エドルネ日記

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移り変わる新川橋の景色その2 ~江戸川区初の鉄橋

2010-04-28 | 江戸川区


昭和22年の航空写真


昭和38年の航空写真


最近の航空写真
江戸川区新川の新川橋付近の航空写真の今昔を3枚並べてみました。
goo地図より画面コピーしたもの

カッコで囲まれたポイントは現在の新川橋の位置を示しています。
昭和22年の航空写真に写っている橋の角度が違うのがわかります。
また、昭和38年の航空写真では川の南側の水路が暗渠となり、橋の幅も道幅同様に広がっています。

現在の新川橋が昭和35年にかけ変わったので、
一番上の航空写真が区内第一号の鉄橋の新川橋、下2枚の航空写真が2代目の新川橋(今の新川橋)ということになります。


先日のブログでも少し書きましたが、初代で区内第一号の鉄橋という新川橋の写真です。
(江戸川区郷土資料室企画展「地図と空中写真でみる江戸川区のちょっと昔」にて撮影)

初代の新川橋にまつわりる当時の興味深い逸話を、江戸川区史のなかにみつけました。

「橋は架けたいが村に金がなくて思案していた村長さんの頭にふと大正天皇御大典記念大博覧会で
みた上野不忍池の鉄橋がヒラめいた。長さも幅もちょうど手頃。早速1株10円の株主を募って
払い下げを受けた。長さが少し足らず1メートルほど継ぎ足して完成、渡り初めの日は花火があがり
見世物小屋が出、村はお祭り騒ぎ。欄干は緑、橋第は赤煉瓦のはなやかさであった。こうして
本区における鉄橋第一号がお目得したが、村の財政は不如意、喜んでばかりもいられず一人
一銭の橋銭をとることにしたという。大正5年4月のことである。」
(引用:江戸川区史第3巻P1115 区内歴史散歩)

もしかしたら、本当は今のように斜めに橋を架けたかったのではないかしら?
でも斜めにすると橋の長さが長くなって費用がかさむから、最短距離の垂直に橋をかけたとか??

橋の位置と道の関係について、今昔マップ2でみてみました。


明治42年の地図・・橋が架けられる前


昭和20年・・初代の新川橋がかかっています


平成13年・・現在かかっている2代目の橋です。

橋が架けられる前の地図をみても、なぜ今と違う垂直にかかっていたのか理由がつかめない。
本当は初めから斜めに架けたかったけど、費用の問題でやめたんじゃないかな。どうなんでしょ・・

お祭り騒ぎで喜んだという橋も、今はどこにでもある風景のひとつ。
あっという間に渡れちゃうあの新川橋に、橋銭がかかっていたというのも、驚きでした!

身近な川の歴史なので、もう少し資料を調べてからと思ったりもするけど、
そうすると、いつまでもアップできないので、間違いや、足りない部分は、追記で修正していくことにします。

・・ということで、よろしくお願いします




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