goo blog サービス終了のお知らせ 

咲いた万歩

さいたま市在住。 デジカメ片手に、四季折々の花木草を眺めつつ、 万歩ウォーキングで健康な日々。

岩槻駅舎改修前の風景

2018年03月05日 | 日記
彩の国デジタルアーカイブの古写真に岩槻町駅(昭和初期)というのがある。
平成24年10月さいたま市発行パンフレット『岩槻駅舎改修事業』のこのページ左上の写真と同じだと思う。
この当時「岩槻駅」は武州鉄道の駅にあったので、現在の岩槻駅は「岩槻町駅」だった。

さいたま市誕生10周年記念事業のさいたま市誕生10周年記念誌「Saitama10」の懐かしきわがまちのアルバムには昭和初期昭和30年代前半の写真が載っている。昭和30年代前半の写真はこちらの方が画質が良い。

さいたま市アーカイブズセンターギャラリーには昭和42年昭和57年の岩槻駅写真が公開されている。
先ほど見たパンフレットの左下には昭和51年頃の写真が載っている。

昭和初期の駅舎は玄関にひさしが出ていた。
昭和30年代前半から昭和51年頃までの駅舎は切妻屋根の玄関に駅名看板が設置されていた。
パンフレット右下の現在の写真(改修前)を見ると切妻屋根の玄関はない。
2011年10月の写真。
昭和57年の写真にも切妻屋根の玄関は見えないが、駅名看板はひさしの下にある。

昭和62年発行『岩槻・城と町まちの歴史』に掲載の昭和40年代初頭の岩槻駅前風景を見る。
昭和40年代前半の撮影とあり、“ 岩槻市観光協会と商工会の看板設置風景。多くの人形店の看板を見ることができます。道路の先は駅広場と駅舎 ” と解説のある写真を見る。
黄で囲んだ袖看板は先の写真のこれだと思う。
突き当たりのA・Bは昭和30年代前半写真のA・Bだと思う。
岩槻駅改修前のこの写真突き当たりになるのではないだろうか。
近くで見た写真
岩槻駅改修後の写真(2018年1月)。

昭和30年代前半写真の奥に見える黄で囲んだ建物は2017年9月車内から撮ったこの建物と似ている。

昭和30年代の撮影とあるこの写真赤矢印の建物は昭和40年代初頭の写真のこの建物(赤矢印)だと思う。
岩槻駅改修前の2010年6月の写真。
改修中の2013年10月の写真。
跨線橋東側で撮った2013年3月の写真。
岩槻駅改修後の写真(2017年6月)。

岩槻駅改修前反対側から撮った2012年6月の写真。
改修後の写真(2018年1月)。
コメント (6)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 上尾原市新道から上尾駅東口まで | トップ | 中央区上落合日赤病院跡付近... »

6 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (GEKI)
2018-03-06 09:59:42
万歩さん
また岩槻駅周辺のすばらしい考察ですね。
昔の岩槻駅懐かしいです。
またお願いします!
返信する
岩槻駅周辺 (咲いた万歩)
2018-03-06 12:31:20
こんにちは。
岩槻駅とその周辺は数年前と比べて大分変わりました。
西口はこれから新しいお店がオープンすると思われ、楽しみです。
返信する
岩槻駅舎改修前の風景 (shige)
2018-03-07 22:28:58
万歩さんこんにちは。

別スレで大病から復活された事を知りました。歩くことは本当に健康につながるのですね。これまでのご苦労をお察しいたします。私も心を入れ替え車中心の生活態度を改めたいと思う次第です(何時も思うだけですが・・・)。

さて、これは以前にも少し触れましたが、今回、地元史家や鉄道マニアからもお墨付き?を頂き、ほぼ同じ内容ですが再度コメントいたします。「Saitama10」にあります昭和30年代前半の岩槻駅前の写真は昭和47年から48年頃の撮影の様です。

撮影場所は昭和47年に完成したばかりの東玉本店ビル、写真右下の看板に描かれている人形イラストは、関根将雄画伯デザインで昭和46年に建造した人形塚(城址公園に設置)のものであり、駅前拡幅工事の後にこの看板が設置されています。関根画伯はややローカールな著名人かもしれませんが、師匠である伊東深水氏の方は美人画で広く知られた方でした。

また、止まっている電車が昭和40年以降になってから野田線に走っている車両(旧型更新車)、電話ボックスや止まっているタクシーからも昭和30年代でない事は明確といえそうです。確かに、私自身の昭和47年前後の記憶とも合致します。

せっかくの公的資料も、間違った情報というのでは困ったものですね。上記の地元史家も誤りを指摘されたそうですが、こんな些末な話など役所機構には相手にされないと言っておりました。万歩さんの記録の様な地道な手法こそ、これからはきっとかなり有効な時代考証の決め手になって行くのだろうと思った次第です。



返信する
時代考証 (咲いた万歩)
2018-03-08 07:16:06
おはようございます。
私には駅前の看板を見ても止まっている電車を見ても何もわかりませんが、見る人が見ればわかるものですね。
多角的視点からの時代考証ありがとうございました。
返信する
岩槻駅舎改修前の風景 (わらわら本舗)
2018-03-09 01:39:46
いつも楽しく拝見させて頂いております。

さて、shigeさんも考察されている「昭和30年代前半の岩槻駅前の写真」ですが、昭和50~51年頃のものと思われます。というのは、左上奥に停めてある電車が単色(クリーム色)となっており、東武電車がクリーム色に変わったのが昭和49年5月以降であること、岩槻駅のホームが6両用に延伸されており(4両しか走ってなかった頃のホームは待合室のちょっと先まででした)、この工事が昭和50~51年頃と記憶していること、また昭和51年には東武ストア岩槻店の工事が始まっており、貨物ホームや日通事務所(30年代前半写真のAに該当する建物)は全て解体されているからです(東武ストアの開店は昭和52年秋)。周辺に停まっているトラックや日通事務所の状況から、解体工事が始まった直後のものかと思われます。

また、「昭和51年頃の写真」というのも間違いです。駅に掲げてある看板に「直通急行運転」とあり、これは大宮から日光・鬼怒川方面へ運転された急行を指しているのですが、この列車が運転されていたのは昭和45~47年の3年間だけなので、この写真もその当時のものとなります。

当時の岩槻駅は玄関に相当する部分は入口専用であり、写真にある売店を挟んだ右側に出口がありました。電車の時間が近づくと駅員さんが出口にやってきて改札を開けるという、地方の駅のような風景が普通に見られたものでした。

ちなみに、昭和53~54年頃にちょっとした駅のリニューアルがあり、売店を解体して間口を広げ、出入口を一つにした時に合わせて庇が外されました。
返信する
改修前の岩槻駅 (咲いた万歩)
2018-03-09 07:29:09
おはようございます。
詳細にわたって解説をいただきありがとうございます。
ぼんやりとしか見えなかったものが大分はっきり見えてきたような気がします。
電車の時間が近づくと駅員さんが出口にやってきて改札を開けるという光景懐かしいですね。
返信する

コメントを投稿