新川東水門から新川沿いに自転車でまわってみました。
(まわったの4/9ですので、少し時間がたってしまいましたが・・^^;)
新川橋の掛け替えの工事中でした。新しい欄干は木調でした。
新川橋の古い欄干が右にみえます。お疲れ様でした。(^^
新川橋掛け替え説明板
新川橋のたもとに舟が!?見ると男性が3人、ちょうど舟に乗りこんだところ・・・
立ち止まって見ていると、試運転をしている様子。(そのように見えました)
竹竿で舟を操っている風に見えますが、、前を行く一艘の舟にエンジンが積んであり、ロープに引かれて三角橋まで
1区間の運航でした。
私ったらなんてタイミングが良いのでしょう(^^)v ラッキー♪
そういえば、以前、江戸川区郷土資料室企画展「地図と空中写真でみる江戸川区のちょっと昔」に出かけた際
撮った写真のなかに新川に関するものがあったことを思い出しました。
結構大きな船が通っていたのですね!
調べてみると、蒸気エンジンをもつ利根川丸や外輪船で当時大変人気のあった通運丸が
就航していたとのこと。
新川橋の初代は大正5年の鉄橋、今回かけ変わるのが昭和35年掛けられたもの。
写真に写っている古川は一部暗渠となり、いま新川橋から見ることができません。
※古川と新川・・・元々は、江戸時代に行徳塩田から江戸へ塩を運ぶために掘られた船堀川が古川で、
寛永6年(1629)に現在の三角以東に直線的に水をが開削されルートが南側へと変更となった際、
新しい運河を新川と呼ぶのに対して、旧船堀川を古川と呼び残された。(参照:江戸川区教育委員会「地名の話」)
ここで、新しい運河と古い運河が交わっていたですね。
同じく「地名の話」(江戸川区教育委員会)に、当時の新川の様子がわかる興味深い記述がありました。
江戸の町の発展にしたがって
新川沿岸には、味噌、醤油、酒を売る店や料理屋が繁盛していたそうです。
また、明治時代の舟運について
「夜の航行の音が耳慣れず安眠妨げられた沿岸の住民が怒って瓦礫を投げ、乗客が
傷ついたりした」(「郵便報知」明治14年8月)という話もありました。
ブラタモリ的に当時の様子をCG化できちゃったりすると、かなり面白そう。
今から想像できない風景がそこにひろがっている・・みたいな♪
新川散策その②につづく
新川関連ブログ:新川の記憶をgooの地図で見てみる!(2008年5月の撮影ポイントを地図でみた)
新川関連ニュース:江戸川区>新川千本桜・・これを見ると新川に舟を浮かべるようですね。(^^)
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昭和40年竣工だそうで、その前はどんな姿だったのか
ちょっと調べてみたくなりました。
今のように水門が閉鎖されたのは、地盤沈下による水害を
防ぐためだとか(ウェキペディア:「新川」)
また、船堀から旧江戸川は逆潮になる為、無風時は有料で曳船をしていた
というし、川と人の歴史・・治水・利水の歴史は深くて、その跡をたどるのは楽しいものですね♪