神の手のひらの上で

2012年05月05日 00時00分00秒 | 日記/報告・紹介ブログ

神の手のひらの上で

      

土佐のくじらさんの日記から、転載です。

2012年05月04日10:21


以前、私の父が見せてくれた、天体マジックの話を、
日記に書いたことがあります。
http://blog.goo.ne.jp/ziyuunakaze/e/153522be542f3208a70241e5a54ef31f


父が見せてくれた美しい星空は、
目の錯覚、生物学的には、
【暗順応】 と言われるものを利用したものでした。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9A%97%E9%A0%86%E5%BF%9C

暗いところに慣れた目は、少しの光をも強く感知します。

ですから、長時間暗がりにいたその時の私は、
通常では見ることの出来ない、小さな星々の光まで、
見ることが出来たのですね。

乾いた秋風が、その時に吹いていたことも、
今から思えば、重要な原因でありましょう。

暗順応、それは確かに、
人間の身体の、生物学的な機能ではあります。

しかし同時に、その時に私が見たものは、

本来の、地球を取り巻く、星空の映像・・・
星空の現実の姿・・・でもあったのです。

つまり、
いつも私たちが見ている、どちらかと言えば暗い星空は、

地上が、文明の人工的な光によって明るいためにかき消されて、
人間の眼が、その地上の明るさに慣れすぎているために、
見たり、感じ取ることが出来ないだけなのです。

また、大気が汚染されているために、
光が地上に、届かないから見えていないのです。

実際の天上の星々は、
子供の頃の私が見たように、

常に、光が垂れてきそうなくらいの強い光で、
古来より現在に至るまで、夜空に輝いているのですね。


つまり、暗い夜空しか見えないのは、あくまで、

地上の都合・・・

でしかないのということです。


神のお姿が、見えるか見えないかという議論も、
神の御存在を、いるとかいないとか、とやかくいう議論も、

結局は、それと同じ理屈なのではないでしょうか。


人間が、自ら創り出した文明に酔っているとか、
人間各自の心が、薄汚れた想念で曇っているとか、


そういった、
地上に生きる人間側の都合で、

見ることが出来なかったり、
感じ取れなくなっているだけなのではないでしょうか。


常に、神の温かい眼差しを、
感じ取れる行き方を、心がけたいものであります。

 


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