伊達靖宗

伊達靖宗公記

日本車に歴史を与える

2007年05月24日 | 伊達靖宗の意見
日本の自動車は、安く壊れないから始まり、現在では高級車の世界でも世界へ進出している。アメリカではトヨタのブランドレクサスは大成功を収めているが、ヨーロッパでは成功していない。特に、自動車大国として知られるドイツでは全くレクサスは成功していない。歴史、個性から生まれるブランド力が劣っている事や、新しいモノを受け入れる事に抵抗のあるヨーロッパでは難しいであろうし、東洋という格下と思える国というのもネックになっているかもしれない。ベンツやBMW、ポルシェ、アウディー、大衆車ではフォルクスワーゲン、オペルを抱えるドイツは自動車に対してのプライドも高く、高級車のジャンルで日本メーカーが成功する事は難しいであろう。日本車の弱点の一つは、個性の無いデザインと言われるが、その反面日本製のデザインはバランスなどもよく、評価の高い側面も持つ。特に日本製の電化製品などの多くは、その性能や壊れない以上に、デザインの良さが評価されている。自動車に対してもその評価はあるものの、日本メーカの万人受けを狙ったデザインがその評価を下げているのも事実でる。ドイツの自動車ジャーナリスト達は日本とドイツの自動車の歴史に50年の差があり、その差は永遠に縮まる事がなく、勝ち続けるかの様な理論を長々と語るものである。しかし、これは自国が勝ち続ける為に、永遠に勝ち続ける為の理由を付けているにしかすぎない。日本の自動車メーカーが持つ50年のハンディは、圧倒的な技術と、圧倒的なデザイン、伝統と歴史を使い、個性を作る事でいくらでもヨーロッパの自動車を越える事が出来るように思える。

トヨタは長々とベンツの後を追いかけてきただけに過ぎ無いであろう。その中で本場を越える技術なども作り上げたのも事実である。しかし、ベンツから自立し、今の自動車メーカーも気づきだした日本的な個性を持った車作りを行いだしている。ここで重要なのは、今の日本のメーカーは自分達流の自動車を作るだけでなく、世界で最も自国の歴史や伝統を車に注入し表現しているイギリス車に目を向ける事が大切なように思われる。ジャガーにはイギリスの伝統的な文化であるレザーや、ウッドパネル、などのデザインには上流階級の文化が多用されている。室内はまるでイギリスの豪邸のような印象である。イギリス車は、国の文化と個性が強く出ているのだ。日本の歴史に目を向け、日本の伝統に目を向けるとその様な個性は多様にあり、ヨーロッパの自動車の中でも全く引けを取らぬ車を作れる事は簡単に理解できる。例えば、日本建築、日本の城、漆塗り、特に参考にすべきは日本の鎧、兜であろう。あのようなデザインは世界的にはあまり類がなく、一目で日本的と理解できる個性的かつ力強いデザインがある。この様な日本の伝統を出来る限り車に注入する事で、世界に類を見ない独特な車を作る事が出来るのではないだろうか。日本の歴史、伝統がそうであるように、自動車もその世界に乗せる事がヨーロッパでの成功の鍵であるように思える。ヨーロッパのメーカーと日本の自動車メーカーの歴史の差は約50年であるが、このような文化を注ぐ事で、宣伝文句に『この自動車には日本の歩んできた2000年の歴史が収縮しています。この車は2000の歴史が生み出した、伝統の一つです』とでも言いえば、50年の歴史の差など20年で無に近づける事も出来るのではないだろか。自動車ジャーナリストの中には、外車を褒める再に、ヨーロッパの町並みに触れ、このような環境で育った事がヨーロッパ車のデザインの良さで日本では勝てないと言う様な発言をする者もいるが、日本の城の前で絵になる車を作る事が良いのではないだろうか。石を積み上げるヨーロッパ建築に対し、木で作りあげた日本のデザインや力強さを理解し、中国や韓国とも違う日本的要素を見つける事の出来ない目を持つ自動車ジャーナリストは正直ただのアホな農民であろう。また、ガンダムは日本の鎧を元にデザインしている。この様な所にも伝統は生きているのだ。自国の利点を知る事が世界での戦に勝つ事につながるのでる。それが出来ない者は自国で負け続ける敗北者であり、外に出た場合に恥さらしになるだけなのである。
欧米のジャーナリストの中には日本文化を理解せず、出る杭は打つと言う言葉を使いたがる者もいる。それと車作りを結びつけ自分達の優位を語るものもあるが、日本でフェラーリやランボルギーニに乗る者はいくらでもいる事と、伊達政宗、豊臣秀吉、武田信玄などの鎧兜文化を見れば、無意味な意見だと理解できるであろう。また、この戦国の3者こそ日本車のあるべきデザインの道を示してくれている様にも思える。

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