~樂 GAKU~ 泣くも笑うも人生の肥やし 

むずかしいことをやさしく やさしいことをふかく ふかいことをゆかいに ゆかいなことをまじめに書く  

マナブログ184 さあ、やっと40代。いっぱいつくります。 

2019年02月04日 | 人・ヒト・ひと
立春がすぎ、こんなぼくも、やっと40代をむかえます。

こどもたちに実年齢をきかれて、大爆笑されることもしばしば。

「えっ、おとうさんより若かったの~?」と、いわれるのはまだしも、

「はっ!?いままで、30代やったん???」

「TOKIOとか、嵐とかと、おおちがいやん!!」などなど、

なぜ、芸能人とくらべられるのかよく、わからない会話もしょっちゅうあります。


かわいい年長さんの頃から知っている子からは、

「いや~、がく先生。はえぎわがずいぶんと進化しましたね~」と、

気のきいたコメントも。  

しんらい関係があるからこそ、こんな話ができるとしんじたいですね。

そうでなければ、ただのわるぐちですもんね。


ザンネンながら、みためはどうにもなりません。シャレたメンズエステにいくお金もありません。

『人は見た目が9割』(新潮新書)という、本もあるようですが、

気、き、き、気にせずいきていくしかないですからね。

アンチエイジングをする気も、まったくありません。

ウイスキーだって、年(歳)をかさねたほうが、おいしいですもんね。

ひともウイスキーも、アンチエイジングではなく、エイジングがだいじなんです。きっと。


なにはともあれ、あたらしいスタートラインに立てたような気がして、やっぱりうれしいものです。

30代も、ほんとうに幸せでした。

もうダメだ。。。と、何度もおもったときもありましたし、大事な友だちや、お世話になったひとが死んで、

かなしくてしょうがない日もありました。 

でも、そんなときこそ自分をみつめられましたし、たいせつなものもよくわかりました。

たりない頭でも、ひっしにかんがえてみるって、大事なんですね。

生涯とおしてつづけたいと思う仕事をさせてもらっていますし、ほんとうに必要なものもわかってきました。


さあ、やっと40代。みためもなんといわれても気にしません。

つくってはこわし、こわしてはまた、つくる。

どんなにつくりあげても、こわれてしまうときもあるでしょう。

でも、たぶん、失敗なんてないんです。

どうして失敗してしまったのかとわかったのなら、たぶんそれは、結果として成功なのかなとおもいます。

もちろん、ひとのココロをきずつけるのはよくないですね。


うまくいえないのですが、これからも、いっぱいつくっていきます。

まいにちのくらしも、子どもたちとの日々も、いろんな方との出会いも、だいすきなものづくりも。

つくる。作る。造る。創る。 

どんどん、つくっていきたいとおもいます。


なかなかお会いできない方のほうがおおいのですが、学はとってもげんきです。

まだまだこれからです。

40代も、どうぞよろしくおねがいいたします。




たからくんの やきもの作品 『よくわらうひと』
















マナブログ183 おばちゃん、キレイやね~

2019年01月27日 | 人・ヒト・ひと

1歳から6歳の子がかく絵をみに、熊本にいってきました。

その帰り。おかねがないので、高速道路はつかわずに国道をひらすらはしっていると、

道路沿いに、ちいさなくだもの屋さんが。

田舎道をはしっていると、ポツンとあったりしますよね。あんな感じのちいさなお店です。

熊本は、みかんがとてもおいしいので、帰りによってみようときめていました。


よってみると、よくわらう、とてもふとった、とてもかんじのいいおばちゃんが、

ひとりでお店をされていました。

ぼくは、幼少のころからまったく人見知りをしない子だったらしく、

いいおっさんになった今でも、はじめて会った方と、ながばなしをするのもしばしば。

お店いつからしてるの?とか、なんでこんなに安いの?だとか、いつものように

おばちゃんと世間話をしました。


雪もふってきたし、ぼちぼちかえろうかなあと思い。 

わらい顔がとてもステキなおばちゃんだったので、

「そろそろ帰らんといけん。それにしても、おばちゃん。ほんとに笑顔がキレイやね~」と、いうと、

とてもふとった、とてもかんじのいいおばちゃんが、

「きゃ~っ♥♥ も~うっ!!! 口がうまかね~っ!!」と、バッシバシ、ぼくの肩をたたいて大興奮。

あまりにもバシバシたたくので、肩がぬけるかとおもうほどでした。


「ちょっと、まっちょって!!」と、おばちゃんがいうので、お店のうらにひっこんだおばちゃんをまってると、

山盛りのニンジンが登場! よゆうで100本はありそう!


「これあげるけん、もってかえって~」と、おばちゃん。

「おばちゃん、これ、売りものやろ?ほんとにいいと?」と、きくと、

「おばちゃんもいっしょに、もってかえってほしかけどね~、きゃ~っ」と、またまた、バッシバシ。


「ニンジンありがと。おばちゃんは、また、今度うけとりにくるね~」と、おわかれしました。

「ぜったい、また、きてね~!!!」っと、車がみえなくなるまで、手をふってくれたおばちゃん。


こんな通りすがりのおっさんに、こんだけニンジンをあげるぐらいなら、

もしも、嵐やエグザイルがきたら、あのおばちゃん、「きゃ~っ、店ごともっていって~♥♥」と、いうかもなあなんて、

おもいだし笑いをしながら帰りました。


寒いせいか、四十肩のせいか、おばちゃんのせいか、よくわからないけれど、

ひだりのうでがまわりません。

おなかがすいたら、いろんなおばちゃんと世間話をして、

「おばちゃん、きれいやね~」と、いってみようと、こころにきめた雪の日でした。


マナブログ182 平和を教えてくれたチエばあが死んだ

2019年01月18日 | 人・ヒト・ひと
ばあちゃんが死んだ。

去年、11月末やけど、生きる知恵をいっぱいおしえてくれた

チエばあちゃんが死んだ。


96歳。 むかしは、すぐ子どもがしんじゃうから、出生届けをださない人も多かったみたいだから、

ほんとうは、97か、98か。 

ほんとの年は、よう、わからん。

でも、チエばあは、生きる『辛さ』と、『平和』を教えてくれた。


ばあちゃんの背中は、ケロイドだらけだった。

戦争の空襲で、背中にとんでもないヤケドをおった。

あんまりにもひどいヤケドで、半年ぐらい目も見えなくなった。


一回目の結婚もしていたけど、

『こんな姿じゃ、嫁のつとめはできません』って、

自分から身をひいた。

戦争で身内をなくして、やっと生まれた子どももしんだ。

5歳のむすめに、大雨のなか畑仕事を手伝わせたせいで、

肺炎になってしんでしまった。


そんな話を、ぼくが20才になって、はじめてはなしてくれた。

小さな目に、涙をいっぱいためて

きのうおきたできごとのように、

かなしくて、つらくて、たまにしあわせだった話を

ことばをつまらせながら、はなしてくれた。



ばあちゃんの背中を、ものごこころがついたときから、ずっと見てきた。

ばあちゃんのちいさな背中は、大きなヤケドでドロドロだった。

「チエばあ、戦争であんなふうになったんだ」

「チエばあ、いたそうやな。戦争ってイヤやな」と、ずっとおもっていた。


背中はちいさかったけど、おっぱいはおおきかった。

すっかりしぼんで、コントにでてきそうな、見事にたれまくったおっぱいだったけど。

でも、ちいさな背中は、ヤケドでただれて、ほんとうにかわいそうだった。


「なあ、チエばあ。いっしょにおふろにはいろうよ。」

子どものころから、なんど、ぼくがいっても、チエばあは、ぜったいに、いっしょにはいってくれなかった。


「なあ。チエばあ、本読んでよ。」

おねがいしたけど、チエばあは、あんまり字が読めなかった。

「ちゃんと読んでくれんから、チエばあなんか好かん!!(キライ!!)」

そう、言ったあと、チエばあはすごく、かなしそうな顔をしていた。

貧しい農家で育ったチエばあは、学校なんか、ほとんど行ってなかった。


時代の被害者というと、言いすぎかもしれないけれど。 でも、きっと、言いすぎではないだろう。

若くして、その小さな背中に、せおう必要もない大きな傷。


読み書きも、ままならないがゆえに、文字にはのこせず、

こころの整理がつくまで、戦後50年がたって、やっと語ってくれた話。


すっかりボケてしまったチエばあは、ほんとうにかわいくて、キレイだった。

死ぬ前の日も、いつもどおり、歌をうたって、おどって、きげんよくごはんを食べて、

きげんよく寝たらしい。


はなれて暮らしていたし、かくごはしていたけれど。  いっぱい涙がでた。


チエばあ、ありがとう。

チエばあの背中をおもいだして、平和のために、とことん生きるよ。

できることなんて、そうないとおもうんやけど。

めのまえにいる子たちといっしょにね。


「そりゃ!うたえ!」「ほいっ、おどれっ!!」

盆と正月に、うれしそうにしていた、チエばあの顔が目にうかぶよ。


死ぬまで、口はわるかったけど、正直で、元気だった証やね。


四十九日もすんで、ほとけさんになったのかな。

ほとけさんになりたいって、いってたもんな。

チエばあにはわるいけど、ほとけさんも、神様もしんじていないけどさ。


でも、チエばあにおしえてもらったことは、だいじにしていくよ。

チエばあ。

でっかい愛と、ユーモアをありがとう。 また、会いたいな。



たぶん、チエばあがいちばんかわいがってくれた孫、学より。





マナブログ181 ねえ、『しゅくだい』ってなあに?

2017年08月24日 | 日記
小学生になって、はじめての夏休み。

のびのびとすごすたからくんに、『えっ?』とおもう出来事があったようです。

近所にすむ、同じ1年生の子とあそんでいたのですが、

泣きべそをかいて帰ってきました。

おやおや?とおもい、理由をきいてみました。


「あのね、ぼくね、〇〇くんとふたりでポケモンのゲームしとったのにね、

 きゅうにね、『宿題せないけんけ、もう遊べん』って、言われたけん、

 ぼくすごく悲しかったとー。」

と、とてもかなしそうに口をとがらせています。

クリクリのあたまをヨシヨシ。

すると、おともだちとのやりとりをおもいだしたのでしょうか。


「ねえ、パパー。『しゅくだい』って何なん?」

と、真顔できくたからくん。

「しゅくだいっていうゲームがあると?ポケモンのゲームよりおもしろいと??」


なるほどナルホド。笑

どうやら、いっしょにゲームをしてたのに、たからくんの知らない『しゅくだい』を選ばれて

「ぼくよりも、しゅくだいのほうが楽しいんだ。」と、よくわからないまま

家にかえってきたようなのです。


「たからくんさ、学校でプリントする時間もあるやろー?」

「うん。やまもんがつくってくれたのするよー」 (やまもんはたからくんの担任)

「しゅくだいはね、プリントとかをもってかえって、家でといて、また、学校にもっていったりするんだよ。」

「えっ!?『しゅくだい』って、ゲームじゃないと??」

「うん。ゲームではないねえ」

「でも、なんでおうちで『しゅくだい』するん?」

「なんでやろうねえ。学校でもするのにねえ。」

「ぼく、わかってるのにおうちでしたくなーい。」

「そうやねー。わかってるのに、おうちでしたくないねえ。」


どうやら、やっと初めて、世間でいう宿題というのがわかったようです。


「でもさー、なんでぼくの学校、『しゅくだい』ないとー??」

「ははは。い~っぱい遊んで、おうちでも自分のしたいことをみつけるのが

 たからくんの学校の『しゅくだい』かなあ。」

「ぼく、ポケモン、ぜんぶ書けるようになりたーい。」

「お~。カタカナがいっぱい書けるようになるねー。」


したいこと、挑戦してみたいことを自分でみつける。

問題にきづいたら、なっとくいくまでやってみる。

いちばんシンプルな『しゅくだい』ではないでしょうか。


だされたものは、だされてこなすものは『しゅくだい』ではなく、

『ノルマ』じゃないでしょうか。


大好きな夏がおわりそうです。

ぼくも自分でみつけた『しゅくだい』がいっぱいたまっています。


ポケモン、802匹。ぜ~んぶ書くぞ~!



マナブログ180 わかっちゃいたけど、おこっています

2017年05月05日 | 日記
ぼくには請求書しかこない、うちのポスト。

そんなポストに、なにかはいっているので、おそるおそるあけてみると。。

自動車税のおしらせ。

あ~。やっぱり請求書。

「普通車だから、たしか、34000円くらいだったよね。。」とおもって、封を切ると

金額が39600円! 4万弱!!

なにっ!! あれっ!? 思ってたんとちがうぞ~!!

支払い用紙をよくみてみると、但し書きが。


「グリーン化税制で15%重課された税額です。」

簡単にいえば、地球にエコな車は減税。その逆は増税という仕組み。


そうかあ。 そういうことかあ。 きいていたけど。 わかっちゃいたけど。。。


でも、地球にエコ?? 日本で走っていたディーゼル車は、海外で、バンバンはしっとるやないか!

「日本の環境」に、エコな車は減税??

環境は、日本だけの問題じゃないやろー!!

きれいなお空は地球みんなのもの!!

よくわからない増税ハンタイ!! びんぼう人の、よわいものイジメー!!


日本中から、そんな声がきこえてきそうです。

ツッコミどころ満載の税制ですよ。わかっちゃいたけど、がくちゃん、おこっています。


丸5年前。 右も左も、方角も、最寄りの居酒屋さんもわからない山梨、南アルプスで、

お金がない、車がない。 ひまもない。ないないづくしの、びんぼうな我が家の救世主となった、

ミラージュディンゴくん。

ご高齢になった、お友達のお母さんから譲り受けたディンゴくんです。

お亡くなりになった、お父さんも大事に乗ってらっしゃったはず。

おきもちも大事にうけつごうと、こころに決めたのです。


赤ちゃんだった、たからくんの毎日の送り迎えにも大活躍。

車におしっこしちゃったり、ジュースをぶちまけたり。

おっぱいをおいしそうに飲んでたときもあったなあ。

1500kmかっとばして、山梨から鹿児島にかえったことも。

ご縁があったからこそ、車がないと生活できない

山梨での暮らしができたんです。


「走行距離50000キロこえました!」

「ぞろ目の88888キロです!まだまだ、元気です!」

感謝のキモチをこめて、お母さんに見ていただけるよう、メールをおくらせてもらっています。

もう、80歳ちかくになられるんじゃないかなあ。

お母さん。ありがとうございます。


支払い用紙を片手に、走馬灯のように、思い出が。。。



エコじゃないから重税。 年式が古いから重税。

ディンゴ君、まだ、17歳ですよ。 みなさんは、17歳のとき、なにをしていましたか?

いろんな夢もみたでしょう。 はかない恋に、まくらをぬらした夜もあったでしょう。

「な~にをアホなこと言うとるんか。 はよ、寝れ!!」と、おこられた日もあったにちがいありません。


しかし、このグリーン化税制。なんだか、高齢者からも税金をとる、国のしくみそのまんまですね。


ぼくは、ちょっとふるくても、あるものを大事にしたいだけなんです。


あるものを最後まで、トコトンつかいこむのもエコなんじゃないでしょうか。



ぼくがメカ音痴だったり、つぎつぎと開発されるあたらしいものに興味をもてないのは、

基本、いまあるもので十分かな?と、おもってしまうから。

子どもたちにビックリされるけど、あの、あれ、アイポッド?ですか?

つかったことありません。

12、3年前に、中古品屋さんで2980円で買ったCDウォークマンを、いまだにつかっています。

ちょっとおもいけど、ぜんぜん使えますよ。


もちろん、買い替えたり、なにかと、見直したほうがいいのもわかっています。


でもね。 モノには思い出もあるもの。

このディンゴ君がいてくれたから、いろんなところに行けたんです。


ボコボコで、キズもあって、燃費もよくないけれど。 だいじなだいじな車なんです。


時がたち、この日本では、ディンゴ君は「地球にやさしくない車」になっちゃったのかもしれないけれど。

でも、増税なんかにまけません。


ディンゴ君は、やさしいんです。

やさしい思い出を、まだまだいっぱいつくります。



みなさんと、かわいい子どもたちの幸せをねがって。よく晴れた、子どもの日に。





マナブログ179 たからくん、1年生になりました。

2017年04月30日 | 人・ヒト・ひと
気づけば、1年以上ブログを更新していませんでした。

マナブログファンのみなさま(←いないかあ。。) たいへんもうしわけありませんでした。

そうこうしているうちに、うちのひとり息子、たからくんが、この春に小学生になりました。

このブログをつづりはじめたのは、たからくんが生まれたばっかりのころでしたね。


日本一自由な学校。きのくに子どもの村学園の、新一年生です。

1年のはじまりの会(世間でいう入学式)の彼の姿は、なんだかまぶしかったなあ。

「ぼく、パパのクラス(木工、ものづくりのクラス)にはいる!!」と、はりきっていましたが、


今年のテーマ「笑い」にひかれたのか、演劇のクラスで、なにやらたのしそうにすごしています。

音楽もすきだし、何かと表現がすきな彼にむいているとおもいます。


生活は、平日、寮ですごしています。

「ママとパパにあいたくなって、ぼく、毎日、泣いとるんよ。おうちにかえりた~い」

と、ホームシックにもなっているようです。

寮ですごす小中学生は50人。

大きなおねえちゃん、おにいちゃんたちからも、かわいがられて、にぎやかに過ごしています。


おおきな家族が学校にあります。

さびしいきもちもあるみたいだけれど、それだけまた、人の気持ちもわかるようになるんだよね。

素敵な卒業生の姿をみていると、彼もそのひとりになるのかなあと、たのしみです。


自分がつとめる職場に、学校に、子どもが通っているのは、

日本に1%もいないんじゃないかなあ。 しかも、両親がいるとなると??


毎日、ケンカしたり、おもうようにいかなくて泣いてるみたいですが、

トコトン思うようにやってみればいいとおもいます。


あそびに夢中になって、1週間、おふろにはいらなかった宝くん。

足が水虫になってかえってきました。たからくんとのお風呂での会話。


息子「パパ~。 ぼく、水虫になっちゃったから、おとまりの小学生やめた~い」

父 「そうかあ。水虫になっちゃったから、おとまりやめたいかあ」

息子「うん。あたらしいゲームのソフトほしいなあ。そしたら、水虫なおるかなあ」

父 「そうかあ。あたらしいゲームかあ。きれいにあらったらなおるとおもうけどなあ。」

息子「アイスクリームたべたり、パパがぼくにおこづかいくれたら、水虫もなおるとおもうよ~。」

父 「よ~し。おふろあがったら、アイスクリームたべて、たからくんにおこづかいもあげようかなあ」

息子 「あれ!? ぼく、なんだか、また、おとまりの小学生してきたくなっちゃった! ミニストップのソフトクリームがいちばんいいよねえ」

父 「そうかあ。 すきなアイスたべて、おこづかいもいっぱいもらったら、水虫もなおるかなあ?」

息子 「そうだよ!水虫はアイスクリームでなおるけんね!!ぼく、おとまりする!!」



こまかくあれやこれやと、きかなくてもだいじょうぶ。

こどもに気持ちに、そ~っとよりそっていきたいとおもいます。




マナブログ178 こわれたら、また、つくればいいよ。ねっ。

2016年04月24日 | 日記
先週の日曜日。お休みに、たからくんとおもちゃをつくりました。

ぼくは生まれてはじめてのギックリ腰がひどくて、

板を切ったりもできず、少しあぶないところは手をそえるだけでしたが

たからくんがいっぱい工夫をこらして、こんなのができあがりました。



「こんなふうにしたいな」というきもちは

5歳児もはっきりしているものですね。

納得いくまで、鼻をフンフンいわせながら、なんどもつくりなおしていましたよ。



たからくんが夢中になっているあいだに、ご飯を準備しようかとおもっていたときのこと。

お皿をあらっていたら、うっかり手をすべらせてしまいました。



バーン!!と、大きな音をたてて、お皿をわってしまいました。

気に入っていたものなので、しばらく残念なきもちになっていたのですが。

われたお皿をみて、たからくんがニコっとわらっていいました。


「こわれたら、また、つくればいいよ。ねっ。」


そのことばが、じわじわと心にしみこみました。

なにかがこわれても、せめたりすることなく、また、やりなおせばいいよねというきもちが

たからくんのなかで育ってくれているんだなあと。

たくさんの方が、愛情をもって、たからくんとせっしてくれているおかげです。


いま、気にかかることがおおくて、正直、これから先どうしようかと悩んでいることもあります。

父ちゃんがまた、ガンの再手術をしますし、ばあちゃんの介護もたいへんそう。

熊本の地震で、避難所生活をしている親族がいることもわかりました。

ぼくも帰りたいけれど、まだ、道も復旧できていないので、すぐにはうごけない。

「みんなきっと、だいじょうぶ」と、毎日、祈っていますが、やっぱり心配です。


そんななかで、「こわれたら、また、つくればいいよ。ねっ。」という、たからくんのことばは

父親ながら、ジーンとひびくものがあります。


たいへんな境遇にいるかたたちの暮らしが、ちょっとずつでも、どうかよくなりますように。



マナブログ177 パパは死んだら、どこにいくの?

2016年03月10日 | 日記
保育所の、おわかれ遠足へむかっている車のなかでのこと。

たからくんが突然、泣きながらいいました。

「パパは死んだら、どこにいくの?」


きゅうに言われたので、びっくりしてしまいました。

「どうしたの、たからくん?」

「だって、だって。パパ、死んだら、ぼく、かなしいもん。」

たからくんは、泣いて、泣いて、ことばになりません。


5歳のたからくんが、いのちについておもうことがあったのかもしれません。

でも、いつかかならず、そんな日がくるのかとおもうと、ぼくも泣きそうになってしまいました。

たからくんが、すこしおちついてから、いいました。


「パパはね、たからくんのことが、だいすきだよ」

「死んでもすきなの?」

「うん。死んでも、だいすきだよ。」

「死んでも、だいだいだ~いすき?」

「うん。死んでも、だいだいだ~いすきだよ、たからくん。」


「あたらしいパパにへんしんする(うまれかわる)と??」

「そうだね。あたらしいパパにへんしんして、また、たからくん、だいすきよ~って、いうよ。」

「ほんと?へへ。ぼく、うれしいなあ」


どうして、そんなことをいいだしたのかは、ききません。

「だって、だって。パパ、死んだら、ぼく、かなしいもん。」

という、たからくんのきもちを、ありのまま、うけとめてあげようと思いました。


死んだらどうなるかなんて、わからないけれど、

目のまえにいるたからくんを、ただ、たいせつにおもい、愛することしかできません。


もちろん、たからくんだけではありません。

毎日、わらわせてくる子どもたちも、まわりのひとたちも、はなれて住む家族も、おんなじです。

みんなたいせつで、ぼくには、愛することしかできないのかもしれません。


あしたは、東日本大震災がおこった日。

丸5年たちますが、いまも、つらいおもいをかかえて、たいへんな毎日をおくっていらっしゃる方がいっぱいいます。


「どうして、ママはいなくなっちゃったの?っておもった」

「ねえ。しんだら、どこにいくとおもう?」

ふくしまの子どもたちから、きいた言葉がわすれられません。


悲しみは、わすれられても、きえないのかもしれません。


勉強会でなかよくなった教員仲間で、あの日以来、連絡がとれなくなった東北の友だちがいます。

「5月に結婚したいと思っているんですよ。」と、うれしそうに話していた彼は、

天国で彼女と幸せにすごしているのかな。


あなたの笑顔を思い出すと、悲しくて、胸がはりさけそうになるけれど。


あなたのぶんも、いまあるいのちを、めいっぱい生きます。

あなたのぶんも、出会ったひとたちを、たいせつにおもい、愛して生きていきます。

どうかみまもっていてくださいね。


「パパは、死んだらどこにいくの?」

たいせつなことを、おしえてくれて

ほんとうにありがとう。















マナブログ176 たからくんのきもち

2016年02月14日 | 人・ヒト・ひと
たからくんが木をきり、ちいさなクギをうちました。

ほんとうは、灯篭(とうろう)をつくりたかったのですが、

時間のつごうで、ここまでしかできませんでした。


でも。 とてもすてきです。

目印とは、ぜんぜんちがうところを切っていたり、

切り口もいびつな形になっていたり。

うまくできなくて、泣きながらちいさなクギを打っていたけれど。


たからくんのきもちが、いっぱいつまっています。


そんな、おもいのつまった木のわくをさわっていると、

なんともいえない愛おしいきもちになります。

ありがとう。たからくん。


あたりまえかもしれないけれど、

まいにちが、だれかの誕生日。そして、さいごのおわかれの日。

まいにち、おめでとう。そして、ありがとう。


たからくんの小さな手からうまれた木のわくもおんなじだね。

まいにちうまれるあたらしいいのちを、

まいにち、おいわいできるといいな。


マナブログ175 雪の中のひまわり

2016年01月25日 | 日記
九州に雪が降りつづいている。

ここ2日ほど、よこなぐりの風と雪が、ごうごうと吹いていた。

今はおおきな雪が、しんしんと舞っている。

どちらにしても、まったく降りやみそうにない。

西日本に40年ぶりの大寒波がやってきているそうだ。


ぼくは「何十年ぶり」とか、「○○史上、初」とかいうフレーズが好きだ。

山梨で、観測史上120年で最高の積雪があったときにも、その場所にいれたし、

ここ九州でも、40年ぶりの大寒波をあじわっているさなかにいる。

生まれてもいないが、昔もこんな雰囲気だったのかと思うと、とてもうれしくなる。


うれしいのだが、とにもかくにも、外にでられない。

今日までにおわらせておきたかった仕事も、もってかえるのをわすれてしまった。

しかし、職場までの山道が通行止めで、どうすることもできない。

天変地異に人間は何もできない。ありのままの自然にさからうのは不自然だ。


こんなときに、できることは、ひとつしかない。

覚悟を決めて酒を飲むことにした。



雪を見ながらお酒を飲むなんて、九州で生きているとなかなかできないものだ。

雪をずっと見ていると、夏はどれくらい暑かったのか思い出せなくなった。

こんなに寒ければ、温暖化もおさまりそうだけれど。



降りつづく雪をみながら、夏を思い出そうとしていると、大きなひまわりが浮かんだ。

ひまわり。  ひまわり。 ひまわり。 


そういえば、子どものころ、「ひまわり」という駄菓子屋があった。

10円玉をにぎりしめて、毎日、ひまわりにいっていた。


ひまわりには、チャキチャキとしているおばちゃんがいた。

計算(暗算)がすさまじく早く、お店にはいってチャイムがなると、

絶対に5秒以内に顔を出してくれた。


そして、ひまわりには、やさしいおばあちゃんがいた。

おばあちゃんが店番をしているときには、とてもおだやかな、ゆっくりとした空気がながれていた。

店にはいって、「1,2,3,4,5」と、こころのなかでかぞえて、チャキチャキしたおばちゃんがでてこないときには、


「はい、は~い。あいたたた。腰がいたいねえ。」と、わすれたころに、おばあちゃんがでてきた。


ぼくは、ひまわりが大好きだったが、ひとつだけイヤなことがあった。

そのおばあちゃんが店番をしていると、力の強い大きな子が、

「おばあちゃん、これ、1円だよ。」

「これ、10こで5円だよ。」

と、お金をはらうときに、平気でウソをつくのだ。


おばあちゃんは、

「はいはい。1円だね。」

といって、1円玉をひとつだけもらい、、

子どもに5円といわれると、おばあちゃんは5円玉をひとつだけもらう。


そして、とてもうれしそうに

「ありがとうねえ。また、おいでねえ。」と、いうのだ。


その子たちは、「やった!また、1円でおかし買えた!」だとか、

「ぜんぶで5円のわけないやん!あのおばあちゃんバカだよ。」

と、いいながら、ワイワイと店の外で食べていた。


ぼくは気弱で、こわくてぜったいにその大きな子たちには言えないのだけれど、

なんで平気でそんなことをするのだろうと思っていた。

でも、言えなかった。



ひまわりのおばあちゃんは、どうして1円でおかしを売っちゃうんだろう。

ぼくは、ひまわりのおばあちゃんが大好きだったから、

「え~っと、ぜんぶでいくらかねえ。」と、きかれると

絶対にウソをつかなかった。


お金がなくて、ウソをつきたいとおもったときもあったけど、

なんだかおばあちゃんがかわいそうだから、ウソはつかなかった。


すごく寒かった日だったと覚えている。

その日から、おばあちゃんは店番にでてこなくなった。

その寒かった日からも、毎日、ひまわりにいっていたけれど、

もう、おばあちゃんに会うことはなかった。


小さな手に、小銭をにぎりしめた子どもたちがたくさんやってくる。

「え~っと。ぜんぶでいくらかねえ。」と、

とてもうれしそうに、やりとりをする。


ウソをつかれているとわかっていたのか、わかっていなかったのか

30年たった今もわからない。


でも、ひまわりのおばあちゃんは、ほんとうにきれいだった。

小さな子どもにかこまれて、いつもニコニコにしていたおばあちゃんは、

とってもシワシワだったけど、とってもきれいなひまわりだった。


目の前は、雪でいっぱいだ。

寒くてこおりそうな雪の中を

小さなひまわりがたのしそうにあそんでいる。