こころのロウソク

36歳&40歳&42歳で授かった3人の子と、母としてのけいこの成長記録

7月18日25時/内なる子供カテの過去記事を読み直しました

2016-07-19 01:51:32 | 親の『傷ついた内なる子ども』と育児

今日は養老渓谷で自然の気を吸収してきたおかげか、25時になっても元気。

私の信じている、不思議で直観的な、ある側面では霊的な導きともいえる感覚に促され、旧版ブログの記事や現ブログの過去記事を読み直していました。

特に、゛親の『傷ついた内なる子供』と育児゛のカテゴリーにある4つの記事。

この約3年前の記事に深く感ずるものがありました。

この3年間は、この記事中に表現されている課題を徹底的に掘り下げて、掘って掘って掘って…心情的には『ここ地獄か畜生道か』というような地底まで降り下り、ついに突き抜けて、気がついたら反対側の地上に出てた、みたいな3年間だったなぁと思います。

育児には相変わらず悩むことは多いし、怒ることも度々だし、夫とも喧嘩します。

ただ、傷ついた内なる子供の痛みに翻弄されて、目の前の現実と釣り合いのとれないような破滅的・破壊的な想念に取り憑かれることが減りました。

この破滅的な想念。どんなものかというと、例えば『自分は母として失格だから、子供三人を連れて死んでしまおう』とか『私には子供たちが幸せになれるように育てることができない。ならば私が消えて他の人に養子になった方が子供たちのためだ』といった類いのものです。

この悪想念に憑かれている時には、これに感応して夫も子供たちも心身の調子が荒れます。それにより私はますます自分を責めて思い詰めるという負のスパイラルを辿りはじめます。

実は、7月2日にも夫とかなりシビアな言い争いになり、この負のスパイラルに入りかけました。

でも、この時の私はいつもとちょっと違いました。

内なる導きに強く促されて、長年持ち続けてきた『自分は失敗者だ』という自己認識を転換することが出来たのです。

破滅的な想念に憑かれるのは、これを境に激減しました。

今日まで全く読み直してこなかった過去記事を、このタイミングで読み直したのも必然だったんだな、と思います。

まだ書きたいけれど、明日も子供たちと元気に過ごせるよう、今日はおしまい。おやすみなさい。
写真は、いま私がいる場所の象徴のような感じ。

自分と夫が向き合うべき課題を子どもに転嫁しない。

2013-11-07 11:08:49 | 親の『傷ついた内なる子ども』と育児

私の母は、父(つまり自分の夫)と向き合うことを避けて、私に愚痴をこぼす人でした。「だって、お父さん怖いんだもの。」が理由。

確かに私の父もコミュニケーションに長けている方ではなかったから、母だけを責める気はないのです。ただ、これは娘としての私にとっては、とても精神的に負担だったので、自分の娘には同じ体験を受け継ぎたくないと日頃から思っています。

そう思っているからといって、それが出来てるかどうかは、なかなか客観視するのが難しいのですが、たとえば夫に言いたいことがあるけれども何かしらの理由で言えないために、感情が落ち着かずイライラしているのを娘に八つ当たりするのは、それはやっぱりNGだと思うのです。

自分の率直な気持ちを相手(この場合は夫)に伝えたら、相手を不快にさせそうだし、自分も完璧なわけでないし、頑張ってくれてるのはわかるし・・・と、あれこれ考えすぎて、なかなか私が私自身の率直な気持ちを掬いあげることが出来ないでいました。ですが今朝、まさに私が夫と向き合うことを避けてるために生じている葛藤ゆえのイライラを、ダラダラと娘に垂れ流している!と感じることがあって、これは今すぐに軌道修正しなくてはならないと感じて、夫にメールを書いたりしていました。

自分に誠実である勇気を持つこと。自分の率直な気持ちを伝えること。かつ、相手を思いやること。相手を尊重すること。自分の正当性を通すために相手を責めるのではなく、お互いが満たされる地点に向けて辛抱強く進むこと。

私にとってはすごく難しいことですが、それでも娘のために頑張ろうと思いました。それに、私の夫への気持ちは、その土台は愛情と感謝と敬意であって、そこは揺らがないから、きっと大丈夫。

うーん、でもどうなのかなぁ。「私は母のようにならない」という思いがあると、返って足をすくわれるのかな・・・。アルコール依存症の家庭に育って子どもが「私は親のようにはならない」と誓って、結局は親の鏡写しになるだけで何も変わらないという話を綴った、ずばり『私は親のようにならない』という本があるのですよね。

私が、「私は母のようにならない」って思っていると、つまりはそういうことになっちゃうのかなぁ。。。。


昨日は育児日記を久しぶりに書けませんでした

2013-11-04 16:27:25 | 親の『傷ついた内なる子ども』と育児
自分の誕生日が近づいてきて、前日の撮影疲れもあるのか、体調だけでなくメンタルの調子も久しぶりに落ちていました。

自分は生まれて来ない方がよかった、私が生まれてきたからおかあさんは不幸になった、という古い痛みが浮き上がってきて、『何の生産性もない穀潰し』と言われていた時の辛い気持ちが蘇ります。

お誕生日おめでとうって、自分に言ってあげたいんだけどな。

とにかく朝から泣けてきて、お腹も張っしまって苦しいし、赤ちゃんのものが届いたり色んなことはあったのだけど、写真を撮ったり文章を書いたりすることは全然出来ない一日でした。

お誕生日まで、まだもう少し時間があるので、底をついてあがってきて誕生日当日は穏やかな気持ちで迎えたいです。

お母さん、何でしむって言ってたの?

2013-10-16 20:18:22 | 親の『傷ついた内なる子ども』と育児

ちょっと重めの話です。

私が母としての生きづらさを抱えてきたことは、旧ブログから読んでいてくださる方はご存知だと思います。

特に今年の8月半ばの体調と気分の落ち具合は極端で、魂の危機・底つき体験と言っていいレベルまで落ちてしまいました。

ある日、何かささいなことで娘がダダをこねて、たぶん私に何かして欲しいと言い張り、私は身体がしんどくて起きられない、そんな状況がありました。

私は、幼い時から母に『人間、死ぬ気になれば何でも出来る』と言われ、10歳の時から辛い睡眠不足と戦いながら受験競争を延々と続けていた時代がありました。

勉強そのものは興味が持てたので苦ではなかったのですが、常に自分の限界を越えた努力をしていなければ母に認めてもらえない、という切迫した気持ちで、寝ても覚めても崖っぷちの精神状態で成長しました。

私にはその極限状態をずっと持ちこたえる器はなくて、他にも沢山の歪みを抱えて家庭でしたから、当然次第に心を壊して行きました。

そんな背景があるせいか、娘に自分の身心の状態と関係なく『何かをして』と強くダダをこねられると、娘はただ甘えたいだけなのに、私は娘に母の強圧を重ねてしまい、ものすごく苦しくなって心が押し潰されるような感覚になってしまうのです。

その8月の底つきの時にも全くそんな感じで、もう少し気力が残っている時は、窮鼠猫を噛むといった勢いで激しくキレたりしていたのですが、もうそんな気力もなくて、ダダをこねて泣いている娘と寄り添う夫に向けて、『もう母さんは死んでしまいたいんだよ。とても苦しくて全てが重荷で、もう耐えられないんだよ。』と弱った声でいっていました。

『母さんは死にたいよ』とは、私が母から言われて最も心が傷ついた言葉のひとつです。だから自分の娘には絶対に言いたくなかったのに、自分と同じ痛みを娘にも味わあせることになり、自分自身に深い失望を感じました。

その後、底をついたらかあがるしかない法則で、自分なりに娘や夫へのなけなしの愛情を燃料にして何とか這い上がりました。

10月も半ばになり、娘も新しい保育園に慣れてきて、家族三人とも次第に落ち着きを取り戻してきたこのタイミングで、今日の保育園の帰り道に前触れなく娘が聞いて来ました。

『お母さん、何でしむって言ったの?』

私は娘が何のことを聞いているのかすぐにわかりました。だから『そうだね。あの時は、そう思っちゃうくらいすごく疲れていたんだよ。でも今はそんな風に思わないよ。ももなのことが大好きだし、ももなとずーっとずーっと一緒に生きていたいよ。』と伝えました。

まだ4歳で、しぬをしむとしか言えない娘が、どんなにか胸の内で私の言葉を重く感じていたことか。

私が自分の母の呪縛から自由になるためには、『母のようにならない』と、ただ鏡像のように反対の行動をしたり、されたり言われたりして嫌だったことをしないと決めるだけでは何もしていないのと同じことなんだ、といい気がします。

母と同じような道を辿りながら、その時々に自分の奥深くにある自身の痛みや恐れや真の望みに自覚的になることで、母とは違う選択をするという体験を重ねて、初めて私は母の呪縛から自分を解放できるのだと思いました。

娘にありがとうと伝えたい。私と一緒に生きてくれて、生きたいと全身全霊で望んでくれてありがとう。


私はダダこね出来ない子どもでした

2013-10-01 04:56:50 | 親の『傷ついた内なる子ども』と育児

私は所謂『いい子』でした。

母には自慢の娘でしたが、15歳に摂食障害になってからは、母を悩ませる『困った子』『やりづらい子』になっていったと思います。
なぜいい子だったか思い出すと、根底に常に『見捨てられる恐怖』があったこからです。

親の気に入らないことや怒らせるようなことが、見捨てられることが怖くて出来なかった。

一昨日、娘と夫と一緒に私の実家に行ったときに、そんな私にとって大きな出来事といえる事がありました。

母が孫である私の娘にお洋服を買ってくれるというので、大型ショッピングモールに皆で行きました。

私の母はもう70歳を超えてますし、見れば小さくしぼんできた足の悪いおばあちゃんです。

大人の私はそんな母をちゃんと労れるし、感謝も出来ます。

でも何かのキッカケで、私の心に潜んでいる『傷ついたままの内なる子ども』が急浮上することがあります。

今はむしろ、かつてのように『強烈な見捨てられ不安』という抑圧要素がなくなっているので、どかーん!と爆発的に、内なる子どもの感情が噴出してしまうのです。

今回、キッカケは私の娘のダダこね&癇癪でした。

ひとつは娘の個性として『自我』がとてめ強いことに加えて、私が母親として課題が多いために、幼い頃から安定した情緒で受け止めてあげられなかったことなどが絡みあっているのでしょう。

普段はそれなりに聞き分け出来る娘なのですが、いったん癇癪とパニックのスイッチが入るとお手上げで、泣き叫んで暴れて、ある程度感情を発散してしまわないと落ち着けません。

しかも、娘には私と同じような『見捨てられ不安のために自分の感情を抑圧するいい子』にはなって欲しくないので、こんな時に親としてどうしたらいいのか、常に試行錯誤です。

最近は、ある程度感情が落ち着くまで見守り、その後、必要なことを伝えるように努めていました。

といっても、実は数日前の箱根登山鉄道の車内では、娘の激しいダダこねに私が逆上してしまって『もう降りるよ!いつまでもそんななら窓から棄てるよ!』と爆発しているんですが…。

この時には夫が娘をフォローし続けてくれたから救われました。

娘は、というか子どもというものは、ホントに絶妙に親の課題のスイッチを入れることを絶妙のタイミングでするものだと感心します。

それで、一昨日のショッピングモールでは、土地柄的にも子連れで溢れているし、場所も飲食が出来るフリーエリアだったので、しばらく癇癪を起こした娘を、傍で見守りながら泣かせておくことにしました。

ただ、祖母である私の母は、世間様を気にする昔の人ということもあるのでしょうが、『ほら、あそこの人がおかしいなって笑ってるよ』とか『あっちの外人さんたちはビックリしていなくなっちゃったよ』とか言うんですよね。

ふと思いついて『お母さん、私もこんな風にダダをこねてた?』と聞いてみました。ちゃんと事実を確認したかったんです。

すると『あなたはこんなのなかったわよ。すぐに叱って、こんな風にさせなかったし。怒ればすぐに泣き止んだもの。』と、少し得意気に母が答えました。

得意気、にはちょっと私の主観が入ってると思いますが、たぶん母子間でしか分からない微妙なニュアンスを嗅ぎとってるのです。

『私はしつけをきちんとした母親』『世間様に迷惑をかけないよう子どもを叱れた母親』という自負というのでしょうか。

そこに(私の)父親が怖い人だったから泣かせておくなんて出来なかったという、もはや母が語る神話・伝説レベルの要素が加わっています。

不幸自慢というか、理不尽な夫の仕打ちに耐えた悲劇のヒロイン自慢というか。

自分の母だから手厳しい言葉で断定してしまいましたが、とにかくそんなニュアンスがたっぷり入った返答だったわけです。

怒ればすぐに泣き止んだ、その時に子どもだった私が感じていた見捨てられる恐怖の大きさがわかるか!といい強い怒りがマグマのように湧いてきて、とても冷静でいられなくなりました。



さて、出来事を振り返り言葉にするのに、少し疲れて来たので一旦休みます。続きはまたのちほど。