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LA VIDA DE MAR-RICO

デッサン代わり

Act of Killing アクトオブキリング

2014年02月12日 23時17分01秒 | 日記


インドネシアで行われた大量殺戮の実行者にそれを演技させる、という
ドキュメンタリー。

報道規制、感傷、物語が何度もコピーされる。
その渦の中から現れたオリジナル作品という印象だ。
一瞬たりとも、画面の隅も見逃せない危険な映画のはず。

すっかりドキュメンタリー以外の映画も見たくなくなってしまった。
大作でも小作でも「あ、これ前見た感じ」あと「芸術のためだけに創ったな」と感じると興味をなくす。ハリウッドでも脚本や演出が優れてるものは多いだろう。でも何か足りない。

コリン、ラムジー、ギャスパー・ノエの3人は大画面で見なきゃ!と思う。
「見るというより体験する映画」とコリンが自分の映画のことを言ってた。
感じて触って嗅げる映画を一回体験するとかなり沢山の映画が見られなくなる。









このあたりも映画館で見ていいかなあ。
ゴダール特集してる映画館県内にあればね。。きっと大画面見たらすごいんだろうな。
あとはフィリップ・ガレル、むかーし見た「ママと娼婦」とか。

感動なんて与えてくれなくていいから、
高品質で多様性のあるものを放映すればテレビを購入するのに。

Rebelは瞬く間に拡散し蔓延する②

2014年01月11日 21時38分33秒 | 日記
二本目は『アイ・ウェイウェイは謝らない』
中国を代表する現代アーティスト、アイ・ウェイウェイの中国政府に対するResistance。

アイの名が広まったのは2008年の北京オリンピックと彼の作品『鳥の巣』だ。六本木ヒルズで展覧会『何によって?(だったと思う)』が開催されたのも同じ頃だ。私も足を運んだが、全ての作品が巨大で大量で圧倒的だった。が威圧的な感じはせずむしろ包み込むような、大海のような印象を持ったのを覚えている。忘れてしまって悔しいのだが、作品と製作に対する態度を表す彼の文章も知的でユーモアと思慮のある大人のものだった。

アイは父親が詩人らしい。言葉を操るのに長けているのも納得がいく。若い時分でアメリカのニューヨークへ渡る。
「自由は不思議なもので、一度味わうと決して忘れないし誰にも奪われない」
そういう趣旨の発言を映画内でしている。
彼の父親は文化大革命で辛苦を味わい、息子は父の自由を踏襲する。

中国共産党の政策に批判的だったアイは前述のオリンピック開会式にも参加していない。その後四川大地震での政府の対応を作品で批判する。

共産党はアイを目の敵にし、様々な方法で追い詰めようとする。
しかしアイは常に権力を出し抜く。大海のような作品を産む男は大海そのものだ。

例えば、美しくアーティストの心臓でもあるアトリエを政府はブルドーザーで破壊する。その方法の大胆さと理不尽さに驚くがもっと驚くのはアイの行動だ。
泣くことも怒ることも、業者に立てつくこともない。ゴミ扱いされるアトリエを静かに見つめ「よしビデオを撮れ」。それをそのままアート作品にしてしまう。兼証拠でもある。

その後何者かに暴力を振るわれた際も手術から何から経緯をTwitterで更新する。実況中継でありアート活動でありResistance。最新のインフラを使って最も効果的に伝えたいことに変換する。

政府のやり方は傲慢で理不尽で汚い、厚かましい。しかし彼らが文句も取り締まりも出来ないやり方でアイは抵抗する。向こうのやり方をそっくりコピーしてそのままぽんと返すのだ。小気味いい。パレスティナのラッパーたちに比べるとなんという百戦錬磨なのだろう。

アイをフォローする支持者は多い。Twitterでの呼びかけに集まる一般市民が映画に沢山登場する。中国国家と政府は決して国民とイコールではないという当たり前の事実に気づく。日本国民が日本政府とイコールでないのと同じだ。

長く共にする妻(同じくアーティスト?)が登場し、その後何の前触れもなく彼の幼い息子が登場する。え??と思っていたら妻以外の女性が産んだという。
「彼女とは友達だよ。え? 妻が平気かって? そんな訳ないじゃないか」と話す口調は「よしビデオ撮れ」と全く同じだ。何というか憎めないし、この人の子供欲しいと思う女性は沢山いるだろうと納得してしまった。イケメンでもないし年もとってるし腹も出てるがとてもセクシーな男だ。野村芳太郎映画に出ていたころの緒方拳と同じでもっと強いフェロモンだ。エネルギーに溢れなおかつ共感と許容を多分に持つ男。

映画の最期に彼は監禁され、権力に屈さざるを得ないように見えた。香港へ向かう際に急に身柄を拘束されてしまったのだ。本当に何でもアリの国だ。難癖さえ付けない。
しかし彼のTwitterとResistanceは続く。大海はどこまでもうねる。

中国人とそんなに密接になったことはない。職場や住処を共有したことがある程度だ。
私の印象は二つに分かれる。「謝ったら負け」という独善タイプと育ちは良いが素朴で癒しなタイプ。アイはそのどちらでもない。

2年くらい前だろうか、金投資のドキュメンタリー番組を見た。番組は中国人と日本人の青年二人を追っていた。30そこそこで投資会社を作った中国人は、細目で眼鏡で一見垢抜けない。もう一人が同じ年頃で住友商事に勤める商社マン。イギリスの大学院を卒業したというイケメン。合コンでモテそうだが真面目そうなタイプだった。
二人は同時期に金を売買する。その姿が非常に対照的だった。
商社マンの彼は正直彼女だったら見たくないなというほどあわあわしてパニックに陥っていた。常時画面に噛り付きながらコンビンの昼飯を口に押し込む。金の値段が一秒毎に上下するのを見て「うわー!」と混乱しっぱなし。
対して中国人の彼は、一瞬のミスで相当な額をすっても微動だにしなかったのだ。唖然としているのとは違う。静かに画面を見つめ眼鏡をすっと直してにやりとし「これが投資です」みたいなことを言った。モテない浪人生みたいなルックスなのだが無茶苦茶男前で格好良かった。

アイは彼のことを思い出させた。あの大海が歴史から生まれたのか競争から生まれたのか理不尽な社会から生まれたのか不明だ。割合は多くないだろうが、アイや彼のような三国志を踏襲する人物が中国にはいる。彼らにかかったら私も日本も一ひねりだなと思う。

パレスティナとアイとのResistanceは比較するとまた興味深い。

前者はパレスティナ人対イスラエル国家。つなり人種と国を股がっている。
後者はアイと彼の支持者対中国政府。国家内でのムーブメントだ。
両者を刺激したのはアメリカ民主主義だ。アメリカのストリートムーブメントは偉大だ。

Resistanceが個人対法人なのだと感じる。法の上でしか人格をもたない、物質的に触れないものが抵抗する相手なのだと。個人同士が割りと簡単に繋がれる現在はResistanceの発祥も方法も劇的に変化している。ウィルスのようにあっという間に伝染して増殖する。

SlingShotを見たとき身なりのきちんとした育ちの良さそうな女性が映画館で人目を憚らずわんわん泣いていた。アイを見たときは明らかに知的層に入るだろう初老の男女が手を叩いてそのウィットを楽しんでいた。

一度毛穴に染み込んだ自由が蒸発することはないんだろうなと彼らを思い出して実感する。

Rebelはウィルス、瞬く間に拡散し蔓延する①

2014年01月11日 21時38分10秒 | 日記
昨年末に映画館で良質なドキュメンタリー映画を二本鑑賞した。
二作ともRebel、Resistanceの映画だ。

一本目の原題は『Slingshots Hip Hop』。
Slingshotとは投石、パチンコの意で、この題が映画全体を非常に上手く伝えている。
紛争やデモのニュース映像で政府軍に石を投げている群衆を見たことがあるだろう。草の根的で切実なResistanceとしてのHipHopがパレスティナに存在する。『自由と壁とヒップホップ』という邦題はセンスが無さ過ぎる。原題のままでいいのにどうして無理やり付けるのだろう。

ちなみにこちらはYouTobeで全編公開中。英語字幕しかないが分からなくとも充分熱気が伝わる。

主役はパレスティナ人のラッパーたち。
パレスティナ自治区はイスラエルの中に存在する。どちらが先住していたとかどちらの土地であるかという言及は避ける。あまりにも状況が複雑でわかりずらく公平ではない気がする。但し欧米がアラブ人(パレスティナ)とユダヤ人(イスラエル)を利用したのは事実だ。

パレスティナの実情は日本ではほとんど放映されない。日本は宗教問題に疎く地理的にも遠く離れている。そして何より新米国家のイスラエルに不利な情報を米追従の日本のマスコミが流すわけが無い。

イスラエル国家内に住むアラブ人たち。アラブ語を話すイスラム教徒で、ヘブライ語を話すユダヤ教徒のイスラエル人とは顔つきも異なる。
彼らが住むのは東西に分かれた二箇所のエリアと認識されている。しかしイスラエル国内に住んでいる者もいる。先祖代々が住む土地で暮らしてきた結果だ。

「2pacのPVを見たとき、うちの近所かと思ったんだ」
そう話すのはリダ?とかいうイスラエル内の町に住むタミール。麻薬と貧困と暴力が蔓延するアメリカのスラムとそっくりな場所がイスラエルにもあるのだと私は初めてしった。
タミールは弟や友達と初めは英語で、そのうちアラブ語でラップを始める。紛争と本場のHiphopと本が彼を作っている。

パレスティナ自治区は高い壁で覆われ、更に自治区内を移動するにも検問が必要だ。何時間も待ちぼうけを食わされることもある。

自治区内外のラッパーたちが男女入り乱れのライブを画策するのだが、互いが顔を合わせることも容易でない。

インターネットとYouTubeが無ければ、HipHopに出会うことも彼ら同志が会うことも無かったろう。アメリカは彼らにとって敵国だが、彼らを救ったのが敵国の文化だったのが興味深い。自分たちと同じく敵国に搾取されている存在に共感を覚えたのだ。
個人と個人が繋がりRebelが共振している。

不謹慎な感想かも知れないが、男女を含めたラッパーたちが皆素朴で愛らしい。少女たちが見よう見真似でバンダナを一生懸命巻いている姿は本当に可愛らしかった。青年達もコワモテとは程遠いしマッチョイズムを張り合うわけでもない。昔見たかったのに結局見られなかったのだが、西アフリカのブルキナファソのラッパーたちのドキュメンタリー映画がある。題名も忘れてしまったが、予告編に映る男女もとても愛らしく感じた。独特の訛りのフランス語でラップするアフリカン。女性は田舎のヤンキー娘のような素朴で暖かい突っ張り&ビッチ感があった。また見たくなった。

今年偶然アラブ人の少年と知り合った。数年前まで独裁国家だった中東国の出身なのだが、現代的で育ちのよい、しかもアイドルグループに入れそうなイケメンで正直かなりのカルチャーショックだった。ムスリムだがもちろんテロリストではない。英語、フランス語とアラブ語も話せる。
西洋経由の情報とニュースが与える印象と実際とはかなり違うのだ。

一つ気になったのはタミールが孤児を面倒見るために法人を設立していることだ。それ自体は素晴らしいし、近くに居たら好きになるだろうなと思うくらいいい男性なのだが。
「誰がテロリストなんだよ、お前らが勝手にやってきて奪ってったんだろ」
という攻撃的な詩のラップを子供達が一緒になって口ずさんでいる。
ユダヤ人、イスラエル人への憎悪はごくごく自然に育ちまた爆発するのだろう。

自由の国のアリス達

2014年01月11日 21時37分28秒 | 日記

Freeの国アメリカのドキュメンタリーを二本鑑賞した。
ちなみにFreeとは『禁止』『無』の意もある。Duty Free(関税無)、Sugar Free(砂糖不使用)、Smoke Free(喫煙禁止)。
何が禁止で何が無い国なのか。それが分かるドキュメント二本。

2006年11月製作の一本目「貧困のスパイラル、アメリカ格差社会の実態」。
最初にNHKの男性コメンテーター(アナウンサーだろうか、見たことない)が登場し「海の向こうで起きている大変なこと=他人事」として紹介するのに違和感を感じる。

登場人物は4人、みな実話で実在するアメリカ人だ。

1;ジーン:介護士として働く多分50代の肥満体の白人女性。14年目にして時給11ドルで朝から晩まで働いている。現在は娘3人(一人は難病かつ離婚した出戻りで子供が一緒)と暮らす。「娘達に自分が親にしてもらったことをしてやれない」と言う彼女は良識的でユーモアもある優しい母という印象を受けた。アメリカの豊かな中流生活を味わった後に貧困に陥った層なのだろう。

2;ジェリー:時給は12ドルで警備員として働く多分40代のメキシコ系男性。サンフランシスコの低所得者用ホテル(フロ共同で家賃500ドル強)に住み、9年会っていない子供に200ドル仕送りする。元妻ドラッグ中毒、自分は元アル中で現在は更正するも、ジム通いで心身共に健康を維持しないと不安らしい。組合に入り、給与の改善+医療保険負担を求めてストライキとデモ。給与も上がり自分より背の高くなった子供達と再会して涙を流す。

3;メアリー:時給2ドルでウェイトレスとして働く多分40代の白人女性。離婚した夫は貯金と車を持って去り、自宅と子供二人が彼女に残される。家は手放さなくてはならないことと聞いて小さな息子は荒れる。離婚が成立し、ボーイフレンドが出来る。ベビーシッターしてくれる子持ちの男と「結婚しないで」と言う娘。

4;バーバラ:児童施設で働く30代の黒人女性。子供は5人で時給は8ドル。育児、医療、家賃補助を受け取って何とか暮らす。地方で祖母に育てられ、5歳で性的虐待。その後実母に預けられるも彼女にも虐待され現在働く施設へ。しかしそこでも性的虐待。
よりよい給与と仕事を求めて大学へ。しかし準学士を取り給与が上がった段階で補助が切られ、以前より出費が増えてしまう。その後他の介護施設へ。努力と人柄が認められ正職員になる。「認められるのは初めて」と涙を流す彼女。
だが給与が上がるたびに補助が切られ出費が増える。
「努力する度に押し戻される感覚」と泣きながら訴える。

彼らは「運の悪さ」で貧困へと落ちそこから抜け出せない。理不尽で心が折れそうな境遇でもふんばる姿は胸が痛い。ほとんどが人生をやり直すには若くないし守るべき存在もいる。それでも僅かに前進する彼らを見て少し安堵し救われたと感じる。

そして二本目。「個人破産 アメリカ経済がおかしい」

一本目と比較するとFreeが自由になったり禁止になったりするように、アメリカ社会の背筋が凍るような矛盾に気づく。

前述の4人の感覚はまともだ。少なくとも私は心の裡を理解でき、共感できる。

給与upを目指して大学に行こう、給与が出たら子供に会いに行こう、子供のために何かしてやりたい、食料配給を受けるなんて恥ずかしい、クリスマスプレゼントさえ買えないなんて辛い、給与が仕事に見合ってない。

二本目の登場人物には共感出来ない。好き嫌いではなく、思考回路が全く分からない。人種、宗教、教育。何のせいなのかも不明だ。

1 ピート:フロリダ州で携帯販売会社を持つ33歳で借金1000万円を抱える。
庭のジャクジーから高級レストランでの食事まで、全てクレジットカードで支払い、ミニマムペイメントというリボ払いのようなシステムで毎月20万返済している。支払い先送り分にはもちろん金利が付く。所有カードは15枚だ。

温度調節できるミキサー(欲しがる理由も必要性も全くわからない)4万円をカード購入しようとするが、カードの使用が不可。16枚目のカード作成は会社に拒否される。借金も豪華な生活も終焉する。

2;ファーマー一家:フロリダ州で持ち家に住む夫妻、大学生の娘二人と末娘がいる。
末娘出産を機に仕事を辞めた妻。5年後に仕事復帰するまで学費をクレジットで支払う。6万円限度、5年後に借金はまとめて返済するという地道な計画だった。

ところが2%のミニマムペイメント額がいつの間にか20万円へ。もともとは1200円だが、あらゆる支払いをカードに託すようになり6万の予定を遥かに超えていた。
借金は何と1000万円に。自宅を担保に借金して借金を返すがこれで自体が余計に悪化。

破産し自宅を手放すことに。

3;ティム:パームスプリングという新興住宅地にて妻娘と三人暮らし。
高級住宅、バイク等を購入するなど羽振りがよい。それは彼がリファイナンスと呼ばれる追加借金をしているからだ。所有する住宅の資産価値が上がるとそれを担保に借金を増やすのだ。2000万で購入した住宅が3000万になった段階で、借金を800万増やす。

4;ロイ・クック:ヘネシー州ノックヴィルの金融ブローカー。ローンを組んでいる人や家族に比較的金利の低い融資を紹介して更に借金をさせる。「今と同じ負担で借金を増やせます」が決め文句になるという。

彼の客探しは地道だ。銀行裏のゴミ袋を漁って督促状を探し出す。借金が払えず困っている個人の情報を探し彼らに追加で借金させるのだ。相手は誰でもいいのだと言う。金を持っていようと持ってなかろうと知ったこっちゃない、と。

5;マイクとヘザー:パームスプリングに住む若夫婦。2300万円で家を購入、それを担保に借金して高級車や豪華な外食をクレジットカードで支払う。しかし彼らは前述の家族のようにリファイナンスが出来ない。住宅価格が以前のように上がらなくなったからだ。バブルが終わったら借金とローンだけが残る。支払いは月60万円。

奥さんの話し振りから高等教育を受けていないのが分かる。建設現場で働く夫も高卒だろう。サブプライムローンに乗ってそして取り残された貧しいカップルだ。つまりこの後リーマンショックが起こりきっと二人は最悪の結果を迎えただろう。

6;オサリバン一家:シカゴに住む6人家族で借金は2600万円で月の返済23万円。リファイナンスは4回している。夫婦共々比較的エリートだったが景気悪化からレイオフに遭っている。取立ての電話が鳴りっぱなしだが誰も取らない。家は手放すしかない。

アメリカ国民の借金総額は1000兆円だ。それは国の経済を個人消費で支えているからだ。
アメリカは国家をあげて貧困ビジネスをしている。
『人生は短い、だから楽しめ。楽しむことがどういうことか分かるな? それは永遠に消費することだ。借金し続けろ。』国民へのメッセージ。

それを信じて行動する者が健全で幸福なアメリカ国民、なのだ。借金生活が破綻するまで、彼らはWinnerと呼ばれる。離婚や人生で何度かしてしまう過ちのせいで底辺に落ち、件名に最低限の権利を取り戻そうとする人々がLoserと呼ばれるのに。


「借金していたのにそれが自分の資産であるかのように錯覚していたんだ」
登場人物の一人が言う。

二本とも数年前なら『アメリカは大変な国だ』という感慨しか持たなかった。でも今は本当に自分の隣になる現実だ。日本社会もアメリカの轍を追っている。
単身世帯で収入もぎりぎりの私はいつ前者たち貧困層に落ちるか分からない。
そして日本社会と未だにそれを信じ庇護されている人たちはいつ後者のようなどんでん返しを食うか分からない。例えば空家率の上昇に反比例して乱立するマンション。購入するのはお金を持っている無邪気な人か転売目的の投資家かどちらかだろう。資産価値がいくらあってもそれは値札と同じ。誰も買いたくなければsaleになる。買い叩かれる可能性の方が高いはずだ。不要なものを莫大な時間と資源をかけて作る。それを売買することに疑問を持たない人は借金と給与の区別がつかない人とパラレルだ。

そしてもう一つの懸念。アメリカは債務国であり、日本と中国は最大の債権国だ。アメリカは日本に借金しまくりデフォルト(債務不履行=破産)寸前だ。

国家も「まるで自分の資産かのように錯覚していた」と弁解するのだろうか。日本から借りたとももらったとも思わず、もともと自分たちのお金だったと思っているのだろうか。