麻乃はいつも 風のように走った

引退した競走馬を引き取りました。


脚を壊した麻乃は
もう二度と走れません

馬頭観音

2016-12-08 19:15:53 | 日記

先ほど場長さんに電話してこちらの状況を話した。

場長さんは私がいない間、私の変わりに麻乃の世話をしてくださると言ってくださった。

私もあーちゃんをあっちこっち動かしたくないので、それをお願い出来たら有難いのだけれど。。

なんせ、場長さんがお1人でやってらっしゃる乗馬クラブなので、そう無理もお願いできない。

取りあえず戻ってから相談と言う事になった。

今日は近くに馬頭観音があると聞き、皆で行って来た。

なんと言うか。。。すごく不思議な雰囲気の所だった。

 

この看板を上がって行くと鳥居が2つあって道が分かれている。

 

こちらの鳥居は山の上へと続いており

 

登って行くと少し開けた所にでる。

 

説明の看板。ガラスが割れて寂れた感じ。

 

水飲み場

 

何か祀ってあり

 

山肌に馬が。(どうしてもボケてしまい上手く撮れなかった

全体的に手入れされてない感じ。

 

こちらの鳥居の先は平たんな道が続いており、やはり少し開けた所にでると

 

こんな感じに馬が祀ってある。こちらは手入れされてる感じ。

名馬「池月」の碑
源頼朝公より子馬の方を差し出すようにとの命が開聞の長に届き、
仲睦まじかった池月と母は無理やり別れさせられた。
母馬は子を探し続け、湖の岸壁から池田湖を見下ろすと
湖面にはたてがみをなびかせた馬が映っていた。
母馬は「ここに、我が子がいる」と池田湖に飛び込んで沈んだと言われており、
子を思う母の心を哀れに思った村人は、石塔を建ててその霊を慰めたという。
その後、子馬は宇治川の合戦で佐々木四郎高綱を乗せ大活躍した。
1月18日は、その「池月」の母馬の命日です。集落の人たちが総出で草払いをし、参拝者へのおもてなしをしています。かつては、馬行列があったり、花婿・花嫁さんの新婚さんが相合い傘で参拝したりということもあったようです

 

上記の様にこの辺も色々な物語が沢山残っているみたいです。

 

あーちゃんはお母さん馬と別れる時はどうだったのかな?

あーちゃんに会いたいなぁ。