時、反射的な恐怖心を和らげるために「僕は確認しに行くんだ」と思ったのを覚えている。
何しろIくんの話はぶっ飛んでいて「彼は出会った人全員のことを背景も含めてすべて覚えている」とか「クソみたいなおもしろくない世の中がとても輝かしくなる」と言ったような感じだった。
そんなすごいぶっとんだ人に会って、自分の考えの正しさを確認してやる!
最近までそうだったが、この時も『悲観的』な思いが作り出した概念をいじって得意になっていた。
ユリイカは大阪センイシティホテルで2日間開催された。
1997年2月頭の土日だった。
内容は書けないが、体験として僕は「自分を出してだいじょうぶ」という安心感を得た。
最後にセミナーを通して仲良くなったMさんが「どうしたんだよ」と笑った時に、僕の逃げたい感情が溶けて「ああ、これは安心して良いんだ」と思って泣きそうになったことが印象に残っている。
僕たちの心の中にはダイアモンドがある。
そのダイアモンドは糞に包まれて光を放てない。
糞とは観念のことだ。
この観念を取り払うことで私たち本来の輝かしい生を取り戻すことができる。
これが阿部さんが主張したことだった。
しかし僕は何を勘違いしたのか、超我が儘な感情的エネルギー発散野郎になりさがった(笑)
「ユリイカ」は理論的な側面が強かったが、もっと実地に体験する場として希望者は「リーラ」というセミナーに参加できる。
僕は「リーラ」に参加したかったが、お金がなく2月ではなく3月の回に参加した。
参加する前に聞いたことでは「リーラ」に参加すると音楽がとてつもなく心地よくリアルに聞こえてくるとか、星空の光が太陽のように輝いて見えるとか、いろんな噂があった(笑)
1997年3月の最後の週の金・土・日の3日間、僕はこの「リーラ」に参加した。
開催されたのは浜松の方広寺というお寺であった。
こちらも詳しい内容は書かないが、観念というか鬱積したエネルギーの解放を通して、とても繊細な感受性を取り戻すということができた。
すべての内容が終わってみんなで座禅を組んでから目を開いた時、外の日本庭園風に手入れされている庭の石がとてつもなく光って見えて仰天したのを強烈に覚えている。
なんか光って見えるどころじゃなく、本当に輝いている。
めちゃめちゃ綺麗に掃除した感じ。
僕は「普段人前で抑制されている嘘のない気持ちを全力で、本気で、エネルギッシュに発散しまくる」ということが「静けさと繊細な感受性」を取り戻すことになるという体験をしたのだと思っている。
僕は浮かれていたが、この帰りの電車の中でこれまでずっと疑問に思っていて、これから解決していかなければいけない問題とぶつかっていることに気が付いていなかった。
とてつもなく綺麗な世界に住んでいる僕は、そのセミナーで仲良くなった広島の老人の方と新幹線の中で話した。
その人は確か、世間的にかなり成功している人だった。
彼が、セミナーが終わって少ししか時間がたっていないのにもう抑圧的な傾向を見せ始めていたのだ。
『さっきまでのあなたが本当なのか、それとも今のあなたが本当なのか』
社会という巨大な敵が目の前に現れてくるわけだが、僕は気楽に、たいしたことないさぁと浮かれ続ける!