お母さんのお助けブログ 中高生編

息子が見えない。娘がわからない。でも、母親の心が柔らかくなれば、きっと違うものが見えてきます。ほんの少し、なごむ時間を。

母は、本当に「善」でしょうか?

2014-01-28 | 私のつぶやき
 母娘クライシス、という言葉を耳にするようになりました。
昨年末、NHKの特報首都圏という番組で「母娘クライシス」の問題が取り上げられ、今まで以上にこの問題に関心を持つようになったお母様達も少なくはないでしょう。

 昔から、暴力的行為さえなければ、母と息子の関係は比較的良好です 「うぜーんだよ」と言われ、「くそばばー」と蔑まれても、案外、悲しい思いをしながらも、息子の暴言は受け止められ、いつまでも息子はかわいいと思うという母親は多いものです。
 しかしその一方で、すでに幼稚園に通うような幼児が相手でも、娘との関係に悩む母親は多いのですね。そして、娘がティーンエイジャーになってくると、どんどんその関係は難しくなり、深刻になっていきます(じつは、父と息子の関係も難しいものですが)

 母親は娘と同性であるがゆえに「私なら~~するのに」とか「私は~~しない」と自分に重ね合わせ、心の中で娘の言動、行動を批判します。
 これが、愛情に満ちた「アドバイス」であれば良いのですが、大抵の場合、それは「非難」であったり「忠告」であったり、「文句や愚痴の類」である場合がほとんどでしょう

 息子の行動が理解不能であっても、「私は女だから、男の子のことはわからないのだわ」と、あっさりギブアップもするのでしょうが、娘の場合には、最後の最後まで重箱の隅をつつくようなバトルになってしまう・・・

 こじれてしまった関係を修復することは、本当に難しいです。
たどっていくと、その関係は幼児期にまで遡り、すでにその時点でボタンの掛け違いをしていた、ということが多いです。そうなると、一朝一夕には、関係の改善はできません

 しかし。
まずは考えてみてください。「母親」「大人」「人生の先輩」「年長者」ということを振りかざし、娘に多くを求めすぎていませんか?
 自分が若い頃に間違ったことは、娘には間違わせたくない!という思いで忠告をし、自分が上手くこなしたことは、自分と同じ道、同じ方法を強いる・・・無意識のうちに、自分のしえなかった夢を必死に託していたり、自分の過去の行いの自画自賛になっていたり・・・そんなことはないでしょうか?

 そして、知らず知らずのうちに、子どもの姿を見ることなく、子どもの声を聞くことなく、「母親」という錦の御旗をかざしていないでしょうか?

 子どもに寄り添うこと
決して簡単なことではありませんね。しかし、自分が母親として言っていることは「善」であり「正」であったとしても、あなたは「母として善」でしょうか?
 ほんの少しでも、子どもの言葉を聞こうとしていますか?
 頭ごなしに、この子は未熟なんだからと、子どもが口を開くたび眉間に皺をよせ、耳のシャッターを下ろして、自分が「善」として話す体制になっていませんか?

 子どもは、本当は母親であるあなたと、時間を共有し、同じものを見て、同じように美しい!と感じ、きれいだねえと共感しあいたいと思っているのですよ。

 優しい心で我が子を見ていますか?
 母親は、本当にいつも「善」なのでしょうか?