エドルネ日記

散策、写真、サイクリング、バードウォッチング、神社、地形、料理、手芸、etc

椿の里を訪ねて~地名の由来と古地図

2013-01-21 | 地図・地形

「椿の里を訪ねて」の続きです。

この素敵な「椿」という地名はどこから来たのでしょうか?

「・・椿とよばれた土地が一之江新田にありました。城立寺周辺には椿が

群生していたとつたえられ、椿の地名もこれに由来するものと思われます。

江戸川二丁目の浄光寺にある順定和尚の墓石(文政十年、1927)に

『椿村』という文字があることから、ある程度まとまった集落だった可能性もあります。

浄光寺の歴代住職は寺子屋の師匠をしており、その生徒である筆子の中には

椿から通っているものもいたのでしょう。」

引用:地名のはなし 江戸川区教育委員会編

地名の由来は、これといったものが古文書などから

出てきてないので詳細は不明とのこと。

 

ここから先は、地元の椿開拓者顕彰の会編纂の「椿物語」の鳥瞰図と

いくつかの古地図をもとにこの地の昔の姿を探ってみたい。

まず「椿」と呼ばれた場所の周辺を地図でみてみます。

東京府南葛飾郡全図(明治38年 東京府南葛飾郡役所)

東一之江、西一之江、一之江新田の記載がありますが、

「椿」は地図のやや右にある一ノ江新田が椿と呼ばれた場所です。

 

1/20000地形図 東京東部 明治42年

※一之江について

「一之江は、その最初の記録である『葛西御厨注文』(1398)のころから、一之江境川を

はさむ東一之江と西一之江の二村として存在しています。今日「一之江」と書かれる

この地名は、一江(葛西御厨注文)、一之江(『小田原衆所領役帳』 1559)

市野江(『武蔵田園簿』1644ころ)、市江(元禄の改訂図)と異なった文字がつかわれて

います。『江戸川区史』(昭和51年)では、境川の両岸にあった集落で、江の文字が

示すように入江があったのでこの名があると書いています。」

引用:地名のはなし 江戸川区教育委員会編

江戸川区史より引用

ちょうど川や水路がわかりやすい図があったので、引用しました。

上の地図の、仲井堀と一之江境川を目印に見比べてもらえれば

土地勘のある人には、今昔がわかると思います。

以下も参照してね。

※明治から現在までのうつりかわりがわかる地図

http://goo.gl/maps/CRZaS(今昔マップ2にて作成)

 

「椿」について、どう書いていいものやら時間だけが過ぎてしまいました。

いろいろなことが気になるけど、調べがつかないし、わかりにくい。

このままだと自分で地図を眺めただけで終わってしまうので、きょうは

とりあえず古地図をアップ。

次は、一番上の東京府南葛飾郡全図に行徳道と書いてあるところから、

椿(一之江新田)まで昔の痕跡をたどりながら歩いてみます。

 

使用ソフト:今昔マップ2

       

 


最新の画像もっと見る