字幕スーパー版VHS。処分対象に追加。
98年の作品であり、題名も印象的だったが、作品を観たのは割と最近のことである。
話が逸れるが、この作品、原題と邦題が全然違う。
この問題についてはあちこちでよく語られるが、複雑な思いである。
この邦題は醸し出す不気味さといい、なかなか良くできていると思う。
センスの問題と捉えられがちだが、私自身は海外で暮らすことになってから、
そのデメリットを思い知らされた。
アメリカでは世間話のトピックとして、スポーツと映画の話が非常に多い。
特に男女のグループでは映画の話になることが多い。
最新作情報、最近見た話題作の話から、出演俳優、過去の出演作、ゴシップと展開するのが
基本パターンである。
ここで問題になるのが、過去の出演作である。
「この俳優って、昔、あれとあれにも出てたよね」とか
「あの作品でも共演してたよね」という流れで
「あれとあれ」「あの作品」がピンと来ない、あるいはこちらからとっさに言い出せないことがある。
知っているのに、これは悔しい。
原題で言われても邦題が分からないので何の作品のことか分からない。
邦題は知っていても原題が分からないので(違うということは知っている)、言えない。
これが親しい間柄で、時間的にも余裕があるときは、ヒントを出し合ってクイズみたいにして楽しめたりもするのだが。
出演者、ストーリー、名場面、受賞歴なんかで当てるわけである。それで、
「邦題はこういう意味だ」「へー、なるほど」とか。
しかし、仕事関係でのランチといった状況ではそうはいかないものである。
他の全員は分かっているのに、人の話を止めてまでヒントを貰うわけにはいかないからである。
古い作品になるほど、いわゆる「名作」的なものでこういうことがよく起きた。
これはやはり、悔しいものである。
特に他の国出身者(アジア含む)には通じていて、日本人だけ通じない状況は辛い。
だからといって、それだけを以って独自の邦題というものを否定する気にもなれないのも確かである。
作品の話に戻る。
本作はティム・ロビンス、ジェフ・ブリッジス、ジョーン・キューザックと芸達者が揃い、
緊迫感のあるストーリーと衝撃的な結末で楽しませてくれる。
しかし疑問に思うことも結構ある。
最大のものは「どこからどこまでが計画だったのか」ということである。
主人公ファラデーが違う行動をとっていたらどうなっただろう、と常に思わされてしまう。
冒頭のラング家の長男の事故は偶然だろう。
では誤配の手紙はどうだろう。
ここで変な気を起こさず、深追いしなければどうだったろう。
オリバーが「だったら直接俺に言え」と言った後、ファラデーがおとなしくしたらどうだったろう。
攻撃目標はFBIビルだったのか、ターゲットはファラデーと決まっていたのか。
前半の食後の会話シーンを考えると最初からファラデーを嵌めるという雰囲気ではなさそうである。
知らん顔をしていたらファラデー父子とガールフレンドは平和に暮らせたのだろうか。
やはり誤配が問題である。ここからの展開がこの物語を動かしている。
この手紙の対するファラデーの対応の異常さは、
観客に真相を知らせるための展開である、としか言いようのないものだと思う。
推理小説で、どんなに頭のいい犯人でも手掛かりを残すのは、そうしないと真相が露見せず、
話が成立しないからだ、というのと同種のリクツである。
ファラデーがもし手紙を無視した場合、最終的に誰が実行犯に仕立てられることになっただろうか。
終盤追跡中にファラデーがバンを見失った場合でも同じことが言えそうだが。
しかしながら、手紙以降、観客を驚かせるためだけの暴露と展開になっているような気がする。
あとは配役上の問題でもあるが、ファラデーのガールフレンドとテロリスト一味の女学生の
顔がよく似ていて、紛らわしいのも気になった。
ガールフレンドはストーリー上、明確に死亡している。
しかし、その後も良く似た女性が実行の際に出てくるのだが、意味はあるのだろうか。
それとも主観の問題で、実際は全然似ていないのだろうか。
またこの一味の女性はファラデーの講座の生徒でもある。講義の場面で何度かちらっと映っているのが、
再見すると良く分かる。
この設定は奇をてらい過ぎというか、単にやり過ぎの気がする。
ファラデー犯行説を取るなら、捜査当局は背後関係や共犯について徹底的に調べるだろう。
受講者は人数も限られ、捜査も容易と思われる。
この女性から背後関係が露見するのではないかと思う。それでは不味いと思うのだ。
テログループが大胆というか迂闊というか無頓着過ぎる印象になってしまうからである。
この作品の「意外さ」にはジョーン・キューザックのキャスティングも貢献したのではないかと
個人的には感じている。
彼女はコメディエンヌであり、役柄も口うるさいながら優しい、いいお母さんという
イメージがあるからだ。
好きな女優のひとりである。
私のライブラリには彼女の出演作として
「スクール・オブ・ロック」
「プリティ・ヘレン」
「アイス・プリンセス」
がある。
本作を購入したのも彼女の出演が決め手であった。そして役柄のギャップに驚いた。
98年の作品であり、題名も印象的だったが、作品を観たのは割と最近のことである。
話が逸れるが、この作品、原題と邦題が全然違う。
この問題についてはあちこちでよく語られるが、複雑な思いである。
この邦題は醸し出す不気味さといい、なかなか良くできていると思う。
センスの問題と捉えられがちだが、私自身は海外で暮らすことになってから、
そのデメリットを思い知らされた。
アメリカでは世間話のトピックとして、スポーツと映画の話が非常に多い。
特に男女のグループでは映画の話になることが多い。
最新作情報、最近見た話題作の話から、出演俳優、過去の出演作、ゴシップと展開するのが
基本パターンである。
ここで問題になるのが、過去の出演作である。
「この俳優って、昔、あれとあれにも出てたよね」とか
「あの作品でも共演してたよね」という流れで
「あれとあれ」「あの作品」がピンと来ない、あるいはこちらからとっさに言い出せないことがある。
知っているのに、これは悔しい。
原題で言われても邦題が分からないので何の作品のことか分からない。
邦題は知っていても原題が分からないので(違うということは知っている)、言えない。
これが親しい間柄で、時間的にも余裕があるときは、ヒントを出し合ってクイズみたいにして楽しめたりもするのだが。
出演者、ストーリー、名場面、受賞歴なんかで当てるわけである。それで、
「邦題はこういう意味だ」「へー、なるほど」とか。
しかし、仕事関係でのランチといった状況ではそうはいかないものである。
他の全員は分かっているのに、人の話を止めてまでヒントを貰うわけにはいかないからである。
古い作品になるほど、いわゆる「名作」的なものでこういうことがよく起きた。
これはやはり、悔しいものである。
特に他の国出身者(アジア含む)には通じていて、日本人だけ通じない状況は辛い。
だからといって、それだけを以って独自の邦題というものを否定する気にもなれないのも確かである。
作品の話に戻る。
本作はティム・ロビンス、ジェフ・ブリッジス、ジョーン・キューザックと芸達者が揃い、
緊迫感のあるストーリーと衝撃的な結末で楽しませてくれる。
しかし疑問に思うことも結構ある。
最大のものは「どこからどこまでが計画だったのか」ということである。
主人公ファラデーが違う行動をとっていたらどうなっただろう、と常に思わされてしまう。
冒頭のラング家の長男の事故は偶然だろう。
では誤配の手紙はどうだろう。
ここで変な気を起こさず、深追いしなければどうだったろう。
オリバーが「だったら直接俺に言え」と言った後、ファラデーがおとなしくしたらどうだったろう。
攻撃目標はFBIビルだったのか、ターゲットはファラデーと決まっていたのか。
前半の食後の会話シーンを考えると最初からファラデーを嵌めるという雰囲気ではなさそうである。
知らん顔をしていたらファラデー父子とガールフレンドは平和に暮らせたのだろうか。
やはり誤配が問題である。ここからの展開がこの物語を動かしている。
この手紙の対するファラデーの対応の異常さは、
観客に真相を知らせるための展開である、としか言いようのないものだと思う。
推理小説で、どんなに頭のいい犯人でも手掛かりを残すのは、そうしないと真相が露見せず、
話が成立しないからだ、というのと同種のリクツである。
ファラデーがもし手紙を無視した場合、最終的に誰が実行犯に仕立てられることになっただろうか。
終盤追跡中にファラデーがバンを見失った場合でも同じことが言えそうだが。
しかしながら、手紙以降、観客を驚かせるためだけの暴露と展開になっているような気がする。
あとは配役上の問題でもあるが、ファラデーのガールフレンドとテロリスト一味の女学生の
顔がよく似ていて、紛らわしいのも気になった。
ガールフレンドはストーリー上、明確に死亡している。
しかし、その後も良く似た女性が実行の際に出てくるのだが、意味はあるのだろうか。
それとも主観の問題で、実際は全然似ていないのだろうか。
またこの一味の女性はファラデーの講座の生徒でもある。講義の場面で何度かちらっと映っているのが、
再見すると良く分かる。
この設定は奇をてらい過ぎというか、単にやり過ぎの気がする。
ファラデー犯行説を取るなら、捜査当局は背後関係や共犯について徹底的に調べるだろう。
受講者は人数も限られ、捜査も容易と思われる。
この女性から背後関係が露見するのではないかと思う。それでは不味いと思うのだ。
テログループが大胆というか迂闊というか無頓着過ぎる印象になってしまうからである。
この作品の「意外さ」にはジョーン・キューザックのキャスティングも貢献したのではないかと
個人的には感じている。
彼女はコメディエンヌであり、役柄も口うるさいながら優しい、いいお母さんという
イメージがあるからだ。
好きな女優のひとりである。
私のライブラリには彼女の出演作として
「スクール・オブ・ロック」
「プリティ・ヘレン」
「アイス・プリンセス」
がある。
本作を購入したのも彼女の出演が決め手であった。そして役柄のギャップに驚いた。