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Asianwalker

アジアの路地裏から

韓国旅行7

2008年07月19日 | 韓国
11月3日(大邱→束草)

2日目 安東-江陵





安東を出た列車は山間部を抜け、栄州からは嶺東線に入る。嶺東線は韓国の鉄道にしては珍しく電化されており、栄州駅には電気機関車が沢山留置されている。この路線は韓国で屈指の山岳地帯を走るのと、セメントや鉄鉱石が採掘されるのでそれらの鉱物資源を運ぶ貨物列車が多いので強力な馬力の電気機関車が必要らしい。







車窓は川に沿った韓国の原風景ともいえる農村風景がしばらく続き、やがて山の中に入る。山を削ってセメントを採掘している光景が連続する。



途中の鉄岩という駅の裏側には鉄鉱石であろう真っ黒な山が削られていた。資源に乏しいのは日本も韓国も共通しているが、セメントの自給率は100%かもしれない。しかし日本で鉄鉱石が採掘される場所はあまり聞いたことがないが、韓国は鉄鉱石も豊富に採掘されるようである。セメントの山と小さな駅と鉱山集落が連続する。



駅ですれ違うのはセメントや鉄鉱石や石油を積んだ貨物列車ばかりである。たまにすれ違う旅客列車もそれほど人が乗っていない。



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韓国旅行6

2008年07月19日 | 韓国
11月3日(大邱→束草)

2日目 東大邱-安東

早朝6:20分の東大邱駅はまだ真っ暗である。これから日本海に面した江陵まで列車で移動する。この区間を直通する列車は朝・昼・夕の一日3本しか運行が無い。また特急セマウル号の運行は無く急行ムグンファ号しか運行していない。しかし、高速バスは数多くの運行がある。列車は東大邱6:30分発江陵12:33着の長丁場である。列車は定刻通り出発。でも韓国の鉄道だから到着時には遅れが出ていることだろう。





だんだんと朝が明けて来るとあたり一面霧と朝もやに包まれている。秋の盆地の朝らしい光景である。



列車は永川から中央線に入る。この区間は以前、慶州からソウルまで通ったことがある。山間を走る路線でその名も中央線。京釜線が東海道線だとすると中央線は日本の中央線と存在が似通っている。もっともどちらも日本が作ったものだから似通ってくるのも致し方ない。日本は長年に渡った韓国の植民地支配で様々なインフラを整備した。日本が残していったインフラと戦後日本からの資金提供を基礎として韓国は漢江の奇跡と言われる経済発展を遂げたのである。



山間部を抜け盆地が開けたことろで安東に到着。安東は古くからのこの地域の文化の中心であり、韓国の伝統的な町である。また有名なブランド牛である安東黄牛の産地としても有名である。駅前にはカルビ横丁がある。昔、ここで食べたカルビはとっても美味しかった。今回はまだ午前中であり、目的地はまだまだ先なので我慢である。きっとこの先に美味しいものが待っているはずだ。



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韓国旅行5

2008年07月18日 | 韓国
11月2日(セントレア→大邱)

1日目 大邱

大邱は人口250万。ソウル、釜山に次ぐ韓国第3の都市だが、日本での知名度はソウル、釜山に比べて圧倒的に低い。もしくは無いに等しいかもしれない。ソウルと釜山との間に位置することから日本で言えば名古屋のような都市である。



大邱駅から中央路あたりが繁華街となっている。ソウル、釜山の繁華街なみに多くの人で賑わっている。異なるのは日本人らしき姿を見かけないことだ。





しばらく街をぶらぶらするも盆地にあるせいか寒い。その後行った、束草、ソウルといった北に位置する所よりはるかに寒かった。夏と冬の温暖差は韓国で一番厳しいらしい。残念ながら大邱にはこれといった見所がない。もっとも、これは韓国全体にいえることだが。しいて言うなら市場が楽しいくらいだ。大邱の町には特別な印象を受けなかった。ただ、地下鉄の出口で日本人の留学生らしき女の子が韓国人の男の子に大声で「授業が遅れたからなんの・・・」と騒いでいたのが印象に残るくらいだった。こんなところにも日本人留学生はいるようである。







夜は韓国の夜の風物詩ともいうべきテント屋台でうどんを食べた。2000ウォン。店の親父さんが焼いているデジプルコギ(豚すきやき)があまりにも旨そうなので値段を聞くと5000ウォンだという。それではあまりにも高すぎるので3000ウォンに負けてもらった。韓国の屋台はメニュー・値段が無いので観光客には容赦なくぼったくってくるので予め値段交渉をしておいた方が安全だ。他の国では屋台でぼったくるなんてことはあまり無いので何とも商魂逞しい限りである。それにしても炭火で焼いたデジプルコギはさすが本場の味付けで旨い。焼酎でも一杯引っ掛けたいところだが、禁酒中なので我慢する。大邱は寒いので酒でも飲まないと外を歩けない。酒なしの韓国旅行は楽しみが半減だ。次は酒が飲める状態で来たいものだ。また、韓国は寒い時期に旅行した方が魅力があるような気がする。寒さのためか腰が痛むのと明日の出発が早いので早々に宿に戻って寝る。



1日目終了
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韓国旅行4

2008年07月18日 | 韓国
11月2日(セントレア→大邱)

1日目 東大邱駅周辺

東大邱駅は大邱駅から地下鉄で3駅の距離である。このあたりは交通機関の集まるエリアで駅、バスターミナル、安宿街が集結している。駅で明日以降の切符を買う。ビジネスマン氏の言うとおり、大邱は美人が多いのかもしれない。切符売り場のお姉さんは美人である。色白で目元が涼しげ、背が高くてスタイルが良い。イメージ通りの韓国美人である



切符も無事に入手し、今夜の宿を探す。鉄道の駅のすぐ近くに地下鉄の駅があってバスターミナルが何箇所かある。韓国ではそれほど鉄道網が発達していないので、バスが移動の中心となっている。アジアの国々で鉄道が移動のメインとなっているのは日本くらいかもしれない。







韓国の安宿はモーテル、旅人宿といい温泉マークが目印である。大体一泊25000ウォンから35000ウォンくらいが相場である。もっともこのクラスの宿は連れ込み宿として使用されている事が多く、家族連れ、カップルが泊るのにはお勧めできないので注意が必要である。その中で一番まともそうな宿にチェックイン。30000ウォン。







一息ついて食事を取りに行く。このあたりは飲食店が多く夜は賑わいそうだ。豚の焼き肉定食のようなものを食べる。ここのキムチは大邱らしくりんごを使っているのか辛くなく甘くておいしい。でも価格が7000ウォンと日本で食べるのとあまり変わらない。今や韓国の物価は決して安くはない。以前は日本の半分くらいの感覚であったが、台湾と同じくらいの感覚である。



※コーラの価格で比較。日本を100とした場合。タイ20。韓国50。台湾70。(2001年当時。あくまで勝手なイメージ。)
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韓国旅行3

2008年07月17日 | 韓国
11月2日(セントレア→大邱)

1日目 大邱へ

ビジネスマン氏と自己紹介をする。氏は常滑の某大手陶器メーカーでデザインの仕事をしているとのことである。愛知の大学の大学院に留学して卒業後も日本で就職してずっと日本にいるらしい。出身が大邱なので実家に用事があるそうだ。色々と韓国の話をする。大邱に行く日本人は珍しいので何でと聞かれるが今まで行ったことが無いのでと答える。それと池袋に住んでいた時の行き着けの韓国料理屋が大邱食堂という名でそこのおばあちゃんにいろいろ親切にしてもらったので一度大邱に行ってみたかったと言うと氏も喜んでくれた。何でも大邱はりんごと美人で有名とのことである。今回の旅程にも話が及ぶ。大邱から江陵、束草、春川、ソウルに行くと説明する。江原道の旅である。道は韓国の県にあたる。なかでも江原道は韓国の田舎、北海道や東北のようなところである。氏は大学生の時に自転車で韓国を一周したそうだ。なかでも束草、ソラク山は韓国で一番きれいな場所とのことだ。

韓国版新幹線KTXだが、黒煙を巻き上げ、轟音を響かせながら走っていたセマウル号と違い最新の電車だけあってとても静かだ。しかし在来線を走行しているのであまりスピードが出せないようである。また車内もセマウル号と比べて狭苦しい感じがする。昔のセマウル号の方が古めかしかったが、車内もゆったりしていて日本とは違う韓国的な感じで好きだった。昔、ソウルから釜山までセマウル号に乗車した時のことを思い出した。隣の席の薬学を学んでいるという大学生の女の子と色々な話をした。彼女は日本語は話せなかったが、あまりの流暢な英語に圧倒されてしまった。その頃は韓流ブームなんてまだ無かったから、韓国人で誰か知っていると聞かれ、少し前にダウンタウンが歌っていた「オジャパメン ナネガミオジョソ~」とオジャパメンを歌ったら大うけだった。そんな楽しい時間を過ごした。その子は東大邱駅で降りた。その後、釜山までの車内はひっそりとしていた。



KTXは東大邱駅に到着。大邱の中心の大邱駅にはKTXは停車しない。セマウルもほとんど停車しない。このあたりはバスターミナルも集中しており大邱の交通の中心地となっている。







ビジネスマン氏の親切に感謝し、名古屋での再会を約束する。こういう韓国人の過剰なおせっかいとも思える親切が大好きだ。日本人みたいに距離や時間を置くことなくいきなり全開で心を開いてくれる。日本のマスコミ報道によると反日的なイメージもある韓国人も中国人も特に日本人には親切にしてくれると思う。そんなやさしさに触れることがしょっちゅうある。時折出てくるあの反日感情は一体何であろう。そんなものは本当に存在するのであろうか?政治的に利用しているだけかも知れない。それを利用する必要が無くなった時、韓国も日本に追いつくことができるかもしれない。
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韓国旅行2

2008年07月17日 | 韓国
11月2日(セントレア→大邱)

1日目 釜山空港から亀浦駅へ

JL987便は定刻どおり離陸。1時間30分で釜山に到着。釜山はとっても近い。国内線で北海道、沖縄に行くより近い。日本から一番近い外国かもしれない。11月1日に釜山の空港の国際線ターミナルが新設なったとのこと。新しいターミナルが見えてきた。しかし、なぜかスポットに飛行機が1機も着いておらずタラップを利用している。いやーな予感がしたが、残念ながら当機もバスゲート使用と相成った。せっかく前のほうの席にしたのにこれじゃ意味が無い。説明では空港設備未整備とのことだが、普通ならきちんと完成させてからオープンであろう。でもここは日本ではなく韓国である。怒っても仕方がない。

イミグレもがらがらであっという間に通過。ソウルは結構待たされるイメージがあるが、釜山はスムーズだ。両替をするがウォン高には困った。5年前は1000円が10000ウォンだったのが、7600ウォンにしかならない。これでは計算もしづらい。過去の感覚で円・ウォン1:10で換算したら大変なことになる。空港はコンパクトで出口も近く、バス乗り場もすぐそこだ。

釜山の空港は町の北側に位置しているので、釜山駅までバスで南下して1時間くらいかかる。それから鉄道で再度北上するので時間の無駄だ。市内バスで近くの亀浦駅まで移動することにする。市内バスに乗り込み乗客のビジネスマンらしい男性に亀浦駅(グポヨク)?と聞く。うなずくビジネスマン氏。とりあえず亀浦駅まで移動。20分くらい走って市街地らしき場所に入るがどこが亀浦駅か分からない。すると後ろに座っていた先ほどのビジネスマン氏が「亀浦駅はここです。私も行きますので一緒に行きましょう」と日本語で話しかけてくる。韓国、台湾は長年日本の植民地だっただけあり、日本語の通用度が高いので今更驚かない。でも初めて韓国、台湾に来たときは驚いたものだった。バス停から駅までは5分くらい歩く。ビジネスマン氏がどこまで行きますか?と聞いてくるので大邱までというと偶然にも氏も大邱まで行くとのことでご一緒することにする。

釜山・ソウル間は昔、日本が建設した京釜線という大動脈で結ばれている。日本でいえば東海道線のような感じである。以前は特急セマウル号が最速列車だったが、最近、韓国版新幹線KTXが開通し所要時間が一気に短縮した。しかし、現在のところ釜山・大邱間は工事中の為、在来線を走るのでこの間の所要時間はKTX,セマウルも変わり無い。幸いにも5分待ちでKTXに乗ることができた。5号車の乗車位置で待っているとフランスのTGVそっくりなKTXがやって来た。しかし、乗車位置からだいぶオーバーして停まったので二人で急いで走って乗り込む。日本の新幹線が乗車位置をオーバーランしたら翌日のニュースで大騒ぎになるだろう。しかし、ここは日本ではない。韓国なのだ。


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韓国旅行1

2008年07月17日 | 韓国
11月2日(セントレア→大邱)

1日目 セントレア

11/2-11/5の予定で5年振りの韓国旅行を計画。韓国は食事が美味しくて、人も親切、物価も安くて買い物も楽しい。そんな訳で大好きな国のひとつであるが、最近行ったのが5年前としばらくご無沙汰していたので、久しぶりに行ってみようかと思った。タイ・マカオは年2~3回も行っているのにお隣の韓国は以外に行けそうで行けなかった。

今回は今まで訪れたことの無い町に行ってみようと思った。イコール日本人観光客があまり行かないような所ということである。

そんな訳で名古屋→釜山//ソウル→名古屋というオープンジョーで航空券を発券することとした。

セントレアに到着、ボーディングパスを受け取り、空港のカードラウンジでしばし休憩。こういう時くらいしかゴールドカードの威力が発揮できないものである。持つカードひとつで空港での待遇もだいぶ変わるものである。

昨年の4月から豊橋に転勤してから中部国際空港を利用するようになったが、コンパクトにまとまったよくできた設計である。電車のホームからチェックインカウンターまで歩いて約3分。これならフライトの1時間前に着いても余裕である。





中部国際空港開港前の名古屋空港も懐かしい。昔、小牧に住んでいた時代、休暇の度にバックパック背負って空港まで自転車で行っていた。当時はそんな元気もあったし、そんなことをしても許される年齢だった。今そんな格好で自転車に乗って空港に行くと不審者として警察に尋問されるかもしれない。海外旅行に行くのに自転車で家を出るのも趣きのあるものである。空港に自転車置き場があるようなのどかな空港だった。最近の空港は中部国際空港、関空、バンコク新空港、仁川、香港などなど、みんな同じような設計で味気ない。全体的に明るくなったのである。天井が高く光が燦燦と入りみ開放感が溢れるあの感じである。個人的には古い空港が旅情が感じられて好きだった。あの古くて薄暗い感じがこれから旅立つ緊張と不安、日本に帰るときの一抹の寂しさを一層引き立ててくれたものであった。成田の1タミ、バンコクのドンムアン、北京、金浦、マニラ、台北の1タミ、カルカッタ、好きな空港である。

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