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咲いた万歩

さいたま市在住。 デジカメ片手に、四季折々の花木草を眺めつつ、 万歩ウォーキングで健康な日々。

JR東浦和駅改札内で見た風景

2020年10月18日 | 日記
JR武蔵野線東浦和駅構内図1Fを見る。構内図B1を見る。
2011年(平成23年)4月、JR南浦和駅から武蔵野線に乗って東浦和駅で降りた。
降りたホーム(2番線)で南浦和駅方面を見た。

ホームを東に移動して東を見た

2011年(平成23年)10月、東浦和駅で降りて駅名標を見た
エスカレーターで出口へ向かった。

2011年(平成23年)12月、東浦和駅改札口を出た。  

2012年(平成24年)3月、東浦和駅2番線ホームに降り、一旦ホーム後方(南浦和より)に移動して南浦和駅方面を見た。
半回転して2番線ホームを東へ向かい、縦型アルファベットの駅名標を通過した。
エスカレーターで上がりながら振り返った。
改札口を出た。


2012年(平成24年)4月、東浦和駅2番線ホームに降り、ホームの東端で東川口駅方面を見た。
西へ向かい、赤矢印の階段を上がった。

2012年(平成24年)7月、東浦和駅2番線ホームから1F(改札階)に上がって改札口を出た。

2012年(平成24年)10月、東浦和駅2番線ホームの階段で出口へ向かった。

2013年(平成25年)3月、東浦和駅2番線ホームに降りて出口へ向かった。反対側を見た。
青矢印エスカレーターで出口へ向かった。

2013年(平成25年)4月、改札口から東浦和駅に入り、赤矢印方向を見た
緑矢印の下りエスカレーターで1番線ホームに降りて振り返った。

入ってきたこの電車に乗った。

2013年(平成25年)5月、東浦和駅2番線ホームに降りて出口へ向かい、ひらがな縦書き駅名標を通過した。

2013年(平成25年)7月、東浦和駅2番線ホームに降り、出口へ向かいながら私が乗ってきた東京行きを見送った。
駅名標を通過してエスカレーターに乗った。

2013年(平成25年)9月、東浦和駅の改札口を入って左前方のエスカレーターで1番線ホームに降りた。
1番線ホームから対面するホーム(2番線)の駅名標をアップした。

右から入ってきたこの電車に乗った。

2013年(平成25年)10月、東浦和駅前広場から東浦和駅に入り、そば処中山道さんを通過した。
1番線ホームに降りて駅名標を見た。

2013年(平成25年)12月、ホームから上がって改札口を通過した

2014年(平成26年)8月、東浦和駅2番線ホームに降り、赤矢印の階段へ向かった。

2014年(平成26年)10月、東浦和駅2番線ホームをエスカレーターへ向かい、振り返った。


2014年(平成26年)11月、東浦和駅改札口を入った正面突き当たり(赤矢印)にあったそば処中山道さんはなくなっていた。2017年2月の写真。
1番線ホームに降りて対面するホーム(2番線)の縦型アルファベット駅名標をアップした。

対面するホームの屋根を見ると右と左で段差がある。右を黄、左を赤で示す。
2010年(平成22年)頃と思われる鳥瞰写真を見る。
段差のところはここ(黄、赤)だと思う。
グーグルアースここ(黄、赤)だと思う。
ウィキペディア東浦和駅によれば、東浦和駅開業は1973年(昭和48年)である。
1975年(昭和50年)の空中写真で東浦和駅を見る。
ホーム屋根を黄で示すとこのようになると思う。
1989年(平成元年)の空中写真を見る。
ホーム屋根はこの部分(黄)になると思う。
赤で示し青い屋根の部分は1989年(平成元年)以降に増築されたのだと思う。
ウィキペディア東浦和駅に掲載の駅構内(2007年4月)の写真を見ると青い屋根の部分が写っている。
ウィキペディア武蔵野線の年表によれば、1991年(平成3年)と1996年(平成8年)に列車編成の変更があった。
列車編成の変更に伴い東浦和駅ホームは延長されたのだと思う。

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