咲いた万歩

さいたま市在住。 デジカメ片手に、四季折々の花木草を眺めつつ、 万歩ウォーキングで健康な日々。

昭和初期の浦和駅西口広場

2017年02月23日 | 日記
大宮市史の年表に “ 昭和7年9月1日 大宮~赤羽間の省線電車<京浜東北線>開通 ” という記事があるのだが、さいたま市立博物館発行『鉄道の街さいたま』に当時の報知新聞が紹介されている。
報知新聞の記事は4点の空中写真で、左に寫眞説明があるのだが、画像が不鮮明で読み取れない。
写真の上半分は大宮駅で下半分の左は浦和駅である。下半分右の上は大宮小学校、右の下は埼玉県庁だと思う。
今日はこのうち下半分の左の写真(浦和駅)を検討してみたい。
東口の駅前広場が見えるが、ウィキペディア浦和駅によれば、東口開設は昭和5年である。

昭和7年から14年後の昭和21年の空中写真を見る。
駅舎は昭和7年から変わっていない。
昭和7年から40年後、昭和47年頃の空中写真を見る。
ウィキペディア浦和駅によれば、西口の駅舎は昭和42年に改築されている。

昭和21年と昭和47年頃の写真を照らし合わせ、次に双方の写真に黄で目安線を引き、昭和21年の線路と駅舎の左端位置を赤で示す。昭和21年の空中写真と昭和47年頃の空中写真。
改築された駅舎は旧駅舎の駅前広場に建てられたことがわかる。
昭和21年の緑で示した道を昭和47年頃の写真に描くとこのようになるのではないかと思う。

昭和21年の緑で示した道は昭和7年のこの道(緑)だと思う。
そして青で示した道は昭和21年のこの道(青)だと思う。
昭和9年頃の浦和駅前の写真を見ると右端にビルが少し写っている。このビル(赤矢印)だと思う。
昭和47年頃の写真に青の道を描くとこのようになると思う。

昭和43年12月の写真を見る。
この建物(黄)は昭和7年のこの建物(黄)のように見える。

昭和7年の駅前広場を白枠で示す。
昭和21年の写真にその範囲を描くとこのようになると思う。
昭和47年頃の写真ではこのようになると思う。
現在の地図に緑で描くとこんな感じになるのではないかと思う。ずいぶん小さかった。
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2 コメント

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Unknown (toshi1390)
2018-10-24 13:29:15
<この建物(黄色>は確か飲食店でした。「高砂」という名前が入っていたように記憶しているのですが、高砂食堂だったか高砂屋だったか記憶が定かではありません。多分隣の白いビルだったか、その隣の建物だったかいずれかに今のときわ団子がありました。当時埼玉県で一番地価が高いと言われたところです。
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昔の浦和駅前 (咲いた万歩)
2018-10-24 17:22:25
昔の浦和駅西口前の商店の名称はよくわからないのですが、おかげさまで少しわかりました。
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