goo blog サービス終了のお知らせ 

咲いた万歩

さいたま市在住。 デジカメ片手に、四季折々の花木草を眺めつつ、 万歩ウォーキングで健康な日々。

南区南浦和3丁目の昔と今

2015年04月01日 | 日記
2015年03月27日ブログで私は南浦和駅から南区南浦和3丁目を歩いたが、平成13年浦和市発行『浦和市史 通史編Ⅳ』には “ 南浦和団地(南浦和三丁目)は、日本住宅公団が建設したもので、昭和37年(1962)3月に入居を開始した。52棟1,252戸の団地で浦和市としては、初めての大規模な団地であった。南浦和駅がその前年に開業し、また同駅周辺では、土地区画整理が進められており一気に農村が市街化されることになった。(以下略) ” という記述がある。日本住宅公団はUR都市機構の前身である。南浦和駅が開業した頃、南浦和駅周辺は農村だったことがわかる。

昭和37年の南浦和団地の写真を見る。現在のどこが写っているのかよくわからない。
昭和45年の空中写真を見る。
2枚の写真を照合すると、昭和45年の空中写真に黄で示した道と①から⑦の棟は、昭和37年南浦和団地のここと一致するように思う。

昭和45年の空中写真に黄で示した道を現在の地図に黄で示すとこのようになると思う。
2015年03月27日ブログで歩いた道を赤で示す
この写真矢印方向を見ていることになる。
同じ交差点のこの写真矢印の方向である。

山田整形外科胃腸科肛門科さん近くのこの写真この方向だと思う。

私は右の交差点右折した
この交差点で歩いてきた方面を見た

2015年03月27日ブログで私はこの交差点(赤)で線路方面を見た。
反対方面(北)を見た。

この交差点は昭和37年写真のここ(赤)だと思う。

昭和41年4月開園の弁天公園緑で囲む
昭和41年10月空中写真ここ(緑)に見える。

bing地図の鳥瞰写真を見る。かつての農村はビルが密集している。
昭和37年写真に黄で示した道をこの鳥瞰写真に描くとこのようになると思う。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 氷川参道から大宮公園まで | トップ | 与野中央公園から上落合北公... »

コメントを投稿

サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。