日文研サイトのデータベース(所蔵地図)から昭和2年発行の地図「東京」で現在のさいたま市付近を見る。
さいたま市を構成する旧4市(浦和市・大宮市・与野市・岩槻市)はいずれも「町」である。周辺で「市」は川越市だけである。埼玉県内の市制施行の順番は川越が最初で大正11年、2番目は川口と熊谷で昭和8年、浦和は昭和9年で県内で4番目だった。大宮は5番目で昭和15年だった。与野と岩槻は戦後で、岩槻が昭和29年、与野は昭和33年7月15日で上尾と同じ日に市制施行した。
中山道の浦和町の北から西に分かれ川越に至る道を緑で示す。
この道は2019年04月10日ブログで触れた川越道だと思う。
中央区新中里の庚申塔は迅速測図のこのあたり(青矢印)と書いた。
昭和2年の地図のこのあたり(青矢印)になると思う。
与野町の右側の中山道から東に分かれ岩槻街道に至る道を緑で示す。
2018年03月20日ブログで触れた赤山街道はこの道だと思う。
中山道から赤山街道(赤山方面)を見た写真(2018年10月)。

大宮町の北で中山道から右に分かれて原市に至る道を緑で示す。
2017年08月14日ブログで触れた原市道だと思う。
日文研サイトのデータベース(所蔵地図)の弘化元年(1844)東都近郊圖に原市道を黄で示すとこの道になると思う。
東都近郊圖の中山道浦和宿の北から与野町を経由して荒川の羽根倉に至る道を黄で示す。
その道は昭和2年地図のこの道(黄)に継承されていると思う。浦和町~与野町は先ほどの川越道である。
昭和2年地図の左端符号欄で鉄道を見る。
大宮停車場の南北に尋常鉄道が延び、西に特種鉄道が延びている。
特種鉄道を赤で示す。
この鉄道は明治39年に川越電気鉄道が開業した路線で昭和2年頃は西武鉄道(旧)大宮線であった。ウィキペディア西武大宮線に掲載の当時の川越電気鉄道(上小町附近)。
原口隆行著『日本の路面電車Ⅱ 廃止路線東日本編』に掲載の昭和10年代前半の停留場名。
昭和14年発行鉄道路線図。
明治40年頃の大宮停車場川越電車発着所。左が川越方面だと思う。
昭和8年大宮町全図に「西口駅」と表示されているところだと思う。
さいたま市を構成する旧4市(浦和市・大宮市・与野市・岩槻市)はいずれも「町」である。周辺で「市」は川越市だけである。埼玉県内の市制施行の順番は川越が最初で大正11年、2番目は川口と熊谷で昭和8年、浦和は昭和9年で県内で4番目だった。大宮は5番目で昭和15年だった。与野と岩槻は戦後で、岩槻が昭和29年、与野は昭和33年7月15日で上尾と同じ日に市制施行した。
中山道の浦和町の北から西に分かれ川越に至る道を緑で示す。
この道は2019年04月10日ブログで触れた川越道だと思う。
中央区新中里の庚申塔は迅速測図のこのあたり(青矢印)と書いた。
昭和2年の地図のこのあたり(青矢印)になると思う。
与野町の右側の中山道から東に分かれ岩槻街道に至る道を緑で示す。
2018年03月20日ブログで触れた赤山街道はこの道だと思う。
中山道から赤山街道(赤山方面)を見た写真(2018年10月)。

大宮町の北で中山道から右に分かれて原市に至る道を緑で示す。
2017年08月14日ブログで触れた原市道だと思う。
日文研サイトのデータベース(所蔵地図)の弘化元年(1844)東都近郊圖に原市道を黄で示すとこの道になると思う。
東都近郊圖の中山道浦和宿の北から与野町を経由して荒川の羽根倉に至る道を黄で示す。
その道は昭和2年地図のこの道(黄)に継承されていると思う。浦和町~与野町は先ほどの川越道である。
昭和2年地図の左端符号欄で鉄道を見る。
大宮停車場の南北に尋常鉄道が延び、西に特種鉄道が延びている。
特種鉄道を赤で示す。
この鉄道は明治39年に川越電気鉄道が開業した路線で昭和2年頃は西武鉄道(旧)大宮線であった。ウィキペディア西武大宮線に掲載の当時の川越電気鉄道(上小町附近)。
原口隆行著『日本の路面電車Ⅱ 廃止路線東日本編』に掲載の昭和10年代前半の停留場名。
昭和14年発行鉄道路線図。
明治40年頃の大宮停車場川越電車発着所。左が川越方面だと思う。
昭和8年大宮町全図に「西口駅」と表示されているところだと思う。
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