こんにちはホラネロです!
この度ご縁あって飯舘電力株式会社様より作曲のご依頼を頂き、福島県飯舘村を視察してきました。
【ホームページより】
飯舘村は、森林や田畑が広がり、牧場には牛が遊び、花を愛する村民の家々には季節ごとの美しい花々が咲き誇る美しい村でした。しかし、2011年3月11日以降、東京電力福島第一原子力発電所の事故により先祖が長年培ってきた田畑、森林、畜産といった生活の糧となる産業も、自然と共生していた暮らしも、放射能に奪われ、村民は理不尽にも離村を余儀なくされ全村避難の状態が続いています。
事故後3年が過ぎるなかで村民の有志が集い、自らの手で地域を次世代に渡すため、この地を未来に向けて運ぶためにも、飯舘の資源を利用し、再生可能エネルギーによる「ふるさと飯舘村産業創造」を行なう事と致しました。
私達村民自ら未来を選択し、行政と手を携え、新産業創出と若者の雇用を目標とし、再生可能エネルギーとしての太陽光発電事業、バイオマス発電事業、植物工場、研修施設の設置運営、世界に向けた情報発信事業、帰村拠点の運営事業等を行ない、飯舘村民の自立と再生を促し、自信と尊厳を取り戻す為に飯舘電力株式会社(本社飯舘村)をここに設立しました。
(ここまで)
来年3月で東日本大震災から10年が経とうとしています。
「5年の節目」「10年ひと昔」と言われるように、その辺りで災害の爪痕が癒えたかのように思われがちですが、本当のところどうなのでしょうか。
飯舘電力ではこのタイミングに合わせて、福島第一原子力発電所の事故を風化させないため、そして再生可能エネルギーの学びの場作りのためにオンラインコンテンツを制作されるそうです。そこで私たちも作曲でお手伝いをさせていただくことになりました。
作曲取材の一貫として、2011年3月11日にご自身の誕生日に被爆した千葉訓道さん(飯舘電力株式会社 取締役副社長)にガイドして頂き、現在の飯舘村を視察しそこに暮らす人々の想いを伺ってきました。
詳しくはまた改めてブログに書きますが、メディアの情報を鵜呑みにするのではなく、自分の目で確かめ、そこに暮らす現地の方の声を聴けたことはとても貴重で、“生きた学び”を体験することができました。
ご縁をつないで下さった 佐々木学さんにも感謝いたします。
飯舘電力の皆さんの想いに少しでも寄り添えるように、今回の体験を曲作りに活かしたいと思います。
※ホラネロの名前は、福島県の子守唄“ホラねろ、ねんねろ”に由来しています。なぜその名前なの?については是非こちらをご覧ください。
※ご存知のように飯舘村は原発事故で大きな被害を受け、全村避難命令が出された地域です。現在は除染(土壌の入れ替え、建物の新改築)が進み、帰村した人々が立ち入る区域の線量はかなり押さえられていますが、飯舘村の多くを占める森林地帯は、除染することができないままだそうです。
飯舘電力によって牧草地に設置されたソーラーパネルの前で。副社長の千葉さん(右端)、米澤さん(左端)と。
山積する遮蔽土(除染土を覆うための土砂)のフレコンバッグと、ソーラーパネルの間の道は、エネルギーの在り方を考えさせられる象徴的な風景でした。今もしきりに土を運ぶトラックが行き交っています。