『法人』について初めて意識し、その後何かあると思い出してしまうのは岩井克人の法人論による。
法律の上で人格を持つのが『法人』。
その発祥は中世の修道院だったらしい。施しで生活し所有を認められない修道士の代わりに法人が『~修道会』として寄付を受け取り所有した。必要に迫られて発生したシステムだったのだ。
『法人』は信任者を必要とする。契約者ではない。法人の代わりに責任と倫理を持って財産を管理する人間だ。
その後法人は企業や会社へと変貌を遂げていく。法の上では人となり、財産や社員を所有する。同時に株主に所有されるモノでもある。
『会社は誰のものか?』と『資本主義から市民主義へ』は何度でも読み返したい名著だ。何がすごいって経済学部出身なのに株のシステムにさえ無知だった私が面白いと思えるほど、分かりやすく言葉をつむぐことだ。
株主市場主義という「法人/会社=モノ」なのがアメリカで、終身雇用に代表される「会社のイエ化、法人=人」なのが日本ということを岩井克人さんは言っていた。
『Big One』を見て、そして自分に勤める会社を見て、友人や知り合いの働く会社を聞いて思ったことがある。
労働者/消費者は会社をヒトだと信じ、経営/管理者は会社をモノとして扱う。
まるで男女のすれ違いのようだ。
マイケルは全国各地で一方的に解雇され不当な扱いを受ける労働者達に会う。
GMの工場が閉鎖された田舎。工場閉鎖を知ったのは前日でこれからは時給半分で働く以外に選択肢がない。
大型書店チェーン店のボーダーズに労働組合は無く時給はなんと6ドルだ。
「10ドルなんて贅沢は言わない。せめて8ドルにして欲しいよ」30代に思しき青年がそんな発言をする。良識的な雰囲気できちんと話す男性だ。
『全米最悪の都市』でサイン会を行ったムーアの前に現れた女性は前日解雇になったと涙ぐむ。今の子供たちが30、40になったときのことを考えると泣けてしまうのだという。
全国の工場は閉鎖され人件費の安いメキシコへ移る。インドネシアへ移る。第三世界へと移る。いわゆるSweat Shopだ。学校に行けない貧しい子供を1日中拘束しトイレに行くのも制限して安い給料で働かせる。
「競争力を保つためです。competitiveでいるためです。」
大企業の広報はそれ以外のことは言わない。
ムーアと唯一直接会ったNikeの社長も同様の趣旨の発言をした。それが資本主義、貧しい国に技術と仕事を与えてる、Nikeを世界一のメーカーにしたい云々。
彼らには全く罪悪感や反省の色が見えない。自分たちの決定で学校に行けなくなったり怪我したり死んだり不幸な人間が増えることに全く疑問を感じていない。
天災かコントロール出来ないロボットの仕業でもあるかのような対応をする。
つまり会社は人間としての倫理を持たず決定も出来ないモノなのだと主張しているのだ。
反対に社員はヒトとしての会社を愛し尽くし尽くされてきたと実感しているようだ。祖父の代からの仕事だった、こんなに冷たい仕打ちを受けると思わなかった、仲間にこんな仕打ちをするなんて信じられない等々。
映画の最期でNikeの工場で働きたい失業者たちが社長に訴えかえる。それもヒトとしてのNikeに。「俺はジョーダンしか履かない」「アメリカのNo1メーカーで大好きだ」
ビデオを見ても社長の顔色は変化なし。モノとしてのNikeに感情などない。
消費者と労働者にとって厄介なのは会社がヒトとモノの部分を上手く使い分けることだ。
例えば日本は「会社=イエ(ヒト)」「会社=モノ」がコインの裏表のようにころころ変わり利用されるようになっていることだ。あまりにも都合よく反転するため若い人は対応できずにいるだろう。
「みんなやってるんだから残業して、飲み会行って、手伝って」というイエ主張がされたかと思うと、「不況だからサビ残にするよ、ボーナスカットにするからね、賃金上昇ももちないよ。だってしょうがないじゃん、それが資本主義っていう鉄人28号で僕ら何にも出来ないもんね!!」というモノ主張が当たり前のようにされる。挙句の果てに「出来ないないらイエから追放するよ!君を拾ってくれる余裕のあるイエなんかあるのかな!?」というイエからの脅しを受ける。なので一度イエに入るとほとんど何も断れずに黙々と働くことになる。家族や子供を持つと余計にイエから追放される訳には行かなくなる。
イエアピールを日常的にして情緒に訴え罪悪感を煽るのが日本の会社の更に厄介なところだ。「みんなでがんばろう」は「お前だけ抜け駆けすんなよ」「自分だけ楽しようなんて思うなよ」に翻訳される。
(駄目な日本企業は「駄目な亭主」に似ていると感じる。結婚生活が長いからという訳の分からない理由で甘えてきて、何かしてやっても感謝もなく当たり前面。離婚されることなんてないと思って努力などしない。離婚を口に出したら顔を真っ赤にして怒り出す。しないなんて保障はどこにも無いのにだ。)
NikeもGapも他ブランドも感動的なCMやマーケティングを作り『ヒト』の部分を強調している。ジョーダンやマドンナの物語に感動しつつそれがブランドそのものとなるのだ。でもその広告作成費が無かったら、値段は半分になり労働者の賃金は倍になるって可能性はないのだろうか。
会社がイエとモノを使い分けて迫ってくるとき、こちらも同じように分けて対応すべきだろう。
法律の上で人格を持つのが『法人』。
その発祥は中世の修道院だったらしい。施しで生活し所有を認められない修道士の代わりに法人が『~修道会』として寄付を受け取り所有した。必要に迫られて発生したシステムだったのだ。
『法人』は信任者を必要とする。契約者ではない。法人の代わりに責任と倫理を持って財産を管理する人間だ。
その後法人は企業や会社へと変貌を遂げていく。法の上では人となり、財産や社員を所有する。同時に株主に所有されるモノでもある。
『会社は誰のものか?』と『資本主義から市民主義へ』は何度でも読み返したい名著だ。何がすごいって経済学部出身なのに株のシステムにさえ無知だった私が面白いと思えるほど、分かりやすく言葉をつむぐことだ。
株主市場主義という「法人/会社=モノ」なのがアメリカで、終身雇用に代表される「会社のイエ化、法人=人」なのが日本ということを岩井克人さんは言っていた。
『Big One』を見て、そして自分に勤める会社を見て、友人や知り合いの働く会社を聞いて思ったことがある。
労働者/消費者は会社をヒトだと信じ、経営/管理者は会社をモノとして扱う。
まるで男女のすれ違いのようだ。
マイケルは全国各地で一方的に解雇され不当な扱いを受ける労働者達に会う。
GMの工場が閉鎖された田舎。工場閉鎖を知ったのは前日でこれからは時給半分で働く以外に選択肢がない。
大型書店チェーン店のボーダーズに労働組合は無く時給はなんと6ドルだ。
「10ドルなんて贅沢は言わない。せめて8ドルにして欲しいよ」30代に思しき青年がそんな発言をする。良識的な雰囲気できちんと話す男性だ。
『全米最悪の都市』でサイン会を行ったムーアの前に現れた女性は前日解雇になったと涙ぐむ。今の子供たちが30、40になったときのことを考えると泣けてしまうのだという。
全国の工場は閉鎖され人件費の安いメキシコへ移る。インドネシアへ移る。第三世界へと移る。いわゆるSweat Shopだ。学校に行けない貧しい子供を1日中拘束しトイレに行くのも制限して安い給料で働かせる。
「競争力を保つためです。competitiveでいるためです。」
大企業の広報はそれ以外のことは言わない。
ムーアと唯一直接会ったNikeの社長も同様の趣旨の発言をした。それが資本主義、貧しい国に技術と仕事を与えてる、Nikeを世界一のメーカーにしたい云々。
彼らには全く罪悪感や反省の色が見えない。自分たちの決定で学校に行けなくなったり怪我したり死んだり不幸な人間が増えることに全く疑問を感じていない。
天災かコントロール出来ないロボットの仕業でもあるかのような対応をする。
つまり会社は人間としての倫理を持たず決定も出来ないモノなのだと主張しているのだ。
反対に社員はヒトとしての会社を愛し尽くし尽くされてきたと実感しているようだ。祖父の代からの仕事だった、こんなに冷たい仕打ちを受けると思わなかった、仲間にこんな仕打ちをするなんて信じられない等々。
映画の最期でNikeの工場で働きたい失業者たちが社長に訴えかえる。それもヒトとしてのNikeに。「俺はジョーダンしか履かない」「アメリカのNo1メーカーで大好きだ」
ビデオを見ても社長の顔色は変化なし。モノとしてのNikeに感情などない。
消費者と労働者にとって厄介なのは会社がヒトとモノの部分を上手く使い分けることだ。
例えば日本は「会社=イエ(ヒト)」「会社=モノ」がコインの裏表のようにころころ変わり利用されるようになっていることだ。あまりにも都合よく反転するため若い人は対応できずにいるだろう。
「みんなやってるんだから残業して、飲み会行って、手伝って」というイエ主張がされたかと思うと、「不況だからサビ残にするよ、ボーナスカットにするからね、賃金上昇ももちないよ。だってしょうがないじゃん、それが資本主義っていう鉄人28号で僕ら何にも出来ないもんね!!」というモノ主張が当たり前のようにされる。挙句の果てに「出来ないないらイエから追放するよ!君を拾ってくれる余裕のあるイエなんかあるのかな!?」というイエからの脅しを受ける。なので一度イエに入るとほとんど何も断れずに黙々と働くことになる。家族や子供を持つと余計にイエから追放される訳には行かなくなる。
イエアピールを日常的にして情緒に訴え罪悪感を煽るのが日本の会社の更に厄介なところだ。「みんなでがんばろう」は「お前だけ抜け駆けすんなよ」「自分だけ楽しようなんて思うなよ」に翻訳される。
(駄目な日本企業は「駄目な亭主」に似ていると感じる。結婚生活が長いからという訳の分からない理由で甘えてきて、何かしてやっても感謝もなく当たり前面。離婚されることなんてないと思って努力などしない。離婚を口に出したら顔を真っ赤にして怒り出す。しないなんて保障はどこにも無いのにだ。)
NikeもGapも他ブランドも感動的なCMやマーケティングを作り『ヒト』の部分を強調している。ジョーダンやマドンナの物語に感動しつつそれがブランドそのものとなるのだ。でもその広告作成費が無かったら、値段は半分になり労働者の賃金は倍になるって可能性はないのだろうか。
会社がイエとモノを使い分けて迫ってくるとき、こちらも同じように分けて対応すべきだろう。