お母さんのお助けブログ 中高生編

息子が見えない。娘がわからない。でも、母親の心が柔らかくなれば、きっと違うものが見えてきます。ほんの少し、なごむ時間を。

母と娘、父と息子は犬猿の仲?!

2009-03-30 | お母さんの気持ち
 「どうしても息子の気持ちが理解できません・・・」お母さん達は一様にそう言います。
では、娘の気持ちなら、少しは理解できるのでしょうか。

 私のところにご相談においでになる中高生のお母様方は、息子との関係で悩んでいる、頭を痛めている、というお母様よりも、「娘との関係で悩んでいる、頭を痛めている」という方のほうが多いのです。
 そして、お母様方のお話を整理してみると、一つのことが見えてきます。それは・・・
「私は女。もともと、性差のある息子の気持ちなどわかるわけがない。それも、思春期のど真ん中にいる息子の考えていることは、わかりようがない」
そういう気持ちが、根本的な考えの中にあるのですね。だから、息子のことでは悩んだり困ったりする、というよりも、「オロオロする、悲しむ、どうしたものかと途方にくれている」という類のものなんですね。
 その一方で、「娘は~~なんて言うんですが、どうも私はそういう気持ちは理解できません!いったいうちの娘は、どんな思考をしているんでしょう?」とか、「私があの子の頃は~~でしたのに、うちの娘は~~なんです。どうしてなんでしょうねえ・・・」というもの。
さあ、お気づきになりましたか?
息子との関係では、私は「○」、息子は「△」違う形ですから、まあ、もともと、わかりようがない・・・というのが前提です。それに対して、娘との関係では、私は「○」、娘も「○」のはず。なのに、どうも娘は「○ではない」いったいどうなってるんでしょう?!という論理。いえいえ、理屈ではなく、そういう「感覚」ですね。
ですから、娘との関係において、お母様方は「悲しむ、途方に暮れる」というよりも「腹を立てる、呆れている、怒っている」という心理のほうが強い傾向にあります。
 
 じつは、こういう母親の「息子と娘への感情の違い」が、時として、母と子の関係を悪くする原因になっていることに気づいていないお母様は少なくありません。
 これとまったく同じ図式が、父親と息子、父親と娘の関係にもある!どうでしょう?思い当たりませんか?

 親とは、いつも私が言うように、知らず知らずのうちに、物事の尺度は「自分」であり「自分の経験」です。自分にないものを求める、とか、自分と真逆を求める、という反面教師の場合もあります。この場合も、じつは、自分の経験上、上手くいかなかったこと、よくないことをベースにものを考えているわけですから、結局は、これも尺度は「自分」であることには違いありません。
あまり親のほうは普段は意識していなくても、結構、子ども相手に憤ったり、お説教をしたりするときには・・・
「どうしてあなたはそうなの?ママが中学生の頃は、絶対にそんなことはしなかったわ!」
「ママは、いつも~~なふうにしていたものよ。だから、おじいちゃんもおばあちゃんも心配しなかったの。それなのにあなたったら・・・」
とか、こういう言い回し?になっていることが多くありませんか?もちろん、「ママ」を「パパ」に置き換えても同じ、です。
要するに、「スタンダードは自分」であって、そこからわが子が外れた行動、外れた言動をすると、「なんで?私の子なのに!」とムカッとする!

 けれど、異性の子どもの場合は、最初から「もともと、異性だから、私(僕)とは違うもの」というふうに半ば諦め?納得?開き直り?的な感覚があるために、相手への気持ちと自分との気持ちの間に、少しニュートラルな状態が生まれるわけです。

 このニュートラルの状態、カッとしない状態が、お互いの間にちょっとした冷静さを生んだり、「違う相手」をわかろうとする優しい思いになったりするのです。

 もしかしたら、今、これを読んでくださったお母様方の中には、「なるほどね・・・」と頷きながらも、これがわかったからと行って、今、私が悩んでいる親子関係の根本的な解決策にはならないわ!と落胆される方もおいでになるでしょう。確かにそうです・・・
 けれど、こういうふうに冷静に自分の感情の見つめたり、分析したり、なるほどねえと納得したりすることは、みなさんが思っている以上に、じつは大事な時間なんですよ・・・「感情を静める、少し本題から目を他に転じる」こんな時間は、あなたのささくれた心を、ほんの少し癒してくれる時間になるものです。


付録

母親は、一生懸命に子どもを見つめ、愛しています。けれど、成長とともに、息子も娘も、時には宇宙人のように理解しがたい存在になる・・・でもね、その責任が一方的に子ども達にあるわけではないのです。
母親の心が柔らかくなれば、きっと違うものが見えてきますよ。
でも、どうしても気分の晴れない時は、いつでもどうぞ!子どもの年齢、受験云々に関係なく、まどか先生の相談室はいつでもオープンしています 
話すと楽になる・・・そんなこともあるものです

「まどか先生の相談室」は、こちらから。

心は伝わります!

2009-03-26 | いろいろ
 国立大学の後期試験も終わり、いよいよ、4月に大学入学、専門学校入学を控えた青年達が大移動を始めていますね。この時期は、初々しい新1年生と思しき姿を眺めながら、親がどんな思いで愛する息子、娘を送り出したのか・・・と思い、胸がキュンとします。

 そんな彼らの姿を見ていて、私は、1月のある日の出来事を思い出しています・・・
私は、近所の郵便局で、一人の高校生に出会いました。
彼は、束になった「大学の願書」を送る手続きをしていました。マスクをしたその高校生。神妙な顔つきで、けれど、明らかに世の中には楽しいことはないぞ、みたいな顔をして、郵便局員さんがたずねることに、言葉短い答え、うつむき加減に立っていました。きっと、彼の予想をはるかに超えて、その事務手続きは時間がかかったのだろうな・・・と、私は思いました。

 私の用はすぐに済み、郵便局の出口に行った時には、まだ、彼は送付書の控えに見入っていました。大きなマスクのせいで、彼の表情ははっきりとは読み取れませんが、受験生である彼の胸が締め付けられるような思いは、十分に私にも伝わってきました。控えを眺めながら、彼は、近づいてくる受験期間を思い、さまざまなことを考えていたのでしょう。
 
 私は彼に近づき・・・
 「あなた、今週末はセンター試験も受けるの?」
と声をかけました。自分の世界に入っていた彼は、私の声で急に現実に引き戻され、明らかに、キッとした表情で私のほうを向き、半ば睨むような、半ば蔑むような顔をして、「えっ?」と言いました。彼の心の声がきこえてくるようでした。
 
 「おばさん、オレ、あんたのことを知らないよ。気安くオレに声をかけんなよ。センター受けんの?あんたに何か、関係ある??」

 私は、その彼の表情を見て、よけいに私の心を伝えたくなりました。
 「ごめんね、知らないオバザンに突然声かけられて、びっくりしたでしょ?オバサンね、あなたの後ろにいたから、大学の願書、見えちゃったのよ。今は大学生だけど、オバサンにも二人の子どもがいてねえ。それで思わず声をかけてしまったのよ。あなた、今週末、センター試験も受験するの?」

 すると、みるみるうちに彼の表情が軟らかくなるのが見えました。
 「はい!センター試験、受けます。」

 「そう。じゃあ、がんばってね。」

 私はそう言って、彼のほうに向けて小さく両手でガッツポーズをしました。私は満面の笑顔でそう言ったのですが、急に感情が激してしまい、泣き顔のようになってしまいました。
 そのとき、私は見ず知らずの彼に、本当に大きな大きな愛情を感じたのです。 「がんばれ!がんばれ!」

 人の心には、色も重さもありません。でも、得体の知れないその心というものは、確かに人と人との間に見えない「気」となって生まれ、熱を伴って相手に伝わるものだと私は確信しています。
 きっと彼は、家ではお母さんの心配や、優しい言葉には上手く反応せず、ぶっきらぼうにしか対応していないかもしれません。でも、彼には、間違いなく、私の「心」は伝わった・・・

 相手が子どもでも、わが子でも、夫でも、妻でも、友人でも。そこに「組織的な意図」等、しがらみがない限り、必ず伝わるものですよ。知っていてください。


付録

母親は、一生懸命に子どもを見つめ、愛しています。けれど、成長とともに、息子も娘も、時には宇宙人のように理解しがたい存在になる・・・でもね、その責任が一方的に子ども達にあるわけではないのです。
母親の心が柔らかくなれば、きっと違うものが見えてきますよ。
でも、どうしても気分の晴れない時は、いつでもどうぞ!子どもの年齢、受験云々に関係なく、まどか先生の相談室はいつでもオープンしています 
話すと楽になる・・・そんなこともあるものです

「まどか先生の相談室」は、こちらから。

心をこめて

2009-03-23 | お母さんの気持ち
 私は日頃、小学校受験を目指す家庭の方々と関わっています。
教室の生徒は4歳児、5歳児。自我の強い子はいますが、本人に十分な経験も知恵も知識もないため、結果的には「親の言いなり」になる時期です。
 ですから、当然親は、「こうなって欲しい」という強い思いのもと、さまざまなことを教えていきます。
 幸い、この年齢の子ども達は、スポンジのように多くのことを吸収していきますので、親はウハウハと大喜び。この時期の親は、「無敵の境地」です。
 このままでわが子は、どんどんといろいろなことを覚え、経験を積み、親が思い描く理想通りの子どもとして育っていくのだろうなと、大きな勘違いをします。

 要するに親というものは、子どもが幼い頃から、子どもを愛している、愛していると言いながら、そのじつ、自分の希望、欲望というものを「愛情」という錦の御旗に置き換えて、子どもの思いや気持ちをあまり知ろうとはせず、どんどん多くのことを強要している・・・と言えなくもないのです。

 もちろん、この時点ですでに、親子でたくさんの「言葉のキャッチボール」があり、お互いに相手の「思い・心」が伝わっていれば、子どもが大きくなっても、親に対する恨みのような感情は生まれないものです。
 
 「ママね、泳げないでしょう?ちっちゃな頃から、海に行ってもちっとも楽しくなかったの。みーんな気持ち良さそうに泳いでるのを見てるだけでね・・・すごく悲しかったんだあ。だから、○○くんには上手に泳げる人になってもらいたいなあ、って思ってるのよ。ほんとはね、オリンピックの北島康介みたいになったら、ママ、本当うれしいなあ!」
 「そっかあ。北島康介って、本当にかっこいいよねえ。でもね、ボクは、ほんとはあんまりスイミングは好きじゃないんだよ。だって、△△コーチ、すっごく怖いんだよ。ママは知らないでしょう?」
 「へえ?そうなのお?じゃあ、スイミングは辞めたいって思うほど、嫌いなの?」
 「ちがうよ、辞めたいって思ってないよ。でも、あんまり好きじゃないんだ・・・」
 「うん、わかった!でも、ママ、もうちょっとがんばってみるのも良いって思うよ。だって、○○くんは、しっかりコーチの言うことを聞いて、今はとても上手に泳げるようになっているもの。もうちょっとはがんばってみて、それでも凄くイヤってだって気持ちが続いたら、その時にまた話そうね!」
 「うん、わかったよ、ママ!」

 もし、親子にこんな会話があったとしたら、気持ちの行き違いや溝は生まれないものなんですね。お互い、相手の思いがわかり、同時に、自分の思いも伝えているので・・・

 けれど、子どもが幼い頃から、こういうことを習慣とせず、親の思いだけを押しつけ、その押しつけを正当化し、子どもの思いは「どうせ稚拙なことを言うに決まっている」と決めつけて聞こうともせず、思春期に至ったとしたら・・・
 もう、今さら、お互いに「心を開いて対峙しよう」という気持ちさえ生まれないでしょうね。じゃあ、もう、どうすることも出来ないのか、って?

 いいえ。
今さら・・・ってことは、絶対にありません。
トライする前に諦めず、一度、お母さんの「本心」を子どもに話してみませんか?
決して飾らず、自分の思いや言葉を正当化しようとしたり、何が何でも子どもに理解させよう!というような下心を持たず、心をそのままで打ち明けてみる・・・
 きっと、いつもとは違う空気が生まれてくるはずです。
 
 これはね。ほんの小さな一歩にすぎません。決してお互いが急に歩み寄れたり、まるでドラマやマンガのように泣きながらお互いを理解し合う・・・なんてことにはなりません。
でも、こういう「心」を素直に相手に渡す・・・という行為は、とってもとっても大事な時間だと思います。
きっと、あなたはまだ悩んだり、悶々としているだけで、こういうことをしていないのではないですか?


付録

母親は、一生懸命に子どもを見つめ、愛しています。けれど、成長とともに、息子も娘も、時には宇宙人のように理解しがたい存在になる・・・でもね、その責任が一方的に子ども達にあるわけではないのです。
母親の心が柔らかくなれば、きっと違うものが見えてきますよ。
でも、どうしても気分の晴れない時は、いつでもどうぞ!子どもの年齢、受験云々に関係なく、まどか先生の相談室はいつでもオープンしています 
話すと楽になる・・・そんなこともあるものです

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聞いてみようとする姿勢、ありますか?

2009-03-20 | 私のつぶやき
 私が、ご相談にお見えになるお母様方から頻繁に聞く言葉は・・・
「先生、うちの子は、ちっとも私の言うことを聞かないのです」という言葉。

むー、そうなんですね・・・ということは、昔のお子さん達は、お母さんが語る言葉を一生懸命に聞いて、それを守っていた、ということですね。
ところが、その子ども達が、いつのまにか親の話に耳を傾けなくなった・・・
「お母さんはうるさいよ!」
「同じことばっかり、お母さんはウザイ!」
そんな耳を背けたくなるような言葉しか言わなくなった・・・確かに、それは悲しいですね・・・

 でも、ちょっと待って下さい ひとつひとつ、順番に考えていってみましょう。
「わが子が、自分の言うことを聞かない」とお母さんが腹を立てている、困っているということは、お母さんは、「すでにかなり大きくなり、自分の意志も自我もあるわが子に、自分の言うことを聞かせたいと思っている」ということですね。
  それは、なぜですか?
  ご自分の意見が正しいからですか?
  子どもの思いや行動が間違っていて、それは絶対に許してはいけないと考えているからですか?

 私は思うんです。
たとえば、絶対的にお母さんの言うこと、言葉が正しかったとしても・・・
お母さんの言う通りにしたほうが、子どもは楽に道を進めたり、早く済ませたりできるとしても・・・
やっぱり、きっと子ども達はお母さんに、自分の思い、気持ちを、聞いてもらいたい、と思っているのではないでしょうか?たとえ自分の思いが間違っていたとしても、です。
 いかがでしょう?子どもが、今、お母さんに「何を求めているか?何を一番して欲しいと思っているのか?」を確かめられましたか?

 お母さんが我が子に、自分の思いを是非伝えたいと思っているように、お子さんもお母さんに、是非伝えたいと思っていることがあるかもしれません。
 お母さんに賛同してもらえたり、理解してもらいたい・・・もし、理解してもらえなかったとしても、それでも、やっぱり自分が何を、どう考えているのかを、お母さんに静かに聞いてもらいたい、と考えているかもしれませんよ

 私が、中高生のカウンセラーとして相談に乗っていた時、ほとんどの子ども達が異口同音に言った言葉があります。それはどんな言葉だと思われますか?
 「どうせ、お母さんはオレの言うことなんて、聞いてはくれない・・・」
 「ママは、昔っから、私の言うことは聞かない・・・」

こういう中高生の言葉を聞いた時、私は、本当は彼らがこう言っているように聞こえてなりませんでした。
 「先生、オレはね、うちのお母さんに、オレの話しを聞いてもらいたいんだよ!」
 「私はね、小さな頃からずっとずっと、ママに私の話を聞いて欲しい!って思っていたの。」

 どうせ聞いてくれない・・・そう確信に似た気持ちを、赤の他人である私に打ち明けなければならなかった彼らの気持ちの変遷・・・その過程・・・
彼らは、自分の思いをお母さんに「聞いてもらいたい」と思って、長年、何度も何度もトライしながらも・・・結局は、その思いは遂げられなかったのです。

彼らの残念な思い・・・お母さんに想像できますか?
 子ども側の視点にたって、聞いてもらえなかった思いというものを、考えたことはありませんか?

 子どもが幼い頃、親である大人は「強者」であり、子どもは「弱者」です。
その「親」という立場を錦の御旗にして、親という生き物は、結構、子どもに対して理不尽な要求をしたり、ないがしろにしたりしているものです。そんな思いはありませんか?
 「子どものあなたに何がわかるっていうの?!」「子どものクセに?!」こんな言葉を平気で口走ったことはありませんか?

 決して遅すぎることはありません
一度、真剣に、子どもの言葉を途中で遮ることなく、「耳」ではなく「心の耳」で聞いてやろう!としてみるのはいかがでしょうか?

 決して、子どもの言葉、子どもの思いに迎合しろ、と言っているのではありません。
 無条件に、子どもの話を聞いて、何でも受け入れろと言っているのでもありません。
ただ、「親が、わが子に自分の思いを伝えたい!」と考えているように、子どもも、「自分の思いをお母さんに伝えたい!」と思っているのではないでしょうか?
そのことを理解し、一度でも、真剣に聞いてみてやろう、という姿勢になってみてください そして、途中で遮ることなく、相手が「ああ、話した!」と思えるまで、聞いてみてあげませんか?
 
 小さい時に「かけ違ったボタン」は、そんなにすんなりとは元にはもどりません。けれど、かけ違ったボタンを無理に引きちぎるようにかけ直そうとするのではなく、冷静に、1個1個、ボタンの掛け違いを正していこうとする姿勢も必要ではないでしょうか?少なくとも、そういう親の真摯な思いは、100%とまではいかないものの、かならず伝わるはずですよ。
 
 雄弁な親は、得てして聞き下手なものです 
いかがですか?子どもの言葉に耳を傾ける姿勢、ありますか?


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母親は、一生懸命に子どもを見つめ、愛しています。けれど、成長とともに、息子も娘も、時には宇宙人のように理解しがたい存在になる・・・でもね、その責任が一方的に子ども達にあるわけではないのです。
母親の心が柔らかくなれば、きっと違うものが見えてきますよ。
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子育てに影響する、親の育った環境

2009-03-16 | いろいろ
お母さんに質問です
あなたが生まれて、生家を離れて独立をするまで、「あなたにとっての『家庭』とは、どんなところ」だったでしょうか?
 
 1.社会の縮図、としての家庭。一番自分の近いところにある「外界」。
 2.自分の世界。社会から隔絶された、「個」の世界。

 もし、あなたにとって1番だったとすれば・・・
両親とは、最も身近なところにいる「社会人」であって、良くも悪くも「気の抜けない相手」だったはずです
 幼い頃から、その両親はあなたに期待をしたり、様々な要求をしたり・・・あなたは常にそれを感じ、親の思いに応えるべく多くの努力と葛藤があったことでしょう

 もし、あなたにとって2番目だったとすれば・・・
両親は一番自分の「本音」を見せられる相手。どんなに格好の悪いところも気楽に見せ、きっと家庭は社会のどこよりも「自分の素」を安心してさらけ出せる場所だったはず
 親の期待や要求は十分に感じられても、それに対して悲壮感を持って相対する必要なく、「そんなの無理だあ」とか「がんばってみるよー」と、安心感を持ってそれに向かえたことでしょう。

 私事で恐縮ですが。
じつは、私が結婚して独立するまでの家庭は、完璧な「1番」でした。
一人っ子の一人娘。イヤでも親の期待は大きかったですねえ。そして、生来、私自身が積極的で、目立つことも苦にならなかったこともあって、私は必死になって親の期待をバネに努力する毎日でした
 そして、私の親、特に父は決して「誉めない」人で・・・たとえば、私が父の設定する一つの基準に達したら、すぐに次の目標が示され、父には満足というものがなかったと思います
 もちろん、私にも人並みの反抗心はあったわけですが、一人っ子であり父が暴君という条件のもとでは、私が反抗をしたら、間違いなく大好きな母に被害?があり、母が辛い思いをするし、悲しむだろう・・・と思うと、結局は反抗する勇気もチャンスもなく、結婚までの25年間、ひたすら家庭では努力と忍耐の人生?!でした

 その私が母になった時、天からの啓示のように思ったことは・・・
「私の愛する子ども達にとっての家庭は、一番ほっとできるところであって欲しい!」ということでした
 社会人として身につけるべき道徳心や礼儀は、当然のこととして厳しく教えても、あとは、リラックスして、「素顔の自分」でいられる、ダラーっとできる「居場所」「母港」のようなところにしてやりたい!そう思いました

 今は成人した二人のわが子達は、まあ、一応、社会性を身につけ、一歩家から外に出れば、それなりのことが出来るように育っています。
けれど、彼らの「家庭での姿」と言えば、いやいや・・・全く誉められたものではありません だらしないですし、理想の子ども像とは大きくかけ離れた、身勝手な奴ら、です。
 ただ、親の愛情、親の信念のようなものは、きちんと伝わっていたようで、大人になった彼らと私との間には、さすがにもうベタベタとした関係ではないものの、とてもあたたかい信頼関係があるのではないか、と感じています。

 お母さん、一度、自分の幼かった頃のことを思い出してみてください
そして、自分がどんな両親のもと、どんな家庭に育ち、どんな毎日を送っていたか?それを確認することが、親子関係を理解する上で、とても大事な要素だと思います。なぜなら、それこそが、あなたの「親観」の原点になっているもの、だからです。
 そして、それをあらためてしっかりと見つめた上で、親として、自分がどんな家庭にしようとしているのか?子どもに、どんな子どもであることを求めているのか?を考えてみましょう

 こんなふうに、たまには立ち止まり、冷静に見つめ、考える時間も必要ですよ。



付録

母親は、一生懸命に子どもを見つめ、愛しています。けれど、成長とともに、息子も娘も、時には宇宙人のように理解しがたい存在になる・・・でもね、その責任が一方的に子ども達にあるわけではないのです。
母親の心が柔らかくなれば、きっと違うものが見えてきますよ。
でも、どうしても気分の晴れない時は、いつでもどうぞ!子どもの年齢、受験云々に関係なく、まどか先生の相談室はいつでもオープンしています 
話すと楽になる・・・そんなこともあるものです

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