大宮市史年表に 《 昭和4年(1929)5・12 日進村大字下加に国立大宮種鶏場が開場 》 というのがある。
昭和9年大宮鳥瞰図のここ(右上)だと思う。
昭和7年の大宮保勝会パンフにも右上に国立種鶏場が載っている。
三橋村耕地整理組合全図のここに国立種鶏場がある。
当時の新聞には「東北本線の大宮駅で西武鉄道大宮線により種鶏場前停留場に下車して約十二町」とある。
三橋村耕地整理組合全図に赤で示した道を現在の地図(ヤフー)に赤で示すと概ねこのようになると思う。
地図記号の神社を青丸で示し、寺院を緑丸で示す。
マピオン地図には青丸のところには駒形神社があり、緑丸のところには普門院末地蔵堂がある。
当時の新聞には「種鶏場前停留場に下車して・・・」とあった。
大宮市史に掲載の川越電気鉄道の図を見る。
大宮を出ると停留場は大成、並木、内野と続く。
大正13年測量の地図に西武鉄道大宮線を緑で示す。
原口隆行『日本の路面電車Ⅱ』に掲載の昭和10年代前半の停留場名を見ると、大成と内野の間に種鶏場前がある。並木という停留場はなくなっている。「並木」という停留場が「種鶏場前」に名称変更したものか、という疑問が発生する。
三橋村耕地整理組合全図に西武鉄道大宮線を緑で示す。
大宮を出ると停留場は大成、種鶏場前、並木、内野と続いている。「並木」から「種鶏場前」に名称変更したのではなく、「種鶏場前」は新設された停留場だと思われる。
三橋村耕地整理組合全図に緑で示した道は現在のこの道と概ね重なると思う。
そうすると種鶏場前停留場は現在の上小町信号交差点の辺りにあったということになる。
2019年12月17日ブログで私は上小町信号交差点を西から東へ直進して振り返った。

ウィキペディア種鶏場前駅には “ 大宮種鶏場は戦後に「大宮種畜牧場」と改称 ” と記述されている。
昭和41年改44年修の地図を見ると大宮種畜場と表示されている。
ウィキペディア種鶏場前駅には “ その跡地は現在農業・食品産業技術総合研究機構生物系特定産業技術研究支援センター・農業技術革新工学研究センターとなっている ” と記述されている。
2019年12月13日ブログで私は農業・食品産業技術総合研究機構 農業技術革新工学研究センターを見た。
昭和9年大宮鳥瞰図のここ(右上)だと思う。
昭和7年の大宮保勝会パンフにも右上に国立種鶏場が載っている。
三橋村耕地整理組合全図のここに国立種鶏場がある。
当時の新聞には「東北本線の大宮駅で西武鉄道大宮線により種鶏場前停留場に下車して約十二町」とある。
三橋村耕地整理組合全図に赤で示した道を現在の地図(ヤフー)に赤で示すと概ねこのようになると思う。
地図記号の神社を青丸で示し、寺院を緑丸で示す。
マピオン地図には青丸のところには駒形神社があり、緑丸のところには普門院末地蔵堂がある。
当時の新聞には「種鶏場前停留場に下車して・・・」とあった。
大宮市史に掲載の川越電気鉄道の図を見る。
大宮を出ると停留場は大成、並木、内野と続く。
大正13年測量の地図に西武鉄道大宮線を緑で示す。
原口隆行『日本の路面電車Ⅱ』に掲載の昭和10年代前半の停留場名を見ると、大成と内野の間に種鶏場前がある。並木という停留場はなくなっている。「並木」という停留場が「種鶏場前」に名称変更したものか、という疑問が発生する。
三橋村耕地整理組合全図に西武鉄道大宮線を緑で示す。
大宮を出ると停留場は大成、種鶏場前、並木、内野と続いている。「並木」から「種鶏場前」に名称変更したのではなく、「種鶏場前」は新設された停留場だと思われる。
三橋村耕地整理組合全図に緑で示した道は現在のこの道と概ね重なると思う。
そうすると種鶏場前停留場は現在の上小町信号交差点の辺りにあったということになる。
2019年12月17日ブログで私は上小町信号交差点を西から東へ直進して振り返った。

ウィキペディア種鶏場前駅には “ 大宮種鶏場は戦後に「大宮種畜牧場」と改称 ” と記述されている。
昭和41年改44年修の地図を見ると大宮種畜場と表示されている。
ウィキペディア種鶏場前駅には “ その跡地は現在農業・食品産業技術総合研究機構生物系特定産業技術研究支援センター・農業技術革新工学研究センターとなっている ” と記述されている。
2019年12月13日ブログで私は農業・食品産業技術総合研究機構 農業技術革新工学研究センターを見た。

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