咲いた万歩

さいたま市在住。 デジカメ片手に、四季折々の花木草を眺めつつ、 万歩ウォーキングで健康な日々。

旧大宮市に昭和50年代あった工場 4

2022年07月01日 | 日記
昭和51年(1976)10月発行の地図で東武野田線大宮公園駅の南西を見ると日本製罐さんの工場がある。ウィキペディア(日本の地図記号の一覧)の地図記号工場
現在の地図(マピオン)でその辺りを見る。
昭和51年の地図に赤で示した道は現在のこの道(赤)と概ね重なると思う。
そうすると日本製罐さんがあった場所には現在大宮公園駅前ハイツさんがあると思う。
グーグルマップ航空写真で大宮公園駅前ハイツさんを見る
平成27年(2015)11月大宮公園駅前ハイツさんを東から見た。平成28年(2016)年3月南西から見た。


国土地理院の地図・空中写真閲覧サービスから昭和50年(1975)の空中写真を見る。日本製罐さんの工場と思われるところを拡大する。
大宮公園駅前ハイツさんを囲む赤で示した道は、昭和50年空中写真のこの道(赤)だと思う。

日本製罐さんのホームページを開き、(会社情報)の(沿革)を拝見すると1925年9月から2022年4月までの出来事がまとめられている。始まりから1976年11月までを見る
沿革によれば、昭和20年(1945)11月、埼玉県大宮市寿能町に本社工場を新設した。(大宮公園駅前ハイツさんは大宮区寿能町にあり、本社工場の場所はここだと思う。)
昭和43年(1968)6月、埼玉県大宮市に吉野町工場を新設し、昭和47年(1972)12月には本社を吉野町工場に移転した。そして旧本社を寿能工場とした。
昭和51年(1976)11月、埼玉県久喜市に久喜工場を新設し、寿能工場を久喜工場に移転した。

大宮公園駅の南西にあった日本製罐さんは、昭和20年11月から昭和47年12月まで本社工場として存在し、その後の昭和47年12月から昭和51年11月までは寿能工場として存在したのだと思う。そして寿能工場の跡地に大宮公園駅前ハイツさんが建設されたのではないかと思う。大宮公園駅前ハイツさんの不動産情報をネット検索したところ築年月は昭和54年(1979)3月と出ていた。
昭和54年10月の空中写真を見る。
日本製罐さんの沿革を念頭に置くと昭和51年地図の日本製罐さんは寿能工場で、昭和50年空中写真も寿能工場ということになると思う。
昭和36年の空中写真を見る。本社工場時代の写真だと思う。

昭和52年8月発行の地図で大宮市吉野町を見ると日本製缶さんがある。
日本製罐さんの沿革によれば、昭和43年(1968)6月に吉野町工場を新設し、昭和47(1972)12月本社を吉野町工場に移転した。昭和52年地図の日本製缶さんは本社工場だと思う。
現在の地図(マピオン)でその辺り(北区吉野町)を見る。日本製罐さんを赤枠で示す。
2015年10月26日ブログでこのような道を歩きながら日本製罐さんを見た。

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2 コメント

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その様な経緯でしたか。 (みやのこだべ)
2022-07-02 18:20:07
こんばんは、
久々にコメントさせていただきます。
私が物心ついた頃、亡父が持ってきた「四季報」に上場企業として、日本製罐さんの名前があり、本社住所が(埼玉県大宮市寿能町・・・)と出てたから、すこうし大きくなってから行ったけど、工場が見当たらなかったのを覚えてます。
だいぶ後になり仕事で吉野町へ行くや、日本製罐さんの工場があったから納得はいったものの、上記の経緯で久喜市へ工場を新設し寿能工場の機能が移され、その跡地に大宮公園駅前ハイツさんが出来た件で、物心ついた時からの長い間にわたる疑問が、漸く解決でき感謝します。
以上をもちまして、失礼します。
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日本製罐さんの沿革 (咲いた万歩)
2022-07-02 19:19:36
こんばんは。
吉野町に日本製罐さんがあることは知っていたのですが、会社の沿革をみていたら寿能町から移転したと書かれていたので意外でした。
返信する

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