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谷やんの ”まなブログ”

最近思う事・自動車全般・ムフフ話・など自分の今思う旬なネタを題材に社会派で迫ります。

交通違反

2009-05-30 | 自動車全般
もう一ヶ月ほど前にではあるが、一時停止無視で捕まった。

面白いもので、捕まらない時には全然捕まらなくて、この私がついこの前まで”ゴールド免許”なる金色帯の免許証を持っていた。

しかし、捕まりだすと何故か頻繁に捕まるのだ。

昨年末に34km/オーバー(高速道路のため3点減点)
そして、4月末に上記違反で2点減点

救われたのは、ゴールド免許で2年以上違反が無いと3ヶ月にて点数が戻ってくるため、現在の減点数は2点のみ・・・・

しかし今度は1年じっと我慢の私なのだ。

そもそもわかり切ってはいるのだが、警察官も交通違反の検挙数を営業マンの予算の如く背負わされ、日々取り締まりをしているのだが・・・

本当に危険な運転や事故に繋がるような危険行為を是非とも取り締まっていただきたい・・・


例えば私の場合・・・

一時停止線を1mほどオーバーし停止。
左右を確認し左折。

ここで検挙となる。

警察官の第一声は・・・

「いやー事故にならなくって良かった」


そんな事ある訳もない・・・

キチンと左右確認はしている。

法律的には違反しているのはこの私なので大きなことは言えないのだが、如何にも取って付けた様に一声を浴びせるこの言葉は如何なものか・・・

ネズミ捕りやこの手の取り締まりは、運転者が反省する以前に”運が悪かった”と思わせるのが現実だ。

役人の小手先の違反検挙では、本当の意味での交通安全には貢献しないのではないか・・・

まぁ、悔しがっても後の祭りなのだけど・・・

皆さんも気をつけてね。
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ロータリー

2009-02-01 | 自動車全般

それは大学生だったある夏の夜の事だった。

父親の車を借りて走っていると、ガソリンの無いことに気付き近くのスタンドに立ち寄った。
店の人にレギュラー20Lを頼むと事務所の自販機へ向かった。

丁度その時だった。
遥か彼方からとんでもない爆音を棚引かせこちらに向かってくる一台の車が現れた。

赤の初期型RX-7だった。

その排気音はレシプロエンジンとは異なる音質であり、空恐ろしい程の爆音には恐怖心さえ感じさせるものがあった。

RX-7は私の居るスタンドへ入ってきた。

フロントエアーダムにはいくつものダクトが素人仕事のような取り付けで顔を覗かせている。

計量器の前にたどり着く前にエンジンが止まった。

もう一度エンジンを掛けたRX-7は爆音と共に目覚め、高回転の半クラッチでどうにか計量器の前に辿り着く事ができた。


「1速が遠いんだな、クロスミッションか・・・」

「もしかしてアイドリングしないのは、オーバーラップの大きいペリフェラルポートのせい?!」


頭の中は拙い知識でいっぱいになっていた。

オイルを添加したハイオク満タンのRX-7は、真夏の夜の彼方へ消えていった。

それから1時間ほどして家に帰った私は部屋でテレビを見ていた。

すると2キロ離れた国道で、先ほどのロータリーと思われる全開のエキゾーストノートが響いてきた。

とても2キロ離れているとは思えないような、殺人的な爆音である。

これが私の直に聴いた改造ロータリーの音だった。



私が始めてロータリーエンジンを知ったのは、小学生の頃だった。

家には子供用の自動車図鑑があり、当時最新鋭の”コスモスポーツ”の写真が載っていた。

そこには単なる完成車写真のみならず、”車ができるまで”との表題で、東洋工業での生産ライン組立工程の写真から、塗装工程、水圧検査、テスト走行とストーリー仕立てで解説され、幼少の私はそれに見入っていた。

3歳年上の兄貴は、その車のもう少し詳しい事を知っていた。

この車のエンジンには、”繭型の枠の中におむすびが回っているエンジン”である事・・・・

写真の”コスモスポーツ”は後期型であり、前期型はフロントラジエターグリルがもっと小さい事・・・

などとどうでも良いことを知っていて私には自慢していた。


それから暫らくして父親と兄貴と交通博物館へ行った時の事だ。

そこにはロータリーエンジンのカットモデルが飾ってあり、回転運動を見ることができた。

「こんな形でもエンジンは成り立つんだなぁ」

そんな感想だったと記憶している。


これは、私とロータリーエンジンの出会いの話である。
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スカイライン・スポーツ

2008-12-11 | 自動車全般

実際にこの車の走っている姿を見たことが無い。

私の生まれる前の1962年の発売だし、生産台数はコンバーチブルと合わせても60台に満たないのも要因の一つだろう。

発売価格は、クーペ¥1,850,000 コンバーチブルは¥100,000円高である。

今の物価に換算すると¥10,000,000を越えると言われている。

中身はプリンスグロリアのシャーシー及びエンジンであるが、車のイメージに合わせ排気系のチューニングにより、パワーアップしていたようだ。

この車の命は、デザインであろう。

今のような斬新過ぎるデザインとはかけ離れているが、側面・リアの重量感。
側面のキックアップする優雅なベルトライン・・・
正に”エレガント”という言葉が似合う車である。

デザインはイタリアンデザインのミケロッティーが担当し、日本で始めての舶来デザイナーによる作品であった。

当時のご時勢を想像すれば、”高嶺の花”そのものだったのだろう。


この車に纏わる一つのエピソードを聞いたことがある。

親戚の懇意にしている一人の精神科の医師がいた。

この方は地方の総合病院に勤めており、科の違う医師たちとの話題は、最近進歩の著しい”自動車”の話であったようだ。

この先生、マイカーを持っていた。
彼の車はスバル360だった。

話は戻るが、先生の同僚に車の取り付かれた医師がいた。

車は持っていなかったようだが、1962年発売のスカイライン・スポーツの発売を知り、医師を辞めると言い出した。

彼は、退職金を元手に、スカイラインスポーツを買うのだという。

医師という自分の職業を棒に振ってでも手に入れたい欲求に駆られてしまう・・・

それほどの魅力がこの車にはあったのだろう。

その後、その医師が退職し、スカイライン・スポーツを手に入れたかどうか・・・

その後の話は解らないのだが・・・・

頑固に信念を曲げなかったと、聞いている。

人生を棒に振ってでも手に入れたい・・・

そんな気持ちは解らないでもない。

因みにこの釣り目は”チャイニーズ・アイ”という。

デザイナーの粋な計らいもお洒落である。
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クランク

2008-12-03 | 自動車全般

昭和40年頃まで、自動車のバンパーの真ん中やラジエターグリル下部にかぎ型の穴が開いていた。

その昔、バッテリーやセルモーターなど電装品の性能が良くなかったからなのか、車のエンジンを手動で掛ける手段があった。

それは、坂の上まで車を手押し上げて、ギヤーをセコンドに入れ、坂から降りてくる惰性で無理矢理クラッチを繋ぎエンジンを掛ける”押しがけ”とは異なる手法なのだ。

当時の車には、”クランク・ハンドル”なる標準車載工具の存在があった。

それを、先ほど説明した車体前面中央部から差込み、クランクシャフトを先端から手動で回しエンジンを掛ける方法なのだ。

当時の車は、今とは異なり、低圧縮比であり、小排気量だったため、冬場バッテリーの上がってしまった時などは、随分と重宝したようだ。

当時の気化器がキャブレターなので、一度始動に梃子摺ると、プラグを被らせてしまい、セルモーターを延々と回すことになり、結果バッテリーが上がる。
との理由もあったに違いない。

さて、私が自動車に興味を持った頃、新車ではこのクランク穴を発見する事ができなかった。

しかし、近所に存在した”解体屋”と称する自動車の墓場で遊んでいた頃、前面部に穴の開いている車種を多く発見したものだ。

ブルーバード310、ブルーバード410(初期型)、初期型クラウン、ジープにもあったような・・・

その穴の付いている車を発見すると、まるで骨董品を見付けたような錯覚になり下に潜り込んではジョイント部を確認してみたり、トランクにある、クランク・ハンドルを見付けては喜んでいた。

時として、車体後部にクランク穴の開いているものもあった。
乗用車型トラックなどがそうだったのだが、後ろにエンジンが付いている訳でもなく、「?」と思っていたのだが、車体下に潜り込んでみると、吊り下げ式スペアタイヤがチエーンによって、吊り下げ固定されているのを発見した。
タイヤ交換の際、クランク・ハンドルにてスペアタイヤを下ろし交換するための穴だった訳だ。

そんな訳で、自動車の創明期に見られたこの”クランク穴”・・・
私は、この穴を発見すると、今だにワクワクしてしまう・・・

ちょっと変わり者の男なのだ。

(写真は、著「ブルーバード510とあの時代」より借用)
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ハザード

2008-11-25 | 自動車全般

昔は、”4ウェイ・フラッシャー”などと呼ばれていた。

昭和40年代に、この”ハザード”が生まれた。

企業戦士たちの海外視察が自由になった昭和37年を皮切りに、自動車業界でもその手の技術者達は、世界中を駆け回り、自分の肌で海外の自動車を直に感じることの出来る恵まれた時代になった。

当時の日産の技術者達も、37日間世界一周と銘打ち、出掛けたようだ。

その中に、後に510ブルーバードの設計主査を務める太田昇氏がいた。

彼はその世界一周研修旅行の際、4ウェイ・フラッシャーを点灯させて走るトレーラーを見かけて、「なるほど、これは良いものだ」と感心し日本に持ち込んだ。

当時、日本でも安全対策が重視され始めていた。

交通事故の死傷者はうなぎのぼりのグラフとなり、可倒式フェンダーミラーなどで歩行者保護を提案したり、シートの上部に付くヘッドレストなどもムチ打ち症を回避するためのアイテムとして常用化し始めていた。

当時で言うこの”4ウェイ・フラッシャー”・・・
当時の自動車カタログの記憶では、オプション扱い・・・
そして数年の内に標準装備化された。

当時はプルアップ式のスイッチで、ライトが4方向に放射状にデザインされたアイコンだったと記憶している。

当時、これを使いこなしていた人は居たのだろうか。

記憶では、故障でレッカー車に牽引されている車には点灯していた。


それから20年ほどして・・・


この”ハザード”

単なる危険表示に留まらず、コミニュケーションの一つとして使用されるようになった。

道を譲って貰った時の、ありがとうサイン・・・

先方で渋滞が予測された時のお知らせサイン・・・

真夜中の峠では、バトルを仕掛ける時の合図サイン・・・

多種多様な使用方法で現在に至っている。


ソフト面で進化してきた、このハザード・・・

ハード面でいまひとつ解せない部分を感じる。

それは、スイッチの位置だ。

メーカーや車種を問わず、その位置と来たら取り留めもない・・・

センターコンソールの上部であったり下部であったり・・・
ステアリングボスの側面だったり・・・

決して、使い勝手が良いとは言いがたい。

私は思うのだ。

あれは、ウインカーレバーの先端部に取り付け、プッシュする事により点灯させる。

それが一番理に叶っていると思うし、第一使いやすい。

こういう物こそ、工業規格などで位置を決めてしまえば良い物だと思う。

ハザードのスイッチの位置・・・

これは現代の車の中のスイッチの配置の七不思議である。
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