私は”円”の世界に生きている。きっちり閉じた文字通り円の中で守られている。
まるで子宮に守られた胎児のように。まるで何重にもゴムで包まれた白い粉のように。
南米コロンビアの田舎町に暮らす17歳の少女マリア。彼女が持っているのは、単調で退屈で何のキャリアにもならないプアワークと、彼女の給料を宛にするのが当たり前だと思っている母とシングルマザーの姉、セックスしたいだけの頭の悪い地元の彼氏、だけ。
ある日マリアはひと粒の種を宿したことに気付く。悪阻で仕事を辞めざるを得なくなった彼女は妊娠の事実を家族に打ち明けない。幼い子供を持て余し、いずれ母のようになるだろう哀れな姉を追随することは彼女には出来ない。場当たり的に「結婚しよう」と言う彼氏に別れを告げ、マリアはある飛躍に自らを託す。
それは、麻薬の運び屋としてNYに渡ること。無謀な身体的・社会的リスクをマリアは自分に課す。
ゴムで包まれた白い蚕のような麻薬の繭をマリアは身重の身体に一粒づつ詰めて行く。60粒あまりを飲み干し、生まれて初めてパスポートを手にし飛行機に乗り込む。同じ機内に運び屋の女性が他に3人。捜査官の疑惑を分散させようという狙いがそこにはある。つまり誰かしらが生け贄になる可能性がある、ということだ。
初めて降り立つケネディ空港、NYの街。余韻に浸る暇も無く野卑な男に車に押し込まれる彼女達。身体に詰まった’繭’を全て出産するまで彼女達はホテルに監禁される。そこで最悪の事態が起こる。彼女達の一人ルーシーの身体の中で麻薬が繭を破ってしまったのだ。バスルームで”始末”されるルーシー。その事実を知ったマリアは荷物を抱えてホテルを飛び出し、明確な理由も無いままNYに住むルーシーの姉の元へと向う。
マリアと私を隔てるのは只一点だけだ。
強い通貨の下に生を受けたか否か。
充分な資金と自由な休暇を携えた私が目にしたNYとマリアが目にしたNYは色も形も全く同じなのに、全く別の国のようだった。私は国境を越えてもまだ”円”に守られていられたのだ。”円”は”YEN”になっただけだった。
24時間絶食し、苦痛と共に薬を飲み込み、自分の肛門から出た薬を再度飲み込み、捜査官の厳しい尋問を交わすために嘘を付き、犯罪に加担しなければマリアはNYに辿り着くことが出来ない。彼女は何にも守られていないからだ。
先進国以外の国で貧困と無知を糧に育って来た女性は世界の何処に行っても弱者だ。弱者として生まれ弱者として生き弱者を身ごもり弱者を育てる。因果応報、家訓のようにそれを受け入れる彼女達。搾取されることに自覚出来ないまま搾取される彼女達。その閉じた円から抜け出すには、何億万分の一の確率での幸運を待つか、ビルの屋上から飛び降りるような無謀な飛躍しか無い。マリアが明文化せずに選んだのが後者だった訳だ。
四半世紀以上”円”の内側で暮らして来た私には彼女のような飛躍は決して出来ない。
『NYはパーフェクトな場所よ。』
ルーシーはマリアにそう告げる。
『子供はアメリカで育てたい。子供にチャンスを与えてあげたいの。』
臨月の妊婦であるルーシーの姉はマリアにそう告げる。
彼女達の言葉が真実だと私には思えない。NYはエキサイティングな街だが、決してパーフェクトでは無い。
NYで狭い部屋に親戚と共に住むような移民の子供として生まれることは決してチャンスに恵まれてるとは思えない。
しかしその二人の言葉が、マリアを最終的に更なる飛躍へと向わせる。その決断を下した時の、弱者でしか無い17歳の少女の表情は涙が出る程強く美しい。
まるで子宮に守られた胎児のように。まるで何重にもゴムで包まれた白い粉のように。
南米コロンビアの田舎町に暮らす17歳の少女マリア。彼女が持っているのは、単調で退屈で何のキャリアにもならないプアワークと、彼女の給料を宛にするのが当たり前だと思っている母とシングルマザーの姉、セックスしたいだけの頭の悪い地元の彼氏、だけ。
ある日マリアはひと粒の種を宿したことに気付く。悪阻で仕事を辞めざるを得なくなった彼女は妊娠の事実を家族に打ち明けない。幼い子供を持て余し、いずれ母のようになるだろう哀れな姉を追随することは彼女には出来ない。場当たり的に「結婚しよう」と言う彼氏に別れを告げ、マリアはある飛躍に自らを託す。
それは、麻薬の運び屋としてNYに渡ること。無謀な身体的・社会的リスクをマリアは自分に課す。
ゴムで包まれた白い蚕のような麻薬の繭をマリアは身重の身体に一粒づつ詰めて行く。60粒あまりを飲み干し、生まれて初めてパスポートを手にし飛行機に乗り込む。同じ機内に運び屋の女性が他に3人。捜査官の疑惑を分散させようという狙いがそこにはある。つまり誰かしらが生け贄になる可能性がある、ということだ。
初めて降り立つケネディ空港、NYの街。余韻に浸る暇も無く野卑な男に車に押し込まれる彼女達。身体に詰まった’繭’を全て出産するまで彼女達はホテルに監禁される。そこで最悪の事態が起こる。彼女達の一人ルーシーの身体の中で麻薬が繭を破ってしまったのだ。バスルームで”始末”されるルーシー。その事実を知ったマリアは荷物を抱えてホテルを飛び出し、明確な理由も無いままNYに住むルーシーの姉の元へと向う。
マリアと私を隔てるのは只一点だけだ。
強い通貨の下に生を受けたか否か。
充分な資金と自由な休暇を携えた私が目にしたNYとマリアが目にしたNYは色も形も全く同じなのに、全く別の国のようだった。私は国境を越えてもまだ”円”に守られていられたのだ。”円”は”YEN”になっただけだった。
24時間絶食し、苦痛と共に薬を飲み込み、自分の肛門から出た薬を再度飲み込み、捜査官の厳しい尋問を交わすために嘘を付き、犯罪に加担しなければマリアはNYに辿り着くことが出来ない。彼女は何にも守られていないからだ。
先進国以外の国で貧困と無知を糧に育って来た女性は世界の何処に行っても弱者だ。弱者として生まれ弱者として生き弱者を身ごもり弱者を育てる。因果応報、家訓のようにそれを受け入れる彼女達。搾取されることに自覚出来ないまま搾取される彼女達。その閉じた円から抜け出すには、何億万分の一の確率での幸運を待つか、ビルの屋上から飛び降りるような無謀な飛躍しか無い。マリアが明文化せずに選んだのが後者だった訳だ。
四半世紀以上”円”の内側で暮らして来た私には彼女のような飛躍は決して出来ない。
『NYはパーフェクトな場所よ。』
ルーシーはマリアにそう告げる。
『子供はアメリカで育てたい。子供にチャンスを与えてあげたいの。』
臨月の妊婦であるルーシーの姉はマリアにそう告げる。
彼女達の言葉が真実だと私には思えない。NYはエキサイティングな街だが、決してパーフェクトでは無い。
NYで狭い部屋に親戚と共に住むような移民の子供として生まれることは決してチャンスに恵まれてるとは思えない。
しかしその二人の言葉が、マリアを最終的に更なる飛躍へと向わせる。その決断を下した時の、弱者でしか無い17歳の少女の表情は涙が出る程強く美しい。