男はいつものようにキッチンに立ちました。
これからたくさんの野菜と肉を煮込んで、特製のシチューを作るのです。
男はじゃがいもの皮をむきます。たまねぎをざくざく切ります。
今度はにんじんです。はじっこを切って捨てようとしました。
「ちょっとまってください!」と声がしました。
見ると手に持ったにんじんのはじっこがさけんでいるではありませんか。
「なんでぼくを捨てようとするんです?そりゃあぼくはにんじんのはしくれですよ。でもにんじんなんです。ちょっと色が変わっているだけじゃあないですか。どうぞ食べてくださいよ!」
「かわったにんじんだなぁ。いままでずっとにんじんのはじっこは捨ててきたけど、もんくを言ったにんじんなんていなかったよ」
「ほかのにんじんなんて知ったことじゃないですよ。とにかくぼくをちゃんと食べてくださいよ。捨てられるなんてまっぴらごめんですよ!」
「よしよしわかった。食べればいいんだろう」
男がこたえるとにんじんはきゅうにおとなしくなりました。男は、はじっこもほかのにんじんといっしょに鍋にほうり込みました。
くつくつとじっくり煮込んでシチューのできあがりです。
男はにんじんのはじっこのことなどすっかり忘れて、おいしくシチューを食べました。片づけをする時になって、ふとはじっこのことを思い出しました。それからつぶやきました。
「こんど、にんじんの根元のほうがもんくを言い出したらどうしようかしら」
という話を、朝、にんじんを切った時に思いつきました。
b: Tamatant Tilay / Tinariwen