私は所謂『いい子』でした。
母には自慢の娘でしたが、15歳に摂食障害になってからは、母を悩ませる『困った子』『やりづらい子』になっていったと思います。
なぜいい子だったか思い出すと、根底に常に『見捨てられる恐怖』があったこからです。
親の気に入らないことや怒らせるようなことが、見捨てられることが怖くて出来なかった。
一昨日、娘と夫と一緒に私の実家に行ったときに、そんな私にとって大きな出来事といえる事がありました。
母が孫である私の娘にお洋服を買ってくれるというので、大型ショッピングモールに皆で行きました。
私の母はもう70歳を超えてますし、見れば小さくしぼんできた足の悪いおばあちゃんです。
大人の私はそんな母をちゃんと労れるし、感謝も出来ます。
でも何かのキッカケで、私の心に潜んでいる『傷ついたままの内なる子ども』が急浮上することがあります。
今はむしろ、かつてのように『強烈な見捨てられ不安』という抑圧要素がなくなっているので、どかーん!と爆発的に、内なる子どもの感情が噴出してしまうのです。
今回、キッカケは私の娘のダダこね&癇癪でした。
ひとつは娘の個性として『自我』がとてめ強いことに加えて、私が母親として課題が多いために、幼い頃から安定した情緒で受け止めてあげられなかったことなどが絡みあっているのでしょう。
普段はそれなりに聞き分け出来る娘なのですが、いったん癇癪とパニックのスイッチが入るとお手上げで、泣き叫んで暴れて、ある程度感情を発散してしまわないと落ち着けません。
しかも、娘には私と同じような『見捨てられ不安のために自分の感情を抑圧するいい子』にはなって欲しくないので、こんな時に親としてどうしたらいいのか、常に試行錯誤です。
最近は、ある程度感情が落ち着くまで見守り、その後、必要なことを伝えるように努めていました。
といっても、実は数日前の箱根登山鉄道の車内では、娘の激しいダダこねに私が逆上してしまって『もう降りるよ!いつまでもそんななら窓から棄てるよ!』と爆発しているんですが…。
この時には夫が娘をフォローし続けてくれたから救われました。
娘は、というか子どもというものは、ホントに絶妙に親の課題のスイッチを入れることを絶妙のタイミングでするものだと感心します。
それで、一昨日のショッピングモールでは、土地柄的にも子連れで溢れているし、場所も飲食が出来るフリーエリアだったので、しばらく癇癪を起こした娘を、傍で見守りながら泣かせておくことにしました。
ただ、祖母である私の母は、世間様を気にする昔の人ということもあるのでしょうが、『ほら、あそこの人がおかしいなって笑ってるよ』とか『あっちの外人さんたちはビックリしていなくなっちゃったよ』とか言うんですよね。
ふと思いついて『お母さん、私もこんな風にダダをこねてた?』と聞いてみました。ちゃんと事実を確認したかったんです。
すると『あなたはこんなのなかったわよ。すぐに叱って、こんな風にさせなかったし。怒ればすぐに泣き止んだもの。』と、少し得意気に母が答えました。
得意気、にはちょっと私の主観が入ってると思いますが、たぶん母子間でしか分からない微妙なニュアンスを嗅ぎとってるのです。
『私はしつけをきちんとした母親』『世間様に迷惑をかけないよう子どもを叱れた母親』という自負というのでしょうか。
そこに(私の)父親が怖い人だったから泣かせておくなんて出来なかったという、もはや母が語る神話・伝説レベルの要素が加わっています。
不幸自慢というか、理不尽な夫の仕打ちに耐えた悲劇のヒロイン自慢というか。
自分の母だから手厳しい言葉で断定してしまいましたが、とにかくそんなニュアンスがたっぷり入った返答だったわけです。
怒ればすぐに泣き止んだ、その時に子どもだった私が感じていた見捨てられる恐怖の大きさがわかるか!といい強い怒りがマグマのように湧いてきて、とても冷静でいられなくなりました。
さて、出来事を振り返り言葉にするのに、少し疲れて来たので一旦休みます。続きはまたのちほど。
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