この子は、私がお腹を痛めて産んだ子!
初めて話した言葉は「ママ!」だった!
私の姿が見えなくなると、この子は大泣きをして私を探した!
お母さんって、こっそりそれが自慢で、そんなことを思い出すたびに、満足でしたよね・・・この子は、私のことが大好きなのよねって、実感できていた頃のお母さんは、まさに「私がママよーーーー!!」と、輝いていたでしょう。
ところが。
小学校高学年、早い子は4年生くらいになると、子どもは1から10まで、お母さんには話さなくなります。ついこの間までは、忙しい夕食の支度をする時間まで、後ろをついて話しをしにきていたのに・・・
「ママ、今日ね、幼稚園のお庭にミミズがいてね・・・」
「ママ、今日は○○子先生が、△△ちゃんを叱ったんだよ・・・」
「お母さん、今日は計算問題が一番に出来たんだ!」
「お母さん、○○子ったらね、・・・」etc. etc.
それなのに、今はこちらから何を聞いても、「べつに・・・」「何もないよ・・・」
お母さんは、とっても寂しくなります。
そして、それが子どもの「正常な成長」だとはなかなか信じる気持ちにはなれません。
いえ、本当は「頭」ではわかっていても、どうしても「心」がそれを受け入れようとしていない・・・
なぜでしょう?
子どもが立派に成長していくことが、親の喜びであるはずなのに・・・
それはね。
お母さんは、知っているのです。すでに、気づいているのですよね。
「成長するってこと イコール 自分から離れていくこと」
「成長するってこと イコール お母さんの庇護の元を離れようとしていること」を・・・
お母さんはみな、我が子を産んだその瞬間から、「この子は私の子、私がお腹を痛めて産んだ子!」という強い思いによって生き、知らず知らずのうちに、子どもを自分の掌中に納め、まるでヘソの緒で繋がれているように、すべてを把握し、すべてを知っていたい・・・そう思っているのです。
これは、感情というよりも、「母親の性(さが)」のようなものかもしれません。
強い弱いの差はあっても、こういう「性」からか、母親というものは、父親以上に我が子への粘質の執着心を持っている・・・それが普通です。
これが性である限り、なかなか母親とは、さまざまな事象、さまざまな感情を「理解し、納得し、万事、理性と理屈で処理していく」というのは至難の業、のようです。
だからこそ。
まずは、「自分がそういう状態で、我が子を見ているのだ」という現実を知ってください!
この人ったら、十把一絡げにして言わないで!私はちゃんと子離れしているわ!だからこそ、子どもを理解しようとしているのよ!・・・
と、豪語しているようなお母さんに限って、本当の自分の姿を知らないものですよ。
付録
母親は、一生懸命に子どもを見つめ、愛しています。けれど、成長とともに、息子も娘も、時には宇宙人のように理解しがたい存在になる・・・でもね、その責任が一方的に子ども達にあるわけではないのです。
母親の心が柔らかくなれば、きっと違うものが見えてきますよ。
でも、どうしても気分の晴れない時は、いつでもどうぞ!子どもの年齢、受験云々に関係なく、まどか先生の相談室はいつでもオープンしています
話すと楽になる・・・そんなこともあるものです
「まどか先生の相談室」は、こちらから。
初めて話した言葉は「ママ!」だった!
私の姿が見えなくなると、この子は大泣きをして私を探した!
お母さんって、こっそりそれが自慢で、そんなことを思い出すたびに、満足でしたよね・・・この子は、私のことが大好きなのよねって、実感できていた頃のお母さんは、まさに「私がママよーーーー!!」と、輝いていたでしょう。
ところが。
小学校高学年、早い子は4年生くらいになると、子どもは1から10まで、お母さんには話さなくなります。ついこの間までは、忙しい夕食の支度をする時間まで、後ろをついて話しをしにきていたのに・・・
「ママ、今日ね、幼稚園のお庭にミミズがいてね・・・」
「ママ、今日は○○子先生が、△△ちゃんを叱ったんだよ・・・」
「お母さん、今日は計算問題が一番に出来たんだ!」
「お母さん、○○子ったらね、・・・」etc. etc.
それなのに、今はこちらから何を聞いても、「べつに・・・」「何もないよ・・・」
お母さんは、とっても寂しくなります。
そして、それが子どもの「正常な成長」だとはなかなか信じる気持ちにはなれません。
いえ、本当は「頭」ではわかっていても、どうしても「心」がそれを受け入れようとしていない・・・
なぜでしょう?
子どもが立派に成長していくことが、親の喜びであるはずなのに・・・
それはね。
お母さんは、知っているのです。すでに、気づいているのですよね。
「成長するってこと イコール 自分から離れていくこと」
「成長するってこと イコール お母さんの庇護の元を離れようとしていること」を・・・
お母さんはみな、我が子を産んだその瞬間から、「この子は私の子、私がお腹を痛めて産んだ子!」という強い思いによって生き、知らず知らずのうちに、子どもを自分の掌中に納め、まるでヘソの緒で繋がれているように、すべてを把握し、すべてを知っていたい・・・そう思っているのです。
これは、感情というよりも、「母親の性(さが)」のようなものかもしれません。
強い弱いの差はあっても、こういう「性」からか、母親というものは、父親以上に我が子への粘質の執着心を持っている・・・それが普通です。
これが性である限り、なかなか母親とは、さまざまな事象、さまざまな感情を「理解し、納得し、万事、理性と理屈で処理していく」というのは至難の業、のようです。
だからこそ。
まずは、「自分がそういう状態で、我が子を見ているのだ」という現実を知ってください!
この人ったら、十把一絡げにして言わないで!私はちゃんと子離れしているわ!だからこそ、子どもを理解しようとしているのよ!・・・
と、豪語しているようなお母さんに限って、本当の自分の姿を知らないものですよ。
付録
母親は、一生懸命に子どもを見つめ、愛しています。けれど、成長とともに、息子も娘も、時には宇宙人のように理解しがたい存在になる・・・でもね、その責任が一方的に子ども達にあるわけではないのです。
母親の心が柔らかくなれば、きっと違うものが見えてきますよ。
でも、どうしても気分の晴れない時は、いつでもどうぞ!子どもの年齢、受験云々に関係なく、まどか先生の相談室はいつでもオープンしています
話すと楽になる・・・そんなこともあるものです
「まどか先生の相談室」は、こちらから。