埼京線中浦和駅ホームに降りて赤羽に向かって右を見る。
大宮方面に進んで改札口に向かう。
改札口を出て左折、デッキで振り返る。
左折してエレベーターに乗る。
1階でエレベーターから降りて数歩前進、ここで振り返る。左を見る。
東口駅前を右折し、すぐの三差路を左折する。
左折しながら振り返る。
交差点に出て振り返る。左を見る。右折する。
左手の浦和鹿手袋郵便局を通過する。
信号交差点の手前で左を見る。右を見る。
直進し、ここで振り返る。
東に進み、三差路を左折する。
北に進み、左手の看板を見る。
駐車場を通過し、北に向かう。
交差点を直進し、別所沼会館方面に向かう。
すぐに左折する。石像を見に行く。説明板を見る。エヘーカトル・ケッツアルコアトル(風の神)。
石像を見る。反対側からの横顔をアップする。
園内通路にもどって右を見る。左折する。
右にカーブしながら別所沼会館さんの看板を通過する。
食堂喫茶の看板前で別所沼会館さんを見る。
園内通路を東に向かい、ここを左折する。
突き当たって振り返る。右を見る。左折する。
交差点に出て右を見る。裏門通り。振り返る。左折する。
別所沼会館さんを見る。
三差路を右折する。振り返る。
北に進み、ここで振り返る。
右の下り坂突き当たりをアップする。埼玉市乳(株)村岡牛乳明治宅配センターさんがある。
アンパンマン自販機を見る。
上り坂の道は左に折れるが、一旦直進して階段を下りると親子の乳牛が展示されている。
もとの道を左折する。
突き当たって右折する。
左の階段を上がる。
上がって東を見る。正確な場所は不明であるが、昔、屋上に親子の乳牛(2008年3月撮影)が展示されていた。
昭和55年の与野商工誌に掲載の広告に見える親子の乳牛と同じかも知れない。
右折する。
階段を上がらないで直進し、突き当たりを右折する。振り返る。
東に向かい、常盤緑道を横断しながら左を見る。右を見る。
市役所通りに入って振り返る。浦和仲町郵便局を見る。
中浦和駅からこのように歩いてきた。
大宮方面に進んで改札口に向かう。
改札口を出て左折、デッキで振り返る。
左折してエレベーターに乗る。
1階でエレベーターから降りて数歩前進、ここで振り返る。左を見る。
東口駅前を右折し、すぐの三差路を左折する。
左折しながら振り返る。
交差点に出て振り返る。左を見る。右折する。
左手の浦和鹿手袋郵便局を通過する。
信号交差点の手前で左を見る。右を見る。
直進し、ここで振り返る。
東に進み、三差路を左折する。
北に進み、左手の看板を見る。
駐車場を通過し、北に向かう。
交差点を直進し、別所沼会館方面に向かう。
すぐに左折する。石像を見に行く。説明板を見る。エヘーカトル・ケッツアルコアトル(風の神)。
石像を見る。反対側からの横顔をアップする。
園内通路にもどって右を見る。左折する。
右にカーブしながら別所沼会館さんの看板を通過する。
食堂喫茶の看板前で別所沼会館さんを見る。
園内通路を東に向かい、ここを左折する。
突き当たって振り返る。右を見る。左折する。
交差点に出て右を見る。裏門通り。振り返る。左折する。
別所沼会館さんを見る。
三差路を右折する。振り返る。
北に進み、ここで振り返る。
右の下り坂突き当たりをアップする。埼玉市乳(株)村岡牛乳明治宅配センターさんがある。
アンパンマン自販機を見る。
上り坂の道は左に折れるが、一旦直進して階段を下りると親子の乳牛が展示されている。
もとの道を左折する。
突き当たって右折する。
左の階段を上がる。
上がって東を見る。正確な場所は不明であるが、昔、屋上に親子の乳牛(2008年3月撮影)が展示されていた。
昭和55年の与野商工誌に掲載の広告に見える親子の乳牛と同じかも知れない。
右折する。
階段を上がらないで直進し、突き当たりを右折する。振り返る。
東に向かい、常盤緑道を横断しながら左を見る。右を見る。
市役所通りに入って振り返る。浦和仲町郵便局を見る。
中浦和駅からこのように歩いてきた。
ほぼ等身大の像で本物っぽく造られています。
可愛いですよ!
私が武州・大宮の一小学生だった頃、村岡牛乳のブランドで埼玉市乳さんの牛乳やコーヒー牛乳が学校給食用として使われており、事実わたしもこの恩恵を受けてた一人であります。
参考に、私がリアル時代(1970年代後半~80年代はじめ)の牛乳やコーヒー牛乳は、正四面体をしたテトラ・パック(ビニールタイプ)の中に、牛乳(コーヒー牛乳)が入っていたのを覚えてます。
さて、その正四面体のテトラ・パック(現在では殆どその製造機械は姿を消し、僅かに北海道は野付郡別海町にあるべつかい乳業興社さんで生産されてる「べつかいの牛乳屋さん」、および札幌市郊外の江別市にある北海道酪農公社さんの「三角牛乳」「三角コーヒー」は、正四面体のテトラ・パックの容器です)は私をはじめ、ある一定の年齢層の方でしたらご存じかと思われますけど、ココのブログを訪問される方で、正四面体(三角状)のテトラ・パックの乳製品の事に関し、若しお知りでしたら書き込みいただければ幸いです。
なお、埼玉市乳さんは現在、学校給食むけの牛乳等しか生産されておらず、その他の牛乳等はトモエ乳業(茨城県古河市)さんの委託となってるそうです。
長文となりましたけど、この辺にて私は失礼します。
私が小学生の頃の学校給食は食器持参でした。
中学生になると、公立学校でしたが給食はなく、お弁当持参になりました。
家庭の事情でおかずを作ってもらえない生徒は、ごはん(米)だけをお弁当箱に詰めてきて、学校の売店でフライとか天ぷらとかのおかずを買ったのです。
ただ、牛乳ビンのような容器に入った脱脂粉乳が全生徒に提供されまして、私にはそれがとても美味しかったです。
では、失礼します。
別所沼は近所のスポーツジムがお休みのときに運動不足解消のため歩きにやってきます。が、これまでそこからすぐ近くに乳牛の展示があるのをこれまで知りませんでした。浦和の地元民を標榜する当方としては、是非確認して来なければなりません(笑)ご紹介ありがとうございました。
なお、当方は小学2年生くらいまでは脱脂粉乳のミルク。それ以降は中学3年まで瓶入りの牛乳だったです。旧浦和市内の小学校と中学校でした。
乳牛のマスコットは昔みたいに大空に向かって立っていれば目立ちますが、今の場所は見落とすのが普通だと思います。
私は大宮に住んでましたが、大宮公園の裏に天神山牧場という小さな牧場があってそこの牛乳を宅配で取っていました。とても濃くて美味しい牛乳でした。熊谷辺りではまだいくつかの地元メーカーが有るようです。
私が少年の頃は我が家に牛乳配達の箱が置かれていて、毎朝牛乳が届くのを楽しみにしていました。
初めは白い牛乳が2本でしたが、途中から親にねだってコーヒー牛乳とフルーツ牛乳に変えてもらいました。私はフルーツ牛乳が好きでした。
牧場というのはふつう人家の少ない場所にあるのだと思いますが、50年前のあのあたりは県庁所在地ではあっても、のどかなところだったようですね。
別所沼公園北側の公園が牧場の跡地だったとは知りませんでした。
私にとっては新発見です。ありがとうございます。
牛舎の上には藁が保管されていました。
そこで遊んだ記憶があります。
確か、娘さんは花子さん。
懐かしい記憶ですね。
私の知り合いには実家が牧場というひとはいませんでしたが、近所に牛を飼っているお宅はありました。農家さんだったかも知れません。