2018年09月17日ブログで私は大宮区役所新庁舎整備事業の現状を見た。
さいたま市ホームページから大宮区役所新庁舎の建て替え位置の決定についてを開く。
冒頭に “ 昭和41年に竣工した大宮区役所庁舎 ” とある。
大宮市立博物館編集の『写真でみる 大宮の昔と今』巻末の年表には、大宮市庁舎に関する記事が二つある。
① 昭和2年(1927)2月「明治44年建設の大宮町役場に変わる新庁舎落成」
② 昭和41年(1966)10月「新市庁舎完成」
昭和40年の新市庁舎建設工事中の写真。
2016年2月の大宮区役所の写真。
現在の大宮区役所庁舎は昭和41年建設の大宮市役所庁舎で、昭和2年建設の大宮町役場庁舎に替わるものだった。
そして昭和2年建設の大宮町役場は明治44年建設の大宮町役場に替わるものだった。
昭和9年大宮鳥瞰図の大宮町役場は昭和2年建設の庁舎ということになる。
昭和32年頃の大宮市鳥瞰図の市役所もその庁舎ということになる。
大宮市閉市式記念誌『大宮記念帖』所載の旧大宮市庁舎。
写真の右に白井助七之碑が見える。この石碑は現在山丸公園(2010年6月撮影)に移転されている。
大正6年(1917)報知新聞大宮通信部出版『大宮写真帖』の大宮町役場案内文を見る。
大宮町役場写真を見る。
同じ建物の思われる『写真でみる 大宮の昔と今』所載の大宮町役場。
『大宮写真帖』の案内文には、明治43年倉屋敷稲荷の境内を分域して庁舎を新築 とあるから、明治44年建設の大宮町役場というのはこれだと思う。木造2階建の1階が事務室、2階は会議所だった。
明治35年埼玉県営業便覧の大宮町略図の役場はここである。
大宮町営業便覧を見る。
ここに大宮役場がある。
大宮町略図のこの道(緑)は大宮町営業便覧のこの道だと思う。
現在の地図ではこの道になるのではないかと思う。
大宮町略図で役場から岩槻道と小学校の道との距離はほぼ同じである。
明治35年の大宮町役場の場所はこのあたり(赤丸)ではないかと思う。
その場所をグーグルマップ航空写真3Dに赤丸で示す。
現在そこは大宮駅東口大門町2丁目中地区市街地再開発事業用地の一部になっている。
本年8月13日旧中山道から事業用地を見た。
さいたま市ホームページから大宮区役所新庁舎の建て替え位置の決定についてを開く。
冒頭に “ 昭和41年に竣工した大宮区役所庁舎 ” とある。
大宮市立博物館編集の『写真でみる 大宮の昔と今』巻末の年表には、大宮市庁舎に関する記事が二つある。
① 昭和2年(1927)2月「明治44年建設の大宮町役場に変わる新庁舎落成」
② 昭和41年(1966)10月「新市庁舎完成」
昭和40年の新市庁舎建設工事中の写真。
2016年2月の大宮区役所の写真。
現在の大宮区役所庁舎は昭和41年建設の大宮市役所庁舎で、昭和2年建設の大宮町役場庁舎に替わるものだった。
そして昭和2年建設の大宮町役場は明治44年建設の大宮町役場に替わるものだった。
昭和9年大宮鳥瞰図の大宮町役場は昭和2年建設の庁舎ということになる。
昭和32年頃の大宮市鳥瞰図の市役所もその庁舎ということになる。
大宮市閉市式記念誌『大宮記念帖』所載の旧大宮市庁舎。
写真の右に白井助七之碑が見える。この石碑は現在山丸公園(2010年6月撮影)に移転されている。
大正6年(1917)報知新聞大宮通信部出版『大宮写真帖』の大宮町役場案内文を見る。
大宮町役場写真を見る。
同じ建物の思われる『写真でみる 大宮の昔と今』所載の大宮町役場。
『大宮写真帖』の案内文には、明治43年倉屋敷稲荷の境内を分域して庁舎を新築 とあるから、明治44年建設の大宮町役場というのはこれだと思う。木造2階建の1階が事務室、2階は会議所だった。
明治35年埼玉県営業便覧の大宮町略図の役場はここである。
大宮町営業便覧を見る。
ここに大宮役場がある。
大宮町略図のこの道(緑)は大宮町営業便覧のこの道だと思う。
現在の地図ではこの道になるのではないかと思う。
大宮町略図で役場から岩槻道と小学校の道との距離はほぼ同じである。
明治35年の大宮町役場の場所はこのあたり(赤丸)ではないかと思う。
その場所をグーグルマップ航空写真3Dに赤丸で示す。
現在そこは大宮駅東口大門町2丁目中地区市街地再開発事業用地の一部になっている。
本年8月13日旧中山道から事業用地を見た。

武州・大宮の市役所といえば、かつての自分のわが家の真北に位置しており、階段を上がったトコの物干し場からバッチリ見えてたモノであり、ましてや駐車場やSL(当時は市役所正面に保存されてたけど、のち周辺整備により山丸公園へ移った)だと、市役所が休みの日ともなれば隣接地にあるおイナリさんと共に、格好の遊び場だったです。
因みに、市中にある市立図書館の大概のトコなら置いてある『さいたま市の昭和』のオモテ表紙に、昭和44年ごろの大宮市役所(当時)周辺の写真にも、市役所庁舎の手前の木造家屋が密集(いまの住友生命第2ビルさんの位置)していて、大宮幼稚園さんの向かって右手にある物干し場のある建物が、かつてのわが家です。
参考にその物干し場から、ナトリピアノ、高島屋駐車場(タイムズ大宮)、大宮電化(当時は家電販売店だった)本店、長島生花店、大野眼科(以上敬称略)が見え、さらに第百生命(いまのCOMO OMIYA)さんをはじめ、高島屋さんや三菱銀行さんもよく見えており、チラリとムサシ食品さんのナショナルの広告塔と大宮駅東口駅舎の一部と、物干し場西側(反対側の東側なら氷川参道の森と住宅街そして大宮小学校の校舎、手前だと大宮幼稚園さんの園舎と園庭、黒沢質店さんの倉庫や土蔵そして店舗が目前に立ちはだかってた)を通して古きよき時代の武州・大宮東口の光景を、物心ついた頃よりあの物干し場から見て地理を学んでいったお陰で、今の私があるから正直いって感謝の次第であります。
長文になりましたけど、この辺にて失礼します。
『さいたま市の昭和』オモテ表紙の写真から、私がみやのこさんのむかしのお家かなと思った家屋は大きな2階家でした。
それにしても、かなりの年月が経過しているのに、むかしの景色をよく覚えていますね。
私が成人になるまで過ごした家に物干し場はありませんでしたが、2階にあった私の部屋からは道行く人がよく見えました。通行人を観察することが楽しかったです。周囲の建物とか風景とかの記憶はかなりぼんやりしたものになってしまいました。
私のかつてのわが家の件ですけど、「大きな2階家」となってますが、一見2階建ての様に見えるものの、大正時代に建てられた医院の建物を、私の祖母(眼科医の先生でしたけど、末期は体調不良により静養してた)が購入したもので、あの部分は診察室だったトコであり、実際は天井の高い平屋建ての建物でした。
その天井の高いもと診察室が、私たち一家が居室として使い、私がこの世に生まれて以来、事情あって他方へ引っ越すまで、あの家に暮らしてた訳であります。
以上をもちまして、補足の書き込み失礼します。