咲いた万歩

さいたま市在住。 デジカメ片手に、四季折々の花木草を眺めつつ、 万歩ウォーキングで健康な日々。

昭和30年代の大宮中央通り

2015年02月22日 | 日記
3日前、大宮中央通りを歩いたとき、大門町歩道橋をくぐった先で、右手道路向かい側を見た。正面は野村證券さんである。


私は以前のブログで、ここの昭和30年代の風景写真を2度ほど見たのだが、現在は消えてしまっているので、改めて見ることにします。
1度は昭和30年の写真である。大きいサイズ
写真中央の「三井生命」とあるところが現在の野村證券さんの場所だと思う。

2度目の写真は昭和33年のもので、これは彩の国デジタルアーカイブの特別配信にある「埼玉ニュースNo.64-5 初荷 大宮 深谷」の1コマである。
「三井生命」とあるところ手前(駅より)に3階建てのビルがあるが、そこは蓮見病院さんだと思う。

昭和52年の地図
昭和49年度空中写真の赤矢印のビルだと思う。
昭和9年大宮商工並二名勝案内地図には大宮町役場、大宮小学校の北に描かれている。

昨年末、本ブログのコメント欄に1989年2月24日の大宮駅周辺のYouTube(映像)をご紹介いただいた。
懐かしい風景を見ていたところ、終わり頃に蓮見病院さんが映っていた。

3日前、大宮中央通りと旧中山道との交差点で大一ビル見た
このビルは埼玉県の商業振興策に基づいて建設されたもので、昭和37年10月、大一デパートとしてオープンした。
私は以前のブログでオープン当時の風景をアップしたのだが、消えてしまったので改めてアップします。
オープン当時の風景は彩の国デジタルアーカイブの特別配信にある「埼玉ニュース No.109-1 大宮駅前に新商店街」の抜粋である。6コマの抜粋画像から1コマ5秒のスライドショーで見る。
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6 コメント

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Unknown (K)
2015-02-25 04:29:23
昭和9年ごろは駅前通りは中山道までしかなかったんですね。
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駅前通りの突き当たり (咲いた万歩)
2015-02-25 07:37:19
おはようございます。
停車場通りの突き当たり(中山道)が突き抜けたのは終戦間際の建物強制疎開の時だったと思います。
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道幅が中途半端なのは (まちなみ研究会)
2015-02-26 14:05:08
たびたびお邪魔してすみません。
太平洋戦争末期のころ、日本各地において空襲の延焼防止対策で、建物の強制疎開による立ち退きが実施されたものの、名古屋の100m道路(久屋大通)、京都の五条通、御池通そして広島の平和大通りなどが、その賜物ではあるけど、大宮は大きい空襲を受けなかった為に、大宮駅東口の中央通りの氷川参道交差点までと、少し前までの大宮区役所南より中央通り交差点に至るまで、中途半端に道幅が広かったのは、成る程そういう訳でしたか。
ありがとうございます。
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建物強制疎開 (咲いた万歩)
2015-02-26 16:03:39
各地に残る建物の強制疎開のこと、ご教示いただきありがとうございます。
これも勉強になりました。
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昔も今も・・・。 (みやのこ)
2015-03-01 17:47:32
こんばんは。
すこうし前のことですが、知り合いより市立大宮小学校さんが出した『創立140年記念誌・あおぎり』という、写真入りの記念誌をいただきましたけど、咲いた万歩さんが興味を示しそうな、昔の武州・大宮東口の中央通り界隈の写真が、ふんだんに掲載されてました。
この記念誌、参道沿いの市立大宮図書館にもありますので、若し良ければ参考に閲覧(貸出可能)してみたら、いかがかと思います。
なお、野村證券さんの位置にはかつてリッカーミシンさんがあり、TVみたいな広告塔が印象的だったのを憶えてます。
それでは、私はこれにて失礼いたします。
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参道沿いの図書館 (咲いた万歩)
2015-03-01 18:20:01
こんばんは。
参道沿いの図書館には以前数回入ったことがありますが、そのような興味深い書物があることに気がつきませんでした。今度入館したときには是非拝見したいと思います。ありがとうございます。
では、失礼します。
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