咲いた万歩

さいたま市在住。 デジカメ片手に、四季折々の花木草を眺めつつ、 万歩ウォーキングで健康な日々。

国道17号桜木町交差点付近の日進村

2019年01月16日 | 日記
昨日のブログで私は日進湯さんを見た。
「日進湯」という屋号で私は「日進」という地名を連想する。
昭和55年の地図で大宮市日進町の範囲を赤で囲むとこのようになる。現在のさいたま市北区日進町とほぼ同じだと思う。
右下に緑で示した交差点は桜木町信号交差点で、日進湯さんの近くである。日進湯さんは大宮区桜木町にある。

大宮市史の年表で明治22年を見ると4月1日の記事に日進村誕生のことが記されている。
大宮市成立過程の図で日進村を見ると、上加、下加、西谷、大成、櫛引、上内野、内野 の7村が合併して誕生した。
新編武蔵風土記稿の元禄年中改定図で大宮町の西北を見ると日進村になった7村と思われる村名がある。「串川村」は「串引村」の誤記と判断した。
昭和57年発行『大宮市史第四巻近代編』所載の明治12年大宮市域の戸長役場図を見る。日進村誕生の10年前である。
日進村になった7村のうち、6村はあるが、「内野村」はない。
ウィキペディア宮前町(さいたま市)に内野村についての記述があり、明治12年西内野村に改称したとある。
そうすると戸長役場図の西内野村を含めた7村で日進村が誕生したということになる。

昭和2年の大宮町全図に見える日進村の境界線を赤で示すとこのようになると思う。
桜木町交差点付近の境界線現在の地図に描くとこのような感じになるかも知れない。
日進湯さんの近くを拡大する
日進村の境界線はこのような感じだったと思う。
ちなみに現在のこのあたり、桜木町と大成町の境界線はこのようである。

日進村は昭和15年川越線開通で日進駅が出来た。そして同年、大宮市に合併、日進村は消滅したが駅名で「日進」は残った。

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