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DIAMONDまでの道のり

想像は創造!

%からDIAMOND達成までの記録。

リッチとジェイ

2014-07-04 19:06:50 | amwayという会社
共同創立者

リッチ・デヴォスとジェイ・ヴァンアンデル


アムウェイは、1959年にリッチ・デヴォスとジェイ・ヴァンアンデルの2人によって設立されました。

リッチ・デヴォスは当時を次のように振り返っています。

「私たち2人は、起業するという夢を抱いた、ミシガン州エイダ出身の普通の青年でした。自身の成功願望が強いことはもちろん、『成功を望むすべての人々にその機会を提供したい』という熱い思いを胸に抱いていたことを覚えています。今でもまだ、自分がそのときと同じ子供のままのように感じることがあります。」


もう1人の創立者である故ジェイ・ヴァンアンデルは、アムウェイについて次のように語ったことがあります。「アムウェイのパワー、それは、刺激と約束、利益と希望に満ちた新しいライフスタイルを人々に与えることです。」


今日アムウェイは、世界中の58の国や地域で事業を展開しています。


デヴォスは演説者として名高く、
『アムウェイのセールス哲学 - 愛・誇り・挑戦』、
『アムウェイ主義 -思いやりのビジネス』、
『不屈の楽天主義 - 幸せを築く10カ条の黄金律』、
『あなたを変える10の魔法の言葉 アムウエイ共同創設者が贈る』の著者です。

デヴォスはまた、NBAのオーランド・マジックをはじめ、多数のプロスポーツチームのオーナーでもあります。

ヴァンアンデルは、その生涯にわたってフリー エンタープライズ(自由な企業家精神)を唱えました。

また、米国商工会議所理事、

ジェームズタウン基金局長、

ジェノヴァ国際博覧会の米国大使および事務局長、

ヘリテージ財団管財人などの要職を歴任しました。

出身地であるミシガン州グランドラピッズでは、ヴァンアンデル・リサーチ・インスティチュートを創設し、ライト・プレイス委員会の初代委員長を務めたほか、ジェイ&ベティ・ヴァンアンデル財団を通じて、経済発展、ヘルスケア、教育、芸術分野の社会貢献プロジェクトに大きく貢献しました。


アムウェイの歴史

2014-07-04 18:47:21 | amwayという会社
アムウェイの歴史は、単なる年表だけでは語り尽くせません。

共同創立者のジェイ・ヴァンアンデルとリッチ・デヴォスが彼らを取り巻く出来事を通して

アムウェイ・ビジネスの基本理念をベストの形に導いた過程をご紹介します。

身近な人に製品を紹介する販売方法の原点

1930年代の初め、リー・マイティンガーとウィリアム・キャッセルベリーという2人の男性が共同で会社を起こしました。


彼らは営業の基本原理について研究していましたが、

営業マンが努力して受け持ち地区の売り上げを上げても、

配置転換などでまた一から同じ努力をしなければならない現状を見て不公平だと考えていました。



彼らは、その人が努力して成功したことによる報酬はその人がすべて受け取るべきだという考えを持っていたのです。

そこで2人がつくり上げたのが、身身近な人に製品を紹介する新システムでした。​

ジェイの親せきのグループの一員として「ニュートリライト」製品の特約店をスタート

ジェイの親せきニール・マースカントはマイティンガー&キャッセルベリーの組織に入り、栄養補給食品を販売していました。

1949年8月、マースカントはジェイに自分が販売している製品と販売方法について説明するためシカゴから訪れました。

そして、その製品が「ニュートリライト」の栄養補給食品だったのです。

ジェイとリッチはこの製品と販売方法に大変興味を持ち、マースカントのグループの一員として加わることを決めました。


当時、ジェイとリッチは2人の名前からJa-Ri(ジャリ)コーポレーションと名づけた会社を設立していました。


Ja-Riコーポレーションはマイティンガー&キャッセルベリーの特約販売店として独立した事業を運営し、「ニュートリライト」の製品を販売するようになりました。


それは、現在のアムウェイのディストリビューターと同じような立場だったのです。


当時、ビタミンは毎日の食事で摂(と)るものと思われており、わざわざビタミン食品を買うのはお金の無駄であるとして、一般の小売店では全く売れませんでした。そこで、ダイレクト・セリング・システムで友達や知り合いに販売していきました。​

親会社の販売システムをめぐる争いの中へ
2人のビジネスは順調でしたが、「ニュートリライト」とマイティンガー&キャッセルベリーの関係にひびが入りはじめました。

事の発端は1950年代の初め、アメリカ食品医薬品局が製品の効能について過剰宣伝をしているという理由で「ニュートリライト」を訴えたことです。

「ニュートリライト」は操業を続けることはできましたが、この結果、販売効率は大幅に落ちてしまいました。

そこで、「ニュートリライト」は栄養補給食品以外の製品として、新たに化粧品の販売を始めたのですが、これが販売システムの所有権をめぐる争いを引き起こし、マイティンガー&キャッセルベリーの組織も深刻な状況に陥りました。​

「すべての人にビジネスチャンスを」を目指しアムウェイの創設へ

ジェイとリッチは自分たちが築いてきたビジネスを守るために、1959年、自分たちの会社を設立しました。

これがアムウェイの始まりでした。
これまでの経験をふまえ、パートナーシップの精神と系列を尊重することが新たな組織の基本原則として確立されたのです。


アムウェイ設立の話は瞬く間に広がり、「ニュートリライト」のディストリビューターたちはアムウェイに興味を持ちはじめました。

しかし、「ニュートリライト」のディストリビューターがアムウェイに移るということは、「ニュートリライト」からその販売力を奪うことになるため、当初ジェイとリッチは断っていました。

しかし「アムウェイはすべての人にビジネスチャンスを提供する」という考えから、その後、受け入れるようになりました。​

成功のきっかけを与えてくれた知人の恩に報いるために


ジェイとリッチに現在のビジネスのきっかけを与えてくれたマースカントも数年後にアムウェイに移ってきました。

その際、ジェイとリッチはマースカントを自分たちのアップラインとして迎え入れました。

なぜなら、彼らがこうして成功できたのは、最初にこのビジネスを紹介してくれたマースカントのおかげだということを2人は決して忘れなかったからです。
そして、マースカントと同じように、ニュートリライトから移ったディストリビューターが誰一人いままでの地位を失わないよう、スポンサー系列をそのまま残しました。​


国際ビジネスへの第一歩。着実にビジネス基盤を確立するアムウェイ

ジェイとリッチはどのような製品を販売するのがよいか考えた結果、誰にでもその必要性がわかり、政府の規制が厳しくなく、売りやすい製品として洗剤を選びました。

最初の製品は「フリスク」という細菌分解される濃縮洗剤で、後に「L.O.C」になりました。

ビジネスが成功するにつれ、ジェイとリッチは国際的にもこのビジネスが通用するのではないかと思い始めました。


そこで、1971年に初めての海外における関連会社をオーストラリアに設立しました。
「ニュートリライト」の栄養補給食品を素晴らしい製品だと信じてきたジェイとリッチは1972年に同社を買収。こうして、アムウェイは現在のビジネス基盤を確立していったのです。​

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米国最大の経済団体、全米商工会議所の会頭に親子2代で就任

1979年、創立者の一人、ジェイが全米商工会議所の会頭に就任しました。
全米商工会議所とは、全米300万事業所を代表する民間経済団体です。

1912年に誕生し、長い歴史と大きな影響力を持っています。ジェイはその米国最大の組織の会頭として、力を尽くしたのです。
そして、2001年。ジェイの息子であり、現在のアムウェイの共同経営者であるスティーブも同じく全米商工会議所の会頭に就任しました。
親子2代で一大民間団体の会頭を務めたという経歴は非常に珍しいこと。ジェイとリッチが始めたアムウェイのビジネスが、現在に至るまでいかに評価されているかという事実を示しています。


以上、amwayホームページより。