エドルネ日記

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景勝の地 荒戸(津)山から貝原益軒が見た景色とは?~地形散策・光雲神社の参道を歩く

2016-09-26 | 福岡

順番は前後しますが、荒戸山からの眺望シリーズ第二段(※1)です。

江戸時代の儒学者貝原益軒

「此の山にのぼりて四方をかえり見たる景色、いつも見るたびに目を驚かし、時々につけて、人の心をうごかせり」

と、荒戸山からの眺望をほめたたえたといいます。当時ここから見える景色はどのようなものだったのでしょう。

 

山をのぼると言っても山は低く歩く距離も短いのですが、とても楽しみにしていた地形散歩。

いつもはあまり下調べをせずに行き当たりばったりな私の街歩き。

でも今回は違う。何度もこのあたりの地形図を眺めてきた。

実際歩いてみるとどんな感じだろう?胸が高鳴る。

  

鳥居の脇から撮影。

左に西公園の石碑が見える。

荒戸山は現在光雲神社を含み西公園として整備されている。

※西公園・・・万葉の時代に荒津山と呼ばれた景勝の地が、この西公園である。
 黒田如水・長政を祀った光雲神社や母里太兵衛と幕末の志士である平野国臣の銅像、加藤司書の歌碑、徳富蘇峰の詩碑、万葉歌碑などがあり、展望台からは、東に福岡市街地、北に博多湾や海の中道、志賀島の佳景が一望できる。 2500本余の桜が植栽され、春には花見客で賑わう。

出典:福岡市の文化財>西公園

 

8月の猛暑日、セミの大合唱のなか噴き出す汗

夫とふたり高低差を楽しみ(苦しみ?)ながら歩く。

 

最後に階段が待っていた。ひぃ~

段数は多くはないのだけれど、暑くてこたえる。(;´Д`A ```

 

 

万葉の頃からの景勝の地であったという荒津(戸)山、カシミール3Dを用いて復習をば・・・(※)

<地理院地図+スーパー地形>

赤いピンは西公園入口鳥居と参道の階段登り切ったポイント

<断面図>

参道の傾斜はこんな感じ。

参考サイト: http://maps.gsi.go.jp/#16/33.594523/130.376043/&base=std&ls=std%7Crelief%2C0.6&disp=11&lcd=relief&vs=c1j0l0u0f0

 

階段の上からの景色。正面の山はなんだろう。

視線を遮る木々やビルを取り払ったら・・・

<画角96度の展望図> 正面に見えていたのは油山ですね。

 

基山、 麁原山、油山、羽金山をざっくり目印としていれてみる。

正確な地図はでこちらで。

 

・・・2016年夏荒戸山の南側の眺望はこんな感じ。

で、肝心の貝原益軒の時代、当時の様子は??

以下参考になるサイトを見つけました。

  


 

 

吉田家文書528「福岡城下絵図」の特徴
• 城下町建設に関わった職人、町人が住んだと考えられる六
町筋の町並みが描かれる
• 本丸、三の丸西側に藩主居宅と思われる建造物が描かれて
いる
• 荒戸山に東照宮、源光院が描かれていない
• 荒戸の波戸が描かれていない、但し寛永2(1625)年構築の
御座船鳳凰丸用の堀らしきものが描かれている
• 唐人町の北側に松林が描かれている
• 唐人町の南側に新大工町が描かれていない
• 大堀の南、鳥飼周辺に田地がひろがる
• 以上から、本絵図には近世前期の福岡城下の景観が描か
れている。現在知られている福岡城下を描いた絵図のなか
でも最も時代を遡る景観と考えられる
• その他の特徴として、付箋が付されている

※絵図と青字引用

出典:古地図について -九州文化史所蔵の福岡城下図- 記録資料館九州文化史資料部門 梶嶋政司

 


 

〇メモ

・貝原益軒( 1630年- 1714年)

・荒戸の波戸は、万治(まんじ)2(1659)年、3代藩主黒田光之(みつゆき)が船の繋留の便を図るため、古くからあった波戸を崩し、新たな波戸を築くように命じたもので、寛文(かんぶん)元(1661)年に完成しました。

・東照宮、1652年に勧請

・福岡城は・関ヶ原の戦いののち、豊前中津から筑前に入国した黒田長政が、福崎(旧那珂郡警固村・現舞鶴公園)に1601年(慶長6年)から7年の歳月をかけて、総面積80万㎡(24万坪)、東西1km、南北700mの全国でも有数の規模の平山型の城を築城。 城名は、黒田氏の故地である備前国邑久郡福岡(岡山県)に由来。 海側から望むと、鶴が羽ばたく姿に似ていることから「舞鶴城」とも呼ばれています。黒田家ゆかりの備前(びぜん)国邑久(おく)郡福岡から名をとって福岡城とし、以後黒田家12代、270年の居城となりました。 

 

・・・「福岡城下絵図」が描かれた時期と貝原益軒の生きた時代がとちょうど重なっていそうです。

資料が少なく築城時の詳細は不明な部分が多いとのことですが 

1800年頃描かれた「福岡城下・博多・近隣古図(三奈木黒田家文書423)」と見比べてみて

城下町造成中で辺りはずいぶんと鄙びた様子だったことがわかります。

「此の山にのぼりて四方をかえり見たる景色、いつも見るたびに目を驚かし、時々につけて、人の心をうごかせり」

ここからの360度のパノラマは海あり山ありお城ありの感動ものだったのでしょう。

貝原益軒が見るたびに目を驚かし心うごかせた風景をわたしも見てみたかった!

 

ちなみに大正15年以降の地図はこちらにて見られます。

 

それにしても!!!

今回福岡城跡も歩いたのですが、お城が残っていればと残念でなりません。

 

 


 〇参考サイト:

福岡市の文化財

古地図について -九州文化史所蔵の福岡城下図- 記録資料館九州文化史資料部門 梶嶋政司

福岡図巻を読む /アーカイブズ / 福岡市博物館

地理院地図

今昔マップon the web 


〇利用ソフト:

カシミール3D

スーパー地形セット

   


(※1) 関連ブログ・・荒津山(西公園・福岡市)からの眺め (2016-09-12




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