咲いた万歩

さいたま市在住。 デジカメ片手に、四季折々の花木草を眺めつつ、 万歩ウォーキングで健康な日々。

見沼区南中野の昭和平成の道路変化

2020年01月04日 | 日記
2019年12月20日ブログはこのような道筋を綴った。
さいたま市地図情報(テーマ:都市計画道路等)の地図にその道を赤で示す
松山橋から東へ向かった道は「都市計画道路 3・3・75 大宮中央通線」と表示されている。
地図を少し縮小して大宮中央通線を赤で示す。現在の見沼区南中野を東西方向に貫く主要道路になっている。

今昔マップ on the webから昭和27年発行の地図を見る。
南中野を東西方向に延びる道を赤で示す
明治18年頃の地図でその辺りを見る。
南中野を東西方向に延びる道を赤で示す
明治18年から昭和27年まで67年間経っているが、東西方向に延びる道はあまり変化していない。

今昔マップ on the webから昭和44年発行の地図を見る。
南中野を東西方向に延びる道を赤で示し、昭和27年発行の地図と比べると、曲がり道が直線化している。
昭和44年の緑で示した区間は昭和27年の緑で示した区間だと思う。

今昔マップ on the webから昭和61年発行の地図を見る。
南中野を東西方向に延びる道を赤で示す
この道は昭和44年と変わっていないと思う。
昭和61年発行の地図は現在の第二産業道路が赤で示した道の南方向に延び、大宮中央通線が松山橋方面から産業道路まで延びている。

今昔マップ on the webから平成7年発行の地図を見る。
大宮中央通線が東西方向に貫いている。

明治18年頃のこの交差点は昭和27年のこの交差点だと思う。
そして昭和44年の地図ではこの交差点だと思う。
現在の地図ではここになると思う。
2019年02月09日ブログでその交差点を北から南へ直進した。

直進して振り返った

昭和37年測量国土基本図でこの辺りを見る。
赤で示した道は昭和27年発行地図のこの道(赤)と概ね重なると思う。
昭和21年の空中写真にその道を黄で示す

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